デモンバスターズZERO

 

 

第5話 羽ばたく刻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久遠寺一団がウェレスの町にやってきてから早十日余りが経過した。

最初の一週間は完全に休暇状態だった一団も、今は活動を再開しはじめている。

主に各地で仕入れた珍しいものの販売や、珍しい芸の披露などだった。

それなりに流通が発達した現代でも、モンスターの脅威が依然存在している以上、多くの人にとって遠くの地は縁のない場所であり、そうしたことに関する話だけでも皆は物珍しがって聞きに来る。

常に旅を続けている久遠寺一団ならではの商売である。

 

 

春香は、そんな一団で裏方として働いている。

この数日間、取材と称してやってくる胡桃と衝突したり、睦が仁菜と何かをやっているためあまり構ってくれなかったりであまり気分の浮かない春香だったら、忙しくなるとそんなことを考えている暇もない。

正直、胡桃はさておき仁菜とは楽しく会話しており、よき友人になれていると思うが、兄を取られているような感じになっているのはやはりおもしろくない。

そうして沈んだ気分を紛らわすためにも、今の春香は忙しさがむしろありがたかった。

 

「えっと、あとは・・・」

 

春香の仕事は決して手際が良いとは言えないが、それでもよく動き回るので、裏方の大事な戦力であった。

今は、販売品の在庫確認をしているところである。

ひとしきりチェックを終えて、その場を立ち去ろうとする。

 

こつんっ

 

「あいたっ!」

 

と、頭の上に何かが当たった。

痛む頭をさすりながら辺りを見回すが、木の実が一つ落ちている以外は何も見当たらない。

その木の実が頭に当たったのは間違いないようだが、どうしてそんなものが落ちてきたのかはわからない。

近くに木があるわけでもなく、上を見ても誰もいない。

 

「???」

 

首をかしげながらも、今が忙しい時間帯であることを思い出し、すぐに走り出してその場をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

そんな春香の様子を、少し離れた場所からじっと見ている男がいた。

柳京介である。

木の枝に腰掛け、手の中で春香の頭に当たったのと同じ木の実を弄んでいる。

 

「普段は本当にただのへっぽこだな。刀を抜いている時とは大違いだ」

 

数日前に対峙した時のこと。

あの時感じた剣気は、かつてないほど凄まじいものであった。

受け止めた斬撃の感触は、まだ右手の残っている。

あんな年端も行かない少女を相手に戦慄した感覚を覚えている。

京介に僅かなりとも恐怖心を与える相手など、生まれてから二人目だった。

 

「あの女の本気・・・見てみたいものだが」

 

手段はある。

あの少女の兄、久遠寺睦を襲えば確実に望みは叶う。

 

「とはいえ、ファントムの奴にも釘を刺されたことだしな・・・」

 

先日春香と剣を交えた直後、勝手な行動はするなと窘められた。

 

「ファントム・・・あの女、普段はもっと可愛げがあるくせに、任務のこととなると融通が利かんからな」

 

上の都合など無視したところで問題はない。

だが現状では、あまり状況をかき乱すようなことをするべきでないのは、京介自身もよくわかっている。

“あの男”に対する義理立てもある以上、状況をややこしくするつもりはなかった。

だがそれでも、春香と戦いたいという気持ちも抑えられない。

 

「ちっ、こんな細かいことで悩まなければならないとはな。デモンバスターズの一人ともあろう者が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

睦が仁菜との飛行練習を開始してから数日、経過はそれなりに順調であった。

高さの調節はほぼ完璧にできるようになり、横移動もゆっくりなら何の問題もなくできるようになっていた。

残る課題はスピードといったところか。

そして今日は、この一週間のお礼と称して、仁菜の手料理をご馳走してもらうことになっていた。

 

「・・・・・・」

 

カシャッ

 

家庭科教室で料理ができるのを待っていると、ついてきた胡桃が睦の姿をカメラに収める。

 

「にやけちゃって、幸せそうね〜、二人とも」

「な、何言ってるのさ」

 

反論してみるものの、顔がにやけているのは事実かもしれない。

この町へ来てからの数日間で、睦は仁菜とかなり仲良くなっていた。

しかもその様子は、すぐ近くにいる誰かさんのせいですっかり噂になっているらしい。

 

「今のところ、だめだろうが大半、案外くっついちゃいそうが少々、ってところね。私は、今後も経過を見守っていきたい、って感じね」

 

いつの間にやらアンケートまでとっているようだ。

色々と文句を言いたいが、悔しいことに胡桃には弱みを握られてしまっていた。

 

「まぁ、どうせまだ手を握ってドキドキ、ってくらいなんだろうけど」

「胡桃ね、あまりくだらないこと・・・」

「え〜、いいじゃないのよ。ね、睦姫様?」

「ぐぅ・・・」

 

睦姫。

それは、睦が仕事をする際の名前である。

彼は一団において、女性の姿に扮して舞を披露するのを仕事としていた。

これは、女形という立派な伝統芸であるが、そうした知識を持たない人間から見ればただの女装、オカマととられることも少なくない。

もちろん睦自身は仕事に誇りを持っているため何を言われようと構わないが、それでも変な噂が立つのは嫌だった。

だからこの件は学校では極力秘密にしているのだが、今回はいつにもまして早くばれた。

連日しつこく取材と称して訪れていた胡桃のために。

 

「ほら、あっちも幸せそうじゃない」

「あっちって・・・」

 

胡桃が指し示した方向では、仁菜が鍋に向かって楽しそうにしている。

少し様子を見てみたくて、睦は席を立った。

 

「仁菜先輩、何か手伝おうか?」

「あ、睦さん、いいですよ。座ってドーンと構えていくてください。仁菜にお任せですよ」

 

上機嫌な仁菜は睦の方を向きながらどんどん鍋に食材を放り込んでいく。

 

「アジさん、エビさん、タイ焼きさ〜ん♪ どんどん入れて〜、かき混ぜて〜♪ グルグル混ぜ混ぜ楽しいで〜す♪」

「・・・ん?」

「美味しい美味しい海の幸〜♪ さ〜て、お次は味付けで〜す♪ 梅干しさんは酸っぱいで〜す♪ しその葉さんも酸っぱいで〜す♪ ビネガービネガービネビネガー♪」

 

絶好調だった。

しかし・・・。

 

「に、仁菜先輩! 自分が今何してるかわかってる!?」

「え? いやですね睦さん。確かに仁菜はダメなドジっ子さんですけど、お料理してる時くらい自分が何してるかわかってますよ」

「じゃ、ちょっと鍋の中見てみて」

「何のことですか? 大丈夫ですよー。えーと・・・アジさんと、エビさんと・・・タイ焼きさんが、スープでコトコト・・・」

 

そこではたと動きを止めて、改めて鍋の中をまじまじと見る。

 

「スープでコトコト・・・タイ焼きさん?」

「・・・・・・」

「コトコトスープで・・・タイ焼きさん?」

 

再びくるりと睦の方へ向き直る。

 

「む、む、むひゅびひゃぁ〜ん・・・はぅ」

 

鍋の中のタイ焼きさんは、それはもうひどい状態だった。

中身は完全に飛び出てぐちょぐちょになっている。

そこにアジやエビの生臭さが加わって、かなりヤバイものになっていた。

 

「に、仁菜は、料理でもやっぱりダメなドジっ子になってしまいましたですよ〜・・・ふぇ〜ん!」

 

泣き出した仁菜に皆の視線が集まるが、すぐに「いつものことか」と言って各々の作業に戻った。

そして仁菜は・・・。

 

「まぁ、起きてしまったことを悔やんでも仕方ないですね」

(た、立ち直りはえーっ)

「これを活かした料理にしませんと!」

「いやいやいやいや、それ無理でしょ、絶対」

「大丈夫です。仁菜にお任せですよ!」

 

完成した料理は、言葉では形容できない存在であった。

それを料理と証するのは既に料理と呼ばれるものに対する冒涜のような。

しかし、仁菜だけはそれをおいしそうに食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事である舞の稽古を終え、まだ仁菜が雑用の手伝いをしていて時間があったため、睦は一人商店街にやってきていた。

目的地は、いつかの洋服店である。

最初に一緒にこの商店街を通って帰った時以来、睦は何度か仁菜がここに来ているのも見たことがあった。

その度に仁菜が見ていたのは、ショーウィンドウに飾られている白いワンピースだった。

それも、空とくじらに想いを馳せている時と同じくらい真剣な表情で。

 

「よし」

 

意を決して、睦は店の中へと入っていった。

 

「・・・しまった」

 

そして、いきなり問題点に気付く。

サイズがまったく合わないのだ。

仁菜の正確なサイズはわからないが、どうやっても大人用の服では合いそうにない。

困っていると店員が、似たデザインでもっと小さなサイズのものを出してくれた。

しかし、それでサイズが合うかどうかはまだわからない。

 

「すみません、ちょっといいですか?」

 

そこで睦は店員に頼んで、さらにその服に合う大きさのマネキンを出してもらって、それに服を着せてもらった。

用意ができたマネキンに、睦は抱き寄せて、頭や背中の位置を確認する。

この数日間、落ちたりバランスを崩したりした際に仁菜を抱きとめていたため、触るだけで仁菜のサイズがわかるまでになってしまっていた。

端から見たらただの変態ととられかねない。

現に店員の表情が引きつっているのが見えたが、あえて無視してサイズの確認をする。

どうやらほぼ一致しそうである。

 

「これ、買わせてもらいます」

 

それなりにいい値段がしたが、仁菜への贈り物と思えば大した出費でもなかった。

 

(かなり参ってるな、僕)

 

気になっているのはもう間違いない。

だが、仁菜の方の気持ちはわからないし、まだ自分自身の方も、恋愛感情と呼べるほどかどうかははっきりしなかった。

 

 

 

 

 

 

「今日は最終調整を行う!」

「はいですっ、コーチ!」

 

このノリも普通に慣れてきていた。

それはさておき、今日の練習で調子が良ければ、明日には外に出て飛んでみようということになっていた。

 

「昨日までの練習でなんとなく気付いたんだけど、仁菜先輩が上手く飛ぶためのコツは背中にあると思うんだ」

「背中ですか・・・確かに、調子のいい時とかはちょっと背中が熱かったりするですね」

「そこで・・・」

 

睦は仁菜の方へ歩み寄って、その小さな体を抱き寄せる。

そうされて仁菜は少し顔を赤らめたが、嫌がりはせずにされるに任せている。

背中に手を回し、肋骨の上辺りを軽くさする。

 

「ん・・・」

 

するとそこは、少し熱を帯びたばかりでなく、淡い光まで浮かべてきた。

 

「睦さん・・・」

「どう、仁菜先輩?」

「なんだか背中が熱くて、でも力がわいてくる感じがするです」

「よし、じゃあその状態で集中して、やってみよう」

「はいです!」

 

体を離すと、仁菜は目を瞑って意識を集中させる。

背中の光がさらに強さを増していく。

一瞬、眩しさで睦は目を閉じる。

 

ブワッ!

 

次の瞬間、仁菜の体は天井近くにあった。

 

「む、睦さん! 仁菜、今・・・」

「すごいよ、仁菜先輩! 完璧だ!」

「あはっ、ほんとにすごいです睦さん! 仁菜、絶好調ですよ」

 

広い講堂の中を、仁菜は自在に飛び回ってみせる。

速度も、今までと比べ物にならないほど速く、バランスも完璧に取れている。

 

「よし、今度はちゃんと降りられるかどうかだ」

「はい、やってみます」

 

睦の頭上で停止した仁菜は、そのままゆっくりと降下してくる。

いつもはここで集中を乱して不安定になる傾向が強かったが、今日はまったくバランスを崩すことなく床に着地できた。

 

「完璧だ・・・パーフェクトだ」

「えへへ、仁菜、やりました。睦さんのお陰です!」

「いやいや、僕はただ見てただけで。頑張ったのは仁菜先輩だよ」

 

本当に、空の飛び方など人間の誰もが知っているわけではない。

一緒に練習などと言ったものの、睦は本当にただ一緒にいただけで、何もしていなかった。

空を飛ぶ能力を自在に操れるようになったのは、仁菜自身の頑張りに他ならない。

 

「だけど仁菜、睦さんが一緒にいてくれたから頑張れたです。一人だったら、絶対こんなにできませんでした」

「仁菜先輩・・・・・・でも、これで終わりじゃないですよ。明日はいよいよ、外で飛んでみよう。そして、くじらを目指すんだ」

「くじらさん・・・とうとう仁菜、くじらさんを目指せるんですね」

 

空を自由に飛びたい、そして、くじらのもとへ行って話しがしたい。

それが、仁菜がずっと望んでいたことだった。

その想いに触れて、少しでもその手伝いをしたいと睦は思った。

そうして始めた練習の成果を、いよいよ明日、試すこととなる。

 

「明日は最終試験だ。頑張ろう、仁菜先輩!」

「おーっ、です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日――。

睦は例の服をプレゼントするため、仁菜を自分の部屋に招待した。

突然の贈り物に、仁菜はとても戸惑い、けれどとても嬉しそうだった。

 

「いいのですか? こんな良い物をいただいてしまって・・・」

「仁菜先輩が頑張ったご褒美ってことで、受け取ってよ。あ、でも気に入らないとかだったら、無理にもらってもらわなくても・・・」

「いいえ。すごく嬉しいです。仁菜、こんな素敵な贈り物してもらったの、はじめてですから!」

 

そう言う仁菜の表情は本当に嬉しそうで、少し涙ぐんでもいた。

 

「着てみて、いいですか?」

「どうぞ。僕、外に出てるから、着替え終わったら呼んでください」

 

部屋の外に出た睦は、あの服をプレゼントして良かったと思っていた。

喜んでもらえるかどうか不安だったが、あれだけ喜んでもらえれば上出来である。

今から、あの服を着てみた仁菜の姿を想像しながら楽しむ。

 

「うん、絶対によく似合う」

「にぃさま、顔がにやけてますよ」

「おわぁぉっ! は、春香・・・いたのか」

「お邪魔でしたかー?」

 

にっこり笑った春香には妙な迫力があった。

基本的に、胡桃の場合と違って春香と仁菜の仲は良い。

しかし、仁菜とのことで春香が睦に接してくる時の無言のプレッシャーは胡桃の時よりもさらに強力な感じがした。

それだけやきもちの度合いが強くなるほど、睦が仁菜と仲良くしているということかもしれない。

 

「にぃさま。にぃさまが誰を好きになっても、春香は構わないよ。結婚・・・・・・とかすることになったら・・・泣いちゃうかもしれないけど・・・」

「結婚って・・・話飛躍しすぎだって」

「でもでも、春香がにぃさまのこと、大好きだってことは、忘れないでね」

「春香・・・」

「えっと・・・じゃあねっ、にぃさま!」

 

顔を赤らめた春香は、そそくさと自分の部屋へと駆け戻っていく。

春香は、とても不思議な少女だった。

普段の言動はとても子供っぽいのだが、時々とても大人びた雰囲気を漂わせる。

そして時々、こうして剥き出しの感情を睦にぶつけてくる。

その“好き”に込められた本当の意味に睦は、気付かぬ振りをしてきた。

 

(僕は春香のこと、どう思っているのだろう? そして、仁菜先輩のことは・・・?)

 

ずっと出なかった答えが、いきなり出るはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

着替え終わった仁菜と共に、睦はくじらの見える丘公園にやってきた。

この町の中で、一番くじらに近い場所と言えばここであった。

公園とはいうものの少々寂れていて、まだそれほど遅い時間でないにも関わらず、園内には誰もいない。

 

(あれ・・・この感じ・・・)

 

この場所を教えてくれたのは春香であった。

大分前に聞いていたものの、実際に睦がやってくるのははじめてだった。

やってきた公園の丘は、どこか不思議な感じのする場所で、睦はそれと同じ感覚を以前に感じたことがあった。

それは学園で、白河さやかと会う直前に感じた、世界からそこだけ切り離されたような感覚。

 

「・・・え?」

 

ふと、そんな隔離された世界の中に佇む少女の姿が見えた。

長い黒髪に金色の瞳、白いワンピースを着た少女。

不思議な神々しさは、件の白河さやかと遭遇した時に抱いた印象と似ているが、纏う雰囲気はまったく別のものだった。

睦は一瞬、彼女を知っているような感覚を覚えたが、少女の姿が見えなくなると、すぐにその感覚も消えた。

 

「睦さん? どうしたですか?」

「え? あ、いや、何でもありません」

 

仁菜の声を聞くと、今しがたの少女の姿は睦の脳裏から自然と消えていった。

それを不思議に思うことすら、なかった。

 

「あはっ、くじらさん、くじらさ〜ん」

 

公園の中心、小高い丘になっている場所にやってくると、仁菜は小さな体を一杯に広げて空に浮かぶくじらに向かって手を伸ばす。

学園の屋上などで、いつも仁菜がとっていた行動だ。

その時、遥か遠い存在だったかもしれないくじら。

しかし今は、あと少しで手が届くところまで来ていた。

 

「よし! いよいよだ、仁菜先輩!」

「はいですっ!」

 

ぐっと握りこぶしを作ると、仁菜は丘の中央に立つ。

睦は少し離れたところから見守ることにした。

 

「それでは、いきます」

 

そっと目を瞑り、両手を広げて、仁菜は力を集中させる。

 

「睦さんは言いました。頑張ればきっと、空を飛べるって。その言葉を胸に、仁菜は今日まで頑張ってきました。見ていてください、今日まで練習してきた、仁菜のすべてを」

 

ぼんやりと、仁菜の背中が光を帯びる。

 

「不思議です。この服を着ていると、睦さんをすごく近くに感じられます。手を握ってもらわなくても、抱きしめてもらわなくても、睦さんから力をもらえてるみたいです」

 

睦は黙って見守っている。

今の仁菜は、かつてないほど集中していた。

ならば、余計な口を挟んでそれを乱すことはない。

 

「背中が、いえ、全身が熱いです。力が高まっていくのを感じられます!」

 

風もないのに、辺りの草が、仁菜の服が、髪が揺れる。

それは、仁菜を中心に巻き起こっていた。

光がさらに強くなる。

 

「すごい力です。今なら仁菜、どこまでだって飛べる気がします!」

 

一際強い光が辺りを包み込んだ。

あまりの明るさに、睦は思わず目を瞑る。

そして、次に目を開いた時、睦は仁菜の背中で、白く輝く光の翼を見た。

 

「あれが・・・仁菜先輩の力の正体・・・」

 

仁菜の翼が羽ばたく。

すると突風が巻き起こり、凄まじいスピードで光が空へ昇って行った。

あっという間に夜空に舞い上がった光が小さくなる。

 

 

それから約一分後、光がまた物凄いスピードで降りてきた。

あまりに速さに、思わずぶつかるかと思って睦は目を閉じる。

しかし衝撃はなく、代わりにやわらかい感触が睦の体を包み込む。

目を開けると、仁菜が睦の体に抱きついていた。

 

「ただいまです、睦さん」

「おかえり、仁菜先輩。結構早かったね?」

「はい。空はとっても広くて、一息に飛ぶ事はできなかったです」

「そっか。くじらとは?」

「ちょっとだけ、遠くから話しかけてみました。声、届いたかどうかはわからないですけど」

 

いつになく弾んだ声で仁菜は喋る。

普段から明るいが、時折寂しそうな表情を見せる少女の夢が叶った瞬間なのである。

どれほど嬉しい気持ちで一杯なのか、見ていてよくわかる。

 

「ここまでできたのは、全部睦さんのお陰です。もう仁菜は、何とお礼を言ったらいいのやらで頭が一杯です!」

「僕はほんの少し手伝っただけだよ。夢を叶えたのは、仁菜先輩自身の力だって。それに・・・」

 

それに、こんなに嬉しそうな笑顔を見せてもらったらそれで十分お礼になるとは、さすがに気恥ずかしくて言えなかった。

 

「もう仁菜、嬉しすぎです! ・・・って、あれ、今何時でしたっけ?」

「えっと・・・こんな時間」

 

思い出したように時間を聞いてくる仁菜に腕時計を見せる。

 

「は、はぅっ、もうこんな時間! 仁菜、帰らないとです!」

「確かに・・・いつの間にこんな時間に?」

 

思い返せば、服をプレゼントしたり、その後着てみたのを見たりしていて、宿泊所を出た時間自体がかなり遅かったかもしれない。

 

「仁菜先輩、そのまま飛んで帰っちゃえば早いでしょ。今こそ新生仁菜の力を見せる時だ! って感じで」

「そ、そうですね! 仁菜、このまま帰らせてもらいますです・・・って、あぁ、仁菜の着替え!」

「あ!」

 

今着ているのは睦が贈ったワンピースであり、着替える前に来ていた学園の制服や荷物は宿泊所に置きっぱなしだった。

だが幸いにして、明日は休日のため学園関係のものは必要ない。

 

「睦さん、すみませんが、荷物は預かっておいてもらえないですか? 明日、取りに行きますから」

「おっけー、もちろん」

「ありがとうです。明日は病院へ行かないといけないので、その後伺わせてもらいます」

「病院?」

 

この数日間で何度か、仁菜は病院へ行くと言っていた日があったのを睦は思い出す。

 

「仁菜先輩、どこか悪いの?」

「はい・・・仁菜、ちょっと頭が・・・」

「・・・・・・」

「・・・あの、今の、冗談ですよ?」

「え、あ、う、うん、わかってるよ」

「えっとですね。定期健診みたいなものなのです。別にどこか悪いとかではなくて。まぁ、頭があまり良くないのは本当ですが」

「そうなんだ。って、いけないいけない、引きとめちゃってますね」

「はわっ、そうでした。では睦さん、失礼しますです」

「うん。また明日ね、仁菜先輩」

「ではではですよ〜」

 

ぶんぶんと手を振りながら仁菜は浮かび上がり、町の方へ向かって飛び立っていった。

歩いている時はいつもふらふらしている印象があるが、飛んでいる時の仁菜の動きには淀みがなかった。

しばらく仁菜の光を目で追っていた睦だったが、町の明かりの中に埋もれるとすぐにわからなくなってしまった。

 

「さて、僕も帰るかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

睦が去った後のくじらの見える丘公園。

そこに人影が一つ、あった。

月明かりとくじらを背に佇む姿は、先ほど睦が見た白い少女のものである。

彼女はぼんやりと仁菜が飛び去った方向と、睦が立ち去った方向を見ていた。

そこへ、もう一つ人影が現れる。

長い黒髪をもったその姿は、白い少女に通じるものがあったが、着ている服は黒く、対照的である。

黒い少女、白河さやかは、場に満ちた力を感じながら一人呟く。

 

「天のクリスタルの解放、か・・・。かけら一つであれほどの力なんて、すごいね」

「・・・・・・」

 

その声に反応したのか、白い少女の体がほんの少しだけ揺れる。

 

「ゼロに戻るための始まり・・・その時、世界は何を望むんだろうね?」

「それを決めるのは、世界の意志・・・。私もあなたも、その一部」

「そうだね。だけど、そこに介入しようとする別の意思も存在する。私の仕事は、それを取り除くこと。それじゃあ、あなたは?」

「わかりません。私が何のために存在するのか、私は覚えていません。ただ・・・」

「ただ?」

「私は待っています」

「誰を? それとも、何を?」

「わかりません。ですが、私は待っているのです」

「そっか。その答えも、時が来ればわかるのかもしれないね」

 

今はまだ、何もわからない。

全てはようやく、動き出したばかりだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

あとがき

 間にあったはずの日々をすっ飛ばしているから、ちょっと睦と仁菜が仲良くなる過程がわかりづらいかな? とはいえ、恋愛パートはこの話のファクターの一部である以上、あまり時間をかけるわけにも・・・とにかく描かれていない一週間ほどの間には、ほのぼのイベントが色々あったのだと思ってください。
 「くじら」という作品内において、仁菜がはじめて空を飛ぶところは屈指のお気に入りシーンだったりするわけで、あまり上手く表現し切れてない気はするものの、この話にも持ってきてみました。
 ちなみに今回で京介がデモンバスターズの一人であるということが明かされまして、わかる人はわかると思いますが、第1話冒頭のシーンでの「事を荒立てなければいいんだな?」の台詞は彼のものです。