何処かの聖杯戦争



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 聖杯戦争。
 あらゆる望みを叶えるという伝説の杯を手にするため、7人の魔術師が争う儀式。
 それがかつて聖者の血を受けた真の聖杯であるかどうかは知れない。だが物の真贋に意味はなかった。
 “この”聖杯は、確かに本物たる力を秘めていた。
 ゆえにそれを手にしたものは、全ての望みを叶えるという。
 望みを抱く魔術師は、聖杯自らによって選ばれた7人。
 彼らはマスターと呼ばれ、それぞれがサーヴァントを召喚、使役して他のマスターとサーヴァントを倒し、最後の一人となることで聖杯を手に入れる。
 それが儀式の概要。
 そして彼らが使役するサーヴァントとは、人の身を超えて精霊の域にまで達した英霊であった。
 存在そのものが伝説となっているモノを聖杯の力によって現世に呼び寄せる大魔術。それこそが“この”聖杯が本物と言われる所以だった。
 召喚された英霊は、7つのクラスという器に憑依し、サーヴァントとなる。
 7つのクラスとは即ち、
 剣の騎士、セイバー。
 槍の騎士、ランサー。
 弓の騎士、アーチャー。
 騎乗兵、ライダー。
 魔術師、キャスター。
 暗殺者、アサシン。
 狂戦士、バーサーカー。
 いずれかのサーヴァントと契約を結んだマスターは、己が欲望のため他の6組を全て倒し、聖杯を手に入れるために死力を尽す。
 その聖杯戦争が、この地でも行われようとしていた――。














   ――雅――



「それでマスター。あなたは聖杯に、何を望むのかしら?」

 ワイングラスを片手に、彼女がわたしに問う。

「無限の富を」

 答えながらわたしは、切り分けたステーキの肉を口に運ぶ。
 聖杯に何を望むかと聞かれて答えを返すわたしの言葉に、淀みはない。最初から決まりきっていることだし、そのためにわたしはこの地へやってきたのだから。


 ここは秋津市。
 周りを山に囲まれた盆地にあり、大きな湖と、そこから流れる河が街を二つに割っているのが特徴の、大きくも小さくもない地方都市だ。
 北に位置する湖の畔にはわりと立派な城が建っており、その城下町に当たる河の西側地区は観光地として古い町並みが残っている。そこをさらに南下すると、昔からこの土地に住んでいる人達が暮らす住宅街があり、彼らが通う学校や、普段利用する商店街などもあり、西側だけでも一つの町として機能している。
 河を渡った東側地区は近年発展した都市部となっていた。高層ビルがいくつも立ち並ぶ人工的な街 は、西の城下町に比べると情緒というものに欠けるが、機能的と言えば確かにその通りだった。
 。河の東西はいずれも同じ秋津市だけど、便宜上それぞれ西町、東町と呼ばれ、いつの間にかそれが定着したらしい。センスのないネーミング。どうでもいいけど。
 わたしにとってはここが社会的にどんな街だろうと関係ない。
 大事なのはここが、聖杯戦争の舞台だということだけ。


 聖杯戦争のことは以前から知っていた。
 それが、まもなく行われるという情報を入手したわたしは、参加するための準備を進めてきた。
 そして一ヶ月前、わたしの右手に令呪の兆しが現れた。
 令呪は聖杯戦争の参加権を示すものであり、また同時にマスターとしての切り札ともなるものだ。右手に刻まれた三画の刻印は、その一画一画が膨大な魔力を秘めていて、一つにつき一度、サーヴァントに対して絶対の命令を下すことができる。
 三度限りの切り札。マスターの命綱でもある。

 令呪を得たわたしは、秋津市を訪れ、サーヴァントを召喚した。

 今、わたしの目の前にいるのがわたしの呼び出したサーヴァント。クラスはキャスター。



 拠点とした高級ホテルの最上階にある展望レストラン。わたし達が今いるのはそこだ。
 キャスターを召喚してからホテルに移動したわたしは、部屋より先にまずここのレストランを訪れた。
 何しろ、より高位の英霊を召喚すべく魔力の練度を高めようと、一週間絶食して自分を極限状態に追い込んでいたので、死ぬほど空腹だったのだ。とりあえずボリュームのあるメニューを中心に三人前ほど頼んだ。
 サーヴァントであるキャスターは食事を必要とせず、霊体化すれば人に見られることもないのだから一緒にこの場へ来る必要はなかったのだけど、彼女は実体のままついてきてお酒だけ注文していた。しかも店で一番良いワイン。ゼロが6つくらいついていた。
 召喚と契約の際に二、三言葉を交わしただけだったキャスターが喋ったのは、ワインを注文した際だけで、それからは黙々とわたしが食事を摂るのを見ながらグラスを傾けていた。
 外見が実例よりも幼く見えるわたしと、無言でそれに付き従う美女の組み合わせは、ホテルやレストランの従業員から見てかなり不思議なものだったことと思うけど、ゴシックロリータ調の高級ドレスを着ているわたしと、それよりさらに古風な感じだけれどやはり上質な絹のドレスを着ている彼女は、どこぞの令嬢とその従者のように見えなくもない。ついでにそのように思うように軽い暗示魔術もかけているので問題はないだろう。
 三人前の食事を頼むわたしと、ワインのみだが最高級品を頼む彼女では、やはり変な組み合わせに違いないのだけど。しかも会話一つなく黙々としていれば尚更に。
 そうしてひと落ち着きしたところで、ようやく彼女がわたしに対して口にしたのがさっきの質問だったわけだ。



「随分と世俗的な望みね。お金では手に入らないものに興味はないの?」
「そういうものは何かに頼らず、自分の力で手に入れるものだわ」
「ふむ?」
「聖杯に願う、という時点で即物的なのよ。ならそこに望むものも即物的なもの以外にはありえない」
「万能の杯を前に、夢のないことね」

 そうだろうか。
 生きている限り、人間の欲望は限りない。わたしももちろん例外になかった。
 欲しいものはたくさんある。やりたいこともたくさんある。
 例えば食欲。ただ命を繋ぐために糧を得るだけでなく、極上の美味というものをいくつも味わってみたい。
 例えば遊興。わたしは魔術師とはいえ子供だ。遊びたいと思う心は人一倍強い。
 例えば探求。またわたしは魔術師として研究したいことも山のようにある。
 この身一つでどこまでそれらを満たせるかはわからない。むしろそれを知るのも一つの望みかもしれない。望みが無限の時ではないのは、そのためだろう。
 世の中、富があれば大抵のことはできる。
 逆になければ、できることは極端に少なくなってしまう。
 富を得るために時間を割くというのはつまらない。そこに楽しみを見出す人種もいるのだろうが、わたしはそうじゃない。
 そしてそこに、無限の富を得ることのできる道があった。
 わたしが聖杯を求めたのはごく自然な人間の欲望によるものだ。

「わたし、欲しいものは一つでも多く手に入れたいの。聖杯を得るのは、そのための過程の一つでしかない」

 それがわたしが聖杯戦争に参加する意義。

「あなたは? キャスター」
「個人的なことよ。話して聞かせるほどのものでもない。まぁ、あなたの望みの邪魔になるものでもないわ」
「そう。なら」
「ええ」

 わたし達の利害は、相反しない。
 一致してもいないけれど、共闘するのに問題はなかった。
 既に契約は済ませた。
 だけどもう一度ここで、わたし達は互いの意志を確認し合った。

「わたしは、聖杯が欲しいわ」
「いいわ。ならば私が、あなたに聖杯をもたらしてあげる」

 こうしてわたし、鳳雅(おおとりみやび)とキャスターは改めて契約を結んだ。
 戦いに勝ち残り、望みを叶えるために。
 わたし達の聖杯戦争が、幕を開けた。