精霊エレメンタル協奏曲コンチェルト 〜風の聖痕スティグマ外伝〜






   序章・表

















 それなりに楽しみにしていた。
 いやむしろ、少なからず昂揚感を覚えていたと言わなければ嘘であろう。
 相沢祐一は、最初依頼人から話を聞かされた時は少々ムッとした。他にも術者と雇っていると言うのだ。確かに彼はフリーの術者であり、若いということもあってまだまだこの業界で名の知れた存在ではないため仕方のないことなのかもしれないが、信頼されていないというのは気分の良いものではない。
 もう一方の術者とは協力者兼競争者という形で事件に当たり、最終的に仕留めた方にのみ報酬を支払うとのことだった。
 名を売るためには我慢だ。そう割り切って現場に赴いたところで、気が変わった。
 相手は、あの神凪の術者だった。分家ではあったが、炎術師として比類なき力を持った最強の一族である、あの神凪である。まさに渡りに船。この勝負に勝てば箔がつくというものだった。何より、家を飛び出てフリーの術者をやっている自分がこの業界でどこまで通用するかを計るには、これ以上ない相手だった。
 己の力量を知る良い機会に、知らず心躍っていたのだ。
 だが、開始一分。

「ぐはっ、使えねぇ・・・!!」

 競争者兼協力者であるはずの神凪の術者は、標的である妖魔の不意打ちを受けてあえなく倒された。致命傷ではなかったから死んではいまいが、戦闘不能であることには違いなかった。
 確かに炎術は、四大精霊魔術の中で最強と言われているが、それはあくまで戦闘能力のみを見た場合の話である。探査系の能力は基本的には皆無に等しい。ゆえに知覚範囲外からの不意打ちには弱い。
 しかしこの程度の妖魔、神凪一族の術者が常時まとう炎に触れただけでも焼かれるものだろうと思ったのだが、所詮は神凪と言っても分家か、或いは神凪そのものの最強神話が既に古いものなのか。いずれにしても祐一は、競争相手のあまりの体たらくに失望させられた。

(そういえば少し前に、子飼いの風術師一族に手痛くやられたとかいう噂もあったしな。天下の神凪も地に落ちた、ってことか?)

 がっかりはさせられた。だがこれは、逆に考えれば好機と言えた。
 神凪の権勢が落ちている間に活躍すれば、名を売り込むことができる。家の支配地を出て都心まで出てきた甲斐があったというものである。

「そうと決まればまずはこの仕事、ちゃっちゃと片付けますかっ!」

 祐一は神凪の術者を倒して逃げた妖魔を追って駆け出す。
 最初の不意打ちの時同様、姿を隠しているつもりのようだが、祐一にはしっかりと見えていた。
 路地を曲がったところで、上から強襲を受ける。だが攻撃が届くよりも早く、祐一の頭上で水の壁が発生し、妖魔の行く手を阻んだ。
 そう、祐一は水術師であった。
 不意打ちを防がれた妖魔が再び姿を隠して逃走するが、祐一の知覚範囲から逃れることはできない。水術は風術に次いで探査系能力に優れていた。何しろ人間の生活圏内で、水のない場所など存在しない。空気中にさえ、常に微量の水分が含まれているのだから。

「逃げられると思うなよ、名声の種!」

 既に祐一は、標的である妖魔の強さは見切っていた。分家とはいえ神凪の術者を倒したのだからそれなりではあるが、祐一の敵ではなかった。もはや、名声ゲットは目前に迫っていた。
 浮かれながらも冷静に相手の位置を特定しつつ、追い詰めていく。

(捕らえた!)

 と思った瞬間だった。

「げ!?」
「え?」

 進路上に、突然横道から少女が飛び出してきた。
 肩の高さでソバージュにした髪に、全体的にふんわりとした印象を受ける少女で、掛け値なしにかわいい――などとのんびり観察している場合ではなく、逃走中の妖魔がその少女に狙いを定める。純粋に人を襲おうという本能からか、憑依したりで人質にでもして逃げるつもりかはわからないが、とにかくどう転んでもそれを許しては少女が無事では済まない。

(間に合うか!?)

 素早く動く妖魔を直接狙っていては間に合わない。狙いは妖魔の進行方向上、襲う側と襲われる側の中間点だった。
 精霊魔術の本質は意志の具現化と言い換えても差し支えない。複雑な術など必要ない、ただ強く想い、念じ、精霊に語りかけて協力を呼びかけるだけで、万物の事象を操ることができる。速度において比類ないため、あらゆる魔術において最も戦闘能力が高いとされる所以である。
 どんなに距離が離れていても、能力の届く範囲内であれば過程を飛ばし、最速で事象の結果のみを生じさせることができる。
 必要なのは、それを強く思い描くこと――。

 パァンッ!

 少女の眼前に発生した水の壁に妖魔が衝突して、甲高い音が響く。
 妖魔が怯んだ隙に、祐一は少女との間に滑り込む。振り返ることなく背後を窺い、少女が無傷であることを確認する。僅かでも水分を含んだもののことならば手に取るようにわかる祐一にとって、すぐ傍にいる少女の状態を確かめるのに目を用いる必要はない。
 尻餅をついて軽く驚いている様子はあるが、外傷はない。むしろ、超常的な力を目の当たりにしたにしては驚きが少ないように思えたが、今はそれを追及している場合ではなかった。
 再び妖魔の姿は見えなくなっていたが、もう追跡する必要はない。
 先ほどと合わせて二度、祐一の操る水と接触を持った。完全に捉えるには、十分だった。

(弾けろっ)

 逃げた妖魔に付着した水に向かって念を送る。少し離れた場所で、目には見えないが妖魔の気配が完全に断たれたのを感じ取る。
 我ながら鮮やかと、祐一は自賛した。
 だがすぐに、一般人に除霊の現場を見られてしまったという事実を思い出す。
 魔術に関わる事象は、殊更に秘匿することを義務付けられているわけではない。むしろある程度の地位を持った者ならば当然のものとして知っている。そして彼らは、神凪や祐一の家のような、妖魔退治の専門家と繋がりを持っているのである。
 それでも、可能な限り一般大衆に知られることは避けるというのが国家的に定められた基本方針でもあった。

(どーすっかなぁ・・・)

 頭を悩ませながら、祐一は蹲っている少女の方へ振り返る。
 すると――。

「あー、びっくりしたぁ」

 あっけらかんとした口調で驚きを表しながら、少女は服についた汚れを掃いながら立ち上がった。
 祐一は少女の様子を訝しがる。
 彼女の態度はおかしかった。一般人が突然目の前で魔術などを目撃すればもっと違った反応を示すはずであろう。それが好奇心にせよ恐怖心にせよ、未知と遭遇した時、人間は少なからずそれに対する驚きを露にする。完全に冷静でいられる者など、ごく少数であろう。
 にもかかわらず、少女は妖魔の存在や、祐一が使った精霊魔術に対してはまったく驚きを見せていなかった。
 もしかすると、こちら側の世界と関わりがあるのかもしれない。
 本人は術者の類には見えないが、術は使わずとも情報屋などオカルトに関わる人間は、多くはないが少なくもないのが現実だった。
 それでも、見た目高校生程度の少女がそういった人種とも思えないのだが。

「とりあえず、助けてもらってありがとうございました!」
「いや、その・・・どういたしまして」

 最初に抱いたイメージと同様、ふんわりとした笑顔で頭を下げる少女の姿に、祐一は戸惑いと照れの雑じった顔をする。
 異性に慣れていないなどということは決してなかったが、それでも目の前の美少女には思わずドキッとさせられる。

「それでー、お尋ねしたいんですけど」
「ん?」
「さっきのってもしかして、精霊魔術ですか?」
「・・・ああ、まぁな」

 ずばり言い当てられて内心少し驚いたが、予測通りオカルトに関わる知識を持っている人間ならば、それくらいはわかったとしてもおかしくはなかった。

「よくわかったな。見たところ、術者の類じゃなさそうだけど・・・」
「ええ、違います。今のも半分は当てずっぽうで、本当は精霊魔術以外の魔法とかってちゃんと見たことはないんです」
「つまり、精霊魔術は実際に見たことあるわけだ」
「お友達にいますから」

 なるほど、と祐一は思った。友人に術者がいるなら、一般人であっても魔術に関する知識を持っている場合もあるだろう。祐一にも、そういう知り合いがいないこともなかった。
 質問攻めにされたり、口止めのことを考えたりする必要がないとわかって、ホッと息をつく。
 これで仕事は万事解決。神凪の術者も出し抜いたことだし、都心へ出てきての初仕事としては大成功を収めたと言ってよかった。

「ふんっ、見てろよあのクソババア。いずれたっぷり後悔させてやるぜ」
「クソババアって、誰のことですか?」
「うぉっ!? な、何故俺の心の叫びを!?」
「思いっきり口に出してましたけどー」
「ぐっ・・・」

 またやってしまったらしい。ごくたまにだが、祐一は思ったことを口に出してしまうらしかった。以前、うっかり同じようなことを本人の前で言ってしまったことがあり、手酷い目に合わされたことがあった。

「うぉっほん! と、とにかく無事で良かった。もう何もないはずだけど、気をつけて帰れよ」
「はい。あ、でも〜・・・」

 少女が何かを言いかけるのと同時に、祐一は複数の人間が近付いてくるのを察知した。
 妖魔の類の気配はしない。ただの人間には違いない。だが、こちらに対して敵意らしきものを抱いているのが感じ取れた。正確には祐一ではなく、傍らにいる少女に対して。

「いたぞ!」

 角に現れた男が後ろに向かって叫びかけると、さらに二人、合計三人の男が少女目掛けて駆け寄ってきた。

「何もない、ことはないみたいです」

 てへっ、などと言いながら少女は祐一に向かって笑いかける。
 こんな裏路地に少女が一人で来るなどおかしいと思っていたが、何らかの厄介事絡みで追われていたようだ。見たところ男達の方も高校生くらいなので、学校絡みのトラブルか何かか。

「追い詰めたぜ、篠宮」
「あら皆様方、何か御用ですか?」

 剣呑な雰囲気で睨み付けてくる男達に対し、少女は柔らかな微笑を浮かべながら、何をもって睨まれているのかまったくわからないといった風情で首を傾げる。その、こくん、と首を傾げる 角度や仕草が、まるで綿密な計算をした上で鏡を見て練習しているかのように様になっていた。
 端で見ているとかわいらしいのだが、それを向けられた本人達はその程度で治まることはないようだった。

「しらばっくれなんなよ、このアマ・・・!」
「てめぇ、よくも俺達の・・・ぬ、ぐ、ぬぉおおお!!」
「何のことだかわかりかねますわ」
「ふざけんなっ!」
「ふざけてなんていませんよ? だって・・・」

 次の一言で、祐一はどっちがより『悪人』であるかを確信した。

「身に覚えがありすぎてどれのことだかわからないんですもの♪」

 篠宮と呼ばれた少女は、これ以上ないくらい清々しい微笑みを湛えながら言い放った。
 それで、相手の男達はキレた。

「ぬがぁーっ!!」

 一人が篠宮に掴みかかろうとしたのを、祐一がその腕を取って押さえ込んだ。

「なっ、何だてめぇっ!?」

 慌てふためく男達。今の今まで篠宮しか見えていなかったようで、祐一のことにはたった今気がついたような態度だった。
 どういった経緯かは知らないが、よほどひどい目に会わされたのだろう、彼女に。

「邪魔すんじゃねぇこの野郎!」
「あー、まぁ、どっちに非があるのかは部外者の俺にはわからんのだが・・・とりあえず女の子相手に手を上げるのはやめとけ」

 非がどっちにあるのかわからないのは事実だったが、『悪人』なのは間違いなく篠宮という少女の方だった。仮に先に問題を起こしたのが男達の方だとして、相当えげつない手段で 報復したりしたのだろう。
 或いは彼女の方が先に仕掛けた可能性も否定できないが、そうした事情があったとしても、目の前で大の男達が寄ってたかって女の子一人に暴力を振るうのを看過することはできなかった。
 何より――どう転んでも酷い目に会うのは、おそらく男達の方だった。

「ここは一つ、穏便に済ませておけよ」

 その方が痛みが少なくて済む。

「冗談じゃねぇっ!」
「その女ただで済ませられるかっ!」

 しかし、口で言っても退いてくれそうになかった。

「仕方ねーな・・・」

 祐一は掴んでいた男の腕を引いて相手の体を引き寄せると同時に、側頭部目掛けて裏拳を叩き込んだ。
 脳を直接揺さぶる一撃で、一瞬にして男の意識を刈り取る。痛みを感じるのすら、ほんと僅かの間だったはずである。
 一人倒され、激昂して殴りかかってくる二人の間を抜け様に、首筋にそれぞれ手刀を叩き込む。これも的確に急所を捉え、当て落とされた男達は揃って地面に倒れ込んだ。

「やれやれ・・・」

 できるだけ痛みを与えないように殴り倒したつもりだが、果たしてこれで良かったのかどうか。
 篠宮という少女が祐一が感じた通りの“悪人”ならば、どうあってもこの男達に明るい未来はないように思われた。
 また仮に、彼らがここで彼女に襲い掛かっていたとしても――。

「ありがとうございますっ。二度も助けられちゃいましたね」
「・・・まぁ、二度目はいらん世話だったかもしれないが」

 チラッと、祐一は篠宮が後ろ手に隠し持った物に意識を向ける。

「えー、そんなことありませんよー。助かりました!」

 にっこり笑ってお礼をしながら篠宮は手にした黒光りする物、一介の女子高生が護身用として持つにはあまりに高すぎる性能っぽいスタンガンをしまい込む。
 あれをまともに受ければプロレスラーでもいちころであろう。
 祐一は見なかったことにした。
 チンピラから女の子一人助けた。その程度に思っていた方がおそらく身の為である。女の子の素性が仮にマフィアのボスの娘だとしても気にしないのが賢明だった。

「今度こそ大丈夫だろ。じゃあ、俺はこれで」
「あ、せめてお名前だけでも聞かせてもらえませんか? あたしは、篠宮由香里って言います」

 少し考えてから、構うまいと思って祐一は名乗った。

「相沢祐一だ。じゃあな」



「相沢祐一さん、と」

 由香里は密かに携帯のカメラに収めていた画像を保存しながら、件名として聞いたばかりの名前を打ち込む。
 画像を見ながら、先ほどの光景を脳裏に思い描く。

「うーん、かっこよかったなぁ」

 友人の彼氏――本人は否定している――もそうだが、戦う男というものは少なからずかっこよく見えるものなのかもしれない。
 必ずしもそうではなかろうが、先ほどの彼はそうだった。
 特に、最初に悪霊に襲われて助けられた時は、平静を装ってはいたが相当ドキドキしていた。襲われたことによる衝撃と、助けてくれた少年の勇姿に感じたときめきと、どっちの方が強かったかは判別しづらいところではあったが。
 どちらにしても友人とその彼氏――しつこいようだが本人は否定――に良い土産話ができた。
 追いかけてきた男達のことはもうどうでもよかった。もちろん捨て置くつもりはないが。
 先ほどはしらばっくれてみせたが、相手の素性はわかっている。他校の生徒で、ちょっとした悪さを働いていたために少々懲らしめてやったのだが、手緩かったようだ。今度は徹底的に叩いておくこととしよう。
 もっともそれは、片手間で済ませてしまうつもりだった。それよりも、こちらの特ダネの方が興味深い。
 浮かれた足取りで、由香里は路地裏を後にした。



 依頼人の下へ戻りながら、祐一は先ほど助けた少女、篠宮由香里のことを考えていた。
 写真を撮られたことには気付いていたが、どうということはなかった。名前と合わせて、むしろ友人だという術者に知られれば、名前を売るのに丁度良いかもしれない。この業界、絶対的な力を持った一族がいる以上、名声を高めることは大事だった。

「お、まだのびてたのか、こいつ」

 最初に妖魔と遭遇した場所まで戻ると、神凪分家の術者はまだ倒れたままだった。死んでいるわけではないので、放っておいて差し支えないだろう。

(情けねーな。神凪なんつっても所詮この程度か?)

 精霊魔術において、血筋が持つ力は絶対だった。極められた魔術というのは特定の血を引いた『選ばれし者』にのみ許された『奇跡の御業』であり、神凪はその『選ばれし者 』の最高峰――のはずなのだが、そこでのびている術者の姿を見る限り、そんな大それた存在にはとても見えない。
 もちろん、血の濃さがそのまま力の差となるわけであるから、直系の力はこんなものではないのだろうが、それでも分家でこの程度では、神凪宗家と言っても底が知れているような気がした。

(そうさ、俺の力なら・・・)

 祐一の力は、既に一族内で並ぶ者のないレベルに達しているはずだった。“それゆえに”追い出されることになったのだが、いずれにせよクソババアと呼ぶ先代や、直接やりあったことはないが現宗主である叔母にさえ勝っているに違いない。
 それだけの力を身につけた今の自分ならば、神凪の炎術師と言えども恐れるに足らないのかもしれなかった。
 増長し過ぎるのは良くないが、今回の仕事は祐一にとって自信に繋がった。

「よしっ! この調子でがんがんやっていくとするか!」



















あとがき
 今回の物語のゲストにして主人公の一人、祐一の紹介編となる表序章である。原作一巻冒頭と似たようなシチュエーションなのは狙ってやったこと、というか 哀れなダシに使われる分家の誰か・・・名前すら出してもらえないという。祐一の実力が実際どの程度なのかは、まだ秘密。少なくとも神凪分家の有象無象よりは遥かに強い、というところまで。
 不意の遭遇で由香里と関わりを持ったわけであるが、果たしてこのまま由香里との間で関係が生まれるのか、はたまたそこから繋がりができて綾乃とどうこうなるのか、それもまた、まだ秘密。操と・・・って意見もあるわけだけど、尼さんになっちゃってるからのぅ・・・まぁ、そこがむしろ、というのもあるかもしれないが、今のところ予定無し。
 次に出てくる裏序章では、もう一人のゲストとなるオリジナルキャラが登場。原作に登場したある人物達も出てきたり。