紫苑外伝

 

紫苑とすみれ
〜The Story of Shion&Sumire〜 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ている。

あまり思い出したいとは思わない夢。

でも、忘れる事はないだろう出来事の記憶。

そう、真っ赤に染まった日。

はじめて血に塗れた時。

 

 

 

 

 

 

 

右手の先で蠢くものがあった。
そこから腕を伝わって赤い液体が流れてくる。
今更体につこうが構いやしない。どうせもう、全身赤く染まっているのだから。
自分の血ではない。
あたしが貫いているものから噴出した血だ。
ぼんやりとした思考の中で、自分の瞳の色とどっちがより赤いだろうなと考えていた気がする。
何にしてもどうでもいい事だ。

やがて右手に掴むものは蠢くのを止め、流れ落ちる血も止まると、あたしはゆっくりと手を引き戻す。
呆気ないほど簡単に、それは仰向けに倒れた。

白い肌も、髪も、着物も、全て血に染まっている。
けれど、そこにほとんどあたし自身の血は混じっていない。
全ては目の前で倒れている存在の血のみ。
唯一、最後に傷付けられた頬の傷を除いては。

東雲本家を騒がせた怪物は、他愛ないほど簡単にあたしの前に平伏した。
何の感慨も涌く事はない。
ただ、全身を血に染めた事と、遠くからあたしを見詰める二つの瞳の輝きだけが印象に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意識が覚醒する。
ここは電車の中。
少し寝ている間に夢を見ていたらしい。
何の夢かは思い返す気にならない。
はっきりあの時の記憶だとわかるから。
ふと外の景色に目をやると、もう降りる場所が近かった。

 

 

 

 

 

中部地方の大きな街、そこから私鉄で田舎へ二十分。
降りた駅から歩いて十分ほどで東雲家の敷地に入る。
さらに徒歩なら二三時間、車でさえ一時間山中に入っていった先。

そこに東雲本家はある。

厳島大社の大鳥居にも匹敵する東雲神宮宗家のシンボルたる表鳥居を潜りると、スポーツの試合が二つくらい同時に出来そうな広い場所が拡がる。普段は閑散としているその場所が、今は半分以上が車で埋め尽くされていた。
よくもこれだけの数が集まってくるものだわ。

左右に広がる前庭の景色を眺める事も出来ない、うっとうしい圧迫感を示す車の群れをわずらわしく思いながら屋敷を目指す。辿り着いたこの屋敷がまた無意味に大きい。まるで城かと思わせるほどの洋館。
象でも通れそうな正面扉をゆっくりと開く。

ガチャ・・・ギィィィ・・・

「・・・・・」

入った途端に嫌な気配が溢れる。
表に止めてあるうっとうしい車の持ち主達が玄関広場のそこかしこに屯していた。
あたしが中に入ると、ざわざわとどよめき始める。
向けられてくるあらゆる視線がうざったい。
それらを無視して先へ進もうとするあたしの前に、一人の男が立つ。

東雲宗一郎。
実質上、現在の東雲家全体を取り仕切っている男。

「お待ちしておりました、紫苑さん」

「・・・・・」

宗一郎が礼をすると、思い出したように他の連中も頭を下げ、それぞれに挨拶の言葉を発する。

「これは紫苑様、しばらく見ないうちにお美ししくなられて」

「よくお戻りくださいました、私を憶えておられますか」

「新しい当主様のご到着ですなぁ」

そこに一辺だって誠意なんてものはない。
ご宗家が倒れたというのに、それを心配する声さえありはしない。
こいつらの望みはただ一つ、相続される財産。

「・・・・・」

居心地悪い事この上ない。
こんな場所はさっさと後にするに限る。
あたしは挨拶してくる相手に一切返す事なく屋敷の奥へ向かう。

 

 

 

洋館を通り抜けて、前庭よりさらに広い裏庭を抜けていくと、また一つ鳥居と、長い階段が現れる。
この先こそが東雲の本当の中心地、東雲神社のある場所。
ここの鳥居から先には、一部のもの以外入る事は許されない神域。
そんな場所へあたしは入っていく。

 

 

しゃっ・・・しゃっ・・・

心地のいい音が響いてくる。
誰かが境内を掃いているらしい。

「・・・・・すみれ・・・」

「あ、紫苑様」

階段を上りきると、そこには巫女服に身を包んだすみれが箒を手に立っていた。
髪を結んでいるのも、いつものリボンではなく、紙縒りだった。

「・・・何?その格好」

「何って、巫女服ですよ。境内にいる間は、やっぱこれが基本でしょう」

「・・・そう?」

別にそんな決まりはない。
現にあたしは普段着のまま。

だけど・・・。

「・・・・・ふぅ」

「どうされました?」

首を傾げて問い掛けてくるすみれ。
けれどその顔は、全てわかった上で尋ねているもの。
見ていて、やっとこの場所に来て安心出来る。

本家で唯一心から気を許せる相手。
いや、この世でたった一人、全てを分かち合える存在。

主従としてではなく、最高の親友として・・・。

「・・・ただいま、すみれ」

「・・・おかえり、紫苑」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿の横にある本屋敷。
こちらは表の洋館ほど馬鹿みたいに大きくない。
と言っても境内自体が広いので自然大きくなってしまうが。
その一室で、あたしは碁盤の前に座っている。

「・・・元気ですね」

「当然じゃ。元気も元気、大元気じゃ」

対面には布団の上に座っている祖父、東雲家現当主の東雲時貞。
世界規模の勢力まで持っている大富豪東雲家の当主にあたしが抱いている印象は、ただの囲碁好きの年寄り。
表に出ている時は威厳を持っているが、あたしと接するのはもっぱら表の人間のやってこないこの屋敷内だから、あたしには素顔の祖父の方が馴染み深い。

パチッ

パチッ

ちなみに、あたしが碁を覚えたのは祖父の相手をさせられていたから。
互いにやっているうちに二人とも随分強くなったと思う。

パチッ

「ほほう、そう来るか」

もう九十を超えるって言うのに、少しも老いを感じさせない人だわ。
けど・・・。

「・・・・・」

あたしじゃなくても、もう誰でも、命の火が消えかかっているのは一目瞭然だった。
部屋に入った瞬間、生きている間に会うとしたらぎりぎりだったと悟った。
そんな状態だったというのに、あたしが来るなり碁盤を引き寄せて勝負を持ちかけてきた。
最後まで元気な姿で往生するらしいから、実に祖父らしい。
そう言えば、どこか彼に似ているところがなくもない気がする。
頑固で意地っ張りな辺りが。

パチッ

「・・・・・ぁ」

「トチったの、紫苑」

「・・・・・」

少し集中が足りないみたいね。

「・・・ふぅ・・・」

お祖父様は見ているだけで苦しそうだとわかる。
けど、何も言う事はない。
祖父も、あたしも。

どうせ何をしてももう助かる事はない。
なら、最後にしたがっている勝負を終える事の方が祖父にとっては大事なのだろう。
それがわかるからあたしも最後まで付き合う。
長く考える余裕もなくなっていくから、二人とも打つのが早くなる。

パチッ

パチッ

「ぬぅ・・・・・くふ・・・」

「・・・・・」

最後の一手が終わる。

「くくく・・・わしの一目半勝ちじゃな。これで通算100勝100敗じゃ」

とんでもなく節目のいい数字だこと。
実にこの人らしい。

「ふぅ、すっきりしたわい。後一歩で100勝じゃったのにおまえはちっとも帰ってこなかったしの」

「・・・・・」

「これでわしの歳が百じゃったらもっと節目がよかったんじゃがの。生憎と、まだ九十三じゃ」

「・・・・・」

「さて・・・わしは少し疲れたわ。寝るとするかの」

「・・・・・はい」

「それはそのまま置いておいてくれんか」

「はい」

お祖父様が横になると、あたしは布団をかけて部屋を出た。
外にはすみれが控えている。

「・・・明日の朝日は見れるかしらね?」

「わかりません・・・」

今夜が越えられればいいところ、か。

「紫苑様、少しお休みください。ご宗家は私が見ております」

「ええ。あの碁盤は、そのままでいいから」

「はい」

そこをすみれに任せて、あたしは半年振りくらいになる自分の部屋に入る。
既に布団が敷かれている辺り、すみれの心配りが窺えた。
布団の上に横になって、あたしは静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼部一族。

東雲が管理するものの一つで、鬼門を操り、その力でもってかつては繁栄した家だ。
しかし現世が鬼にとって住み辛い土地となっていくにつれて、その存在意義は薄れ、現代においては小さな家系であった。

その一族の当主が、突如鬼の力を暴走させた。

何故そうなったのかは今や真実を知る者はないだろう。
そもそも東雲にとってそんな事情はどうでもいい事だった。
要は、暴走した鬼を止める事が目的だったからだ。

だが東雲もまた、その存在意義が変わっていき、かつての様な大きな力を持ってはいなかった。
それゆえに、鬼を止める手立てがなく、白羽の矢は若干六才の少女に立てられた。

それがこのあたし、東雲紫苑。

そして東雲の総力をもっても倒せなかった鬼はあたしの手で葬られた。
この時の事が後々のあたしの立場を色々と左右したという話だけれど、あたし自身はそんな事はどうでもよかった。
あたしはただ、虚無の中にいたから。

 

それからは事ある毎に東雲はあたしの力を使ってきた。
結果として事が早く片付く事と、あたしの力を恐れるがゆえに或いはその中で始末出来ないかという思いがあったのか。
けれどあたしは死ぬことはなく、逆にそうした戦いの中でどんどん力を強くしていく。
最初の鬼以降、人間を相手にする事はなかったけど。
昔に比べれば大幅に数を減らした異形のもの。
この世ならざるものとは言え、生あるものを闇の中で葬ってきた。

そんな血に染まった、あたしの過去・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また目が覚める感覚。
引き寄せられる感じで夢から覚めて半身を起こすのと、部屋の外にすみれの気配を感じたのはほぼ同時だった。

「・・・紫苑様」

「今行くわ」

服の乱れを軽く直すと、あたしは部屋を出る。
もうすぐ夜が明けそうな、それくらいの時間。

「・・・・・」

静かに横たわる祖父の顔は、もう生者のものではないように見えた。

「・・・紫苑か」

「はい」

「・・・もし、望まぬのであれば、東雲を継ぐ必要はないぞ」

「・・・いいえ、これは、私が自分で決めた事です」

「そうか・・・」

言葉が途切れる。
しばらくして、またお祖父様が口を開く。

「・・・好きにするといい」

「はい」

「朱鷺と綾香は元気か?」

「元気ですよ、とても」

あたし達の両親を本家から遠ざけたのはこの人だ。
それが今の朱鷺と綾香の立場を作っているとも言える。
けれど祖父は、あたし達の母である末娘を、朱鷺や綾香を、ずっと愛していた。

「・・・おまえも含めて、皆幸せにな」

「・・・・・はい」

「・・・・・」

「・・・・・」

それっきり、もう口を聞く事はなかく、祖父は静かに息を引き取った。
日の出の時間と、ほぼ一緒だったらしい。
戦前、そして戦後の日本で、東雲家に莫大な富をもたらした人。まるで昇る太陽の様な人。最期の時も朝日と共に、か。

あたしの祖父、東雲時貞は亡くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立場上、葬儀の喪主というものをやる必要がある。
気が遠くなるほどの人数と顔を突き合せる形になって、半分以上は記憶していない。
憶えておく必要性がないから。

 

お祖父様が亡くなった事を伝えた直後から相続の話を始めた連中はすみれと宗一郎に怒鳴られて引っ込み、一週間は葬儀に関する事に没頭して過ぎ去った。

けれど、それが終われば否が応にも相続問題の話にはならざるを得ない。

「・・・それで?」

「ですから、ぎゃーぎゃー言ってくる前に先手を打って全部終わらせてしまうんですよ」

いい加減疲れてきたあたしを連れてすみれは屋敷の書斎にやってくる。

「事前に皆様方のお望みは聞いて、全部文書にして整理してありますから。紫苑様のサインをいただければ、万事終了です」

判はないのかと考えて、祖父はそういうのは嫌いだったと思い出す。
手書きで何枚も書くのかと思うとさすがのあたしもうんざりする。
そもそもサインなんて生まれてこの方したことないわ。

「大丈夫です。私が紫苑様にふさわしいサインを用意させていただきました。じゃーん」

そう言ってすみれは線がくねくね踊っている紙を渡してきた。
よく見ると、旧字体を極限まで崩した様な形ながら、あたしの名前だとわかる。

「・・・これを書けって言うの?」

「はい♪」

「・・・・・」

このメイドもどうでもいい事に労力を費やす事だわ。

一体何人住めるのか見当もつかない屋敷を延々歩いてようやく書斎に到着する。

「さあさあ紫苑様!嫌な事はさっさと終わらせちゃいましょう」

「・・・その意見には賛成ね」

こんな息苦しい家からはとっととおさらばしたい。
あたしはそう思いながら書斎の扉を開ける。

ガチャ

バサバサバサバサッ・・・

「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・なんとなく予感はしてたけど、お約束過ぎると思わない?」

「そうですね〜」

こいつは間違いなく確信犯ね。
場を和ましてるつもりなんだろうけど。

足元に流れ出てきた無数の書類を眺めながら、一体どこら辺りが整理されているのだろうと思う。
ふとそんな山の中から一枚の文書を手にする。

「車、メイド服、その他諸々の修理費、クリーニング代などなどの請求書・・・・・高梨すみれ・・・・・・・・・・・すみれ」

「あははは・・・経費で降りないかな〜とか思って」

車の修理代とは先日の分だろう。
他にも何かと派手にやった時にかかった金額が八桁単位で請求されている。

「・・・こういうものはこんなところに紛れ込ませてないで堂々と請求しなさい。どうせ金なんて余りまくってるんだから」

「はい、わかりました。では・・・」

そう言ってすみれは十数枚はあろう書類を手渡してくる。
掃除中に壊した壺やら、取引先とのトラブル関係の支出やら、とにかくすみれが原因での出費に関する請求書がどっさり。
金額が億に上っている辺りと、それすら些細な出費でしかない東雲という家に呆れかえる。

「・・・とりあえず、この部屋に足の踏み場はあるの?」

「あ、今お作りしますね♪」

るんるんと鼻歌を歌いながら書類を掻き集めて道を作っていくすみれ。
五分ほどで机までの道が開けた。部屋の半分は白に染まっている。

「・・・はぁ・・・さっさと始めるか」

「はいっ。がんばりましょう♪」

それから三日三晩、缶詰になって紙と向き合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また夢。

ぼやけている意識の中で、考える事がある。
あたしの今までの人生に大きく影響を与えた人物がいるとしたら、二人いると思う。
今見ている夢は、多分その一人目と出逢った時のもの。

「あんたが東雲紫苑?」

「・・・・・?」

彼女は川原を散歩していた時に突然現れた。

「ふ〜ん、噂と随分雰囲気が違うわね。本当にそんなに強いの?」

たぶん同い年か、もしかしたら一つ二つ上くらいか、そう思った。

「見せてもらうわよ、あんたの力!」

そう言っていきなり勝負を挑んできた少女。
それが高梨すみれとの出会い。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「・・・・・」

「・・・・・」

浅瀬に体を浸して仰向けになったいる少女と、その上にいるあたし。
十数分の勝負は、あたしの勝利で終わった。

「・・・ほんとに強いんだ」

「・・・・・」

しきりに感心していた。
何がそんなにおもしろいのか、彼女が笑っていたのが不思議に感じていた。

「私、高梨すみれ。東雲“影”の人間よ」

東雲“影”。
その名の通り、表には出ない、裏の仕事を片付ける者達の集まり。
先の鬼騒ぎでも動いていたのは彼らだ。
だがその時には彼女の姿を見ていない。

「まだ子供だからって、任務からは外されてたのよね。あんたより二個年上なのに」

むしろそんなに離れている事の方を意外に感じていた。
あたしが標準より少し大人びていた事と、彼女が標準より少し子供っぽかったのが原因じゃないかと、本人は後で言っている。

「私より強い人にはじめて会ったわ。これからよろしくね、紫苑」

 

それ以来、すみれという少女は何かとあたしの前に現れる様になる。
別に悪い気もしないので、彼女が来て色々話していくのを聞いている、そんな関係がいつしか当たり前になっていった。
その関係に変化が起きたのは、少し変な状況で会った時だ。

二人とも“仕事”の後で、最初に会った川に血を洗い流しに来ていた。

「ねえ、紫苑。こんな事してて楽しい?」

「・・・・・」

「まぁ、私はいいけどさ、あんたは東雲の当主になる人間でしょ。こんな事する意味ないんじゃないかな」

「・・・・・別にどうでもいいわ」

「どうでもいい、ね。私にはあんたが望んでこんな事してるとは思えないわね。特に、あの鬼部の一件」

「・・・・・」

「相手はもう人には戻り得ない化け物だった。けど元は人間だったもの。あんたはそれを殺した事を今でも引きずってるんじゃ・・・」

「いい思い出じゃないのは確かよ。でも、あたしは自分のした事を否定はしない」

「・・・紫苑?」

「ありがとう、すみれ」

「?」

思えばこの時、はじめてあたしの方から彼女に話し掛けたのだった。

「あなたのお陰で決心がついたわ」

「何の?」

「東雲の名を継ぐ」

それまでは、ただ流れの中でそうなるであろうとしか思っていなかった事。
たぶんあたし自身、それまでは逃げていた部分もあったのかもしれない。
子供だったのだから仕方ないと言えばそれまでとも言える。

けれど、あたしはあの鬼部の人を殺した。
責任を感じたりはしないけど、その事実を受け止めはする。
そして東雲当主となるものの宿命を受け入れる覚悟が出来た。
それと向き合わせてくれたすみれに、礼を言った。

「そっか・・・」

「・・・・・」

「よし!私も決めたわ!」

「?」

「私、“影”やめるわ。んで、あんたの側近になる」

「??」

「当主になると何かと大変でしょ。気の許せる側近って必要でしょ。うん、そうに違いないわ。よーし決めた決めた。高梨すみれは、東雲紫苑に絶対の忠誠を誓う」

「・・・・・」

何が彼女をそんな事に掻き立てたのか、今もってよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・ふぁ・・・」

机に突っ伏して寝ていたらしい。
三日三晩だから仕方ない。
周りを見回すと、ようやく書類の山の九割が消えていた。
最後にやった分もすみれが持っていったのだろう。

ガチャ

「あ、紫苑様、おはようございまーす!」

「・・・・・ぁ」

少しデジャブを感じた。
あれは、あたしが東雲の名を継ぐ決心をした日で、何故かすみれがあたしに仕えるとか言い出した日の翌日。

 

 

 

 

 

「おはようございまーす!ご主人様♪」

「・・・何?その格好」

「見たとおり、メイド服です♪」

「・・・それとその口調・・・」

「やっぱり主従の関係というものははっきりさせなくてはなりませんから。見た目は特に」

「・・・・・そう」

「でも、堅苦しくするつもりはないですよ」

「・・・・・」

「悩みがあったら、いつでも相談してください。・・・ずっと、親友のつもりだから」

「・・・・・」

「だから、よろしくおねがいします!ご主人様♪」

「・・・ま、いいけど。せめてそのご主人様はやめて」

「ん〜、じゃぁ、紫苑様」

「・・・それでいいわ」

 

 

 

 

 

 

 

「どうなさったんですか?」

「・・・・・はじめてその服であたしの前に現れた時の事思い出してたのよ」

「ああ!あの時の。ほけーっとした半ば呆れてた紫苑様のお顔、思い出してみるとかわいかったですよ〜」

「・・・そう」

こっちはあの時からすみれの勝ち誇った余裕の笑みが染み付いてるわよ。
あれにこの本家全体が今や侵食されているのよね。
でなければこんなに早く相続問題を片付けられるはずがない。

「あ〜、写真に撮っておけばよかったです。そうしたら祐一様辺りに高く売れそうでしたし・・・」

「・・・祐一」

まだ半月だけど、長い事会ってない気がする。
色々やってたから。まだ当分帰れそうにないけど、会いたいわね・・・。

「あ、今紫苑様、祐一様に会いたいな〜、とか思いましたね」

「・・・・・どうかしらね」

「私に隠し事は無駄ですよ。さあさあさあ、白状なさってください」

「・・・そんな事よりすみれ、この先の予定を書き出しておいて」

「逃げましたね」

「行きたいところもあるのよ。早くね」

「もしかして、例の・・・」

「時期が重なって、この目で見には行けなかったけど。“彼女”にはこの間世話になってるし」

「祐一様の件ですか」

「ええ」

「わかりました。時間作ってみますね」

「・・・そんなに急ぐ事もないのだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事が一段落した頃、あたしはすみれと二人で南の方にある小さな町に来ている。
ここは、一つの影の歴史が終焉を告げた場所。

「・・・・・」

山の頂上の神社へやってくると、そこで一枚の羽根を拾う。

「・・・忘れ形見かしらね」

「綺麗ですね」

それは東雲が生まれるよりも前。
今から千年も前の事。
古の翼を持った種族の最後の生き残りの物語。
当時の影の組織は、その種族の力を恐れ、空に封じてその存在を闇へ葬った。
そして千年、ようやく今その呪縛は解き放たれた。

そこにはまた、悲しい物語もあったはず。
それはあたし達には知る術はないけれど。
だけどきっと、縛から解き放たれた魂は、幸せな記憶を手にする事が出来るだろう。

最後の翼を持った人。
“彼女”が力を貸してくれなければ、あの七夕の奇跡はなかったはずだった。
だからここに来て、一言感謝の気持ちを述べたかった。

「・・・ありがとう」

その言葉と共に、あたしは手にした羽根を風に乗せて飛ばした。

「・・・・・行こうか、すみれ」

「はい、紫苑様」

「もうすぐ夏も終わりか・・・。新学期までには帰れそうにないわね」

「少し男を待たせるくらいの方がいい女ですよ」

「・・・・・そうね」

空を見上げる。
彼も、同じ空を見上げていたりするだろうか。
もう一人、あたしの人生に大きく関わった人。

「祐一」

口にしたその名も、風に乗る。

 

たくさんの事があった今年の夏が、終わりを告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あとがき

紫苑の外伝です。
どこら辺が外伝かと言うと、カノンキャラが人っ子一人出ちゃいない辺りが。
後は雰囲気でしょうか。多少本編とは違ったりもしますね。ダークな部分もあったり。
回想シーンを混ぜながらの、皆と別れた後本家に行った紫苑の話。
最初は本編に組み込むつもりだったんですけど、カノンから離れちゃうので外伝としました。
ちなみにわかる人はわかるAIR絡みの話がありますが、あくまで遊びというか、前出した時の補完です。
Kanon以外はあまり関わらないのがこのSSの特徴ですから。

紫苑第二期シリーズは、この外伝と同時間軸上の雪の街の話と、それ以降新学期のエピソードから成り立つ予定です。
つまりしばらく紫苑の出番がないのですな。代わりの新キャラも登場しますので、乞う御期待。

ではでは