精霊エレメンタル協奏曲コンチェルト 〜風の聖痕スティグマ外伝〜






   第二章 水術師の水瀬

















 綾乃は内心舌を巻いていた。
 先ほどまで霧香とあゆといた場所から、今いる場所まで直線距離にして優に十キロは離れていた。集中していたわけでもなく、咄嗟にこれだけ距離の離れた存在を感知するなど、和麻並の探査能力だった。どこで見つけてきたのか知らないが、霧香が将来有望と言うだけのことはある。
 とりあえず、現場に着いたら術者が一人、妖魔と交戦しており、不意をつかれて危なそうだったため加勢した。
 体内の鞘より引き抜いた炎雷覇を一閃し、一瞬で炎上させる。
 妖魔の方は交戦中の術者しか見ていなかったため、綾乃の攻撃を知覚する暇もなく消滅した。背後からの不意打ちだが、卑怯などとは思わない。人を襲う妖魔に対して遠慮する心など、神凪の炎術師は持ち合わせていない。ついでに言うと、綾乃の相棒はこれ以上に卑怯極まりない手段を平気で取る男だった。
 敵がいなくなったところで、綾乃は戦闘中だった術者と向き合う。
 あゆが「祐一君」と言っていたからもしやと思っていたが、予想通り、術者は昨日由香里が会った相沢祐一という少年だった。
 数秒間、綾乃と祐一は見詰め合う。
 祐一の方は、綾乃の姿に見惚れているような、それでいてどこか値踏みするような、そんな視線を向けてくる。綾乃の方も、少しだけ不思議な印象を彼に抱いた。
 何か語りかけようと、綾乃が口を開きかけた瞬間――。

「祐一君っ!!」
「なっ!?」

 真横から突っ込んできたあゆに飛び付かれて、祐一は派手に転がっていった。

「あ・・・・・・」

 いきなりのことに、綾乃は唖然とその様子を見ていた。
 もつれ合って転がっていった祐一とあゆは、壁に衝突して動きを止めた。折り重なって倒れている二人は、共に目を回している。

「えーっと・・・・・・」

 自分はどうしたら、と綾乃が思い悩んでいると、遅れて霧香がやってきた。

「相変わらずね、あの二人・・・・・・」
「・・・橘警視、あの二人のこと前から知ってるの?」
「北日本の方に出張した時にちょっとね。水瀬家とも、神凪ほどじゃないにしてもそれなりの付き合いはあるし」
「ふぅん」

 二人が目を覚ましたのは、それから五分ほど経ってからのことだった。



 仕事の報告を祐一が終えた後、四人は近くの喫茶店に入った。
 結果として妖魔は綾乃が倒した形になったため、祐一は報酬を綾乃に渡そうとしたのだが、綾乃は辞退した。

「成り行きでしたことだし、それにあなたなら、あのまま放っておいても勝てたでしょう?」

 他人の仕事を横取りするつもりなど毛頭なかった。祐一は尚も渋ったが、綾乃が「お気になさらず」と言って笑顔を浮かべると、少し照れた様子を見せながら納得した。
 その隣であゆが少し頬を膨らませているのには、端で見ていた霧香だけが気付いていた。

「・・・罪作りな娘よね、綾乃ちゃんも」
「は?」
「何でもないわ。それより、話を進めましょう」

 霧香の一言で一転、話題が切り替わる。
 まず切り出したのは祐一だった。

「で、何でおまえがこんなところにいるんだよ、あゆ?」
「もちろん、祐一君を追いかけてきたからだよ」
「どうやって?」
「霧香さんにお願いして」
「霧香さん・・・・・・」

 祐一がジトッとした目で霧香を睨む。
 呆れているのとは別に、僅かな怒気も含んだような視線だった。当然霧香はそれに気付いており、言葉を選ぶようにして返答する。

「そんなに睨まないでちょうだい。ただ頼まれたから連れてきただけよ」
「本当ですか?」
「もちろんよ」

 微妙にピリピリとした空気が祐一と霧香の間で流れる。
 そのやり取りから、綾乃は何となく事情を察した。
 先ほど垣間見たあゆの能力は強力かつ稀有なものだ。人材豊富とは言い難い特殊資料整理室にとっては喉から手が出るほどほしい人材だろう。霧香としてはあゆを手元に引き込みたい、けれどあゆの知り合いらしい祐一はそれに反対している。最前線に立つような立場でなくても、霧香の下で働くことになればそれなりの危険は伴う。祐一にとってそれは好ましくないのだろう。
 普段ならば多少強引な手口を使ってでも人材獲得をしようとする霧香だが、相手があの水瀬の直系とあっては、慎重にもなるようだ。
 いや、或いは霧香の狙いは――。

「そんなに心配なら、祐一君がぴったり月宮さんにくっついて守ってあげればいいじゃない?」
「いや、それは・・・・・・」

 おそらく霧香は、あゆを抱き込んだ上で祐一までも手に入れるつもりだった。
 実質後方支援のみで、戦力は皆無と言っていい特殊資料整理室に、もしも名門直系の精霊術師が加わったりすれば、革命的な戦力アップに繋がる。
 しかし、基本的に家名を重んじ、家単位で仕事をする精霊術師が国の手先になるのは如何なものだろう。同じ名門直系の身として、綾乃はそんなことを思ってしまう。

「ね? 前にも話した通り、うちで働いてみない? 給料も高くしておくわよ」
「給料がどうとかいう問題じゃなくてですね・・・・・・いや確かにお金は少しほしいところですけど、それとこれとは話が別で・・・・・・」
「ちょっといいかしら? 話が逸れてるんだけど」

 いつの間にか事情説明ではなく、霧香と祐一の交渉になってしまっている。
 こうして話に加わっている以上、綾乃としてはもう少し詳しい事情を教えてほしかった。

「そもそも、水瀬の水術師、それも直系の術者がどうして本姓も名乗らず、こんなところにいるのかしら?」

 何か事情があるのは明白だった。いくら霧香が強引でも、名門出の術者を易々と部下に持てるなどとは思わないだろう。本姓を名乗っていないことも含めて、祐一が何らかの形で水瀬本家から離れている事情があるに違いなかった。
 込み入った事情に踏み込むつもりはないが、理由も明かされずに神凪の管轄下で他家の術者が動いているというのは、気持ちのいいものではなかった。

「祐一さん、とお呼びしてよろしいですか?」
「祐一でいいよ。敬語もいらない」
「わかったわ。じゃあ、祐一。個人的な事情まで聞こうとは思わないから、せめてあなたがここにいる理由を教えてちょうだい」

 神凪の次期宗主としての顔で話す綾乃に対し、祐一は真剣な顔で、けれど軽い口調で答えを返す。

「大したことじゃない。ただ、家を追い出された、それだけのことさ」
「追い出された?」

 どこかで聞いたような話だった。ごく身近で。
 けれど、綾乃が知る話と祐一の場合とでは大分違うように見えた。実際に力を行使するところを見たわけではないが、こうして向き合っているだけで、祐一が並の術者でないことはわかった。それほどの術者が、何故家を追われるようなことになったのか。
 気にはなったが、それ以上は個人的な事情に関わるかと思って聞きかねた。
 けれど綾乃の心配を余所に、祐一はあっさりその疑問にも答えてみせた。

「水瀬は女系の一族なんだよ。代々の宗主は必ず女性がなると決まってる。総じて女の術者の方が強い力を持って生まれてくるのが普通だしな」
「そういえば・・・・・・そんな話を聞いたことあるような気がする」
「俺は現宗主の甥だから他の連中よりは力が強かったけど、それでもガキの頃は並の術者だったんだよ。けどある時、とんでもない力に目覚めちまった。歴代宗主の中でも、数代に一人しか扱える者がいないという、水術師たる水瀬の極意を手に入れちまったのさ。神凪風に言えば『神炎』みたいなもんだな、もちろん『神炎』に及ぶほどの力じゃないが」

 ただでさえ強い力を持つ神凪を、さらに最強たらしめている究極の力『神炎』は、一族における極意中の極意である。千年の歴史の中でその使い手は僅か数人。当代においては宗主の重悟に、現役最強の厳馬、それに一応綾乃もその力の片鱗を手に入れつつある。同じ時代に三人も神炎使いが存在しているというのは前代未聞のことだが、それは余談として、他の家系にもその家にしかない極意が存在していてもおかしくはない。
 水瀬にとってのそれを、祐一は手にしているのだという。

「そんな力があるのにどうして、追い出されたり・・・・・・?」
「そんな力を手にしてしまったからよ、綾乃ちゃん」
「どういうことよ?」
「平たく言えば、女系の一族にあって、最強の使い手が男じゃ困るってことだ」

 祐一の言葉を引き継いで、霧香が続きを話す。

「その水瀬の極意を扱えるのは、当代では現宗主である水瀬秋子殿だけだったのよ。確か・・・四代振りだったかしら?」
「五代振りだそうですよ」
「そう。つまりそれだけ水瀬にとって貴重な力の持ち主が、宗主以外に存在する、という事態が問題なの」
「別にそれくらい・・・・・・第一、男だとか女だとかで」
「前宗主のクソババアはな、そういう頭の固い奴なんだよ」

 軽い調子で話していた祐一が、吐き捨てるように「クソババア」と言った時だけ、苦渋に満ちた表情を見せた。

「今はまだいい。宗主の秋子さんと俺とじゃ、いいところ互角くらいだ。けど名雪・・・・・・秋子さんの娘で次期宗主な、あいつとだったら確実に俺の方が強い。そうなった時が問題なのさ」

 宗家よりも強い力の存在を認めない。
 その考え方を古いの固いのと笑い飛ばすことは、綾乃にはできなかった。何故なら、神凪でも大半の人間が似たような思想を持っているのだから。
 今の宗主や、綾乃自身はその間違いにもう気付いているが、家全体に浸透していたその思想によって、少し前に神凪一族は存亡の危機に立たされた。
 それを結果として救ったのが、かつて力を持たなかったがゆえに家を追放された和麻だったというのは、実に皮肉な話だった。
 理由は正反対なれど、祐一の境遇は和麻のそれと少し似ていた。
 もっとも、当時の和麻を取り巻いていた様々なものが『陰』の要素を含んでいたのに対し、祐一のそれは『陽』であるように見えた。この少年があの男のように激しく歪むようなことにはならないだろうと思いたかった。

「事情はわかったわ。あなたはもう水瀬とは何の関係もない。ここにいるのは、ただのフリーの術者として、ってことでいいのね?」
「ああ、神凪に迷惑をかけるようなことはしないさ。まぁ、それとは別に、神凪宗家の術者とは少し力比べしてみたい気はするけどな」
「機会があったら、ね。それじゃ」
「帰るの? 綾乃ちゃん」
「ええ、私の用事は済んだから。後はそちらでごゆっくり」
「せっかくだから綾乃ちゃんも話聞いていかない?」
「お断りします。仕事のお話なら家の方へお願いします、橘警視。では」

 にっこりと余所行きの笑みを浮かべながら会釈をすると、綾乃は店から出て行った。



「はぁ、逃がしたか・・・・・・」
「相変わらずですね、霧香さん。使えそうなものは何でも利用しようとする・・・・・・あんまり無茶してると火傷しますよ?」

 見た目は可憐な少女でも、綾乃は神凪の炎術師、それも次期宗主である。霧香との力の差は文字通り天と地ほどもある。そんな相手にまったく物怖じすることなく接している霧香の姿は頼もしくもあり、危なっかしくもあった。

「もちろん、自分の分は弁えているわよ。でも、その範囲でぎりぎりできるところまで踏み込まないと、得られるものは得られないわ」
「まぁ、確かに」
「それよりさっきの話の続きなんだけど・・・・・・」
「いや、それはやっぱりやめときます。今後の選択肢の一つとは思っておきますけど、今はとりあえず、自分一人でどこまでできるのかを知りたいと思ってますから」

 霧香の下で働けば、楽はできるだろう。彼女のことも信頼しているし、自分の能力を最大限に引き出してくれるだろうとも思っている。
 しかしそれでは、家にいた頃と変わらず、自分の意思が希薄になる恐れがあった。
 楽な部分に甘えてしまいそうなのだ。
 まだ祐一は、自分の今後について考えている最中だった。そうして考えた結果、霧香の下へ行くと自分で決めたのならそれもいいが、流される形で身を落ち着けるのは好ましくない。
 だから今は、自分一人でやれることをやっていたかった。
 と、もっともらしい言い分を並べ立ててみるが、実際には家から解放されたことによる自由を満喫していたいだけ、という気もしている。
 いずれにしても祐一は、今のところ霧香の下へ行くつもりはなかった。

「そう。残念だけど仕方ないわね。でも、考えておいて」
「わかりました」
「じゃあ、次の話だけど」
「まだあるんすか?」
「今度は・・・・・・仕事の話よ」

 向かい合う二人の表情が少し引き締まる。
 まだ水瀬の家にいた頃、何度か祐一は霧香と一緒に仕事をしたことがあった。霧香が持ってくる仕事は大概厄介なものなので、自然と緊張する。
 宗主に匹敵する力を持っていると言っても、祐一は自分がまだ未熟であることを知っていた。小さな仕事一つでも、気を抜くわけにはいかない。ましてや今は後ろ盾が一切ないのだ。仕事に対する姿勢は以前にも増して強い。

「仕事の依頼ってことなら、引き受けましょう」

 少しおどけた口調と態度を取るのは祐一にとっていつものことだった。
 態度に反して中身は(たぶん)真面目なのを知っている霧香は、そのまま話を進める。

「実は、まだどういう事件なのかよくわからないんだけどね。それで月宮さんにも手伝ってもらってるんだけど」
「あゆ? ん?」

 祐一が首を横に向けると、しばらくまったく話に加わってこなかったあゆが一人で黙々とパフェを平らげていた。

「ああ、そういえばおまえもいたんだったな」
「うぐぅ! ひどいよっ、祐一君! 最初からずっといたのに・・・・・・」
「すまんすまん、完全に意識の外にあったよ」
「もう・・・どこにいっても祐一君は祐一君だよ・・・・・・心配して損したよっ」
「はっはっはっは」

 言われてみれば「クソババア」から出て行けと言われてから、ほとんどの知り合いに何も言わずに町を離れたのだった。
 唯一秋子にだけは挨拶してきたものの、それ以外には連絡すらしていない。
 何人か、怒っていたり、悲しんでいたりしそうな人の顔が思い浮かぶ。何も言わずに出てきたのはさすがに悪いことをしたと思う。やはり、家を追い出されたのはそれなりにショックで、それで動転していたのかもしれない。

「ま、許せ」
「・・・・・・ボクはいいけどね。霧香さんのお陰ですぐに祐一君の居場所わかったし。けど、香里さんと栞ちゃんとか相当怒ってたよ。名雪さんは・・・・・・よくわかんなかったけど」
「そうか、あの二人怒ってるのか。そりゃやばいな・・・・・・」
「覚悟しておいた方がいいよ?」
「見付かったらとりあえず逃げるか」
「それはますます怒らせるだけだと思うけど・・・・・・」

 美坂香里・栞姉妹は水瀬の分家の出で、二人揃えば宗家にも匹敵するという実力者である。次期宗主の名雪と合わせて三人で、次代の水瀬における中核を担う顔触れだった。
 他にもちょくちょくちょっかいを出してくる山の妖狐だとか、それと仲の良い物腰が上品な陰陽師だとか、水瀬と対を成す北方の精霊術師一族の令嬢だとか、その護衛役をしている退魔の剣士だとか思い浮かぶ顔はいくつかあるのだが――。

(・・・・・・まー、その内手紙でも書くか)

 それで納得してもらえるかはわからないが、落ち着いたら連絡を入れるとしよう。
 ただその前に、一足先に追いかけてきたあゆから話が伝わってしまうかもしれないが。

(たいやき十・・・・・・いや、二十匹くらいで口止めしておくべきか?)

 じっと見詰めていると、あゆが軽く顔を赤らめながら訝しがる。

「な、なに?」
「いや、おまえを確実に買収するにはたいやき何匹が妥当かと思ってな」
「うぐぅ! ボクそんなので買収されたりしないもんっ!」

 と言いながら目が泳いでいる。やはりここは奮発して三十匹くらい差し出しておけば黙らせておけそうだと祐一は思った。

「・・・・・・・・・・・・話、進めていいかしら?」
「へ? あ、ああ、どうぞどうぞ」
「・・・・・・はぁ、何で精霊術師ってのは揃いも揃ってどこかズレてるのよ・・・?」
「はい?」
「こっちの話よ。まぁ、話って言ってもさっきも言ったように、まだほとんどわかってないの。これまでの調査結果をまとめた資料は後で渡すけど、まずはそこから事件のことを調べてほしい、っていうのが依頼内容。調査の結果次第で、可能ならそのまま解決。厄介そうならさらに応援を要請するわ」
「応援、ってことは、神凪ですか?」
「ええ。それと・・・・・・」
「それと?」
「ううん、こっちの話。そういうことなんだけど、お願いできる?」
「了解」

 調査や探査といった仕事も、それなりに得意分野だった。風術師には及ばないが、水術師もその分野における能力は高い。その点、綾乃のような炎術師はまったくその分野に向かない。

(ん?)

 なのにどうして、先ほど霧香は綾乃を仕事に巻き込もうとしていたのかが疑問だった。
 そこに敵がいて、それを殲滅する段階になれば、戦闘能力においては最強の炎術師が最も効率的な戦力となるが、現段階で綾乃がいても仕事の役には立たないだろう。
 この仕事に向いているのは、祐一のような水術師か、或いは風術師――。

(そーいや、神凪には子飼いの風術師一族がいたって話だけど・・・・・・いや、それはいざこざがあって壊滅したんだったか)

 考えても答えは出なかった。
 思い返せば、「応援」と言った時に霧香が少し言葉を濁していた。或いは神凪の他に、霧香には切り札的存在の伝手があるのかもしれない。何しろ、食えない女性である。
 あゆをここへ連れてきたのも、単に祐一への伝手にするためだけでなく、あゆ自身の能力もこの一件で利用しようと思ったからだろう。
 本来精霊術師の力というのは血統に宿るもので、その血の濃さが能力の全てを決定付ける。だがあゆはそうした家柄とはまったく関係ない一般人だった。にもかかわらず、正統な精霊術師すら持ち得ない稀有な能力を有している要因は、祐一にあった。

(あれから、もう七年か・・・・・・)

 祐一にとっても、あゆにとっても、そして水瀬家にとっても、それまで持っていた価値観が劇的に変わる原因となった事件から、もうそれだけの歳月が流れていた。
 あの時以来、祐一は数代に一人の宗主しか持ち得ないと言われる水瀬の極意を手に入れ、あゆは全ての精霊の声を聞くことができるようになった。宗主以外の、しかも男が極意を会得したことで、前宗主も変わった。祐一に対し、ひたすら辛く当たるようになったのだ。今にして思えば、祐一の力を恐れてのことだったのだとわかるが、まだ幼かった頃は実の祖母に辛く当たられることをひどく嘆いたこともあった。その確執が結局ずっと尾を引いて、とうとう祐一は水瀬家から追い出される形となり、祐一自身も願ったり叶ったりで自由を手に入れた。

(ま、昔のことを考えるのはこれくらいにして、せっかく三日連続で仕事にありつけたんだ。霧香さんの依頼となると厄介そうだが、それくらいの方がおもしろい)

 むしろ、一人では手に負えないくらいの敵が出てきた方がいいとさえ思っていた。
 そうすればまた、さっきの彼女と会えるかもしれない。何よりその時、彼女の秘めた力を見ることができるかもしれない。そう思うと、意欲も高まった。

「んじゃさっそく、事件の概要を教えてもらいましょうか」



 家に戻った綾乃は、祐一の件を報告するために宗主の下へ向かった。
 すると使用人から、現在来客中で、宗主から綾乃が戻ったら呼ぶように言われていた旨を伝えられた。

「来客って、誰?」
「それが――」

 聞かされた名前の意外さというか、タイムリーさに、綾乃は少しだけ驚いた。
 偶然ではないだろうが、いまいち腑に落ちない点もあった。

(ん・・・まぁ、会ってみればわかるか)

 使用人を下がらせ、一人で宗主の所へ向かう。

「お父様、綾乃です。ただいま戻りました」
「うむ、入れ」
「失礼します」

 静かに襖を開けて中に入る。
 客が和麻だったりする時は、スパーンと盛大に音を立てて叩き付けるように開くこともあるのだが、客がいるということで自然と余所行きの所作になっている。例によって、意識せずともこういうことができるくらい礼儀作法は身についているのである。ただ、それさえも吹き飛ぶほど和麻がいる時は感情がぶっ飛んでいるわけだった。
 室内に入ると、宗主と向き合うようにして三人の少女が座っていた。
 いずれ劣らぬ美少女揃いで、しかも精霊の力を感じ取ることができた。
 従えている精霊の属性は、水――。

「紹介しよう、綾乃。水瀬家の次期宗主殿だ」
「はじめまして、水瀬名雪です。後ろの二人は分家の者で、美坂香里と、美坂栞と言います」
「神凪綾乃です。はじめまして」

 綾乃と相手の少女三人は互いに礼をし合う。
 向き合いながら綾乃は、不躾にならない程度の視線を名雪と名乗る少女に向けて、その姿を観察する。
 つかみ所のない少女だった。ぼんやりした雰囲気で、見た感じからはあまり強いという印象は受けないのだが、底が見えないようなところがあって、少し計りかねる。仮にも次期宗主というくらいなのだから、相応の力は持っているのだろうが、先ほどまで会っていた祐一と比べると、確かにあちらの方が上という気がした。
 そういえば、どこか祐一と顔立ちが似ていると言えないこともなかった。確か、従兄妹だったかと、聞いた話の記憶を辿る。

「水瀬さんは・・・」
「あ、名雪でいいです」
「では・・・名雪さんは、どういったご用件で当家へ?」
「さっき重悟様にも申しましたけど、こっちへ来たのは個人的な人探しで、神凪のお屋敷には一言挨拶をと思って参りました」
「そうでしたか」

 人探し、と聞いて綾乃は咄嗟に祐一のことを思い浮かべた。まず間違いないだろうが、この場ではあえて何も言わなかった。

「神凪に迷惑をかけることはしませんので、しばらくの間こっちで活動することを容認してもらいたいんです」

 名雪が重悟に向かって言ったため、綾乃は黙って父の返答を待った。

「わかった。互いに不要な干渉はしない、ということで良いかな?」
「はい。ありがとうございます」

 深々と頭を下げる名雪の態度は落ち着いたものだった。
 歴代最強とも言われている神凪重悟を前に、並の術者ではこうはいかない。やはりこの、水瀬家次期宗主だという少女は只者ではなさそうだった。
 後ろに控えている、おそらく姉妹だと思われる二人の方も、姉は名雪同様落ち着いており、妹は少し緊張気味だが決して萎縮したりはしていない。同じ分家というなら、最近のだらしない神凪の分家衆より遥かに器が大きそうに見えた。

(水瀬家か・・・・・・あまり気にしたことはなかったけど、侮れない家みたいね)

 精霊術師の家系というのはどこも古くから続く名家で、それぞれがそれぞれの伝統を重んじて誇り高い。ゆえに、時には確執も起こり易くなるため、自分の家と他家との力関係には気を配るのが常だった。綾乃もそれに倣って、水瀬家に対する認識を少し改めた。
 ただ当然、表立ってそうした態度を見せたりはしない。
 確執が多いからといって、わざわざ争いの種を自分から撒く必要はなかった。

「それでは、失礼させていただきます」

 本当に簡単な話で済ますと、名雪と美坂姉妹は神凪邸を辞していった。
 綾乃は三人を玄関まで送っていった後、重悟の所へ戻った。

「お父様、ちょっと話が・・・」
「む、何かあったか?」
「はい、さっきのことに絡んで」

 祐一に関する話を、綾乃は掻い摘んで重悟に聞かせた。聞き終わると、重悟は少し考え込むような仕草をする。

「特に問題はないと思うけど、一応お父様の判断に任せようと思って」
「そうだな。まぁ、何か大きなトラブルが起きない限り、こちらから何かする必要はないだろう」

 静観する、というのは綾乃も同意見だった。古い家柄は何かと面倒である。他家の問題にいちいち首を突っ込むことはナンセンスだった。
 名雪一行のことも、祐一のことも、気にはかけるが手は出さない。それで決まり、この話はそれで終わりである。

「ところで綾乃、和麻はどうしたのだ?」

 終わったのだから話を切り替えるのはいいのだが、何故よりによってその話なのか。
 露骨に不機嫌な顔になって綾乃はそっぽを向く。

「知らないわよ、あんな奴」
「また何かあったのか・・・・・・」

 やれやれ、などと言って重悟はため息を吐く。
 昨夜戻った時に和麻がしばらく仕事に来ないと言っていたことは伝えてあったはずだというのに、重悟はわざわざその話を蒸し返す。
 何かというと自分と和麻を絡めた話をするのは、敬愛する父のやることとはいえ、はっきり言っていい迷惑であった。
 少なくとも本人は、和麻のことが大嫌いだと思っているのだから。本当は顔を見るのどころか名前を聞くのも嫌なのだ。
 そういえば霧香もそうだった。由香里と七瀬もだ。確かに和麻は仕事上のパートナーではあるが、誰も彼も何かというと綾乃と和麻をセットで考えている節がある。まったく冗談ではなかった。

(そうよ! 和麻のことなんて、知るもんかっ!!)



「ん?」

 何となく綾乃辺りに噂されたような気がして、和麻は軽く顔を上げる。が、すぐに興味を失くしたように煙草を吸う。
 謎の少女、津上雫から仕事を依頼したいと言われた和麻は、詳しい話をするために近くの喫茶店に入り、今は後から来るはずの雫を待っていた。
 しばらくすると、店の入り口にその姿を見止める。やはり、視認するまではっきりとした気配を感じ取ることができなかった。
 それはそうと、今は普通の、大人しめの洋服を着ていた。
 良かった。場所柄も弁えず公衆の面前にあのままの巫女服姿でやってきたら話を聞く前に即行で逃げるつもりだった。たとえ彼女が正統な巫女という立場にある人間だったとしても、今時街中で堂々とそんな格好をしていたらただのコスプレである。 そんなのと一緒にいたくはない。どこか普通でない雰囲気を漂わせた少女だが、最低限の常識は持ち合わせているようで安心した。
 ――この男に常識云々を説かれてはおしまいだろう、と誰かのツッコミが入りそうなことを考えながら、雫が店内に入ってくるのを待つ。
 探す素振りも見せず、迷うことなく雫は和麻のいるテーブルまでやってきて、対面に腰を下ろした。

「お待たせしました」
「んで、依頼ってのは何だ?」

 挨拶はそっちのけで、単刀直入に話を切り出す。得体の知れない相手と無駄話をするつもりはない。

「あなたは、この国で最も優れた風術師だと聞きました」
「まーな。『この国』って部分を『この地上』って変えとくとより正確になる」

 和麻は別に、自分が全てにおいて地上最強だとは思っていない。だが少なくとも、風術師としてなら、和麻の右に出る者は現代には存在しないはずだった。

「何人かの方にお名前を窺って、頼むのならあなたが適任だと思いました」
「いいからとっとのその頼みとやらを言え」
「わかりました」

 やたらと尊大な和麻の態度を気にした風もなく、雫は淡々とした調子で話す。

「頼みたいのは、探しモノです。物でもあり、人でもあります」
「具体的には?」
「数年前に、私の家の宝物を、ある人物に盗まれました。私はそれを追っています」
「つまりその盗まれた物か、或いは盗んだ野郎を探し出せってことか」
「はい。この国の首都圏にいるらしいという情報までは掴んだのですが、正確な居場所がわかりません。ですが、手がかりになるものもありますので、あとはそれを活かして探索を行える方を探していました」
「なるほどねぇ」

 椅子にふんぞり返って、和麻は天井に向かって煙草の煙を吐き出す。
 探し物だけならば楽な仕事だろうとは思うが、この少女ほどの手練が他者の能力を借りようとするほどの相手となると、ひょっとすると面倒なことになるかもしれない。
 となれば――。

「報酬は?」

 それ次第であった。
 相変わらず、不遜な和麻の態度はまったく意に介さず、雫は無言で懐から布包みを取り出してテーブルの上に置いた。
 簡単な呪術的封印が施された包みの中身を、力を使って和麻は視る。
 そして、さしもの和麻も思わず目を見張った。

「・・・・・・おい、本物かよ・・・?」

 思わず疑問を口ずさんでしまったが、和麻が物の真贋を見誤るはずがない。

「はい」

 雫も、事も無げに頷いてみせた。

「正真正銘、本物の――龍の鱗です」

 龍、或いは竜と言えば、洋の東西いずれにおいても最強に類する霊獣の総称である。人の力の遠く及ばぬ領域に住まう存在。和麻と言えど、龍を相手に本気で戦おうなどとは決して思わない。
 そんな不可侵領域に生きる龍の体表を覆う鱗の価値は最高級のダイヤモンドにも匹敵し、その価値を知る者に売れば、楽々と数千万か、億の値がつくほどだった。しかもそれは、死骸から剥ぎ取ったものであったり、力を失って自然と剥がれ落ちたものなどの話だった。
 だが、雫が差し出したそれは、明らかに“生きた”鱗だった。絶大な霊力を、今尚失うことなく、宝石のような光沢も健在な状態だろう。 僅か一枚だが、まず一億は下らないだろう。
 いったいこんなものを、どうやって手に入れたというのか。

「まさか・・・・・・倒したのか?」
「ご冗談を。少々の供物と、試練を受けることと引き換えに、数枚下されたものです。あるものを作るために必要でしたので。ですから、これは余り物の一枚ということで心苦しいですが」

 心苦しいなどとんでもない話だった。これほどの報酬があれば大抵の仕事は依頼できるだろう。
 和麻も、報酬のおいしさと共に目の前の少女に少し興味が沸いた。

「まぁ、こんだけのものがあるなら、依頼を受けてやらんこともない」
「そうですか。では一つ、つまらない話になりますが、盗人の素性についてお話します」
「ん?」
「既に脱退していますが、彼は――元〈アルマゲスト〉の構成員でした」

 一瞬、空気が張り詰める。
 ほんの僅かだが、それを聞いた和麻の表情に冷たい色が混じっていた。
 店の窓は開いておらず、空調も入っていないにも関わらず、雫の長い髪が風に煽られてなびく。

「へぇ〜・・・・・・」

 冷笑を浮かべながら、和麻は雫の無表情な顔を睨み付ける。
 どうやらこの少女、和麻と〈アルマゲスト〉の因縁についてある程度知っているようだ。それを知った上で、そのことを持ち出せば和麻が反応するとわかっていて伝えたのだ。
 最初に巫女姿で現れたため清純なイメージを知らず抱いていたが、なかなかどうして食えない少女だった。

「依頼は、その野郎とそいつが盗んだもんを探す“だけ”でいいんだな?」
「はい」
「つまり、それ以外は何をしようと俺の勝手にして?」
「構いません。私は盗まれた物さえ見付かれば、後の対処は自分で行います。盗んだ相手のことには、一切興味はありません」
「よくわかった。じゃあこの仕事、引き受けましょう、依頼人さん」



















あとがき
 かーなーり・・・・・・更新が遅れてしまったが、聖痕外伝第二章である。新たに名雪と美坂姉妹が登場。まぁ、あゆも含めてKanonヒロインsはどちらかというと皆脇役なわけだが。メインの四人はそれぞれに関わりを持って、これから事件に絡んで動き始めるといったところである。次回かその次辺りには、全員集合となるか?