精霊エレメンタル協奏曲コンチェルト 〜風の聖痕スティグマ外伝〜






   序章・裏

















 薄暗い城の奥、その場所を定義するのに多くの言葉はいらない。
 おとぎ話に出てくる悪い魔法使いの秘密研究所。
 冗談でも比喩でもなく、そこは一言で表現するのにそれ以外に適切な言葉は存在しないと断言できるような場所だった。ちなみに『秘密』がつくと悪っぽくてトレンドなのだと、以前“彼女”はこの場所の主である魔術師から直接聞かされたことがある。理解し難い感覚であるが、あの魔術師にとってはこの場所の様相も全て含めて、 『普通』のことらしい。
 『普通』の定義を激しく間違えている気がするが、彼が所属する魔術結社〈アルマゲスト〉の魔術師はほとんどがそうした歪んだ感覚や嗜好を持っているため、その中においては“普通”なのかもしれない。
 ただ“彼女”が追っている魔術師は、その中においてさえ一際イカレている男で、〈アルマゲスト〉内においてさえはぐれ者として扱われていた。何せこの男、首領のアーウィン・レスザールがどこぞの風術師に殺されたと聞いた時も「ふーん、そうかい」の一言だけで片時も自分の研究から離れなかったというのだから極め付けである。
 ヨーロッパの片隅、人の立ち入らぬ山脈の合間の深い森の奥地で“彼女”は長年追い続けてきた魔術師のアジトをようやく探し当てたのだが――。
 有り体に言って、ここは既にもぬけの殻だった。
 もう数週間以上人の手が入った様子が窺えず、誰かがいた痕跡すらない。一足遅かったようで、標的は既にここを引き払った後のようだ。
 いくつかの研究資料やサンプルの類は残っていたが、おそらくどれも、もはや魔術師にとって意味を成さないものとなったために捨てて行ったのだろう。ついでに侵入者避けのトラップも生きていたが、いつも通りのパターンのものばかりだったため、八割以上は無効化してここまで辿り着いた。
 結局無駄足だったわけだが。
 無駄と思いつつ何か手がかりがないかと一応最奥部までやってきてみたが、やはり何もなさそうである。
 そう、思ったのだが――。

「・・・・・・・・・」

 左手を腰の高さまで上げ、帯に差しているモノを掴む。
 何者かの気配がした。
 正体は知れない。が、こんな場所にいるのが真っ当な存在であるはずがない。
 少しずつ移動して、柱の影に身を潜める。この暗闇ではほとんど視覚は頼りにならないが、背後からの不意の襲撃は防げるはずだった。
 改めて気配を探る。やはり何者かがいる。先ほどよりも近付いていた。
 殺気は感じられないが、さりとて友好的でもなかった。
 互いに息を潜めながら接近する。そして一本の柱を挟んで間近で対峙する。
 石造りの、それも強力な対魔防御の施された太い柱である。これを直接破壊するには、どんなに優れた術師でもある程度のタメが必要だった。大型の魔獣の類ならばともかく、気配の主は“彼女”とそう変わらぬ身の丈である。攻撃のためのタメがあればすぐに察知できるため、最速で攻撃を仕掛けるならば柱の右か左から回り込むのことになる。
 右か、左か、それを見極めるのが重要だった。
 相手が動く。
 どっちか――その判断を下すよりも早く、“彼女”は全速で柱から飛び退いた。

 ザンッ!!

 繰り出された相手の一刀は、直系一メートルを超す石造りの柱を容易く両断して、反対側にいた“彼女”の身に襲い掛かった。一瞬でも判断が遅れていれば、柱と共に真っ二つであった。
 敵の戦力を見誤ったことを悟った“彼女”は、一時距離を取る。
 もはや隠れることに意味はないとわかったため、素早く動きが取れるよう、広い位置に立って、闇の中で相手の姿を見通す。
 その時、雲に隠れていた月が姿を見せ、天窓から光が差し込む。
 僅かな光だったが、両者の姿を浮かび上がらせるには十分だった。
 月明かりに照らされた姿は、どちらも少女だった。年齢的には、十代後半。共に、文句無しで美少女と呼べる容姿をしていた。
 “彼女”の方は、ストレートの長い黒髪の和風美人である。着物に袴姿という格好はこの場には不釣合いだったが、“彼女”が着ているとこれ以上ないというくらい似合っていた。少女が持つにはあまりに無骨な、腰に佩いた日本刀も、予定調和の内だった。
 対する相手は、栗色の髪に、黒いゴシックロリータ調のワンピースをまとった、どこか人形じみた雰囲気を漂わせた美少女だった。表情に乏しいことを除けば可愛らしいことは間違いないのだが、 石柱を両断した、全長にして二メートルを超す大剣の存在が戦慄を覚えさせる。

 ダッ!

 少女が、その実用性皆無と思われる規格外の超重武器を軽々と振りかぶりながら床を蹴って踏み込んでくる。踏み込みの速度も、とてもそんな武器を手にしているとは思えないほどに速い。斬撃も鋭い。ただ重さに任せて振り回しているのではなく、十分にコントロール下に置いた状態で振り下ろしている証拠だった。細身に似合わぬ、恐るべき膂力であった。
 斬撃に合わせて“彼女”は刀を抜き放つ。
 よほど目の良いものでなくては抜刀の瞬間が見えたかどうか、というほどの速度で抜き放たれた一刀が、中空で相手の大剣を絡み合う。
 月明かりを受けて妖しげに光を反射する刃渡り二尺四寸の日本刀は相当な業物に見えたが、逆に光を透き通らす水晶のような材質でできた大剣を前にしてはあまりに頼りないものに思えた。よしんば刀そのものがもっても、それを支える腕が一撃の重さに耐え切れまい。
 だが“彼女”は一瞬双方の刃が絡み合った瞬間に手首を返し、少女が放った一撃の威力の大半を横へ逃がした。
 流れた大剣の切っ先が床に打ち砕く。
 受け流した際の余波で僅かに傾いだ体勢を即座に立て直し、“彼女”はがら空きになった少女の肩口を狙って片手で斬り付ける。しかし、その斬撃は届かない。
 少女は踏み込んだ足を軸に、振り下ろした剣の威力を殺さずに床を削りつつ、全身をコマのように回転させた。
 武器の重さと遠心力によって威力が倍増された横薙ぎが“彼女”の側面から襲い掛かる。

 ブゥンッ!!

 突風のような音を立てて振り抜かれた大剣の重さに少しもよろめくことなく空中で止めてみせた少女の膂力もさることながら、凄まじき横薙ぎの斬撃をかわして一瞬にして間合いの外まで後退した“彼女”の速力も半端ではなかった。
 硬直時間は一秒に満たなかった。
 互いに剣の柄に両手をかけると、正面から踏み込んでいく。

 ギィンッ!

 他には何一つ物音がしない中、剣戟の音だけが響き渡る。
 そこで行われているのは、超高度な剣術による死合だった。
 パワー、スピード、そして技巧の限りを尽くした戦いは、人間のレベルを遥かに超越していた。
 異様な光景である。
 長く艶やかな髪に、宝石のような輝きを放つ瞳、清楚さと可憐さを感じさせる服飾。洋の東西、それぞれの童話に出てくる姫君の如き美しき少女達が、月明かりのみに照らされた暗い城内の広場で、超人的な剣技を尽くして斬り合っている。
 あまりに非現実的、だが幻想的と言い換えることもできた。
 どんなに異様であっても、それがこの少女達によるものならば、美しかった。
 物語の一ページのような光景にも徐々に変化が訪れる。
 互角と思われた両者の攻防だったが、“彼女”の方が優位に立ち始めた。人形のように表情の乏しかった少女の顔に、僅かだが焦りの色が浮かぶ。
 既に数十度剣を交えたが、“彼女”は傷一つどころか、着物の裾にすら少女の剣を受けてはいなかった。
 それに対して“彼女”の剣は、少女の服と、その下の肌に少しずつ傷をつけていく。
 “彼女”の速度と、何よりも技の鋭さが、少女を追い込んでいっていた。

「・・・っ!!」

 小さく溜め込んだ息を吐き出しながら、少女が剣を振りかぶって一歩下がる。
 追い縋ってきた“彼女”目掛けて、少女は渾身の力を込めて大剣を振り下ろした。

 ズンッ!!

 少女の膂力と大剣の超重によって打ち砕かれた石造りの床は、直系五メートル近くにも渡って陥没し、クレーターのようになっていた。
 標的とされた者の姿は見えない。
 今の一撃をまともに受ければ、人間の体なぞ粉々に砕け散っていてもおかしくはないが――。

「無茶苦茶をなさる方ですね」

 背後で鍔鳴りの音を聞くと同時に、少女は首筋に刃を当てられるのを感じた。
 勝負ありだった。少女が僅かでも動きを見せれば、刀はその首を刎ね飛ばすだろう。互いに結果が見えているため、二人ともピクリとも動かない。
 相手の命を握る者と、相手に命を握られた者、どちらも表情に変化はない。
 殺し合いをしているとは思えないほど淡々とした人形のような表情を浮かべた少女達による戦いは、月明かりの演出と少女達の美しさも相まって、まるでよくできた劇の一幕のようだった。
 それを証明するかのように拍手の音が鳴り響き、室内に窓から差し込む月明かりとは別の灯りが点った。

「見事、と言わせてもらおう。我が従者を打ち負かすとは、大した腕前だ、お嬢さん」

 拍手の主が、灯りの下に出てくる。
 現れたのは、プラチナブロンドの長い髪を持った美形の男だった。見た目からは年齢が判別しづらく、二十歳程度から四十過ぎまで通用しそうな雰囲気がしている。拍手をしている仕草や、口元に湛えた微笑など、どこか芝居じみた感じを覚える。
 その男の姿を見た途端、“彼女”の脳裏に一つの名前が思い浮かんだ。

「・・・ヴェルンハルト・ローゼス」
「私をご存知かな?」
「〈アルマゲスト〉の主要幹部に関しては調べました。成り行きで、ですが」

 視線をヴェルンハルトに向けながらも、“彼女”の構えた刀はいまだこの男の従者だという少女の首筋に当てられたままだった。
 まだ、少女の戦意が解けていないためである。

「ラピス、剣を引きなさい」
「・・・イェス、マスター」

 ほんの僅かに逡巡しながらも、ラピスと呼ばれた少女は主の言葉に従う。手元から剣を消し去り、首に当てられた刃を気にすることもなく立ち上がった。
 戦意が完全に消えたことを悟った“彼女”は、ラピスが立ち上がるのに合わせて刀を引き、鞘に納める。
 ヴェルンハルトと、その傍らまで歩いていって控えるラピスの方へ向き直る。
 一定以上の距離は保ち、鞘にかけた左手も離さない。
 双方既に戦意はなかったが、警戒を緩めることはなかった。

「どうやら不幸な行き違いがあったようだ。従者の非礼は許されよ。こうしてこの場にいるということは、お互い目当ては同じ、と推察するが?」
「ではあたなも、アイゼンバーグの所在は知らない、と?」
「残念ながら。元々酔狂な男だったが、つい最近同胞の下からある研究データを盗み出してね。さすがに少々やりすぎなので軽い制裁を、と思って出向いたのだが、一足遅かったようだ」
「そうですか」

 〈アルマゲスト〉内部の細かい事情に興味はなかった。
 この研究所の主にして〈アルマゲスト〉に属する魔術師、通称プロフェッサー・アイゼンバーグとの間に個人的確執がなければ、自分から組織に関わろうと思うことはない。
 アイゼンバーグはここにはいない。それだけの情報がわかれば十分だった。

「あの男がいないのなら、ここに用はありません。失礼させていただきます」
「待ちたまえ」

 立ち去ろうとした“彼女”は、呼び止められて足を止めた。

「彼の所在はまだ掴めていないが、今し方調べてみたところ、行き先に検討はつく」

 黙ったままの“彼女”に対し、ヴェルンハルトは構わず続ける。

「日本だ」
「・・・・・・・・・」
「追うつもりならば、日本では八神和麻という男を訪ねてみると良い」

 その名を主が口にした時、ほんの一瞬、ラピスの表情が揺れた。死に直面した時にも揺らぐことのなかった表情に、激しい感情の乱れが見て取れた。
 だがそれに気付きながら、己には関係のないことと“彼女”は黙殺した。
 それよりも、ヴェルンハルトが口にした名前には聞き覚えがあった。

「それは・・・」
「彼は優れた風術師だ。探しものをするのに彼以上に頼れる者は世界に五人といまい」

 八神和麻。
 “彼女”がアイゼンバーグを追うようになってもう何年にもなるが、その間に〈アルマゲスト〉内では驚天動地の出来事が起こった。首領にして伝説的な魔術師、アーヴィン・レスザールが殺されたのである。
 それを成した風術師の名が、確かそんな名前だったはずだ。
 つまり〈アルマゲスト〉にとって不倶戴天の敵ということになる。そんな男を訪ねてみろというヴェルンハルト――アーウィン亡き後の〈アルマゲスト〉の実質的指導者――の真意が量りかねた。
 だが風術師ならば、探索を依頼するのにもってこいの存在ではある。
 相手の狙いはわからないが、情報に関する感謝の印として軽く会釈をして、踵を返す。

「情報の見返りとして、せめて名前くらいは教えていってはもらえないかな、お嬢さん?」
「津上雫」

 振り返らず、簡潔に問いかけに対する答えだけを返し、“彼女”は闇の中へ溶け込むように立ち去った。



「マスター、何故あのようなことを?」

 津上雫の気配が完全に遠ざかると、ラピスが若干戸惑い気味に主へと問いかけた。

「気になるかね?」
「・・・・・・いえ」

 顔を伏せるラピス。
 明らかにその表情は、気になることがあります、と告げていた。

「構うことはない。先ほどの少女と八神和麻が組むことになれば、アイゼンバーグも逃げることは適うまい。我々がわざわざ出向いて始末をつけるよりも、手間が省ける。それに何より、その方がおもしろそうであろう」

 プロフェッサー・アイゼンバーグの行状は以前から組織内でも問題視されており、一部では処罰すべきだという意見も持ち上がっていた。
 ただヴェルンハルト自身は個人的にそれほど嫌いなタイプの人間ではなかった。多少品性に欠ける部分はあったが、彼の趣味嗜好には一部共感を覚えていた。ゆえに、組織に不利益をもたらしたわけでもないため、あえて処罰する必要性はないと思っていたのだが、こうした事態になったからには話は別である。
 以前からアイゼンバーグが何者かに追われているのは知っていた。それが先ほどの少女であることは間違いない。あの少女がアイゼンバーグを始末するのなら、それで良かった。
 さらにそこへ八神和麻という要素を加える。ついでに日本で何かをやらかせば神凪一族も絡んでくるかもしれない。
 見世物としては十分に楽しめるものとなりそうである。生で見られないのは少々残念だが、あの男を処分できて、かつ事の顛末を楽しめれば一石二鳥だった。

「・・・・・・・・」
「八神和麻のことが気になるかね?」
「それも・・・あります。それと、先ほどの方・・・」
「ふむ、津上雫と言ったか。あれほどの使い手がいるとは、世界は狭いようでいて、やはり広いな」

 ラピスは眉をひそめ、唇を噛み締める。それを見てヴェルンハルトはほくそえんだ。

「悔しいかね?」
「悔しい・・・ですか?」
「そうだ。先ほどの少女、津上雫はおまえと同じタイプだ。魔術に対し、近接戦闘のみで対抗する剣士」

 通常、近接戦闘能力と魔術が正面からぶつかり合えば、魔術の方が圧倒的に有利だった。まず射程の差があり、また優れた魔術は時に物理法則すらも超越する。並の近接戦闘技能など及ぶべくもないのだ。無論、魔術師の方が未熟ならばその限りではないが、一定のレベルを超えた魔術を相手に近接戦闘で対抗するのは困難極まりない。
 しかし、極限まで高められた技術と、然るべき武装をもってすれば、近接戦闘技能のみで魔術に対抗することも十分に可能だった。
 ラピスがまさにそうである。そして、先ほどの少女も同じだった。

「おまえの能力は対魔術近接戦闘においては最強レベルだ。おまえ自身もそれを自覚している。にもかかわらず、津上雫にその上を行かれた。そのことが悔しいのだろう?」
「悔しい・・・これが、悔しいという感情・・・」
「また一つ、おまえは心を学んだ。喜ばしいことだ。あの少女には感謝せねばなるまい」
「・・・イェス、マスター」

 喜びと、苦渋と、困惑と、様々な感情の入り混じった表情で頷く従者の姿を見て、ヴェルンハルトは満足げな笑みを浮かべた。
 その場から立ち去るべく歩き出すと、ラピスもそれに付き従った。
 歩きながらヴェルンハルトは、日本での事の顛末を知るべく派遣する使いを誰にするかを考えていた。



















あとがき
 もう一人のゲスト、オリジナルキャラの津上雫による裏序章。この子には特にモチーフがいるわけではないけれど、端的に言って私の趣味を集約したキャラである。
 本来ならこのパートはなくても何の問題もなかったというか、初期段階ではまるで考えてもいなかった。が、聖痕SSを書くに当たって全巻を読み返している内にラピスを出したくなって、けど本編に直接絡ませるのは難しいから序章だけのちょい役にしよう、ということでこのパートが生まれたのである。表序章は単純に祐一の紹介編だけれど、裏の方は物語全体の鍵となる話にもなっている。
 次回から物語が本格始動、本来の主役コンビも登場である。