水夏 〜おてんこ物語旅情編・北国〜
・・・わたし達は今、逃げてる
わたしにとっての最愛の人との仲を引き裂かんとする恐怖の魔王から。
住み慣れた町を離れ、魔王の手の届かないどこか遠くへ、二人だけで行こうと決めた。
もしかしたら、もうあの懐かしい家には戻れないかもしれない。
愛着がないと言えば嘘になるだろうが、そういえば両親の位牌も置きっぱなしだったな、ついでに鍵も閉め忘れたような気がするけど、同居人の子がいるからそっちは問題ないか。
とにかく、家が恋しいとも思うが、大好きな彼とならどこにいても寂しくない。
そう、どこまでも行こう。
誰にも邪魔されない、二人だけの楽園へ。
って、ちょっと彼のお隣りにお姉さん入ってるかな。
何はともあれ、魔王の手を逃れ、わたし達は逃避行を続けている・・・。
「ずどらーすとう゛ぃちぇ! ゆっきぐっにさん♪」
「・・・何語ですか、先輩・・・」
「さあ、知らない」
※ロシア語です。
「大体、何ですかそのモノローグのシリアスさと裏腹のハイテンションは・・・」
「だってほら! 雪だよ雪! わたし雪なんて生まれてはじめて見たよ! ほら白いよ〜まっしろだよ〜」
電車の窓から外の景色を眺めつつ彼女、白河さやかは小躍りする。
靴をはいたまま腰掛けの上に膝立ちになって風景を眺め興奮する様は、子供そのものであった。
彼、上代蒼司は出来ることなら他人の振りをしていたかったが、さきほどから何かにつけてさやかが話し掛けてくるのでまったく他人には見なかった。
そのことに頭を抱えつつ、蒼司は何故自分達がこんな北の果てにやってきているのかを回想した。
・・・してみて後悔した。
「・・・ああ、僕はもう二度と自分の家の敷居をまたげないんだろうな・・・」
思い切り暗くなりながら深々と溜息をつく。
我が家の不動明王の姿を思い浮かべ、やるせない気持ちになった。
「わぁ! 見て見て蒼司君! 降ってきた降ってきたよ! 綺麗だよ〜」
「はいはい・・・・・」
似たような立場のはずの彼の恋人、さやかは果てしなく明るかった。
そもそも誰に非があったのかと問われれば一概には答えられないかもしれない。
つまり不運だったのだ。色々な不運が偶然重なって、最悪の結果を導き出してしまった。
ただそれだけのことだと思われる。
そう思わなければ悲しいではないか、蒼司は思うわけである。
しかし、穴を掘り進んで突き詰めてみれば、一番誰が悪かったかと言えば、やはり・・・・・蒼司が悪いと言わざるを得ないかもしれない。
蒼司とさやかは恋人同士である。
これは誰の目から見てもおそらくわかるであろうほどの仲が良いのだから、間違いはない。
それは別に誰に責められるべきことでもない。
自然な流れというものだ。
が、それに対しても猛烈に反応を示す存在がいるという事実を忘れてはならない。
僅かな気の緩みだった。
あの日は家に帰ってくるはずはないと思っていたがための油断だった。
「・・・今度という今度は本当の本当に殺されるところだったな・・・」
上代萌は蒼司の妹である。
そして極度のブラコンだった。
いざ、回想スタート。
「むぅ〜〜〜」
「何をお鍋の前で唸ってるんです、さやか先輩?」
「この・・・女のプライドをずたずたにする香り・・・味・・・見た目・・・・・・はぁ〜」
「?」
「こうなったらもうこれしかないっ!」
がばっ
突然振り向いたさやかは、そのまま蒼司を床に押し倒した。
「せ、先輩?」
「ここは一つ、私自身がおかずもメインディッシュもかねるということでふぁいなるあんさー?」
「何の話ですか・・・?」
「・・・・・・蒼司君」
「さやか先輩・・・」
安アパートの台所という、あまりムード的にいいとは言えない場所だったが、二人の場合はあまり関係ない。
そんな雰囲気のまま、自然と互いの唇が近付いていき・・・・・・。
がちゃっ
突如、まったく予期していなかった扉の開く音。
こんな状態を誰に見られても問題だと思われるが、この部屋にノックなしに入ってくることのできる人物に見られるというのは実に空恐ろしいことである。
可能な限り回避すべきことであったが、不幸にもそれは起こってしまった。
「お兄様、ちょっと忘れ物を・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
ピシッ、という音を立てて空気がひび割れた、そんな印象を受けた。
続いて重苦しい沈黙。
侵入者、もとい、どうやら忘れ物を取りに一時帰宅したらしい萌は扉を開いた体勢のまま、表情を凍りつかせている。
蒼司は背中に滝のような汗をかきながらどこか冷めた頭で今後起こりうる事態について考えていた。
さやかはきょとんとした表情でそんな兄妹の顔を見比べている。
「・・・・・・」
やがて萌は、ゆっくりドアを閉め、ついでに丁寧に鍵まで閉め、部屋に上がる。
台所まで歩いてくると、おもむろに引き出しを開け、中からキラリと光るものを取り出す。
そこで蒼司は我に帰る。
「ま、待て! 萌・・・」
とすっ
咄嗟に体を引かなければ本気で死んでいただろう。
本気と書いてマジである。
「おおお、落ち着け萌! これはいかようにしても弁解のしようがないのは事実だが、とりあえず、落ち着け!」
「問答無用!!」
修羅だった。
普段は少しきついが基本的に愛くるしいという表現が可能な顔が、今は鬼の形相となっている。
包丁を手にした修羅がそこにいた。
「え〜と・・・・・・ちょっとまずい、かな?」
「と、とにかく落ち着け、な、萌〜・・・話を・・・」
「聞く耳持ちません! お兄様を殺して私も死にます!!」
もはやこれ以上は何も語るまい。
蒼司はさやかを連れてただひたすらに逃げるしかなかった。
町内に逃げ場なしと悟り、電車に乗って町を出たのである。
それから数百キロは旅をしただろう。
既にさやかは生まれてはじめてみる外界に心奪われ、完全に旅行気分だった。
都会に行きたいと言っては東京を目指し、雪が見たいと言って北上を続け、今にいたると。
「次は宇宙が見たいとか言い出したりしないだろうな・・・」
「そういえば蒼司君、人間がお月さまに行けるってホント?」
「・・・・・」
もほや何も考えまい。
蒼司はそう誓った。
何か心惹かれるものがあると言ってさやかはとある町で電車を降りた。
車内から見た限りでは、都会というわけでもないが、決して小さい町でもなかった。
「おっきな町だね〜」
が、超が三つくらい付くド田舎で生まれ育ったさやかにとってはこの程度でも充分に大きな町だった。
「ま、東京ほどじゃないけどね」
「そうですね」
もう蒼司は同意するしかなかった。
今の彼女に何を言っても無駄だった。
するに任せるしかない。
「さーさー、雪っていうのが本当に冷たいのか確かめに行くよ〜」
「そうですね」
雪は冷たい。
当たり前の一般常識であるが、さやかにとっては他人や本、テレビなどで得た知識でしかない。
実際に自分の目で見、手で触れなければ納得しない。
さやかはそういう性格だった。
単なる好奇心の塊とも言う。
「いざっ、ごたいめーん!」
意気揚々とさやかは外へ繋がる扉を開け放ち、
「・・・・・」
すぐに閉めた。
「さ・・・」
「さ?」
「さむいよ〜! 蒼司君〜」
「・・・そりゃあ、雪が降ってますからね・・・」
白河さやかの学校の成績は悪い。
もうこれでもかってくらい悪い。
何しろ一つ年下の蒼司に家庭教師を依頼するくらいである。
だが、さやかは決して頭の悪い人間ではなかった。
論理的思考の出来る人間である。
雪は冷たい→雪が降っている→寒い
ということを考えることは出来る。
出来るのだが、同時に直情傾向もある彼女は、猪突猛進で考えるより先に動くタイプでもある。
外が寒いとか考えるより前に、雪が珍しいという好奇心が先立つのだ。
だから雪が降る外へと突撃していき、身をもってその寒さをしることになる。
「ど、どどどどどうしよ〜、蒼司君〜。わたしこんなに寒いのはじめてだよ」
「そうでしょうね。僕もはじめてですから」
二人の出身地は一年中雪とは縁のない地方にある。
夏はとにかく暑く、冬でもそれほど寒くはならない。
そんな彼らに、北国の寒さは堪える。
「そうだ! 確か大昔の誰かが、心頭滅却すれば焼け石の上に桃栗三年とかなんとか言ってなかったっけ?」
「かなり間違っていますし、しかもそれじゃ何のことだかさっぱりわかりませんよ」
「あれ? そうだっけ」
「はぁ、ちなみに正しくは、心頭滅却すれば火もまた涼しで、確かあるお坊さんが寺を焼かれてその中で死ぬ間際に言ったという台詞です。あとは焼け石に水、石の上にも三年、桃栗三年柿八年と全部違うことわざで、どれも今のこの状況で使うには適切じゃありません」
「はやや〜、一つ、ううん四つ勉強になったよ。一石二鳥どころか、一石四鳥だね」
激しく違っている気がしたが、これ以上は何も言うまいと思う蒼司であった。
「とりあえず、駅のショッピングセンターと中で繋がってるみたいですから、コートでも買っていきましょう」
「うん、おっかいもの〜」
ショッピングセンターでコートを買い、ついでに軽い食事も取った二人は、今度こそ雪の降る外へと出た。
「う〜、やっぱり寒いね。でも、こういうのって新鮮だね〜」
「そうですね。常盤はひたすら暑いですからね」
空から降る冷たい氷の結晶も、肌にぴりぴりくる寒さも、踏みしめる雪の絨毯の感触も、全て生まれ育った常盤村では味わえないものだった。
新たなものとの触れあいに、さやかはいつにもましてはしゃいでいる。
「あははっ、ほらほら蒼司君! 雪、雪、ゆき〜」
手袋をはめた手で足元の雪を掬っては放り投げたりしている。
ここでもさやかは子供である。
「・・・あれ?」
ふと、そのさやかの動きが止まる。
その視線が向いている先を追って蒼司が見た先には、ベンチに座る同い年くらいの少年がいた。
「・・・どうしました?」
「あの人、さっきもあそこにいたよ」
「さっきって?」
「ほら、一度外に出ようとした時」
「よく憶えてますね」
「ちょっと知り合いに似てる雰囲気があったから、印象深かったんだよ」
「知り合いって、誰です?」
「えーとね、前に車庫を売ってた小夜ちゃんの彼氏とか、蒼司君のお隣りさんの彼氏とか、あと稲葉さんちのお坊ちゃんとか、あ、蒼司君にもちょっと似てるかも」
全員なんとなく誰のことだは想像がついた。
が、車庫を売っていたというのはどういうことか非常に気になった。
しかし、さやかのことだからガレージセールという言葉をはき違えた可能性は充分すぎるほどにあった。
「どんなところがです?」
「なんていうか、こう、女難の相が出てるみたいな?」
「・・・・・」
少なくとも自分に関して言えば当たっている。
さらに他の三人にしてもそうだろう。
「なんかおもしろそう♪ 蒼司君、隠れて見てようよ」
「やめましょうよ。そういう不毛なことは」
「いいからいいから。ほらほら」
さやかは強引に蒼司の袖を引っ張って近くの茂みに引き込む。
そこから少しだけ顔を出して例の少年の方を窺う。
枝を二本折って頭の上に添えている辺りが実にさやからしい。
「あ、誰か来た」
待つこと一時間。
ようやくベンチに腰掛けている少年のもとに駆け寄る人影があった。
蒼司達と同年代、少し下くらいの少女だ。
「かわいい子だね〜」
「そうですね」
「雪、積もってるよ?」
「そりゃ、二時間も待ってるからな」
「うわぁ、あの人私達よりさらに一時間も前から待ってたんだ。こんなに寒いのに、私なんて一時間が限界だよ〜」
「・・・・・・」
そう言いながら四本目の空になったコーヒーの缶を下に置く。
当然のことながら、十五分置きに蒼司が近くの自販機から買ってきたものである。
これがなければ一時間どころか二十分も保たなかったであろう。
ついでにどうでもいいことだが、今ベンチのところにいる少女は、同じ自販機で缶コーヒーを買っていた。
「七年ぶりの再会がコーヒー一本か」
「七年・・・もうそんなになるんだね」
「幼馴染の再会かな? ロマンチックだね〜」
「そうですね」
そうしてさやかは、七年ぶりの再会を果たしたらしいカップルが駅前から去っていくのを見届けて、ようやく茂みから出てきた。
「いや〜、寒かったけど、いいものが見れたよ」
「そうですね」
「やっぱり旅はおもしろいね。次はどこに行こうか♪」
「・・・・・・」
プルルルルル
その時、蒼司の携帯が鳴る。
また寒くなったのか、今度は自分で飲み物を買いに行くさやかのあとを追いながら、蒼司は電話に出る。
「もしもし?」
『あ、蒼司さん? 私、小夜』
「ああ、小夜さんでしたか」
水瀬小夜。
昔事故で、六年間病院のベッドで寝続けていたが、少し前に目が覚め、目下諸々の事情によりさやかの家に居候中の少女である。
突然村を出ることになった蒼司達は、せめて彼女とは連絡を取ろうと思って携帯を途中で買ったのだ。
そして、時々こうして連絡を取り合っている。
『そのさん付けと敬語やめてってば、こそばゆいから』
その彼女、六年も眠っていたせいで精神的には十四歳のままだった。
だから、蒼司より二つも年上でありながら、敬語などを使われるのを嫌う。
「すみません、癖ですから」
だが蒼司も、誰に対しても必要以上に丁寧で敬語を使う性分は治らない。
『ま、いいや。んで、お宅の大魔王だけど・・・』
「どうです?」
『やっと少し落ち着いたかな。とりあえず今なら、往復ビンタ百発くらいで
治まりそうな感じ』
刺されることに比べれば遥かにマシだが、まだまだ怒り
は治まらないと見える。
『そっちはどう?』
「どうも、旅の味を占めてしまったようでして・・・」
さやかは当分帰るつもりはなさそうである。
というか、帰るとという概念そのものが消滅しているようにさえ思えた。
ちなみに彼女は既に三年で、夏後半から秋にかけて修羅場を潜り抜けたお陰でなんとか卒業の見込みも立ち、受験もしないつもりなのでもうそれほど学校に重要性はない、と言えないこともない。
だが蒼司は一つ年下の二年である。
「・・・進級できるかな?」
『ま、高校出なくても人間生きていけるって』
経験者は語る。
義務教育すら終えていない小夜だが、現在はちょっとした因縁のある彼氏と同じ大学へ進むべく、超猛勉強中だった。
望みは・・・・・・とりあえず、絶望だけは回避できているかもしれない、というレベルである。
「それじゃあ、まぁ、そういうことで・・・またかけます」
『オッケー、がんばってねー』
「そちらこそ」
ピッ
電話を切る。
「小夜ちゃん?」
「ええ」
「何だって?」
「特に、変わりなしみたいです」
「そっか。留守預けちゃって、ちょっと心苦しいよね。でも、私達いなければ家で彼氏と仲良くできるもんね♪」
どうやら、さやかに帰るつもりはさらさらなさそうである。
ガコンッ
飲み終わったコーヒー缶を、さやかはくずかごに投げ入れる。
「よし! この町では色々と不思議発見ができると見た! さっそく探検に行こう、蒼司君!」
「はぁ・・・・・・そうですね」
このおてんこ少女には逆らえない。
けれど蒼司は、こうして振り回される日々が嫌いではなかった。
白河さやか。
おてんこで、明るくて、聡明で、綺麗で、強くて、でも時に弱くて、儚げで、愛しくて・・・。
蒼司は、そんな彼女が好きであった。
「行こっ、蒼司君♪」
「・・・ええ」
だから振り回されよう、このおてんこな女神に。
あとがき
短編集第四弾。以前とあるサイトに寄贈したものなので、やはりそれなりに古い作品である。旧デモン時代、中期頃に書いたもののはずだ。長編ファンタジー、デモンシリーズでおなじみ、我が“黒髪のヴィーナス”トリオの一人「水夏」の白河さやかが主役のお話。ちなみにヴィーナス残り二人は、「水月」の牧野那波、「最終試験くじら」の名雲紗絵である。ゲームでお気に入りの女の子は数多くいれど、私が最も好む容姿たる長い黒髪に、ちょっとミステリアスで、お嬢様っぽい雰囲気を持っていることが“黒髪のヴィーナス”の条件だ。他にも白い髪で儚げな雰囲気(イリヤ、カレン)とか、大人びたロリータ(さくら、イリヤ)とか色々好みはあるわけだが、やはり一番は長い黒髪のお嬢様であろう。
微妙にKanonとクロスしてるっぽい話で、元々は水夏と複数作品のクロスで、さやかと蒼司があちこちの町で様々な出会いを体験するほのぼの短編連作として考えていたものなのだけど、構想段階で途切れ、単発ものとして書いた話である。ゆえに、何となく続きそうな雰囲気を見せつつ続く予定はない。