何処かの聖杯戦争



   7





















   ――凪沙――



「アサシンか」

 セイバーの呟きは、そのまま私の脳裏に浮かんだものと同じだった。
 いくら目の前の敵に集中していたとはいえ、これほど接近されるまでまったく気配を感知できなかった相手となれば、それはサーヴァントの中でも強力な気配遮断能力を有するアサシンに他ならない。
 加えてあの外見。
 髑髏の仮面に黒装束。
 アサシンのサーヴァントは他と違い、ハサン・サッバーハの名で群れを成す特定の亡霊から選ばれる。彼らの一個の英霊としては存在しないが、“暗殺者”という群体として知られている。サーヴァントとして召喚されるのは、その中に無数にいるハサン・サッバーハの内の誰か、ということだ。
 英霊としての格が低いのも当たり前。
 輝かしい伝説を持つセイバーや、たぶんキャスターやランサーと比べて、彼らは歴史の影に埋もれた亡霊に過ぎない。その能力は決して高くない。
 だからちょっと意外だった。
 私のセイバーと兄のランサー、おそらく7体の内でも最も白兵戦に優れた二体の前にアサシンが堂々と姿を見せるなんて――

「そこの下衆。騎士の決闘につまらぬ邪魔をしてくれたな。了見次第ではただでは済まさんぞ」

 不意打ちを受けたことに憤るセイバーが剣の切っ先をアサシンへ向ける。
 私はと言えば、新手が現れても気になるのは兄の動向で、反対側にいる兄とランサーの方へ注意を向けていた。
 当然あっちも、今の不意打ちによるダメージは無し。
 アサシンは余裕なのか何なのか、動きのないランサーに背を向けて殺気を放っているセイバーと対峙する。

「下衆か。確かに誇り高い騎士サマから見れば、オレ如き輩はそんな風にしか映るまいな、クックック」

 肩を震わせて笑うアサシンの様子に、明らかに風格でセイバーに劣っている相手なのに不気味な感じを覚える。
 能力が低いとは言っても相手もサーヴァント。
 何か奥の手を持っているとすれば、簡単に考えていい敵ではないかもしれない。

「セイバー、油断しないで」
「油断? フッ、このようなネズミ一匹斬るのに、油断も何もありはしない」

 ダッと音を立てて地面を蹴ったセイバーが一瞬にしてアサシンに肉薄する。
 振り上げた剣は既に必殺の間合い。
 あれが振り下ろされれば、眼前にいる敵は真っ二つに両断されるだろう。
 けれど、その予測はあっさり覆った。

「クッ―――」

 仮面に隠れて見えないアサシンの顔が笑ったように見えたのは錯覚だったか。
 俊敏な動きで振り下ろされた剣をかわしたアサシンは、セイバーの横合いへと回り込む。
 いつの間に取り出したのか、手には片刃の曲刀が握られていた。
 横腹を狙って繰り出される曲刀。
 しかしセイバーは切り返した剣で容易くそれを払い除け、逆に突きを放つ。

「シャハーッ!」

 アサシンは人間離れした動きで全身を仰け反らせて突きをかわし、同時に下から相手の喉下を狙って曲刀を振り上げた。
 踏み込み切れずに足を止めたセイバーの隙をついて、アサシンが体を起こしつつ連続して斬撃を繰り出す。
 トリッキーな動きで左右上下から迫る斬撃を、セイバーは尽く捌いていく。
 捌くだけで精一杯。
 私には、そう見えた。

「嘘・・・・・・なんで?」

 反撃できずにいるのだ。
 あのセイバーが。
 剣の勝負で。
 キャスター相手には魔術で翻弄され、ランサー相手には間合いの差に苦戦させられはしたものの、それらを跳ね除けてきたセイバー。
 それは全て、セイバーが自らの領域、剣の間合いにおいては決して他者に遅れを取ることがない証拠だった。
 剣の英霊として召喚された彼は、剣の戦いにおいては無敵であるはずだった。
 なのに今、アサシンはその剣でもってセイバーと拮抗した強さを見せている。
 能力的に圧倒的に劣る相手のはずなのに、むしろセイバーが押されていた。

「チィッ―――!」

 彼もその事実に苛立っているのだろう。
 舌打ちしつつ大振りの一撃を放つ。
 轟音を立ててセイバーの放った一撃は地面を穿つ。
 けれど、アサシンは大きく後退してそれを回避していた。

「ホウ、さすがはセイバーの剣、大した威力だ。さぞや名のある名剣なのであろうな」
「下賤の輩にも見る目くらいはあるようだな」
「クックック、だがオレの剣とて幾多の人間の血を吸ってきた業物。決して劣るものではないよ」
「笑止! 騎士の剣は誇りと名誉の証。暗殺者風情が持つ人殺しの道具となど、比べることもおこがましい」
「武器など所詮人殺しの道具以上の何物でもないよ、騎士サマ。誉れある英雄も一皮向けば我らと同じ。行った殺しが人々によって是とされたか否とされたかの違いでしかない」

 その言葉に、ちょっとカチンと来た。

「ふざけないでっ。あなたみたいなのとセイバーとを一緒にするなんて、ひどい侮辱だわ!」
「ム?」
「まったくもって我が主の言うとおり。下衆めが我が剣のみならず我が身さえも貶めようとは、万死に値するぞ」

 私とセイバーの言葉に、アサシンはますます嘲笑の度合を強める。
 ひどく馬鹿にされているようで癇に障る笑い声だった。

「クックックック、なるほど。マスターとサーヴァントは近しい性質の者同士となることが多いと言うが、まさしく。セイバーよ、貴様のマスターは実に貴様に相応しい性質の持ち主のようだな」
「無論だ。我が剣を捧げるに、これ以上の主などいない」
「え?」

 思わずアサシンに対して激昂していたことも忘れて目を丸くしてしまう。
 だって、今セイバーは私のことを何て言ったのか。
 私は最初に彼を召喚した時からずっと、私なんかが彼のマスターでいいのかって思い悩んできたのに。
 私以上の主はいないと断言するセイバーの言葉には淀みがなくて、それが彼の心からの言葉であることがわかった。
 やばい。
 たぶん私、また真っ赤になってる。
 そろそろ慣れたつもりだったけど、この状態になるとセイバーの姿を直視できない。
 こっちに向けているのが背中で良かった。
 もしも正面から向き合っていたら、また頭が沸騰してわけがわからなくなってるところだった。

「なるほどな。オレの主が貴様らに抱く心境がわかったような気がするわ」

 その時、これまでこの場にいなかった新たな人物の声が響いた。


「何してやがるアサシン! とっととそいつらをブチ殺しちまいやがれっ!」


 私達だけでなく、兄達の視線もその声の主へと注がれる。
 園内に新たに現れた人物は、私と兄にとって見覚えのある相手だった。

「東郷」
「東郷、さん・・・・・・?」

 東郷一樹。
 古くから西条家と対立する魔術師の家系の後継者。
 兄とは同い年で、それゆえに昔からずっと対抗心を抱いていたのは知っているけど、実力は兄の方が明らかに上だった。
 というよりも、対立していたとはいえ、実際には東郷家の方が一方的に西条家を目の敵にしていたのであって、こっちからはあまり気にかけてもいない相手なのだ。
 そんなこっち側の態度が気に入らないとして、東郷家が西条家に抱く敵対心はますます強くなることになっていったのだけど、東郷一樹はまさにその塊とも言うべき人物だった。
 彼がこの場に現れたということは、つまりは彼がアサシンのマスターと言うことか。
 西条家に敵意を抱く東郷家が聖杯戦争に介入してくることは、予測して然るべきことだった。
 だから、この事態は別に予想外でも何でもない。

「ヘッ、今日という日を待ち焦がれたぜ、西条兄妹。このオレ様の方がてめぇらよりも上だと証明する時をなぁ!」
「東郷さん、そんなことのために・・・・・・」

 そんなことのために、命を捨てに来たのか。
 何度も何度も兄に挑んで敗れる彼の姿を私は見てきた。
 たぶん、相手が私であっても結果は大差なかっただろう。
 今まではただの腕比べで済んでいたけど、聖杯戦争に参加してしまった以上、兄は東郷一樹を殺すことを躊躇わない。
 そして私にはどう考えても、東郷一樹が兄に勝てるなどとは思わなかった。
 どうしてみんな、聖杯戦争なんかのために簡単に命をかけようとするのか。
 こんな人が、まだあと3人もいるなんて――。

「馬鹿げてる!」
「あん? おい西条妹。それはオレ様をコケにしてんのか?」
「え?」
「てめぇらはいつもそうだ。そうやって上からものを見てやがる。オレ様を直接打ちのめしてきた兄の方も、端で見て嘲笑ってた妹の方も!」
「私は、嘲笑ってなんか――」
「自覚すらしてねぇ! それが見下してるってんだ。だがそれも今日までの話だ。これからはオレ様がてめぇらを見下すのさ。てめぇらをブチ殺してなぁ!」

 憤怒と憎悪、それに敵を打ち倒す愉悦に歪んだ表情で東郷一樹が告げる。

「さぁ、やれアサシン! 他の連中はどうでもいい、あいつらだけは絶対に殺せ! 西条兄妹のサーヴァントを完膚無きまでに打ちのめし、どちらが強者かを思い知らせてからな!」
「その殺しの依頼、引き受けたぞ主よ」

 黒衣が閃く。
 曲刀を振りかぶって躍り出たアサシンが、再びセイバーに襲い掛かる。
 打ち鳴らされる剣戟の音。
 力負けしたのは、セイバーの方だった。

「セイバー!?」
「ぐっ」

 続け様に攻撃を仕掛けるアサシンに対して、セイバーは防戦一方に追い込まれる。
 さっきまでのは、まるで小手調べだったと言わんばかりのアサシンの動き。
 近接戦闘においては絶対的優位を誇ると思っていた私のサーヴァントが、完全に圧倒されていた。
 恐ろしく強い敵。
 これが東郷一樹の自信。
 魔術師として、私と兄が彼に大きく勝っているのは純然たる事実であり、その差が覆るなんて思ったこともなかった。
 聖杯戦争の特殊性は、呼び出した英霊の格によって優劣が大きく決まる点にあり、そこにマスターたる魔術師の能力による優劣が逆転する可能性もあるにはある。
 けれど、私も兄も呼び出したのは最高位の英霊。
 しかもクラスとして最も優れているであろうセイバーと、それに近接戦闘ではそれに次ぐランサー。
 単純に考えて、アサシンのクラスがこれに勝るとはどうしても考えられない。
 マスターの能力も、サーヴァントの能力も私達の方が上。
 にもかかわらず、東郷一樹のあの自信。そして現実にセイバーを圧倒するアサシンの強さ。
 私はこの事態に、戸惑いを隠せなかった。

「何で、こんな・・・・・・」
「ハッハッハ、驚いたか西条妹! てめぇのセイバーも大した英霊なんだろうがな、だからこそ余計にそいつが押されてるのが理解できねぇか?」
「・・・・・・・・・」

 悔しいけど反論できない。
 もちろん、7つのクラスはいずれも一長一短があり、戦い方次第ではどの相手にも苦戦する可能性はあった。
 けれどまさか、セイバーが最も得意とする剣の勝負でこんな風に追いつめられるなんて予想外過ぎた。

「いい顔だぜ。格下と見下してた相手にやられてる気分はどうだ、あァ!?」

 見下している。
 そんな風に考えたことは一度もなかった。
 けれど確かに私は、東郷一樹を深く意識したことはない。
 それは即ち、彼の存在が私の領域を侵す可能性をまったく考えたことすらなかったからだ。
 私も兄も、彼を歯牙にもかけなかった。
 彼の側からすればそれは、見下されているということになるのだろう。

「せっかくだから教えてやるぜ、オレ様のサーヴァントのことをな」

 私の態度に気を良くしたのか、東郷一樹は必要ないことまで喋り出す。

「そいつはな、ハサン・サッバーハの名を持つ暗殺者どもの中でも一際異質な奴でな。わざわざ殺す相手に予告状を送りつけて、万全に警護させた中で殺しを楽しむっつー変わり者なのさ。だがそれを繰り返した結果そいつは、尋常ならざる戦闘能力を身につけた。
 そして最も異質と言われた男は、最強のハサンとなったってわけよ!
 どんな英雄豪傑よりも強ぇ! それがオレ様のサーヴァントだ!!」
「最強の・・・ハサン」

 それが本当なら、確かにとんでもなく異質な存在だった。
 暗殺者の本質からすれば、自らは闇に紛れ、人知れず相手を殺すことこそが常道のはず。それをあえて自らの存在を明かし、しかも大勢の警護と共に標的を殺すなんて。
 戦いに狂っているとしか思えない。
 いったいどれだけ自ら死線に飛び込み、他者に死を振り撒いてきたのか。
 英雄として高い格を持った者ではない。
 けれどその強さは、一人で幾多の敵と相対した伝説を持つ英雄豪傑達に匹敵する。
 いけない。
 これはセイバーと言えど、容易に倒せる相手じゃない。

「セイ―――」

 ハッとする。
 次いで自分の迂闊さを呪う。
 東郷一樹に気を取られ過ぎて、この場で最も注意すべき相手のことを僅かとはいえ失念していた。

 西条鉄也は、勝利の機会を決して逃そうとはしない。

 剣を交えているセイバーとアサシンは互いに完全に集中している。
 自身のサーヴァントが優性なのを見て愉悦に浸っている東郷一樹も当然気付いていない。
 私だけがそれに気付き、そして既に対処するのに手遅れな状況にあった。

 戦闘中の二人にピタリと向けられたランサーの槍。
 そこに魔力が集中する。
 宝具が発動する寸前だった。
 兄はランサーの宝具を使って、セイバーとアサシンを一網打尽にするつもりだ。
 止める余裕はない。
 あれがどんな宝具かは知れないけど、発動すれば確実に、セイバーもアサシンもやられる。

 思考は半秒にも満たなかったろう。
 迷いはない。
 私は左手に刻まれた令呪に意識を集中する。


「セイバー、下がって!!」


 ほんの一瞬、私の声が早かった。
 左手の刻印に鋭い痛みが走ったのと、ランサーの言葉を聞いたのは、ほぼ同時だった。



槍の戦ゲイルスケグル



 降り注ぐ無数の槍。
 ランサーの手から解き放たれた宝具は、最初からそこに幾多も存在していたかのように拡がり、槍衾となって戦場を蹂躙した。
 一本一本の槍には、そんなに強い力が宿っているわけではない。
 けれど、あれほどの数が一斉に雨のように降り注いだら、回避のしようもなく、防御する手段がなければ容易く串刺しにされるだろう。

 間一髪、セイバーは槍の攻撃圏から逃れ、私の前まで後退してきた。
 かなり無茶な体勢からの移動だったけど、それを可能にするのが令呪、サーヴァントを強制的に従わせる魔術だ。
 それは単純に従属させるだけのものではなく、行動を強化する役割も持っている。
 一時的に攻撃力を上昇させたり、今のように本来不可能な移動手段としたりできる、まさにマスターにとっての切り札。
 聖杯戦争を勝ち抜くための重要な要素だった。
 たった三度きりの切り札だけど、ここで使ったことに後悔はない。
 今のランサーの攻撃は、セイバーには防御も回避もできなかった。受ければそのままやられてしまっていただろう。
 ここでセイバーを失うくらいなら、令呪の一つくらいは惜しくない。

 令呪のお陰でセイバーは助かった。
 でも、アサシンはランサーの宝具の直撃を受けたはずだった。
 事態に呆気に取られている東郷一樹には何かをする余裕もなかったし、アサシン自身にもあれを防ぐ手段があったとは到底思えない。

「一対一の勝負に横槍を入れるとは、意外と無粋な相手だ」
「それは仕方ないよ」

 騎士として尋常な勝負を望むセイバーだけど、これは聖杯戦争。
 私達が行っているのは決闘ではなく、7組のマスターとサーヴァントによるバトルロイヤルなのだ。
 常に他の6組全てを敵としているつもりで挑まなくてはならない。
 だからこそ、最初は敵の情報を探ることに集中して対策を立てたかったんだけど、早くも3体ものサーヴァントと直接対決することになるなんて、ついてない。
 単に私が迂闊なだけって気もちょっとだけするけど・・・・・・。

「でも、これでアサシンは」

 倒れたはず―――そう思ったのだけど。


「オレが、どうかしたかな? セイバーのマスターよ」


 息を呑んだ。
 驚くことなんて、聖杯戦争が始まって以来何度もあったけど、何度あっても驚く事柄は絶えない。
 舞い上がった土埃が晴れると、地面に突き刺さった無数の槍の合間に、アサシンの姿が見えた。

「そんな・・・・・・どうやって?」

 簡単なことだ。
 アサシンの足下には断ち切られた槍が何本も転がっている。
 雨のように降り注いだ槍を、あるものはかわし、あるものは切り払って防いだのだ。
 その結果としてアサシンは健在だった。
 導き出される答えは明白。
 けれど、それを信じられるかどうかは別問題だった。

「セイバー・・・・・・あなたに、あれができる?」
「・・・・・・さて、どうかな」

 言葉を濁すセイバー。
 いつものように、自信満々に「無論だ」と言わない。
 それだけランサーの攻撃は強力だったのだ。
 仮に防げたとしても、まったくの無傷などということはありえない。
 なのに、アサシンの身には掠り傷一つなかった。
 あまりに異様な強さを見せる黒衣のサーヴァントに、私はとてつもない戦慄を抱いた。