何処かの聖杯戦争
4
――凪沙――
はじめて体験するサーヴァント同士の戦闘。
それは私の想像を遥かに超えるものだった。
現代に蘇る伝説とでも言うのか、人の常識を超えた魔術師の領域で生きる者の理解すら、さらに超えた超常の存在が目の前で戦っている。
あまりに苛烈で、あまりに幻想的で、私は冷静さを装いながらも内心では震え上がっていた。
こんなものに挑んで事も無げに勝ってこいなんて言って、しかもそれが当たり前と思ってる父の神経はどうかしてる。
本気の本気で、私みたいな未熟者の手には負えない。
せめてできる範囲でセイバーの援護を、なんて思ったけど、果たして私に何ができるというのか。
さっきからたぶん、セイバーも戸惑っているだろうキャスターの不可思議な動き。
あれの正体を探り出してセイバーに助言することでもできれば充分役に立つのだろうけど、私にはまったくキャスターが使っている魔術の原理はわからなかった。
そう、ただ一つ、あれが何らかの魔術であるということ以外は。
大鎌を振るった際のキャスターの動きは、セイバーの剣技のように洗練されたものではなかった。
一見すると接近戦でセイバーと互角に渡り合っているように見えるキャスターだけど、決して武器の扱いに長けているわけではない。
あくまで不思議なのは、不自然な動きでセイバーの剣を避け、一瞬にして背後に回りこんだ移動法。
最初に給水塔の上からグラウンドに降り立ったのも同じ方法だろう。
瞬間移動じみた魔術。
キャスターの魔力ならば決して不可能なことではないだろうけど、ああも連続して、しかも剣が当たるか当たらないかの瀬戸際に行使できるものだろうか。
或いは幻術の類だと言われた方がしっくりくるけど、それもどうも違う気がする。
「凪沙よ、臆することはない」
私の心の葛藤を感じ取ったセイバーが背中越しに語りかける。
「奴がどのような小細工を仕掛けていようと、我が剣が必ずそれを斬り伏せる」
確たる自信をもってセイバーは断言する。
それは確かに心強いのだけど、正体の知れない魔術を相手に無策で突っ込むのは蛮勇というものだった。
「待ってセイバー。もっと慎重に相手の術の正体を見極めて・・・・・・」
「斬ってしまえばどんな正体があろうと関係はない」
「それはそうだけど」
「案ずるな。我が剣は無敵だ」
ああ、もう、この自信家は。
最初から何となくわかってたけど、戦闘になってますますそれが顕著になっていた。
さすがに、その勇猛さが仇となって自分諸共仲間を全滅させた人だよ。
生前の敗北を勝利の栄光で塗りつぶそうとしてるくせに、まるで過去を反省していない。
「知りたい? 私の移動法の正体」
自身のサーヴァントを持て余して悩んでいる私に、思わぬところから助け舟があった。
「はい?」
「隠すほどのことじゃないし、教えてあげる」
私の疑問を無視して、キャスターが自身の魔術の種を明かす。
視認できるようになったソレを見て、私は息を呑んだ。
グラウンドに、校舎に、学校という敷地全体に、無数の結界が敷かれていた。
一つの巨大な結界ではなく、それぞれが別々の結界が何百、何千という数で、二重三重に張り巡らされているのだ。
いくつも結界が結ばれてより強大な結界として機能している様は、まるで固有結界かというほどのものだった。
これだけのものが張られていたことに、今の今まで気付かなかったとは。
いくらキャスターでも、これを今この瞬間に展開したということはあるまい。
予め準備をしていたのだ。
そもそも最初からわかっていたことじゃないか。
ここは既に、敵の要塞になっている可能性がある、って。
まさにそのとおりだったわけだ。
「こんなことまでできるの・・・神代の魔術師っていうのは・・・・・・」
「あら、それは違うわ。確かにベースになってるのは私が生きてた頃の魔術だけど、これの基本理論は現代にあるものを参考にしたのよ」
「へ? 現代って、嘘・・・・・・」
こんな魔術が現代にあるわけがない。
固有結界を持つまでに至った人なら話は別かもしれないけど、それは他人が見たからと言って模倣できるようなものじゃないし。
「魔術じゃないわ。もっと別のもの。その理論を元に、私が魔術に応用してるの。実はまだ実験中で、実用するのは今日がはじめてなんだけどね」
「どういう、こと?」
「ほら、インターネットとか言ったっけ?」
「はい?」
あまりに魔術からかけ離れた言葉が出てきたので、私は思わず首を傾げてしまった。
まぁ、私の反応は魔術師としてはわりと普通だと思う。
インターネットなんて科学の結晶みたいなもので、生粋の魔術師ほど特に敬遠するものの極みだ。
私はそんなこだわりは持ってないから普通に利用するけど、それでも積極的にってほどじゃない。
そんなものと魔術とがすぐに結びつかないのは仕方ないことだった。
「網の目のように張り巡らせた糸を辿って、情報を無数に拡散させる。ま、あくまで理論の元にしただけだからまったく同じってわけじゃないけど、とりあえずこの結界の機能の一つとして――」
キャスターの姿が一瞬にして別の場所に移る。
やっぱり、移動過程はまったく認識できなかった。
「自身を光情報に還元して瞬時に移動することとかが可能。まぁ、情報と違って魔力には限界があるから、私という実体はあくまで一つしか存在し得ないけど、便利な小技ではあるでしょう」
そんな理解不能な魔術理論を便利な小技とか言われても、対応に困る。
しかもこれをキャスターが編み出したのは現代に召喚されたからだって言う。つまりほんの数日の間に、だ。
魔術理論の内容そのものより、この短時間で新しい魔術を完成させてしまったことの方が驚きだろう。
何て桁違いな。
「それがどうかしたか?」
目眩すら感じている私に対して、黙って聞いていたセイバーは冷静そのものだった。
「愚かだなキャスター。魔術師がペラペラと自らの手の内を明かすとは」
「あら、裏の裏を読みなさい、セイバー」
口元を歪めて笑うキャスターに、私は嫌な予感を隠せなかった。
「魔術師がわざわざ自分の手の内を晒す意味。例えば―――時間稼ぎとかね!」
瞬間、セイバーの足下に展開した結界から、何本もの蔦が伸びてセイバーの身を絡み取る。
「む―――」
真っ先にセイバーの右腕に巻き付いた蔦が、剣を封じる。
次いで両足、左腕、全身と拘束を強めていく。
如何にセイバーの対魔力が高いと言っても、魔術そのものではなく、魔術によって呼び出された物理的な存在を無条件に弾く能力は備えていない。
あっという間にセイバーは自由を奪われてしまっていた。
「この結界は同時に多数の魔術を操る補助的役割も担っているのよ。相手の注意の及ばない場所で魔術を発動させて、その効果を敵の足下に及ぼす、なんて芸当も簡単」
大鎌の切っ先をセイバーに向けるキャスター。
身動きの取れないセイバーに、あれをかわす術はない。
そしてアレの一撃を受けては、何人たりとも死は免れ得ないだろう。
けれど手段はある。
令呪を使えば、あの拘束からセイバーを抜け出させることも――
「不要だ、凪沙よ」
「でも――」
「この程度で我が動きを封じた気でいるとは、笑止なりキャスター」
セイバーは僅かに自由な指先だけを使って剣を旋回させる。
それだけでは剣の切れ味を発揮することなどできないだろうに、ほんの少し刃が掠っただけで蔦は両断されていた。
私はもちろん、キャスターもこれには驚いたようだ。
触れただけで斬れる剣。それがセイバーの宝具たる剣ということなのか。
「覚えておくがいい、キャスター。我が剣に、断てぬものなど――無い!」
全身を拘束していた蔦を全て切り払ったセイバーは、手にした剣を大きく振りかぶる。
そこには、かつてないほどの魔力が収束していた。
周囲に張り巡らされたキャスターの大結界すらをも凌駕する絶大な魔力が――
「受けるが良い、キャスター。我が必殺の剣を! そして私と最初に相対したことを悔いながら去れ!」
それこそが、彼の騎士の宝具が持つ本当の力。
真名の解放をもって、今ここに剣の伝説が蘇る。
「切り裂く輝煌の剣!!」
一閃。
切っ先より放たれた超高圧の魔力は、斬撃そのものとなって行く手にあるもの全てを両断した。
虚空に切れ目が入り、周囲の空気が歪んで見えた。
話して聞かされてはいたけど、当然この目で見るのははじめてだ。
これがセイバーの宝具、デュランダル。
叩きつけられた岩を両断した剣は、宝具の域に達することでその特性をさらに高めた。
絶対の斬撃。
――断てぬものなど、無い。
まさにそのとおり。
それはただの物理的な斬撃に留まらず、本来なら斬れないはずのものまで斬る。
空間断絶。
その一刀は、あらゆる存在を空間ごと断ち切る。
ゆえに無敵。
斬れないものなどない。
無論限界はあるだろう。
同等の領域にある宝具まで斬れるとは思えない。
けれどおよそ物質世界に存在するもので、セイバーに剣は本当に、全てを断絶する。
剣を鞘に納めて、セイバーが私の下へ戻ってくる。
「やった・・・・・・の?」
周囲を満たしていたキャスターの結界は全て消滅していた。
私とセイバー以外の魔力を持った存在も、感じられない。
けれどセイバーは、
「いや。手応えはあったが、おそらく仕損じた」
そう憮然とした顔で言った。
つまりそれは・・・・・・。
「倒せてない、ってこと?」
「うむ。手傷は負わせたと思うのだが」
「そんなぁ・・・・・・」
それでは結果として、こっちだけが正体を明かしたということではないか。
相手はこっちの理解を超えたデタラメな魔術の使い手だということがわかっただけで、正体の手がかりとなるようなものは何一つ掴めなかった。
だというのにこっちは切り札である宝具まで使って、しかも逃げられた。
いくら手傷を負わせたって言ってもこれじゃあ――
「ちょっとセイバー。いきなり宝具を使ったのはちょっと軽率だったんじゃない?」
「かもしれんな。だがなに、気にするな。正体が知れたところで、我が剣が敗れることなどない」
だからその自信はいったいどこから沸いてくるのか。
「はぁ、まぁいいや・・・・・・」
何だか疲れた。
私は何もしてないけど、緊張しっぱなしで心身共に消耗しきっていた。
セイバーの軽率さを責めるのは後にするとして、今はさっさと家に帰って休もう。
こんなところでボケッとしてて、また別のマスターに襲われたりしたら洒落にならない。具体的には兄とか、兄とか、兄とか。
まったく、まだ聖杯戦争は始まったばかりだって言うのに。
しばらくは傍観を決め込むつもりだった自分がいきなり初戦を飾ることになるとは想定外に過ぎた。
それともこれは、戦いを避けようとした罰なのだろうか。
ちゃんと戦えという天の啓示?
そんなのは嫌だ・・・・・・。
「帰ろう、セイバー。本気で疲れた」
はじめての戦闘を終えて、私は帰路についた。
――雅――
キャスターが戻ってくる。
派手な一撃を最後に受けたわりには、見た目上は無傷だった。
「おかえり」
「ただいま。初戦にしてはなかなかの成果だったわね」
なかなかどころか最上だった。
相手に宝具まで使わせ、その上でこちらは無傷で生き残ったのだからこれ以上ない成果だろう。
しかも相手は全サーヴァント中最も優れていると言われるセイバー。
見たところマスターである魔術師は、才能はあるがそれほど実戦経験があるようには見えなかったからそれほど問題ではないけれど、聖杯戦争の優位はまず第一に、使役するサーヴァントの格によって決まる。
セイバーのサーヴァント。
しかもかの名剣デュランダルを持つ騎士ローランともなれば、それだけで充分に手強い存在だった。
早々にその正体を知ることができたのは幸運だ。
「こっちの被害は?」
「実を言うと、見た目ほど軽くない。結界に注いでた魔力を根こそぎ“斬り取られた”わ。
宝具を使われたら破られるだろうとは思ってたけど、四散した魔力は引き戻すつもりだったんだけど―――完全に関係を断たれた。霧散した魔力はもう私のものじゃなくて、世界のマナに還元されちゃったわ」
「そう、でしょうね。アレはそういう剣だと思う」
どこに限界があるのかはわからないけど、たぶんセイバーが認識できる範囲のものなら、どんなものであろうと斬れる。
宝具なら斬れないだろう、なんて考えは甘い。
例えば盾の宝具があったとして、その宝具そのものの存在が消されるほどのことはなくても、盾が持つ防御の特性は斬られるだろう。
つまり、防御不能の一撃ということだ。
それがあのセイバーの剣、デュランダルの特性。
“絶対に斬れない盾”なんて特性の宝具でもあれば話は別だろうけど、少なくとも普通の手段であの斬撃を防御することはできない。
空間ごと斬るのだとしたら、空間転移で避けるのも危険だ。
今回は最初から逃げることを想定してキャスターには戦わせていたから、彼らが見ていたのは常にキャスターの擬態だった。
だから宝具発動の瞬間、キャスターは無傷のままあそこを脱することができた。
けれどそれでは、こっちも必殺の一撃を放つには不十分。
互いに必殺の間合いに立った時、果たしてあの剣をかわせるかどうか――。
「セイバーに勝つには、デュランダルは使わせないのが懸命」
「ええ。私のどんな魔術でも、仮に宝具を使ったとしても、あの一撃は防げないわ。避けるのも、ちょっと難しいわね」
「でも、それがわかっただけでも充分。今夜は収獲だった」
「まずは一人、ね。次はどうする?」
「うん―――」
聖杯戦争に挑む上で、わたしがまず始めたのは、全ての敵を把握することだった。
わたし以外の6人のマスターの素性、そして6体のサーヴァントの正体。
キャスターは一般的には、最弱のサーヴァントと言われている。
それはほとんどの英霊、殊に騎士に類する者は高い対魔力を有しているからだ。
当然の話だ。
彼らは剣や槍といった武具のみで魔術に対抗してみせるほどの偉業を残したからこその英霊だった。
単純な魔術では騎士のサーヴァントには傷をつけることもできない。
実際さっきの戦闘でも、キャスターの放った魔術はほとんどセイバー相手に効果がなかった。
事はそう単純ではないけれど、正面切っての戦闘においてキャスターは他のサーヴァントに大きく劣る。
神代の魔術を自在に操るわたしのキャスターは、伝説上の他の魔術師よりも優れた力を持ってはいるが、それでもその基本法則から大きく外れることはない。
さっきキャスターがセイバーと互角の戦いをしてみせたのも、半分はフェイクだ。
相手の土俵で戦いながらもこちらの方が有利と錯覚させ、宝具を引き出すための策略だった。
結果としてこれは功を奏した。
力で劣るサーヴァントが格上の敵に対するには、策略をもってするしかない。
そしてそのためには、敵の情報を得ることが必要不可欠だった。
この街を根城にする魔術師の家系、西条家の後継者が聖杯戦争に参加している可能性が高いと踏んだわたしは、まずは所在が掴みやすい長女の方に狙いを定めて、学校に網を張っていた。
成果はさっきのとおり。
他のマスターはこうも簡単に見つけ出すことはできないだろうけど、まずは幸先の良いスタートを切れた。
「キャスターもかなり魔力を消費したし、今日はもう帰――」
最後まで言えなかった。
前を向いていたはずのわたしの視界が、一瞬にして地面に埋め尽くされる。
無理矢理伏せさせられたのだと気付くのに少し時間がかかった。
その間に、すぐ近くで何かが弾ける音が響く。
音のした方へ目を向けたわたしは、建物の壁に弾痕ができているのに気付いた。
「狙撃?」
「みたいね。私の知覚領域外から狙ってきた」
「なら、アーチャー」
キャスターはその気になれば、一歩も動かずにこの秋津市全域を探査することが可能だ。
ただしそれはあくまでそのための魔術を展開している時であって、常時にはその範囲は狭まる。
それでも、他のどんなサーヴァントよりも広い範囲を常に知覚している。そのキャスターに気取られない距離からの狙撃を行えるサーヴァントなど、アーチャーをおいて他にないだろう。
体を起こしたわたしを庇うようにして、キャスターは遠くを見据えている。
狙撃の方角から敵の位置を割り出しているのだろう。
「いたわ。4000メートルは離れてるわね」
方角と、目算で測った距離の辺りには、少し高いビルがあった。
わたしにはそこまでがわかる限界。
「二撃目が、来ない?」
「誘ってるつもりかしらね。どうする、雅?」
「行くわ。せっかくの機会だもの。跳べる?」
「当然」
キャスターがわたしを抱えて空間転移を行う。
正体の知れないサーヴァントの前に迂闊に姿を現すのは危険だけど、相手がアーチャーで、既にこっちの位置が割れているとなると下手にわたしとキャスターが離れ離れになるのはもっと危険だった。
それにわざわざこっちに気付かれるように一発だけ撃って挑発してきたということは、相手のマスターもそこにいる可能性が高かった。
不思議な浮遊感。
次の瞬間、わたし達は4キロ離れたビルの屋上に出ていた。
向かいには、現代日本らしからぬ風体の一組の男女。
間違いなく、マスターとサーヴァントだった。
「まぁ。マスターもサーヴァントも、とてもかわいらしい方々ですね」
女の方が口を開く。
二十歳前くらいの、修道服に身を包んだ女。こっちがマスター。
そしてその隣にいるサーヴァントは、黒い甲冑に、腰には反りのある剣、いや、日本刀だ、あれは。さっきわたし達を狙撃した飛び道具のようなものは、今は手にしていない。
どちらも笑っている。
けれどそれは対照的な種類のものだった。
マスターであるシスターはふわりとした柔らかな微笑を浮かべているのに対して、サーヴァントは高圧的な嘲笑でこっちを見下していた。
「ふむ、あれが余の敵か。おもしろい」
わかりやすく言おう。
このサーヴァントは偉そうだ。
年齢のわりに背が低いわたしは、他人から見下ろされるのは慣れているけど、精神的にこうもあからさまに見下されているのは不愉快だった。
同じことはキャスターも感じているのか、必要以上にふんぞり返りながら一歩前に出る。
「あんたアーチャーよね。挨拶代わりの不意打ちをどうも」
「はて、ただの威嚇のつもりであったが、当たったかな?」
「いいえ。大ハズレだったわ」
睨み合う両者は一触即発。
そんな中にあって唯一人、シスターだけがまるで場にそぐわない物腰だった。
「まぁまぁ。今日のところはお顔合わせと思ってお誘いしたのです。そう構えないでくださいな」
「顔合わせの誘いで人の頭を撃ち抜こうなんて、悪趣味」
「生きてらっしゃるのだから、いいじゃありませんか」
にっこり笑いながら言ってのけるシスター。
これは外見で判断したらいけない。
この女もまた魔術師、頭のネジが2、3本飛んでる類の人間だ。
そもそも教会の関係者が魔術師というだけでも普通じゃないのだから、このシスターを真っ当な相手と思わない方が良さそうだった。
教会から魔術協会に鞍替えしたのか、或いはその逆か。
どっちにしても、元々常識外のこの世界でも、尚常識を逸脱した人間に違いない。
「私、アリア・フランシスと申します。こんな格好をしておりますが、教会には在籍していない者でして。もちろん、今回の監督役とも何の関係もありません」
聖杯戦争には、教会から監督役が派遣される。
マスター達があまりにも目に余る行動をしたりした時に、被害を最小限に抑えるためと、もしも出現した聖杯が“本物”であった場合に回収するためだ。
一応、聖杯戦争に参加するマスターは監督役に届け出るのが規則だけど、誰一人守ってなどいない。
シスターの姿をしたマスターが現れた時点でそことの関係をわたしも疑ったが、本人の言では関係ないらしい。
油断はできないけれど。
「よろしければ、あなたのお名前も教えてくださいませんか?」
「・・・・・・鳳雅」
「では雅さん。さっそくで申し訳ないのですけれど、この戦いから降りる気はありませんか?」
「無い」
「即答ですか」
「論じる価値もない問い」
どういうつもりでこんなことを聞いてきたのか知らないけれど、わたしの答えはこれ以外にありえない。
聖杯は、絶対にこのわたしが手に入れる。
「話はそれだけ?」
「ええ、まぁ。できればあなたが聖杯に望むことなどを教えていただけると嬉しいのですけど―――そうですね、今日のところはこれでお開きとしましょう」
「ただで逃げられるつもりかしら?」
キャスターがさらに前に出る。
せっかく遭遇したのに、これだけの話をして、はいさようなら、じゃ割りに合わない。
せめて撃たれた分の借りくらいは返す。
ついでに当初の予定どおり、相手のサーヴァントの能力を探れれば上出来だった。
さっきの戦いでキャスターは消耗してるけど、後一回くらい、様子見の戦闘なら――。
「キャスター」
「任せておきなさい」
空気が変わる。
屋上全体に、キャスターの結界領域が広がっていく。
視覚化していない状態では、術者本人以外ではマスターであるわたしにしか知覚できないものだ。
学校全域を結界で包むなんて真似は、予め下準備をしないと無理だけれど、このビルの屋上程度の広さならば、一瞬で結界を展開できる。
わたしが考案して、キャスターが僅か二日で完成させてみせた多重結界魔術。
この結界の領域内で戦う限り、キャスターは通常に倍する速度で複数の魔術を行使することが可能だった。
また、結界の中枢を無数に拡散させていることで、一部を破壊されても全体は揺らがない、非常にタフな構造になっている。
「ほう、何やら怪しげな術でも使いおったか」
アーチャーは結界の展開に気付いたみたいだった。
けど、その原理までは読み取れないはず。
「良かろう。少し相手をしてくれる」
腰の刀を抜いてアーチャーが動き出す。
セイバーに比べれば遅いけれど、それでもサーヴァントの動きは人間に知覚できるものではない。
にもかかわらずわたしがアーチャーの動きを感知できるのは、この結界がわたしの“眼”の役割も果たしているからだ。
元々インターネットの理論を元に編み出したこの魔術の真髄は、情報の伝達にこそある。
攻撃や防御はただの応用に過ぎない。
わたしとキャスターが、相対したサーヴァントの特性を多角的に見て取るためにこそ、この結界は存在する。
「フ―――!」
短い呪文が紡がれ、無数の魔力弾が生じて敵を狙い撃ちにする。
シングルアクションでありながら、その威力は現代の魔術師が行使する大魔術を軽く凌駕する。
アーチャーも三騎士のサーヴァントの一人。
特に優れた対魔力を持っているはずだけど、セイバーほどじゃない。
降り注ぐ魔力弾に対して、アーチャーは足を止めて刀を振るう。
「むんっ!」
体捌きによってほとんどの攻撃はかわし、直撃弾だけを切り払いつつ接近を試みる相手に、キャスターは立て続けに攻撃を仕掛けて前進を許さない。
けれど、何発かは命中しているにも関わらず、魔力弾はアーチャーの鎧に当たるとほとんど効果を発揮せずに霧散してしまっている。
やっぱり、騎士のクラスが持つ対魔力を前に、単純な魔術は通用しない。
間合いが近すぎた。
これはわたし達だけでなく、相手にとってもだ。
キャスターとアーチャー、どちらも本来は接近戦を仕掛けるタイプではなく、離れた位置から敵を狙うのが定石。
この狭いビルの屋上では、互いに持ち味を活かしきれない。
かといって一度近付いてしまった以上、下手に離れるのも危険だった。
しばらく小手先の鬩ぎ合いが続く。
どうすべきか方針を考えていると、相手のマスターが先に動いた。
数歩後ずさって、ビルの淵に立つ。
「アーチャー、今日は撤退しましょう。雅さん、また後日改めて」
「待―――」
「雅、ストップ!」
前に出かけたわたしをキャスターの声が押し留める。
いや、声だけでなく、その瞬間にわたしの周囲にはキャスターの防護結界が張られていた。
ドン、とお腹の底に響く轟音がして、何かが結界を掠めた。
足下にはさっきと同じ弾痕。
撃たれた?
けど、アーチャーにそんな動きはなかった。
自立型の宝具で他所から狙い撃った?
今の段階でははっきりとしたことはわからなかった。
多重結界が眼の役割を果たしていると言っても、わたしには一つの物体を多角的に見るのが精一杯で、キャスターのように結界内の全ての事象を把握することは不可能だった。
キャスターはそれができるからこそ、他所からの攻撃に逸早く気付いてわたしを守護することができたのだ。
けれど、わたしの周りに結界を展開するために注意を割いた隙に、アーチャーはアリアを抱えてビルから飛び降りていた。
「逃がすかっ!」
キャスターが追う。
けれどビルの淵に至ったところで、またあの轟音が響いて身を引かされた。
落下しながら、下から撃ったのだろう。
舌打ちしながらビルの淵に立つキャスターの後ろから歩み寄って、わたしも眼下の景色を見やるが、もう相手の姿は見えなかった。
「鮮やかな引き際ね」
「まったくだわ」
わたしを撃つことでキャスターの注意を逸らし、その隙に脇目も振らず後退する。
あのアーチャーは随分高慢そうな印象があったけど、意外なほどあっさり撤退するというマスターの意向に従っていた。
よほどマスターとの信頼関係が強いのか、あの場は不利と悟って素早く仕切り直しの判断を下したのか。
いずれにしても、ただ闇雲に攻めるだけでなく、冷静で的確な判断力も持ち合わせているということ。
比較的挑発に乗りやすそうに見えたセイバーとは違って、こちらの方がやりにくい相手かもしれなかった。
「やれやれ。もうちょっと正体に繋がるような情報を集めたかったわね」
「そうでもない。結構わかった」
「あれだけで?」
こくんと頷いて、わたしは自分の推察を口にする。
「アーチャーの甲冑は西洋風だったけど、あの刀は刃も拵えも日本刀のものだった」
「そうね。妙な組み合わせ。一体どこの英霊なのやら」
「日本刀の内でもあれは、江戸時代の主流だった打刀じゃなくて、室町以前の太刀だった。西洋、即ち南蛮風の甲冑と太刀の組み合わせは、日本の戦国時代後期に特有のもの。
加えて、あの大きな音のする銃撃が、当時日本の伝来したばかりの火縄銃のものだとしたら、あれは戦国末期の武将の誰かというところまでは絞り込める」
「・・・・・・ふぅん。あれだけでそこまでわかれば大したものね」
キャスターは妙に感心した風に目を細めていた。
今の時点で、10人以下にまで候補は絞り込めている。
けど、その中でもわたしはかなり強い確信を持って一人の名前を思い浮かべていた。
何かあと一つ決定的な要素があれば、それが立証されるはずだった。
ほんとに、セイバーに続いてアーチャーの正体まで大体の見当をつけられて、今日は大収穫だ。
「明日もこの調子で、いければいいけど」
「ま、ここから先は運も絡んでくるでしょうね。とりあえず、今日のところは」
「帰ろう、キャスター」
「了解、雅」
見上げた空に浮かぶ三日月。
聖杯戦争の開始から決着までの期間は、せいぜい10日前後。
満月になる頃までには、終わるのかな。
勝者だけが、次の満月を見上げることができる殺し合いは、まだ始まったばかりだった。
あとがき
今度の話はひたすらバトル、とにかくバトル、まず第一にバトル。
いつもそうじゃんとか言われても困るけど、それ以外の物語性は後からごちゃごちゃ付属させていったもので、戦うためだけに集った7人のマスターが型通りの聖杯戦争を戦う話である。レアルタヌアよりも、どっちかというとゼロに触発されて書いてる感じか。ゼロと違う点は、あれは最初からバッドエンドが設定されているが、この話は最後どうなるかわからないという。二人の主役、雅と凪沙が最後どんな結末を迎えるのやら・・・というかそもそも結末までいく可能性は限りなく低いのだが。
基本設定はFateの世界観をベースにしているが、細々した部分ではあっちの設定は無視している。舞台も登場キャラクターもサーヴァントも全てオリジナル。サーヴァントの中にはFate的には英霊の区分に含まれない存在も出てくるだろうが、気にしない。有名な存在ならそれでいいだろう、ということで。一応、全部実在する有名な神話や伝承から選んでいるけれど。
ま、メイン連載の息抜きとして時々更新する、と思う。
登場キャラ達のちょっとした解説
鳳 雅
主人公その一。ゴスロリ少女。母親ははぐれ者の魔術師で、資産家の男と結婚して子供を儲けたので、魔術師であると同時にものすごいお嬢様。ゆえに金銭感覚が一般人と違い、滞在してる部屋もホテルのロイヤルスイート。一生遊んで暮らせるだけの富を有していながら尚それ以上を欲している。遊びと魔術の研究にはいくらお金があっても足りないというのが持論。キャスター
雅のサーヴァント。正体はまだ秘密、というか主役のサーヴァントなのに一番最後まで正体隠してるかもしれない。実はいきなり英霊の枠組みから逸脱してるかもしれない女神サマ。西条 凪沙
主人公その二。悩める少女。Fate原作的に考えると、凛と士郎と桜を足して3で割って余分なものをいくらか取っ払った感じの子。思い切り自己の欲望のために戦う雅に対して、いつまでも迷いながら仕方なく戦い続けることになる、所謂巻き込まれ型。適度に魔術師としての自分を受け入れてしまっているため、戦いを否定することもできず、かといって納得もできずにひたすら流されていく。セイバー
凪沙のサーヴァント。初っ端から正体が割れている、デュランダルのローランである。勇猛すぎて破滅した人。英霊になった後も破滅した原因を悔いずに、自信たっぷりに最強の騎士と自ら豪語している。アリア・フランシス。
三人目のマスター。シスターの格好をしているが、神への信仰を捨てた異端者。けれど目的は世界の救済、望みは世界平和で、そのための犠牲は尊いものと言ってしまう、要するに潔癖すぎて狂っちゃってるタイプ。アーチャー
アリアのサーヴァント。雅の見立てどおり、戦国時代の武将。ここまで割れてれば日本人的にはすぐに正体がわかってしまいそうだ。