何処かの聖杯戦争
6
――雅――
部屋に戻ると、キャスターはソファの中央に座っていた。
「あれはあれで、なかなかおもしろい子ね」
凪沙のことだろう。
確かに、意外とどこにでもいそうで、あまり見ないタイプの人だった。
置かれている状況に右往左往してるのに、芯の部分では冷静に状況を判断している。
魔術師としての心構えをはっきりと認識しながらも戦いに身を置くことと厭い、かと思えばその結果としての生死を受け入れている。
自分の表と裏の矛盾に思い悩んでいるのに、彼女の中でそれらは相反することなく同居している。
「あなたとはよく似ているようで、正反対ね。
あなたの中にも魔術師としての自分と、そうじゃない自分とが同居しているけど、あなたにとってそれらは矛盾するものじゃない。魔術師として生きることも、ただの少女として生きることも、あなたにとっては同義だわ」
「そうね」
魔術師であることは、わたしにとって特別なことじゃない。
だけどわたしは、魔術師じゃない普通の人間として見ても特別だとは思ってなかった。
一般的じゃないとは思う。
けれどそれは、幾多の個人がいる世界では当たり前にある程度の差だと思っている。
ただの少女だろうと魔術師だろうと関係ない。
わたしはわたし、雅は雅以上の何者でもなく、雅以下の何者でもない。
そして雅は、普通の人間であり、普通の魔術師だった。
「どっちも自然に受け入れてるのに、二つを別々に考えてしまってる彼女の生き方は、疲れそう」
「まったくだわ。ある意味器用だけど、その実とっても不器用ね」
生粋の魔術師の家系に生まれながら、そうではない自分の在り方を知ってしまった彼女は、それらを分けて考えるようになってしまったのだと思う。
キャスターはわたしと彼女が似ていると言ったけど、生い立ちという意味では違っていた。
わたしは物心ついた時から、二つの道を等しく知っていた。
母は流れ者の魔術師、父は資産家だけど普通の人。
二人は幼かった頃のわたしにそれぞれの生き方を説き、好きな方の後を継げば良いと言った。
わたしが選んだのは、両方だった。
魔術師であった母の後は継いだし、父の持つ資産もいずれ全て相続することになっている。
どっちの生き方もわたしが生まれた時から知っていたものだし、両親の仲の良さを見れば、それらをあえて別々に考える必要なんて思い付きもしなかった。
けど、先に完成された一つの生き方だけを教えられていて、後からそれ以外を知った彼女は――。
「・・・・・・・・・」
「気になるの? あの子が」
「少し」
「一応、敵よ?」
「敵だからって、必ず殺さないといけないわけじゃない」
「正論ね。あの子はそういう割り切り方はできないっぽいけど」
別れ際、凪沙は線を引いてきた。
たぶん、あれ以上踏み込んだらわたしと殺し合いができないと感じたんだと思う。
もちろん彼女も、殺さずに敵を倒すという道もあることを頭では理解してるのだろうけど、理性がそれでは納得しないのだろう。
親しい相手と殺し合いをする、という時点で彼女の精神は磨り減っているのだ。
それでもわたしを敵と割り切って戦う道を彼女が選ぶなら、それでもいい。
けれどわたしは、凪沙が引いた線よりも深く、彼女の側に踏み込みたいと思っているのかもしれない。
「興味がある、彼女に。もっとよく知りたい」
「じゃあ、集中的にマークしてみる?」
「それはいい。今は他のマスターを見付けることが先決」
「そうね。―――いや、どうやらそのどっちも適う状況になりそうよ」
「誰か見付けた?」
「ええ。しかも明らかに、さっきの子を狙ってる」
「見に行くわ」
「了解」
わたしが踵を返して部屋のドアを開けると、キャスターはグラスに残っていたお酒を飲み干して霊体化した。
――凪沙――
まだカラオケ屋での熱気が残っていたのだろう。
帰り道の途中、少し夜風に当たりたくなって、私は河辺の公園に立ち寄った。
「んーーー・・・・・・きもち・・・」
お酒に酔うってこんな感じなのかな。
何だかふわふわして落ち着かないんだけど、悪い気分じゃなくて、むしろ昂揚してて、今なら何でもできそうな気がしてくる。
実は本当に酔ってる可能性もあるなー。
歌ってる途中、乾いた喉を潤すためにテーブルに載ってた飲み物を適当に手に取ってたから、その中にセイバーやキャスターが飲んでたお酒が混ざっていた可能性は否定できない。
いけないなー、未成年がお酒なんて飲んじゃ。
でも、ま、いっかー。
歌ってた時の昂揚感と、アルコールによる酔い、それに広い公園に一人きりでいる開放感で、私は妙に晴れ晴れとして気分でいた。
頭を使って考えることを放棄している、とも言う。
「雅ちゃん、いい子だったなぁ」
小動物チックな見た目は愛らしくて。
あまり笑わないけど愛想がないわけでもなくて。
無口だけどこっちから話しかければちゃんと応えてくれて。
それに私と同じ魔術師で――
違う出会い方をしてたら、きっといいお友達になれただろうに。
おっといけない、考えない考えない。
せっかく今は気分がいいんだから、いつものネガティブ思考はどっかにポイ捨て、後で拾っておこう。
公園の真ん中に進み出て小躍りする。
端から見たら結構危ない人かもしれないな。
でも関係ない。
だってほら、お月様だってあんなに綺麗で――
月明かりの下に、誰かがいた。
「え―――?」
唖然とした。
だってその姿は、あまりに神秘的で、とてもこの世のものとは思えなくて。
ああ、なんて綺麗なんだろう。
蒼の鎧、真白い羽飾り、風になびく銀色の髪。
手にした人を殺せる凶器すらも美しくて。
全身にまとった澄んだ魔力は、オーロラのように光り輝いていた。
視界を遮るように現れたセイバーの背中が、ようやく私を現実に引き戻す。
時間にして一秒もなかったけれど、私の心は完全に相手の姿に囚われていた。
ああ、まったく、これで三度目じゃないか。
いい加減慣れないと。
新しいサーヴァントを目にする度に見惚れてたんじゃ、いつ殺されたって文句は言えない。
そう、間違いない。
月明かりに照らされて姿を現したのは、新たなサーヴァントだ。
少女の姿をしているけれど、その身からはセイバーやキャスターと同等かそれ以上のプレッシャーを感じる。
手にしている武器は槍。だとすると、ランサーだろうか。
何をやっているのか、私は。
こんな時間に、こんな人気のない場所でぼんやりしていたら、襲ってくださいと言わんばかりではないか。
むしろ、相手が不意打ちを仕掛けてくるようなタイプじゃなくて助かったというところか。
酔いは一瞬で冷めた。
セイバーが臨戦態勢で現れたということは、相手もやる気満々ということ。
頭を切り替えて、倒すにせよ逃げるにせよ、まず戦いは避けられない。
なら生き延びるために、しっかり戦わないと。
「こそこそと逃げ隠れするのは終わりか?」
その声に、サッと血の気が引いた。
本当に、何をやっているのか。
こうなることを何よりも警戒していたはずなのに。
一番注意していた相手に、あんな無防備な姿を晒すなんて。
凪沙のド阿呆――
「兄さん・・・・・・」
ランサーの背後から姿を現したのは誰あろう、私の兄、西条鉄也だった。
私にとって、この聖杯戦争で最強の敵。
兄はきっと、ずっと私のことを見張っていたのだろう。
当然のことだ。
正体の知れない他のマスターとサーヴァントを探すよりも、まずははっきり存在のわかっている私を狙った方が効率が良い。
どうせ全てのマスターを倒すつもりでいるのだろうけど、その中でも私だけは、兄は絶対に自分の手で倒すつもりでいるはずだから。
こんなに早く対峙する気は私にはなかったんだけどな。
「それがおまえのサーヴァントか」
確認に大した意味はなかったろう。
見ればセイバーがサーヴァントであることなんて明白なのだから。
だからそれは、開戦の合図。
「セイバー!」
「行け、ランサー」
二体のサーヴァントは、同時にその身を躍らせた。
そこから先は私の理解の範疇を超えた攻防の繰り返しだった。
見えるのは、閃く光の軌跡。
聞こえるのは剣と槍の打ち合いの音。
感じるのはそれによって生み出される風圧。
行っているのは単純な、前時代的な近接武器を用いた戦闘。
けれどそれは、人智を超えたレベルのものだ。
私にはわかるのは、大まかな優劣くらいなものだった。
それぞれの武器の常道で考えるならば、有利なのは槍の方だ。
私は魔術と並んで簡単な剣術の心得もあって、一度槍と対戦したことがあるけれど、あの間合いの広さは容易には突き崩せない。剣で槍に勝つには相手の三倍の力量がいると一般に言うけれど、決して間違いではなかった。
けれどセイバーは、少しも相手に遅れを取ってなどいなかった。
セイバーの剣は普通のものよりも少し長いとはいえ、槍の間合いには程遠い。それを巧みに操って槍を捌き、自分の間合いに踏み込もうとしている。
対するランサーも大したものだった。
突きと払いを上手く活かして、セイバーを間合いの内へ入らせない。
昨日のキャスターとは違い、ランサーは純粋な白兵戦でセイバーと互角の攻防を繰り広げていた。
今のところ、双方に明確な優劣は見えない。
実際には私が認識しているよりも遥かに多くの駆け引きが両者の間では成されているに違いなかったが、その全てに気を払っている余裕はなかった。
最初から全てを認識することは不可能なのだし。
ランサーのことはセイバーに任せて、彼を信じるしかない。
私の目はずっと、戦っている二人を挟んだ向こう側にいる、兄に向けられていた。
一瞬の油断が命取りになる。
兄はサーヴァントだけに戦わせて、自分は高みの見物で終わる人間じゃない。
マスターとして聖杯戦争に勝つためには、あらゆる手段を用いてくる。
ここで私が少しでも隙を見せれば、サーヴァント同士の決着には構わず、兄は私を狙って攻撃を仕掛けてくるだろう。
聖杯戦争はただサーヴァント同士を戦わせるものではなく、マスターとサーヴァントが一組になって戦うものだ。
セイバーとランサーの勝負も大事だけど、私が今最も注意すべきは、兄の動きだった。
どれくらいその状態が続いたか。
一際大きな剣戟の音が響いたかと思うと、セイバーとランサーが互いに下がって距離を取った。
近くに戻ってきたセイバーの背中には、いつもの自信が満ちていて、まずは安心する。
少なくとも、ランサーに遅れを取っているということはなさそうだ。
「どう? セイバー」
「強いな。相手が女子という配慮は最初の一合で消し飛んだよ」
「そう」
やっぱり騎士だけに、女に剣は向けたくない、って気持ちがあったのかな。
けど、そんな心構えじゃすぐにやられる。それがランサーの実力ってことだ。
ランサーの方は、セイバーの力をどう見たのか。
警戒しているのは間違いないようで、一度離れてから迂闊には攻めてこないっぽい。
「手強いか、ランサー?」
「はい。とても素晴らしい剣の使い手、何処かの名のある英雄に違いありません」
兄の問いに答えるランサー。
はじめて聞くその声は、容姿と相まってとても澄んでおり、聞き心地が良い。
さすがは兄。父の用意した触媒があったとはいえ、大した英霊を召喚したようだった。
私のセイバーと同じく、兄のランサーも最高クラスのサーヴァントに相違なかった。
正体は、まだわからないけれど。
「できれば、ここは仕切り直しがしたいんだけどなぁ・・・」
はっきり言って兄と戦うには準備不足過ぎた。
もちろん私自身、必要最低限の戦闘準備はできているけれど、それはあくまで護身レベルのものだ。
それに何より、まだ兄と戦うだけの覚悟は固まっていない。
私の不注意が招いた遭遇だけど、まだ回避できるならそうしたいところだった。
「凪沙よ。逃げ腰なばかりでは生き延びることさえ難しいぞ」
「わかってるけど、兄さん相手にこの状況は」
「確かにあのランサーは強敵だが、我が剣をもってすれば即座に打倒することも」
「それはだめ。無闇に宝具を使って仕留め損なって、兄さんにあなたの正体を知られたら大変なんだから」
「知られたところで遅れを取る気は毛頭ないが」
「とにかく自重して。せめて、ランサーの正体がわかるまでは」
相変わらず自信過剰なセイバーに釘を刺しつつ、私はランサーの正体を探る方法と、この場での戦闘を回避する方法を考える。
正体を探る最良の方法は宝具を使わせることだけど、それでこっちがやられては意味がない。
宝具を使わせた上で、そのドサクサに紛れて逃走を計れれば最善。
と、そこまで考えて一つ気がついたことがあった。
今日会ったキャスターは、昨日の戦闘のダメージをほとんど感じさせなかった。
つまり昨日セイバーの宝具による攻撃は、キャスターを完全に捉えてはいなかったということだ。
こっちの宝具だけを使わせてまんまと逃げおおせたのだとしたら、見事にしてやられたことになる。
そのことを悔やむのは後回しにするとして、あれと同じことを私達にもできるかどうか、ってことだけど。
「考えていられる時間はあまりないぞ、凪沙」
セイバーが身を沈め、じりじりと相手との距離を詰めようとしている。
それを受けてランサーも、槍の穂先をピタリと相手に向けたまま構えていた。
いつまた再び激しい攻防が始まるともわからない。
接戦になれば、セイバーに細かい指示を送る余裕もなくなるだろう。
正体を探るのはまたの機会を待つとして、今は逃げることだけを考えるか。
ならいっそ、こっちから兄に仕掛けて隙を作らせてみるとか。
危険ではある。
攻撃する瞬間というのは、仕掛ける側にも僅かばかりの隙が生じるものだ。逆に兄に付け入られる可能性もあった。
でも、やってみるしかない。
「セイバー。今度あなたとランサーが接近したら、私から兄さんに仕掛ける。相手に隙ができたら、街中に逃げ込もう」
「消極的だな。まぁ、それが君の方針ならば従おう」
少しでも人通りのあるところまで行けば兄は追ってこない。
ここからなら、そんなに大した距離じゃなかった。
あとはどうにかして、ランサーに兄を庇わせるだけの状況を作り出せるかどうか。
「行くぞ、凪沙。準備は良いか?」
「あんまり。けど、何とかする」
「良かろう。では参る」
疾風の速度で踏み込むセイバー。
まったく同時にランサーも前へ出る。
両者の剣と槍が打ち合う瞬間を見極めるべく神経を集中させる。
衝突する魔力の余波に紛れさせて魔術を発動させ、兄に向けて撃ち込む。
半秒にも満たない時間の内に自分の行動をシミュレートし、掴んだ手応えをそのまま実行に移す。
よし、いける。
その時、セイバーとランサー、そして兄の動きに神経を集中させていた私の意識が、まったく別の気配が割って入ってくるのを捉えた。
「な―――ッ!?」
あまりに唐突に現れたその気配は、頭上から私達を強襲してきた。
咄嗟に反応できなかった私の体が、私の意思に反して後ろへ引っ張られる。
セイバーが私の体を抱えて跳び下がったのだ。
視界の中で兄もランサーに庇われており、上空からは無数の黒い刃が降り注いだ。
「な、に・・・?」
急激な動きで身体に掛かった負荷に息を詰らせつつ、私は必死に状況を確認しようとする。
地面に突き刺さっているのは、黒塗りの短刀のようなもので、私とセイバー、それに兄達がいた辺りを狙って投擲されたものだった。
そしておそらく、それを成したであろう者が、私達の間に割り込むように地面に降り立っていた。
どうしてだろう。
その存在が人ならざるモノであることはすぐにわかった。
けれどこれまでと違って、その姿を見ても何の感慨も沸かなかった。
四度目だから、なんて理由じゃない。
きっと私は何度だって、彼らの如き存在を目にしたら見惚れるだろう。
なのにこのモノに対して何も感じないのは、感じ入るべきものがないからだ。
セイバーにも、キャスターにも、ランサーにも、眩いばかりの英霊として格というものがあった。
でも、こいつにはそれがない。
同じサーヴァントでも、こうまで違うものか。
黒装束に髑髏の仮面をつけたサーヴァント。
それが私達の戦いに割って入ったモノだった。