「はぁ、はぁ・・・」

海に面した小さな町を走る少女が一人。
長い髪を左右の高い位置で結んだ、背の低い、勝気そうな少女だ。

キーンコーンカーンコーン

「にょわっ、やばい!入学式からいきなり遅刻するー!」

向かっている先の学校のチャイムを聞いて、少女はさらにスピードを上げる。

「あそこを曲がれば、学校はすぐっ!」

勢いそのままに角に差し掛かる。

どかっ!

「うにゅごっ!」
「おわっ!」

何かのお約束のように角から出てきた人物とぶつかる。
ぶつかった相手は、背の高い、黒いTシャツの男だった。

「おい、だいじょう・・・」
「気を付けろっ、ばかー」

自分の非は棚に上げて少女が怒鳴る。

「にょわわっ、こんな事してる場合じゃなかったー!」

そして少女は再び走り出す。

「・・・あいつ・・・」

一人取り残された男は、走り去っていった少女を見ながら呟いた。

「みちる?」







 

すたーとっ!









学校に着いたとき、既に入学式は始まっていた。
みちるはこっそりと人の中に紛れ込む。こういう時は背が低いと便利だ。

・・・・・

退屈な入学式が終わった。
どうせばれないならもっと遅れてもよかった、などと思いながらみちるはクラス分けをチェックし、教室へ向かった。

「一年A組、ここだ」

教室はすぐに見付かり、みちるは中に入った。
既に何人かが来ていて、それぞれ知り合いのグループで固まって座っているようだ。
みちるは数人の知り合いと挨拶を交わしてから、教卓の真ん前の席に座った。

「ちるちる、よくそんなとこに自分から座るわね」

仲のよい友達がそんな事を言いながら隣りに座る。

「んに?」
「先生の目の前じゃない」
「ちょっとね」

みちるはそれ以上は何も言わなかった。
やがて生徒が全員揃うと、担任らしき足音が聞こえてきた。
足音は扉の前で止まる。

こんこん

「・・・・・」

ノック?
クラス中がシーンとなる。
自分の教室に入るのにノックをする担任など聞いた事がない。

こんこん

再びノックがされる。

「ど、どうぞ・・・」

扉の近くに座っていた生徒が戸惑いながら返事をする。

ガラガラッ

扉が開く。
入ってきた人物を見て、クラスの男子が小さな歎声を上げる。
その人物は、簡単に形容するなら、大人しそうな雰囲気の、背の高い美人教師。しかも若い。
先ほどの妙な現象を忘れるくらい衝撃的なほどの美しさだった。
その女教師は、無言のままてこてこと教卓まで歩いていく。
出席簿を教卓の上に置くと、担任はおもむろに教室を見渡す。
それから口をひらく。
男子生徒たちが期待するその担任の第一声は・・・。

・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

「・・・ちわっす」
「・・・・・」

一瞬すべてが白くなったような感覚に全員が襲われた。
ただ一人を除いては。

「ちわーっす!」

最前列に座るみちるの大声で他の生徒たちも現実に引き戻される。
担任もみちるの方を見る。

「やっほー、美凪ぃ!」
「みちる、学校では先生」
「はーいっ、美凪先生!」

自然なやり取りをする美凪先生とみちる。

「ち、ちわーす・・・」

つられて他の生徒もばらばらと挨拶をする。

「・・・よい挨拶」

満足そうだった。

「ちるちる、あんたあの先生と知り合い?」
「んに?美凪はね、みちるの姉さんだよ」
「あ、そう・・・」

なんとなく納得。
形は違えど、周囲に多大な影響力を持つ点ではよく似た姉妹だと思った。
再び教室がシーンとなる。
担任の美凪が何かを考えている。
故に生徒たちもその何かを待っている。
何を待てばいいのかはわからない。

・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

「あっ」

これか?
美凪は何かを思いついたらしい。
くるっと生徒たちに背中を向けて首を振る。
そして目的のだった物らしいチョークを手に取る。

「じゃん」

一度振り返ってそれを見せる。

「・・・チョーク発見。ぱちぱちぱち」

口で拍手の音を表す。
それから黒板に向かう。
丁寧な字で四つの漢字を書く。
終わるとまた生徒のほうを向く。

「・・・先生は、遠野美凪と申します。みなさんと同じ新入生です」
「・・・・・」

時間が止まる。

「・・・なんちゃって、それはうそ」

まったく表情を変えずに美凪が否定する。

「本当は、新米教師です。今日が初仕事。ぱちぱちぱち」

また口だけで拍手する。

「担当は物理です。ちなみに、ここの卒業生です」

もう一度美凪はクラスを見まわす。

「・・・なにぶん新米ですので、よろしくご指導お願い申し上げます」
「・・・・・」

もう何がなんだか。
指導する立場にある人間が指導をお願いしている。しかも生徒に対してやたら丁寧に話す。

「・・・えっと、何か先生に質問はございますでしょうか?」

そう言われたものの、度重なるダメージで言葉を発するものは少なかった。
それでも一人の男子が、男子生徒の代表として聞くべき事を聞いた。

「先生。先生には、恋人はいますか?」

ほとんどの男子がそのことを聞きたがっていた。
それに対する美凪の答えは・・・。

「・・・ぽっ」

赤くなった。

「い、いるんですか?」
「・・・ぽっ」

ガーンッ
一部の男子はこの世の終わりのように沈み込んだ。

「・・・恋人はいませんが・・・」

その言葉に再び希望を持った者もいたが・・・。

「待ち人がいます」

頬を赤く染めて言う美凪に、男子たちは撃沈させられた。
そんな男たちを、一部の女子は冷たい目で見ている。

「・・・ほかに質問がなければ・・・、えっと・・・。・・・みなさんの自己紹介を・・・」
「はーいっ、いっちばーん!」

手を高く上げたのはみちるだった。

「では、どうぞ」

美凪が促すと、みちるはくるりとクラスメートたちの方へ振り向くと・・・。

「みちるは、遠野みちるっていうんだぞ。よっろしくー!」

元気一杯に言った。



ホームルームのみを終えると、美凪が職員室によってから、みちると待ち合わせをしている校門へ向かった。
そこで・・・。

「よう」
「あっ・・・」

背の高い男に出会う。

「・・・校内に不法侵入者発見」
「おいおい、そりゃあないだろ」
「・・・ニセモノ?」
「なんでやねんっ!」

びしっ

「あっ、切れ味抜群。本物でしたとさ」
「ふぅ、変わらないな、お前は」
「・・・あなたも、相変わらず貧乏そうです」
「手厳しい指摘だな。しかし当っているのも事実だ」

男は苦い顔をする。美凪は変わらず無表情。
感情を読み取りにくい二人だが、今こうしている間、二人は嬉しい気持ちを共有しているのだった。

「そういえば今朝・・・」

ドゴッ!

「ぐはっ」
「美凪に手を出す不埒な男は、みちるがゆるさないぞー」
「くっ、“不埒”を漢字で使うとは、あの頃より成長しているな。しかし、それならなぜ“許さない”はひらがななんだ?」

うずくまる男はどうでもいいことを口にする。

「にょわっ、おまえは!今朝ぶつかってきた奴」

ぽかっ!

「にょごりゃあ」
「ぶつかってきたのはお前だろうが」
「んにゅう、美凪、このおっさん誰?」
「誰がおっさんだ!」

ぐりぐり

「にょわわぁ〜」

男はみちるの頭を両拳ではさんでぐりぐりする。
一方美凪は、まったく平常のままでいる。

「この人は・・・」

一瞬つまる。
何かこみ上げてくるものをこらえるような美凪を、みちるは不思議そうに見る。

「・・・冥王星からやってきた宇宙人のヘンタイ誘拐魔です」
「なんでやねんっ!なんでやねんっ!」

びしびしっ

男はおもわず裏拳の突っ込みを連発する。

「にょわわ、ヘンタイ誘拐魔の宇宙人だったのかっ!」
「違うっちゅうにっ!」
「・・・本当は、旅人の国崎往人さんです」
「最初からそう紹介しろ」
「旅人?国崎往人?」

みちるは往人の顔をまじまじと見る。

「どうした?」
「なんか、国崎往人って、どっかで会った気がする」
「ほう奇遇だな。実は俺もお前によく似たガキを知っている。非常に生意気で不器用な人外魔境で、すぐ人に蹴りを入れる迷惑な奴だった」
「そんな奴と一緒にするなー!」

どかっ!

「ぐはっ」
「ふんっ」
「そのまんまじゃねえか」
「うるさーい!」

どびしどびしっ

「うおうおっ」

うずくまりながら毒づく往人にさらにチョップによる追い討ちをかけるみちる。

「まったく、せっかく今日からたのしい高校生活が始まるって言うのに、変な奴に会っちゃってさいさき悪いや」

そっぽを向いてみちるは往人から離れていく。

「高校か・・・」

立ち上がった往人の傍らに美凪が移動する。

「もうそんなになるんだな」
「・・・はい」
「ボキャブラリーも増えて、成長してやがる」

今ここにいる彼女は、あの時共に過ごした彼女ではない。
しかし、そんな事はどうでもよかった。
みちるはここにいる。

「・・・国崎さん」
「なんだ、遠野」
「・・・見付かったんですか?」
「・・・ああ」
「・・・では・・・」
「旅にも疲れたからな。ここいらで腰を落ち着けようかと思ってる」
「・・・旅人改め、無宿人国崎往人さん」
「そうだな。世話してくれる奴がいると嬉しいんだが」
「あの駅は、今も空いてますから」
「そうか」
「・・・あの子と、今もときどき遊んでいます」

往人と美凪はみちるの方を見る。

「さっきあいつ、高校生活が始まるっていってたよな」
「はい」
「俺たちも、新しい人生の始まりになるかな」
「・・・そうですね、それでは・・・・・みちる」
「んに?なに美凪?」
「新しい始まりのお祝いをしましょう」
「うん、いいよ」
「国崎さんも一緒に」
「ええ〜」
「嫌そうだな」
「んにゅう〜、しょうがないなぁ。手、出して」
「こうか?」

往人が右手を差し出す。その上に美凪が手を重ねる。
最後にみちるが一番上に手を乗せる。

「んじゃ・・・」
「三人の・・・」
「新しい生活を・・・」

みちるは一度重ねた手を下に向けて強く押してから、大きく上に振り上げた。

「すたーとっ!」

















あとがき
 ん〜〜〜・・・・・・我ながら懐かしい・・・。短編集第一弾としてお送りするのは、私平安京の、SSデビュー作である。ほんとのほんとに一番最初に書いたやつ。んむ、懐かしい 、初々しい。少し前に短編は書かないのか、という質問を受けて、じゃ少し書いてみるか、と思い立ってできた短編集、まずは新作を書く前に過去作品の中からいくつか選び出して再公開することにした。ならばこれは外せまい。 短編らしくテーマは単純明快、「AIR」遠野美凪エンド数年後の再会である。SS作家らしき存在、平安京の原点がここにある・・・かもしれない?