夢を見ている。
自分の夢ではない。
登場人物は二人、見知らぬ少年と少女だ。いや、正確には少女の方は知っている。が、自分が知り合った時よりもずっと幼いため、やはり見知らぬ少女とも言えた。
何故知りもしない人の夢を見るのか。そもそも夢など支離滅裂なのが常だが、この場合は特別だった。
“他人の夢を覗き見る”、それが朝倉純一の魔法だった。
制御はできない。祖母や従姉妹はある程度見る夢を操れるらしいが、純一にはそんな器用な真似はできない。だからこれは正確には、“他人の夢を見せられる”という、大した役にも立たない能力である。
役に立たないどころか、ただでさえ支離滅裂な内容なのが夢というものなのに、他人の夢などまったく理解不能なものでしかない。それを見せられるというのは一種の苦痛だった。
特に今日の夢は、内容こそはっきりしているが、それゆえに逆に見ていて辛い。
実はこの夢は、はじめて見るものではなかった。
少年と少女は、どちらも子供らしい快活さが欠如した表情をしている。特に少女の方は、生きているのか死んでいるのかわからないくらい、感情というものの消えうせた顔だった。そんな少女に、少年があることを告げる。すると少女の顔に精気が戻る。表情を彩るものは、憎しみだった。
少女は泣きながら、少年を罵倒する。そして夢の最後には、いつも同じ言葉を投げかける。

「りんなんか・・・しんじゃえばいいんだっ!」

視界が暗転する。
今日もいつものように、“自分”の発した言葉から逃げるように悪夢から目覚めたのだろう。
もう何度、この夢を見せられたことか。これは、彼女の心の傷だった。
他人の過去を、秘密を、傷痕を無断で垣間見ている。役に立たないだけでなく、この力は時に害悪ですらあった。ましてや見せられるそれが知っている人間のものだったら、尚更だった。

「かったりぃ・・・」













 

真★デモンバスターズ!



第3話 愛しき人の影















「――――ッ!!」

声にならない悲鳴を上げて、楓は悪夢から逃げるように目を覚ました。
ぐっしょりと汗に濡れた身体を抱きしめながら息を荒げる。

「・・・また、この夢・・・・・・」

もう一体、何度この夢を見たことか。一時見なくなっていたというのに、この半年の間にまた繰り返し見るようになっていた。
一度は許されたと思った己の犯した罪。けれど、許してくれた人が傍からいなくなってしまったことで、また頻繁に思い出してしまう。罪はやはり許されることはなく、これが罰なのだろうか。だとしたら己の罪は、どれほど深いものだというのか。楓にとって、彼を奪われる以上の罰などあろうはずもない。事実、一人になった楓は一度壊れかけた。

「・・・$B〜」
「っ!?」
「・・・・・・むにゃむにゃ・・・」
「・・・・・・・・・」

隣を見ると、さやかが寝返りを打ちながら気持ち良さそうに寝ていた。野宿だと言うのに、自分の家にいるかのような寛ぎ様だった。
それもそのはず、下にはマットが敷かれており地面の硬さはまるで感じず、枕もふかふかで気持ちが良い。いつもどうやって持ち運んでいるのか不思議に思うのだが、さやかはヒュームとしては破格と言って良いレベルの魔法使いだ。これくらいの芸当は朝飯前らしい。
起こしたか、と思ったが、今の意味不明な呟きは寝言だったようだ。
離れたところでは、他の三人の姿もあった。純一は寝袋に包まって熟睡しており、祐漸と連也は太い木の幹に寄りかかるように腰掛けた状態で眠っていた。連也の方は刀も抱えている。
或いは、皆目を覚ましていながら眠っている振りをしているだけかもしれない。楓がこうして夜中に起きるのは、珍しいことではない。そして、そういう時の楓にかける言葉などないということも、彼らはよく知っている。だからわざわざ起きることはない。優しくもあり、同時に厳しくもある彼らなりの気の遣い方だった。
一度は壊れかけた楓が今あるのは、この仲間達のお陰だった。特に、純一と祐漸に出会うことで、楓は救われた。

『泣いてる奴を放っておくのは、何もしないよりもかったりぃからな。旅の目的とかがあるわけでもなし、そいつを捜すの、俺も手伝ってやるよ』

純一の優しさは、どこか彼を思い出させた。楓が生涯をかけて己の身を捧げると決めた男、土見稟を。
稟がいない今、彼の優しさは楓の心を支えてくれている。時々、何もかも忘れて甘えてしまいたくなる衝動に駆られる。それを抑えているのが、祐漸との約束だった。

『俺は弱い奴を仲間とは認めない。俺の前で弱さを見せれば、おまえはただの女だ。おまえが目的を前に挫けるようなことがあれば、ただの女として、俺がおまえを奪う。覚えておけ』

その時祐漸に対して答えた言葉が、楓の全てだった。

『私は、稟くんのものです。他の誰にも、奪わせたりしません』

祐漸の厳しさは、稟に対する想いを忘れさせずにいてくれる。稟に捧げた心も体も、他の誰かに勝手に奪われるわけにはいかない。だから楓は、仲間達の優しさに支えられながらも、決して弱さを見せてはならない。
音を立てないように毛布をどけ、楓は皆のところから離れた。
皆に弱さは見せない。だから涙を流すのは、夜、皆が寝ている時、皆のいない場所で、であった。



充分に離れたところで、楓は一心不乱に剣を振るう。
体を動かしていれば、余計な思念に囚われずに済む。
けれど、そうしながらも、涙が止まることはない。
流れ落ちる涙の滴の一粒一粒に思い出が詰まっているかのように、流れ落ちる度に幸せだった頃のことが思い出される。
今日も脳裏に浮かぶのは、そんな一日のことだった。







「稟くん、朝ですよ」

朝、身嗜みを整え、朝食の準備を半ば整えたところで稟を起こす。そうして楓の一日は始まる。

「んむぅ・・・あと、5分・・・」
「構いませんけど、朝ご飯、ゆっくり食べられなくなっちゃうかもしれませんよ?」
「朝飯・・・か・・・・・・」
「今朝は、稟くんの大好きななめこ汁ですよ」
「むー・・・・・・・・・おはよう、楓」
「おはようございます、稟くん」

着替えを渡して、朝食の準備の続きをするために稟の部屋を後にする。
キッチンへ戻ると、もう一人の同居人、稟と楓の妹のような少女、プリムラがいた。

「リムちゃん、おはようございます」
「おはよう、楓お姉ちゃん」

紫色の髪と瞳を持つプリムラは、正確にはヒュームでもソレニアでも、ヴォルクスでもない。三種族の魔術師達が共同で行っているある研究で生み出された人工生命体だった。
ひょんなことからこの家に居候することになって、もう一年近く経つ。最初は感情の起伏が乏しかったが、打ち解けていくにつれて徐々に変わっていき、今ではとても感情豊かになっていた。稟のことをお兄ちゃん、楓のことをお姉ちゃんと呼び、二人も本当の妹のようにかわいがっている。特に稟のかわいがりぶりは、むしろお兄ちゃんというよりもパパというべきだというのは楓の親友の言だった。

「ふわぁ〜・・・」

しばらくすると、稟が寝惚け顔でダイニングに現れる。

「お兄ちゃん、おはようっ」
「ん、おはよう、プリムラ」

とても嬉しそうに朝の挨拶をするプリムラと、それに応える稟の姿を見ていると、楓も暖かい気持ちになる。
朝食が終われば、三人揃っての登校である。

「はい、稟くん。お弁当です」
「サンキュ。で、楓、自分のは持ったか?」
「あ、忘れてました!」
「はい、お姉ちゃんの分」
「ありがとうございます、リムちゃん」

稟に尽くすことばかりを考えるあまり自分のことが疎かになるのが楓の欠点だった。もっとも、そんなドジっ子振りも逆に楓の学園での人気を高める要因となっているのだが。そんな姉の抜けている部分をフォローする妹プリムラというのも板についてきた感があった。

「おっはよー! 稟くん♪」
「おはようございます、稟さま」

家を出ると、左右からそれぞれ声が響く。
元気よく声を上げる長く赤い髪に、ヒュームよりも少し尖った耳を持つソレニアの少女、シアことリシアンサス。
丁寧な挨拶をする藍色の長い髪に紅い瞳、長く尖った耳を持つヴォルクスの少女、リンことネリネ。
稟達が住む芙蓉家の両隣の娘たるこの二人、何を隠そうそれぞれにソレニア神王家、ヴォルクス魔王家の第一王女である。
ここに揃った四人の美少女達、楓、リシアンサス、ネリネ、プリムラは“花の四姉妹”の異名を持つ、バーベナ学園のプリンセス達だった。そして彼女らに共通していることは、皆一人の男、稟を心から慕っている、ということであった。

「おはよ、シア、ネリネ」

稟が二人に声をかけたのを皮切りに、皆それぞれに挨拶を交わしていく。一人の男を慕い慕われようと競い合う恋敵たるはずの彼女達だが、同時に少女達の仲は逆に稟が羨むほどに良かった。
とても和やかな朝。しかし、それを一転して騒がしい朝に変える大声に響き渡る。

「よぉーし、んじゃ行こうか、稟殿!!」

着流し姿にがっしりとした体付きで力強さを感じさせる男がさも当然のような顔で稟達の中にまざっていた。
威厳を感じさせるこの男の正体は、ソレニア神王家の現当主ユーストマ、シアの父親であり、即ち神王その人である。当然、いくら神王だからとて娘と一緒に登校する理由はない。よって――。

ドカッ!

シアがどこからともなく取り出した椅子を、容赦なく父の脳天に振り下ろした。

「もうっ、お父さんたら! ついてこないでって何度言ったらわかるのっ!」

怒鳴りつける声も聞こえていないのではないか、と思われたのだが。
頭から血を流しながら神王は何事もなかったかのように起き上がった。

「ま、いいじゃねぇか、シア。固い事は言いっこなしよ。なっ! 稟殿!!」
「んげっ、今日は手強い・・・・・・あ」
「なっ、と言われましてもおじさん・・・・・・あ」

口を開きかけた稟とシアが共に固まる。訝しげな顔をする神王の背後にぬぅっと現れる影――。

ドガッッッ!!!

情けも、容赦も、遠慮もないソファによる一撃が、泣く子も黙る神王を道路の上に沈めた。半分くらい地面にめり込んでいるように見える。

「まったく懲りないんだから、神ちゃんは。ま、そんな親バカなところもラヴ♪ではあるんだけど、さすがにそろそろ溜まった仕事を片付けないとね」

神王の背後から現れた女性はリアことサイネリア。紅い瞳に長い耳のヴォルクスで、しかも現魔王の実妹たる彼女だが、神王の第三妃にしてシアの母親であった。

「じゃ、シアちゃん、稟ちゃん、リンちゃん、カエちゃん、リムちゃん。これは私に任せて、みんないってらっしゃい〜」

ずるずると、上にソファを載せたままの神王を引きずって、リアは家へと戻っていった。芙蓉家の左隣にある神王家は、大きな純和風の屋敷である。
見慣れた光景とは言え、朝のヴァイオレンスな光景に皆乾いた笑い声を上げる。

「はは・・・高そうなソファだったな。いいのか? あんなことに使って」
「ど、どうなんでしょう・・・」
「朝から恥ずかしいところをお見せしました・・・」

揃ってため息をついていると、また別の騒動の元が現れた。

「やぁ、みんなおはよう。そろそろ行かないと、遅刻してしまうのではないかい?」

黒い服に身を包んだ細身で長身の男が、鋭利な雰囲気とは裏腹な親しみやすい笑みを浮かべて稟達の集団にまざる。
この男こそがヴォルクス九王家を束ねる魔王家の現当主フォーベシィ、ネリネの父親にして魔王その人である。

「お父様・・・まさかお父様も一緒に来られるつもりじゃ・・・」

ネリネが表情を引きつらせながら父の顔を見る。当然、魔王とて娘と共に登校する理由などないのだが、魔王は何を当たり前のことを、とでも言いたげな表情で語り出す。

「今日は体育の授業があるだろう。苦手な科目にそれでも果敢に挑むネリネちゃんの姿をこの目に焼き付けに行かずしてどうする?」
「あ・・・」
「リムちゃん? どうしたの?」
「上・・・」
「あ・・・」

それに気付いたネリネとプリムラは、そそくさと魔王の下から離れる。そんな二人の行動に魔王が疑問を抱く間もなく、それは上空から凄まじいスピードで迫ってきた。

ギュィィィィィィィィィィィン・・・・・・ドゴォーーーン!!!!!

稲妻か、はたまた隕石が落下したような衝撃と共に、魔王の身が道路に沈んだ。というか完全にめり込んで見えなくなった。
芙蓉家の右隣、大きく立派な洋館たる魔王家の前、もうもうと煙が立ち込める中、それを成した人物が立ち上がる。
ヴォルクスの証たる長い耳に紅い瞳、肩より少し長く切り揃えられた黒髪を持つ女性は、完璧なメイド服に身を包んでいた。

「みなさん、おはようございます。朝から見苦しいところをお見せしました」

天下の魔王に蹴りをいれておいて平然と笑顔で朝の挨拶をする女性は、魔王妃にしてネリネの母親、セージである。この地上で唯一魔王を足蹴にして許される女性なのだが、とても一児に母とは思えないほどに童顔で小柄で、胸がなかった。

「もう、パパ。馬鹿なことしてないで早く溜まってるお仕事片付けちゃってくださいね」

道路に埋まっていては聞こえそうもない、どころか生きているかも怪しいところだが、仮にも魔王を名乗る者がこの程度でどうにかなるはずもない。もちろん、それがわかっているからこそセージも遠慮なく必殺のサンダーキックを叩き込めるのである。

「お母様・・・・・・」
「日に日に威力が増してるような気がするな・・・あのサンダーキック・・・」
「・・・お兄ちゃん、そろそろ行かないと、ほんとに遅れる」
「ああ、そうだな、行こう」

この程度の騒ぎは日常茶飯事である。頭の痛いことではあるが、いちいち気にしていては身がもたない。

「ネリネちゃん、稟くん、シアちゃん、楓ちゃん、リムちゃん、いってらっしゃい」

セージの笑顔に見送られて、稟達はようやく家の前を後にした。



実は、この時点ではまだまだ時間には余裕があった。だが稟達の日常における朝の騒動は、まだ終わってはいない。それを計算に入れると、この日は少し遅れ気味だった。
通学路を三分の一ほど進んだところで、道の前方から何かの集団が土煙を上げて迫ってきた。

「怨敵土見稟!!」
「今こそ我らがシアちゃんへの想い果たす時!」
「その身に神の鉄槌を受けるがいいっ!!」

明らかにイッちゃってる集団だが、これでも稟達と同じ学園に通う生徒達である。そのはずだった。たぶん、おそらく、きっと・・・。

「今日の先鋒はSSSか・・・」

SSS、好き好きシアちゃん。親衛隊を名乗るシアのファンクラブ集団である。
“花の四姉妹”にはそれぞれこうした親衛隊が存在する。彼らの目的はただ一つ。土見稟の抹殺である。物騒だが、少なくとも彼らはそう豪語している。

「お兄ちゃん、後ろからも来た」
「何!?」

プリムラの言葉に振り返ると、同じような集団が後方からも迫ってくる。

「そこに直れ土見!!」
「愛しきリンちゃんのために!」
「我らの愛のために死ねぇっ!!」

RRR、ランランリンちゃん。これまた同じく、ネリネの親衛隊である。

「まとめて来るとはな・・・」
「いいじゃないっ、手っ取り早く片付けられて」

シアが一歩進み出て稟の前に立つ。だが、普段とは口調も雰囲気も違う。目つきも少し鋭くなっている。
キキョウ、それが彼女の名前である。もう一人のシアである彼女は、シアがソレニアとヴォルクスの、しかも強大な魔力を持つ両王家の血を受け継いだために生まれた存在だった。公的には存在しないことにされている彼女だが、シア本人や稟達は、彼女をシアの妹として扱っている。
時々キキョウは、こうしてシアと入れ替わって表に出てくる。少し違うが、二重人格のようなものだった。

「では、稟さまのお背中は、私が守ります」

後ろでは、ネリネが稟に背を向けている。二人とも既に、魔力を練り上げて攻撃態勢に入っていた。
本来なら止めるべきところなのだが、今日は時間もない。加えて二人とも、最近は大分手加減を覚えてきていた。

「ネリネ、キキョウ、ほどほどにな・・・」

その言葉を合図に、前後で爆発音が響き渡る。
まだ若いとは言え二人は神王家、魔王家の娘である。その魔力、魔法の腕前は一級品だった。エリート学校たるバーベナの生徒と言えど、この二人を前にしては何人束になったところで敵いはしない。
それにしても、朝は両家のお母様sに圧倒された感じだが、こうして見ていると「この親にしてこの子あり」の言葉通り、娘達も負けていない。
ほどなく片付くと、稟達は登校を再開する。
だが100メートルほど進んだところで、次が現れた。

「所詮は新参者と裏切り者ども、不甲斐ないことこの上なし!」
「やはり土見稟は、我らの手で葬り去らねば」
「そう、我らが楓ちゃんのためにっ!!」

KKK、きっときっと楓ちゃん。元祖親衛隊と呼ぶべき、楓の親衛隊である。四大親衛隊の中では最も古く、それゆえ自分達こそを真の親衛隊と豪語して止まない。
一体どこに潜んでいたのか、稟達が通過しようとしたら道の至るところからうじゃうじゃと出てきた。こう近付くと、広域魔法で一掃するのは難しくなる。

「どうしましょう、稟くん?」
「突破するしかなさそうだな」

躍りかかって来る敵を右へ左へかわしながら、稟達は走る。
キキョウと入れ替わって先頭を行くシアはどこからか取り出した椅子を振り回して敵を薙ぎ倒して道を切り開く。それを抜けてきて稟に襲い掛かろうとする相手は楓が右へ左へ除けながら処理していく。稟は二人の後ろでプリムラを抱えて走り、前の二人をかわしてきた敵の攻撃を避けていく。最後尾ではネリネが追手を吹き飛ばしていた。
そうして学園までもう少しという坂道の先に、最後の敵が待ち構えていた。

「よくぞここまで来た、土見稟」
「だが、この丘を越えられると思うな」
「我らにプリムラちゃんへの無限の愛がある限り!!」

PPP、プルプルプリムラちゃん。もはや何も言うまい。
これを突破すれば学園は目の前なのだが、四大親衛隊最強の武闘派集団と言われるこれをかわすのはなかなか骨が折れる。と思っていると、今まで大人しかったプリムラが前に進み出る。
自分達の方へ、崇拝する小さな女神が向かってくるのを見て、いかにもむさい男達が顔を赤らめたりハァハァしたりしている。正直言って、お近づきになりたくない。
集団の目の前まで行ったプリムラは、少し俯きながら相手を見上げる。そして少し目を潤ませながら、

「通して」

と言った。
それを見たPPPの男達は、一人残らず鼻血を噴き出して悶絶した。

「お兄ちゃーん、行こー!」
「プ、プリムラ・・・おまえ、今、何やった?」
「ん? こうやって・・・」

プリムラは後からやってきた稟達に向かって、同じように俯きながら上目遣いで、少し目を潤ませてみせた。

ズキューンッ!!!

それを見た途端、稟達全員の胸に衝撃が走った。稟だけでなく、楓も、シアも、ネリネまでも顔を赤らめて衝撃に打ち震える。

「か・・・かわいすぎるッス、リムちゃんーーーーーっ!!!!!」

我慢できなくなったシアが思い切りプリムラを抱きしめる。周りに誰もいなかったら稟も危なかったかもしれない。それくらい、今のプリムラの表情には破壊力があった。

「そ、そんなもの、どこで覚えた・・・?」
「樹に教えてもらった」
「あいつは今日殺ろう。うん、そうしよう」

悪友の顔を思い浮かべて殺意を漲らせながら、稟は校門までの残り僅かな距離を進む。が、この時稟は最強にして最後の襲撃者の存在を失念していた。

バチィ〜ンッ!

痛烈な平手打ちが、稟の背中に炸裂した。

「づぁっ!!」
「は〜ろ〜♪ 稟ちゃん!」
「あ、亜沙先輩ッ!」

背後から現れたのは、稟達の先輩で時雨亜沙である。
バーベナ学園には“花の四姉妹”には及ばないものの、根強い人気を誇る二人の女生徒が存在した。今は高等部から大学部へとのその籍を移した二人は、料理クラブの双璧で“癒しのカレハ”と“驚愕の時雨”である。カレハは長い金髪を持つソレニアの少女で、文字通り癒し系の雰囲気を持っている。そして亜沙は、溢れる元気を爆発させながら、家庭的な特技を持つというアンバランスさから驚愕の異名を持つ。
他にも、亜沙には人に言えない秘密があり、それを知るのは稟を含めてごく僅かなのだが、それはまたの機会に語るとしよう。
そして彼女もまた、俗に土見ラバーズと呼ばれる面子の一員であった。

「今朝もご苦労様だったみたいね、稟ちゃん」
「そう思ってるんだったら手加減してくださいよ・・・」
「まぁまぁ、幸せ賃だと思いなさいって♪」

楓、シア、ネリネ、プリムラ、亜沙、これだけの美少女達に慕われ、その上“癒しのカレハ”やその妹、さらには「微乳は世界の財産」と豪語する胸はないが顔は美少女な稟達のクラスメート麻弓・タイムに至るまで、学園の綺麗どころ尽くが稟のことを憎からず想っているのだ。日々稟を亡き者にしようとする男達の気持ちも少しはわかろうというものだった。
加えて稟とシア、ネリネの両王女との婚約式が間近に迫っている。これだけの美少女達に慕われているだけでなく両王家の権力までも手に入れる権利がある。この男以上の幸せ者がこの世にいようか。いないこともないだろうが、大半の人間からは羨望の眼差しで見られるのも致し方ないことだった。

「それにしてももうすぐよね、婚約式」
「あ、そうでしたね」

同じ男を慕いながら奪い合うどころか逆に仲の良い少女達は、こんな話題ですら盛り上がれる。実際に婚約するのはシアとネリネだけだが、楓もプリムラも亜沙も自分のことのように喜んでいた。

「三人の晴れ姿、楽しみにしてますね」
「うん、楽しみ」
「ありがとうございます、楓さん、リムちゃん」
「いやー、照れるッスよ〜」
「ほらほら、シアちゃんは第一妃が内定してるんだからもっと胸張って」
「えへへ・・・あ、でも! 婚約しても、えっと・・・その先、結婚・・・したとしても・・・・・・第一妃とか何番目とか、関係ないよっ! みんな一緒だから、ね」
「私は、稟くんの傍にいられれば何番目でも構わないですけど、そう言ってもらえると嬉しいです」
「はい。私達はみんな等しく、稟さまのものですから」
「お兄ちゃんのもの・・・・・・」
「うんっ、一人占めは無しね♪ というわけで、稟ちゃん!」

バッと、全員が一斉に稟の方へ向き直る。

「「「「「末永く、よろしくお願いしますっ!」」」」」
「ははっ・・・こちらこそ」







それは、幸せだった頃の記憶だった。
あの頃は、確かに幸せだった。そして、それ以上に幸せになるための日々を送っていたはずだった。
けれど事件は、婚約式が目前に迫り、準備のためにシアとネリネがそれぞれ帰郷していた時に起こった。
ヴォルクスの過激派によるソレニア領内への侵攻、それと時を同じくして、バーベナ学園がある特別地域にも何者かの襲撃があった。学園は破壊され、周囲の町もほとんど廃墟となった。その時に逃げ惑う人の波の中、稟と楓は離れ離れになった。
楓は河に落ち、そのままずっと流された。気がついたのは、数十キロも離れた下流に打ち上げられた場所でだった。町に戻った時には、稟だけでなく、他の知り合いも誰もおらず、廃墟の中、必死にその姿を追い求め、見つけられずに狂乱した。
それから先のことは、よく覚えていない。
ソレニアとヴォルクス、それにヒュームの国々との間で国交が断絶され、各地で戦争状態になった中で、行く先々はどこもひどい有様だった。楓も何度も、命の危険に晒された。稟のいない寂しさに絶望し、死を受け入れようと思ったこともあった。だが、楓の命は、かつて稟に救われたものだった。楓の心も、体も、命も、全て稟に捧げたものだった。ならば、稟に無断で死ぬことは、稟への大きな裏切りになる。だから楓は、ひたすらに生きようとした。生きるために、戦いもした。
剣術は、元々最初は仇を討つために覚えようとしたものだった。
母親が死んだ時、楓は一度生きることを放棄しようとした。だがその時、稟がついた嘘が楓の生きる糧となった。

『僕が、殺したようなものなんだ。僕が、楓のお母さんを、殺したんだ・・・』

幼かった楓は、その嘘を信じた。信じるしかなかった。それにすがらなければ、生きることができなかったから。
才能があったため、剣の腕は凄まじい勢いで伸びていった。けれど師であった人は、その剣を敵討ちに使うことは禁じた。その言いつけは守ったが、それでも楓は何度か稟を、殺すとまでいかなくとも傷付けた。

『りんなんか・・・しんじゃえばいいんだっ!』

それは、その頃に繰り返し叫んできた言葉だった。
そして嘘に気付いた時、心の底から後悔した言葉だった。
何度も、何度も謝った。傷付けたことを。稟は謝る必要はないと言ったが、誰よりも自分自身が、芙蓉楓自身が、芙蓉楓の罪を許せなかった。両親同士の仲が良く、小さい頃から共に過ごし、幼心にも慕っていた男の子を深く傷付けた自分を、激しく嫌悪した。
稟のために全てを捧ぐと決めた。稟に尽くすことで、罪滅ぼしをしようとした。それからの剣術は、いつか稟を守るためのものになった。亜沙と知り合ったのはこの頃で、稟のために料理を習った。そうやって、ひたすら稟に尽くそうと思った。けれど、そうする自分はまるで、罪滅ぼしをしているというよりも、ただ稟の傍にいたいだけのように思えて、また自分を嫌悪した。

『愛しています。だから、好きにならないでください』

咎人たる自分の、それが生きる道だと思っていた。
それが変わり始めたのは、シア達が来てからだった。シア、ネリネ、そしてプリムラとの出会い。彼女達の出現で、楓は心の奥底に閉じ込めていた稟への想いを意識するようになった。
紆余曲折があったが、ようやく楓は、自分を許すことができた。稟が許してくれたから。
なのに、その稟はいなくなってしまった。
やはり、自分の罪は許されないものだったのかと、楓は嘆き、それでも愛しき人の影を追い求めて生き続けた。
そして旅路の果てに二人に出会ったのだ。



剣を振るう手を止める。気がつけば、東の空から陽が昇り始めていた。
鞘に剣を納めて、涙を拭う。
振り返ると、そこに祐漸がいた。

「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

他の皆がいる前では普通に振舞っているが、二人きりの時の楓と祐漸は、いつも互いに無表情だった。
剣を交えたことはない。けれど二人は、出会った時から戦っている。
楓の心がその想いを貫き通すか、絶望で挫けるか、それが勝負の分かれ目だった。

「私、負けませんから」

今も楓の心は、罪の意識に苛まれ続けている。けれどこの男の前で、決して弱みを見せるわけにはいかない。見せた瞬間に、自分を奪われる。他人に奪われるのは、稟に対する裏切りだった。絶対に許されない。だから楓は、絶対にこの男に負けるわけにはいかなかった。

「・・・・・・そろそろ飯だ。戻ってこい」
「はい」
「それとな。戻ったらあのかったるい男を起こせ。手に負えん」
「はいっ」



皆のところへ戻ると、良い香りがした。さやかが朝食の準備をしているのだ。

「カエちゃん、はよはよ〜」
「おはようございます、さやかちゃん」

涙は夜と共に置き去り、仲間達の前に戻る時には、楓は笑顔だった。

「連也さんも、おはようございます」
「うむ」

連也は座ったまま、顔を上げることなく応える。いつも明るいさやかとは対照的に寡黙な男だが、こうした態度にももう慣れたものだった。
少し遅れて戻ってきた祐漸がその対面に腰を下ろす。
残るは、いまだに寝袋に包まったままの純一である。楓は寝ている純一の傍らに行って、その体を揺する。

「純一君、朝ですよ」
「・・・・・・・・・・・・ぐぅ」
「純一君、起きてください」

だが、いくら揺すろうとも起きる気配がない。

「鼻と口摘んだら起きるんじゃないかな?」
「谷に突き落とせ。そうすれば起きる」
「一度本気で殺気をぶつけてみたが、それでも起きなかったぞ」
「いっそバッサリいっちゃうとか♪」
「妙案だ。やれ、連也」
「試してみるか」
「駄目ですよ、物騒なことは。さやかちゃん、ご飯もうできますか?」
「うん、もういいかな」
「じゃあ、お椀によそってもらえますか?」

山菜を煮込んだ汁をよそったお椀を、さやかが楓に手渡す。楓は受け取ったそれを純一の鼻先へと近付ける。

「純一君、朝ご飯ですよ。起きてください」
「ん、んむぅ・・・・・・」

ひくひくと鼻を動かしながら、純一が動き始める。
匂いを嗅ぎながら顔を突き出す純一に対して、楓は少しずつお椀を放していく。するとそれを追ってさらに純一が前へ出ようとする。が、寝袋に包まったままでは上手く動けず、さらに匂いもどんどん遠ざかっていくため、仕方なくといった感じで純一は目を開く。

「むー・・・飯・・・・・・」

もぞもぞと寝袋から這い出て、純一は楓達の方へと寄ってきた。

「おはようございます、純一君」
「ふわぁ〜〜〜〜〜・・・・・・ぉはよ」

こうして、今日も彼らの夜は明ける。














次回予告&あとがきらしきもの
「風子・・・・・・参上」
 いや、そのネタはもう前回やったから。
「どうしてですか? ここは風子によるヒトデマスターの道を説く場ではないのでしょうか?」
 そんな場は永久に用意されん。
「最悪です。では風子は帰ります。帰ってこのとってもかわいい・・・・・・・・・(ぽわぁ〜)」
 逝ってしまわれたか。放っておいて、と・・・。祐漸敗れるが不評だった前回に続く第3話たる今回はもう少し話が進む、と思っていたのだが、思わず回想シーンが長くなってしまったのでここまでとなった。これでもカレハや麻弓、樹らの出番は削ったのだが。それにしてもシャッフル!のキャラ達はやはりおもしろい。特に日常風景が何とも・・・。 ちなみにセージとサイネリアのお母様sはシャッフル!本編では未登場なれど、ネリネエンド後のストーリーを描いたゲームTick Tackにて登場したキャラである。ただしこの真デモン内においてはTick Tackで起こったような話はなく、普通にお隣さんとして知り合った、という設定となっている。
 稟達の状態はいわば俗に言うオールエンド後というやつである。見ての通りハーレムエンド状態と言っても良い。ただシア、ネリネ、楓、プリムラ、亜沙に関しては好感度MAX状態だけれど、カレハ、ツボミ、麻弓の方は憎からず思っているけれど恋愛までは進んでいない、程度の関係としておきたい。いやまぁ、全員だと話がややこしいから、本来のメイン五人ということで。アニメでは修羅場も演じていたけれど、個人的イメージとしてはやはり彼女らは普通に仲良くしてそうなので、皆稟ラヴでありながら女の子同士も仲良しである。しかし本編中では皆散り散りというハードな状況に・・・。今回の話ではバカ騒ぎしてる回想部分の明るさと、今の楓の暗さによるギャップが注目点となっている。

 次回では、今度こそ物語が先に進むことに。稟を捜してとある町に立ち寄った彼らの前に、稟の情報を持つという人物が現れる? ご期待あれ。では。

「ヒトデを彫る作業を再開しなければならないので失礼します。って誰もいませんっ!>_<」