デモンバスターズUltimate
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魔界公爵アシュタロスは、自身の居城にある一室で、チェス盤を前にして座っている。
盤上から既にいくつかの駒が落とされており、アシュタロスが盤面を進めると、さらに二つの駒が盤上から消えた。
ゲームとしてチェスを楽しんでいるわけでもなく、またこの行為に特に意味があるわけでもない。
言ってしまえば、ただの暇つぶしのゲームである。
「彼はアスモデウスを倒したか。エリス・ヴェインもケルベロスを倒した。予想通りの展開だな」
彼はチェスの手を一通り考え、一つ一つの駒にロキが主催した戦争ゲームの参加者達を当てはめていた。
そして、駒が落ちていく順番と、参加者が倒されていく順番とを対比させることで、それを予想するゲームなのであった。
ここまでは、全てアシュタロスが立てた予想の通りに進行している。
「次に落ちるのは、阿修羅王の駒か」
情報によれば、エリスが彼女の拠点に向かったという。
エリスが勝てば、また予想が当たるということだった。
「こう予想通りの展開ばかりではつまらないな。何か意外な展開はないものか?」
「アシュタロス様」
「どうした?」
「お客様がおいででございます」
「ほう?」
城を訪れた客とは、オシリスとイシスの兄妹であった。
「これはこれは、珍客だな」
二人を出迎えたアシュタロスは驚いた表情を見せる。
対する兄妹の方は、オシリスはいつもと変わらぬ鉄面皮で、イシスの方はやや困惑気味だった。
ロキの城での一件から一年、沈黙を保ち続けたオシリスが何故今になって突如アシュタロスのもとを訪れるのか、イシスにもアシュタロスにもその心が読めない。
「せっかく来たのだ、茶でもお出ししよう」
「その必要はない」
アシュタロスの誘いを、オシリスはきっぱりと断った。
強い口調ではない。
いつもと同じ、感情の起伏を感じさせない表情と声。
それでいながら、いつもと違った気配を発しているオシリスの腹の内がアシュタロスにはわからなかった。
だから、単刀直入に聞くことにした。
「用件を聞こうか」
「おまえと戦いに来た」
「・・・なに?」
とてもひさしぶりに、アシュタロスは唖然となった。
掌で顔を覆うと、不思議と笑いがこみ上げてきた。
考えなくとも、今この時期に彼ら大物の魔神同士が接触する理由など二つに一つしかない。
手を組むか、戦うか。
そんな単純な二択のはずであったのに、まさかそれはないだろうと思っていたことだっただけに、一瞬思い至らなかったのだ。
魔界公爵ともあろう者がと、アシュタロスは己の不覚を笑った。
「これは・・・予想外だったな」
彼の考えたチェスの手に、このような展開はない。
「まさか、あの不動の巨星オシリスが、この私に戦いを挑んで来ようとはな」
かつて、最強と謳われた伝説の魔神の片腕と呼ばれた男。
それほどの力を持ちながら、自らは野心を持たず、常に誰かの参謀的立場に留まってきたオシリスが。
そもそもこの戦いに参加した時から不思議に思っていたが、まさかこのような行動に出るとは。
兄の言葉に、イシスもまた驚いていた。
何故祐一でも、他の誰でもない、アシュタロスなのか。
それに、あえて自分を連れてきたことも、イシスの疑問であった。
「くくくっ」
「おかしいか?」
「いいや、おかしくはない。おもしろい」
「そうか」
「よかろう」
アシュタロスの気配に変化が起こる。
じわりと、全身から魔力が染み出てくるような感覚を見ていて覚える。
爆発的な力を見せるフェンリルなどとは違った意味で、不気味な怖さを感じさせる魔力だった。
「我らの戦いが、美しくあらんことを・・・来るがいい、オシリス」
エリスは非常に不機嫌な表情をしていた。
原因は、今自分が置かれている状況にある。
眼前には自分が会いに来た相手、阿修羅王がいる。
そして向き合っている二人の間には、酒瓶と杯が置かれていた。
「どうした、飲まぬのか?」
「なんでアタシとあんたが酒を飲み交わさなきゃならないのよ?」
「ふむ・・・まぁ、良いではないか」
ニッと笑う相手を見てエリスは、これが阿修羅王かと思う。
噂に聞いていたのとは随分印象が違った。
もっと荒々しい気性の持ち主だと思っていたが、勝負を申し込むなりいきなり酒を勧めてきた相手の真理はよくわからない。
こうして睨んでいても埒が空きそうにないので、エリスは仕方なく杯に手を伸ばす。
まさか毒を盛るような相手でもあるまいと、遠慮なく酒瓶から酒を注いで飲む。
「・・・・・・わからぬな」
「・・・あのね、それはアタシの台詞よ」
「そなたのことではない、あの男の話だ」
「あの男・・・?」
ふと思い当たることがあった。
ずっと以前にイシスからかつての祐一、闘神祐漸の話を聞いた時にちらっと話していたのが、阿修羅王のことではなかったかと。
「祐一のこと?」
「そう、今はそういう名であったな。あの男、祐漸の女の趣味のことだ」
「は?」
エリスは間の抜けた顔で聞き返してしまう。
対する阿修羅の方は半ば呆れたような、本気で悩んでいるような表情をしている。
「あやつはもっとこう、守ってやりたくなるような女がタイプだと思っておったのだがな。イシスや、あやつの最期を看取ったという人間の娘のようにな」
阿修羅の視線がエリスの方を向き、その姿をまじまじと眺める。
ぶしつけな視線受けながら、エリスはこの女が何を言いたいのかこそがわからなかった。
「エリスと言ったな。そなたにしても、ガネーシャに食って掛かったあの人間の娘にしても、他者の手助けなど必要としない強者だ。私と同じようにな」
しかし真剣な表情で阿修羅は話を続ける。
「はっきり言うが、この魔界で私より強い女はいない。強いて言えばロキの子、ヘルだが、あれは力こそ強いが心は脆い。そしてあの男は、魔界で一番強かった。一番強い女には一番強い男、一番強い男には一番強い女でなければ、釣り合いが取れぬと思わぬか? だがあの男、戦いには幾度も応じたが、女としての私には見向きもせなんだ」
「・・・何が言いたいのよ、あんたは?」
「大したことではない。ただ私は、あの男の強さに惚れていた、それだけの話だ」
一瞬表情に哀愁を漂わせた阿修羅は、挑戦的な笑みを浮かべてエリスを見る。
「そなたは私と同じだ。あの男の強さに惹かれている」
「・・・・・・」
「だから一度こうして、酒を飲み交わしたいと思った。さっきの質問の答えはこれでよいか?」
「・・・あと二つ聞きたいことある」
「何だ?」
「あのイシスが守ってやりたくなるようなタイプ?」
「昔はあれでもっとかわいかったのだぞ」
二人して、イシスの姿を頭に思い浮かべる。
確かに、一途で男に従順な姿は可愛げがあると言えなくもないが、大人しく守られているようなタイプとも思えなかった。
そんな風に彼女がなったのもまた、あの男の影響だろうか。
「それで、もう一つは何だ?」
「誰が、魔界で一番強い女だって?」
「・・・それは、そなたの方が強いと言いたいのか?」
「それを決めるためにここに来たのよ」
「そうであったな」
杯を置くと、二人は同時に立ち上がる。
阿修羅は、置いてあった二刀も手にしている。
「ではやるか。どちらがあの男と肩を並べるに相応しい女か、勝負だ」
「くしゅんっ! 誰か私の噂してる? って、そんなこと言ってる場合じゃなくて・・・」
イシスはオシリスとアシュタロスの戦いをじっと見ていた。
オシリスの武器は槍、扱う魔力の属性は雷である。
対するアシュタロスの武器は剣で、魔力の属性は闇。
戦いは一進一退となっていた。
「互角・・・」
オシリスは強い。
それは妹のイシスが誰よりもよく知っていた。
自ら率先して戦うことはせず、常に静観しているため、不動の巨星と呼ばれることもある。
だがその実力は、最強と称されるうちの一人たるアシュタロスに決して引けを取るものではない。
なのにどうしてか、イシスはこの戦いを見ているとひどく不安な気持ちを抱くのだった。
エリスと阿修羅の戦いは、ある意味激しく、ある意味静かなものであった。
派手な魔力の撃ち合いは無く、ただ剣のみをもって勝負をしている。
巧みに二刀を操る阿修羅の腕に、エリスは苦戦を強いられていた。
「剣においては剣王アスモデウス、闘神祐漸、そしてこの阿修羅王こそが魔界における絶対の三強! それに剣で勝負を挑むとは、愚の骨頂だな!」
剣に関してはエリスは素人同然だった。
魔剣レヴァンテインの強大な力が頼りになるが、剣術の勝負となれば相手に分があるのは明白。
だがそれでもエリスは、剣での勝負に拘った。
「どう戦おうと、アタシの勝手よ!」
防戦一方に回りつつも、エリスは阿修羅の攻撃を確実にかわしていた。
剣の腕では劣っていても、戦いの駆け引きではまったく引けを取っているつもりはない。
それは間違いないが、それでも阿修羅は解せなかった。
何故ここまでエリスが剣の勝負に拘るのか。
伝説の武器の一つ、魔剣レヴァンテインまで持っているエリスの総魔力はあのフェンリルにすら劣るものではないはず。
その力を最大限に発揮すれば、小手先の剣技くらい跳ね返すであろうに。
「(この小娘、何を企んでいる?)」
剣の勝負である以上、阿修羅の勝利は揺るがないはずだった。
現に、阿修羅はどんどんエリスを追い詰めていっている。
例え何かを企んでいようと。
「これまでだ!」
その一太刀で決まるはずだった。
ヒュンッ!
「なに!?」
しかし、決めに行った阿修羅の剣はかわされた。
それどころか、その時のエリスの動きを阿修羅は捉えきれず、気がつけば背後を取られていた。
「くっ!」
ギィンッ!!
辛うじて背面に回した刀でエリスの斬撃を弾いたが、エリスはさらに追い討ちをかけてくる。
一転して、攻守が入れ替わっていた。
エリスが攻め、阿修羅が守る。
しかも、その構図は先ほどと寸分違わず同じであった。
まるでエリスが意図的にそうしているかのように。
「(こやつ・・・!)」
阿修羅は眼前に自らの幻を見た。
それほどエリスの動きは、先ほどの阿修羅のものに酷似していたからである。
「(私の動きを模倣しているのか!? だが・・・!)」
追い込まれつつあった流れを、阿修羅は強引に引き戻そうと前へ出る。
「私の剣を真似た程度で私を倒せると思うなっ!」
自らの剣ゆえに、その動きは百も承知している。
だからこそ、対処もできる。
そこをさらに逆手にとって、阿修羅はエリスの動きを封じ込めようとした。
しかしエリスの動きは、その阿修羅の予想をさらに上回った。
ザッ!
目の前からエリスの姿が消えると、背後で地面を踏む音がする。
振り返り様、気配がする場所を薙ぎ払うが、エリスは紙一重でその斬撃をかわし、懐へ入り込む。
「(この動きは・・・私のものではない!?)」
明らかに先ほどまでのエリスとは違う動き。
だがそれは、阿修羅の剣技を模倣した時のものとも違う。
「・・・個人個人の、型や癖っていうものはあるけど」
剣を振るいながら、エリスは自らに語りかけるように呟く。
「剣術の基本そのものは、誰のものでも一緒」
「そなた・・・これは・・・!」
阿修羅は、変幻自在に動き回るエリスに、一瞬あの男の影も重ねた。
そして、エリスがやらんとしていることもわかった。
「(こやつ、今まで見てきた剣の使い手達の動きを全て模倣しているのか!)」
その通りだった。
阿修羅王、祐一、舞、楓、アルド、神月京四郎、豹雨・・・今まで出会った剣の達人達の動きを、エリスは思い描き、真似ていた。
そしてそれだけではなく、そこから辿って、剣の基本、剣の真髄を掴もうとしていた。
「(私との戦いのためではない・・・さらにこの先にある戦いのためにか。私は、通過点に過ぎぬということか・・・)」
癪に障ったが、嫌いではなかった。
阿修羅とて、この戦いを最後とは思ってなどいない。
本当の敵、本当に倒したい相手は他にいる。
「おもしろいっ、この戦いに勝利した者が、さらなる高みへと、本当に倒したい敵のもとへ辿り着けるというわけだ!」
エリスが、見てきた多くの者達の技から剣の真髄を掴もうと言うのなら。
阿修羅は、自らが数千年磨き続けてきた剣の真髄をもってそれを打ち砕くのみだった。
イシスは、足下がぐらつくのを感じた。
壁に背を預けて、辛うじて体を支える。
目の前の光景はなんだと自身に問いかけるが、まともな思考が働かない。
事実を受け入れたくなかった。
立っているのがアシュタロスで。
倒れているのが兄だという事実を。
「さすがはオシリス。この私に本気を出させるとは」
悪夢を見ているかのようだった。
イシスにとって、はじめて出逢った時から祐漸は最強にして最も崇拝する存在としてあり続けている。
だがそれと同じ、或いはそれ以上に絶対的に信頼し、尊敬している存在が、兄のオシリスである。
兄が負けることなど、あるはずがないと思っていた。
その信仰とも呼べるものが、崩れた。
何故、こんなことになったのか・・・。
「本当に、変わった男だな、貴公は。妹をこの場に連れてきたのは、この戦いを見せるためか。私の力を、彼に伝えるために」
「・・・え?」
気を失いかけていたイシスは、アシュタロスの言葉に驚き、倒れ付している兄を見る。
「闘争を本質として持つ真魔でありながら、他者のために戦うか。それは彼のためか? それとも、彼を想う妹のためか?」
「兄上・・・・・・」
「それとも、本当に私を倒すつもりだったのか? ふっ、今度会うことがあったら、聞かせてもらいたいものだな」
アシュタロスは踵を返す。
歩き出す前に、肩越しに振り返ってイシスに視線を向けた。
「連れて帰りたまえ、イシス嬢。この程度で死ぬ男ではあるまい」
「い、いいの・・・私を行かせて。ここで見たこと、あなたの力の秘密、祐様に伝えるわよ・・・?」
「構わぬとも。私は彼の戦いを見たことがあるが、彼は私の戦いを見たことがない。これは不公平というもの、戦いとしては、美しくない」
「・・・・・・」
「これでますます楽しくなりそうだ、彼との戦いは」
二人の剣は、最早互角であった。
既にエリスの剣は誰か個人の模倣ではなく、それら全てを内包したエリスだけの剣となっている。
この短時間でここまでの剣技を身につけたことに、対峙している阿修羅は驚嘆していた。
「(戦いの天才、か)」
だが、負けるつもりは微塵もなかった。
この脅威の敵を倒し、さらなる高みへと上り、今度こそあの男に勝つ。
それが阿修羅の思い。
そのために、持てる力の全てを懸ける。
「勝負だ! エリス・ヴェイン!!」
「っ!」
渾身の力を二刀に込める。
高速で繰り出される剣は残像を描き、まるで数千の刃が迫り来るような感覚をエリスに覚えさせた。
「夜叉千手斬!!」
埋めようのない年月の差がそこにはあった。
エリスがどれほどの天才であっても、今身につけたばかりの剣で、阿修羅が数千年磨き上げてきた剣に勝てるはずもない。
しかし、エリスにとって剣は、戦いの中における一つの手段に過ぎない。
本当の力は、別にある。
ドンッ!!!
一瞬で魔竜の力を解放する。
圧倒的パワーと共に、感覚も数倍に跳ね上がったエリスの眼は、阿修羅の放つ全ての斬撃を見極めていた。
ガガガガガガガガガッ!!!
倍の速度で剣を振るい、エリスは二刀から繰り出された全ての斬撃を打ち落とした。
「何っ!?」
必殺剣を返されて、阿修羅の体勢が崩れる。
そこへ向かって、エリスが踏み込む。
「終わりよっ、阿修羅!」
「くっ!」
回避は間に合わないと判断した阿修羅は、二刀を交叉させて防御を試みる。
ドシュッ!!
振り下ろされたエリスの剣は、二刀ごと阿修羅を斬った。
鮮血を飛び散らしながら、阿修羅は後ろへと倒れる。
「・・・・・・私の、負けか・・・」
倒れた阿修羅は、空を見上げながら自身の敗北を悟った。
剣技がほぼ互角なら、そこへパワーとスピードを上乗せしたエリスが上を行くのは道理であろう。
「悔しいが、見事と言っておこう」
「・・・・・・」
「ほれ、勝者がいつまでも敗者の下に留まるな。あの男は倒れた相手になど見向きもしなかったぞ。まぁ、追っていけばいつでも振り返って戦いに応じていたが」
「あんた、何かっていうとあいつのことを引き合いに出すわね」
「案ずるな。今のあの男に興味は無い。イシスにとっては同じようだが、私はかつてのあの男の強さに惹かれていたのだ。今のあの男も強いが、あれは私の求めるものではない」
「別に、そんな心配してるんじゃない」
「・・・あの男が地上で死んだと知った時、ひどく裏切られたような気になった」
「?」
「最強と呼ばれた者の最期としては、とても呆気なかったからな。それで気付いた。私はイシスにように、あの男そのものに惹かれていたのではなく、あの男の強さにこそ惹かれていたのだと。あの男が強さを失った時、私の気持ちのやり場はなくなったのだ」
「・・・・・・」
「そなたは私と同じタイプだ。あの男の強さに惹かれている。もしあの男が強さを失ったとしたら、そなたはどうするかな?」
「・・・そんなの、知らないわよ」
「そうか。もう行け。少し眠る」
目を閉じた阿修羅は、言葉の通り眠りについた。
傷は深いが、死ぬほどのものではあるまい。
エリスは剣を納め、その場を立ち去る。
「・・・・・・」
振り返ることはない。
終わった戦いを振り返っている暇はない。
ガネーシャ、ケルベロス、阿修羅・・・強敵達を倒してきた。
その度に、さらなる力を身につけてきた。
残る敵は・・・・・・。
あとがき
というわけで、意外な二人とはオシリスとアシュタロスであった。あっさり決着がついてしまったけど・・・。もう一方ではエリスvs阿修羅。最初に名前と設定を出した時から期待されていた阿修羅と祐一の絡みは結局無し。彼女にとって彼は、もう過去の男なのであった。
さて次回のカードは・・・もうあまり人数も残っていないからわかろうというものであるが、とにかく登場するのは、ハデス。そのハデスと戦うのは・・・・・・。