カノン・ファンタジア

 

 

 

 

2.覚醒の刻

 

   −7−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体が熱い。

弾けそうな熱を発する胸元を押さえて、フローラはその場に蹲る。

傍らでレイリスの呼ぶ声が聞こえるが、応える余裕がない。

自分の体以上に熱を放っているのは、胸元にしまってある物だった。熱に堪えながら、首から提げているそれを取り出す。

古さを感じさせる、見事な装飾の成された懐中時計だった。子供の頃に父から渡され、以来肌身離さず持ち続けていたものである。けれどそれが、今までこんな風に熱を、魔力を放つことなどなかった。

いや、時計自体が魔力を放っているというよりも、フローラの魔力を吸い取って力を発しているように見える。体の熱と、立っていられないほどの虚脱感はそれが原因と思われる。

まるで、祐一の覚醒と呼応するかのように、その力は発動を開始していた。

持ち主であるフローラの意志に反して力を発しながら、その力はフローラの心に働きかけ、何かを要求してくる。

 

――望む時を刻め

 

時計から響いてくる意志は、そう告げていた。

何のことだか、フローラにはその意味がわからない。けれど、それに従わなければ、いつまで経ってもこの熱は収まらない。

苦しさを覚える中、薄く目を開いて遠くを見詰める。視線の先には、強大な力が二つ存在していた。

片方は、突如襲ってきた謎の男。それと対峙して戦っているのは、彼女の兄、祐一である。両者の放つ力が激しさを増すほどに、時計の力も強さを増していくようだ。

やがて、両者の力が最大限に高まり、ぶつかり合った。

勝ったのは祐一。相手の男は傷を負わされたらしく、顔を押さえて苦しんでいた。

そこへ、さらにもう一つ、巨大な力の塊が現れた。

 

「っ!!」

 

三つ目の力の出現に、またしても時計が呼応する。

もはや、抑え込むことはできなかった。

 

――時を刻め!

 

心の中に響いてくる意志に抗うことができず、フローラは、自らの意識を解き放った。

辺りに、光が満ちた。

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、大陸の東西を結ぶ街道沿い。

道端に蹲っていたカレンは顔を上げて、遠くで天空に向かって伸びる一筋の輝きを見た。

 

「あれは・・・」

 

その光を見ていると、それまで体を苛んでいた痛みが治まっていく。

少し前に、遠くの空から響いてきた邪悪な力の波動を受けて、カレンの身体は激しく反応を示した。

特に、瞳に強い痛みを感じ、血の涙が流れ出た。

カレンの瞳は金色だが、生まれつきそうだったわけではない。幼い頃に出会った、金色の眼をした悪魔の影響を受けて、変色したのである。

後にそれが“金色なる闇の眼”と呼ばれるものだということを知った。

瞳に刻まれた金色は、闇の力に感応した聖痕の紛い物である。それが反応を示したということは、遠い地で“金色なる闇”の力が発現していることに他ならなかった。

しかし、それとは別の、大いなる力も感じた。

それはまさにあの天空へ伸びる光そのもの。天より降り来たりて地上に光をもたらす、聖なる力だった。

静かにその場に跪き、カレンは祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

サーガイアに程近い空で、夏海は遠くの空を見据えている。

これだけ離れていても微かにだが感じられる強大な力。一つは彼女がよく知る存在、莢迦のものに違いなかった。それと同質の邪悪な力が一つ。そしてまったく正反対の清浄な力が一つ。さらに今、同じく聖なる光に満ちた力が発現した。

何が起こっているのかはわからない。だが確実に、何か大きな運命が動き出す、その歯車を回すための力が覚醒した。そう感じ取ることができた。

 

「祐一・・・・・・」

 

力の正体は知れない。けれど、その内の一つが祐一のものであることは直感でわかった。

己の腹を痛めて産んだ子である。たとえ捨てたとしても、それを感じられないはずがなかった。何より、祐一が本当は魔力0ではないということを、彼女が知らないはずがなかった。

生れ落ちた瞬間、いや、それよりももっと前、まだ彼女の胎内にいた時、祐一は世界最高の魔術師たる夏海をもってして驚嘆に値するほどの魔力を秘めていた。否、それは正しい言い方ではない。

祐一は、彼女の息子は、世界の魔力と直結していた。

世界という超大な魔力の塊の、いわば祐一は蛇口だった。その力を、この地上に発現させるための媒体だったのだ。

しかし、あまりに大きな魔力を、幼い体は御しきれない。だから赤子の生存本能が、生れ落ちる時に蛇口を閉じたのだ。結果として、世界から得られていた魔力は消え去り、祐一は魔力を持たなくなった。

それが今、目覚めた。

 

「あなたは世界の意志を、奇跡を具現化させる存在。その力で、世界の真理を見せてみなさい」

 

彼の力を満ちさせるためならば、自分は母という立場を捨て、敵となってその力を発現させてみせよう。

 

 

 

 

 

 

 

美凪は、小さな教会の奥深くに隠しておいたものを取り出し、その力の鼓動を感じた。

 

「んに? 何それ?」

「・・・これは、鍵です。大いなる力を、真に解き放つための」

「その大いなる力の持ち主とやらが、あの小僧なのか?」

「・・・それはまだ、わかりません」

 

遥か西方の地を訪れていた往人達のもとにまで、その力の波動は届いてきていた。美凪が手にしたもの、刃のない剣の柄が、それに呼応するかのように淡く発光していた。

呼応しているのは、持ち主となるべき人物にか、それとも、対となるもう一つの鍵にか。

太古の昔、もはやどんな記録や記憶にも残っていない時代に奇跡を体現したという光の鍵、剣と時計。その片割れは今、目覚めた。

きっかけが何であれ、目覚めたということは、世界が何らかの形でその力を求めているということだった。

 

「・・・世界が、動きます」

「おまえがそう言うなら、確かなんだろうな」

 

往人は空を見上げる

世界が動く、などと言われても、大きすぎてすぐには実感がわかないものだろう。だが、ひさしぶりに往人の胸中は昂ぶっていた。

ずっと子供の頃から求めていたものを手に入れた往人は、目的を遂げた後には静かに世を流れていた。そんな中で出会った者達、幽や莢迦、智代達と共に過ごした日々は、確かに楽しかった。

だが今、本当の意味で心を昂揚させることが起ころうとしていた。

 

「楽しい劇が、始まりそうだな」

 

 

 

 

 

 

 

ぶつかり合う二つの戦意が、遠くの空から響いてくる力の波動を受けて、共に動きを止める。

辺りは、両者の戦いによって荒れ野原と化している。まさに暴風そのものな二つの戦意。片や真紅の眼に殺意を漲らせた鬼、片や巌の如き黒き身体を持った破壊の権化。

鬼斬りの幽とバーサーカー。

まさに最強と最強のぶつかり合いを行っていた両者の動きを止めさせるほどに、その力は強大だった。

 

「これは・・・」

「・・・・・・祐一、さん?」

 

両者の戦いを見守っていた二人の少女、バーサーカーの主イリヤスフィールと、幽の傍らにある少女栞は、やはりその力を感じて遠くの空へ目を向ける。

本当に微かに響いてくるだけの力から何かを読み取ることはできなかったが、栞は何となく、それがカノンで出会ったあの少年のものであると感じていた。強大で、けれど真っ直ぐなその力は、実に彼らしかった。

 

「フッ、おもしれぇじゃねぇか。てめぇもそう思うだろう?」

「ヴォオオオオオオオオ!!!」

 

黒い巨人が言葉を解したとも思われないが、幽の言葉に応えるようにバーサーカーが吼えた。

こうして向き合うことになったのは偶然だった。

いや、互いに最強と呼ばれる存在であるがゆえに、引き合って、力をぶつけ合うことになったのは必然か。覇王の居所を探して歩いていた幽を見付けたイリヤとバーサーカーは、これに戦いを仕掛けた。それに幽が応えて戦い始めて、既に数時間が経過していた。

戦いが如何に激烈を極めたかは、周囲の様子を見れば一目瞭然だった。

だが、それだけ戦い続けて尚、両者の力は衰えることなく、決着には程遠かった。

そして、遠くから響いてくる力の波動を受けて、両者の戦意はさらに果てしなく高まっていく。

 

「あいつらも全部叩き潰して、俺は自分の最強を証明する。まずはてめぇからだ」

 

幽は剣の切っ先を巨人へと向ける。

その殺気を受けて、バーサーカーが咆哮する。

二つの戦意は、己が最強であることを証明するべく、再び激突した。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

光が収まった時、そこには驚愕すべき光景が広がっていた。

莢迦とレギスの戦いによって破壊の限りを尽くされたはずの町は、その猛威が振るわれる前の姿へと、完全に戻っていた。

破壊された建物や道は何もかも元通りになっており、無残にも屍を晒していた人々は何事もなかったかのように生活の営みを続けていた。

まるで、時間が巻き戻ったかのように。

 

「・・・あはっ、あはははははははは! そう、そういうことだったんだ!」

 

声を上げて笑うのは莢迦だった。祐一は、ただ唖然としたままその光景を凝視していた。

 

「時の秘法。光のアーティファクト、世界最高の魔法具の一つ“クロノスの刻時計”・・・確かにこれなら、十二天宮が血眼になってほしがるのも、あなたが消し去ろうとするのもわかるね、レギス」

「・・・目覚めた、か。カノンの姫」

 

二人が何の話をしているのかはわからない。だが、危険な臭いがして振り返る。

だが、僅かに遅く、レギスは祐一と莢迦を共に無視して飛び出していた。

 

「やばいっ!」

 

今の言葉から、あの男の狙いがフローラにあることは明白だった。それに、今あの男が町へ向かえば、どういう原理かは知らないがせっかく元通りになった町が再び破壊されることになる。

そんなことを、許すわけにはいかなかった。

消耗した体に再び魔力が満ちる。痛みはあるが、意志の力が全身に活力を漲らせる。

今ならば、いくらでも動けるような気がした。

レギスを追って飛び出そうとする祐一だったが、その背に向かって、莢迦が制止の声をかける。

 

「待ちなよ。放っておいても、ダメージを負った今の彼じゃ、フローラに指一本触れることもできやしないよ」

「何でそんなことが言える!?」

「何でって・・・決まってるじゃない。今あそこには、誰がいると思ってるの?」

 

ハッとなった祐一が見据える先で、レギスはフローラに肉薄する間もなく後退してきた。

その行く手を阻んだのは、レイリスと智代の二人だった。レイリスが蹲るフローラの傍らにあってこれを守り、智代が両手にトンファーを構えてレギスと対峙していた。

激しく攻撃を繰り出す智代に押され、レギスは港まで戻ってきた。

 

「チィッ、おのれ・・・!!」

「莢迦や祐一の戦いに介入するつもりはなかったが、そっちがそのつもりならこっちも相手をするぞ」

 

智代はレギスと町との間に立って、それ以上通すまいとしている。細身の体から放たれる威圧感は、まるで壁だった。

攻めあぐねるレギスの背後に、祐一と莢迦が立ち、三人がかりで取り囲まれたレギスは忌々しげに舌打ちをする。前面にいる智代は動かず、しかし決してその場は通さないという強固な意志が感じられた。祐一は魔力を宿した剣を構えていつでも斬りかかれるよう力を漲らせる。そして莢迦は、踏み台にしていた巨大な牙に片手を突っ込み、中から分厚く反りのある長大な刀を引き抜いていた。

進退窮まったかに見えたレギスの気配が、不意に変わる。

これまではかなり乱れていた気が、一転して平静さを取り戻していた。

 

「・・・・・・これまでか。まぁ、予想外の事態も起こった以上、目的の半分を遂げられれば十分と見るべきか」

「おや、冷静だねぇ。たかが羽虫ちゃんに傷を負わされて怒り心頭かと思ったけど」

「無論、この傷の恨み・・・忘れんぞ、小僧! いや、相沢祐一!」

「誰が逃がすかよっ!」

 

地面を蹴って祐一がレギスに向かって斬りかかる。だが、切っ先が届く寸前で、レギスの姿は空気に溶け込むようにして消えていき、剣は虚しく空を斬った。

 

「逃げた、か。引き際をきちんと見極められる敵は手強いよねぇ」

 

肩を竦めた莢迦は、長大な刀の峰で地面に突き立ったままの牙を打ち据える。

片手で軽く振った程度に見えたが、相当な重量がありそうな牙は宙を舞い、海に落ちて沈んでいった。

 

「とりあえず、一件落着かな」

「・・・・・・いや、まだだ」

「ん?」

 

刀を肩に載せて息をつく莢迦に向かって、祐一は剣の切っ先を突きつける。

きょとんと惚けた顔をする女の顔を、祐一が真っ直ぐに見据える。

明確な敵意を向けられて、莢迦も目を細めた。

 

「何か言いたげだね」

「もっと、上手くやりようがあったんじゃないのか?」

「何のことかな?」

「いきなり先に町中で仕掛けてきたのはあいつの方だし、多少の犠牲は仕方なかったのかもしれない・・・けどな、その後おまえなら、もっと上手く立ち回れば被害を最小限に留めることもできたんじゃないのか? それをおまえは、むしろ進んであの場所を戦場に選んでいた」

 

祐一の怒りの矛先は、レギスのみに向けられたものではなかった。

むしろあの町の被害の半分は、莢迦にこそ原因があった。祐一がそうしたように、相手が莢迦を狙っていたのなら、それを人気のない場所へ誘い込むなり出来たはずだった。

それを莢迦はしなかったどころか、周りに被害が出るのもまったく構わずあの場で戦い続けた。

町を破壊するのも、人を巻き込んで殺すのも厭わず、攻撃を繰り出し続けた。

まるで、そこに人が生活する町などないかのように。

 

「何であんなことをした?」

「別に。理由なんてないよ。私は町で戦ったわけじゃない。私の戦っていた場所にたまたま町があった・・・それだけのことだよ」

「ふざけんじゃねぇっ!!」

 

激昂するに任せて、祐一は剣を振り下ろす。

 

ザンッ!!

 

切っ先から伸びた魔力が、地面を抉る。

斬撃をかわした莢迦は堤防から飛び降り、海へと落ちていく。だが水の中へ入ることはなく、海面を蹴って沖合いの方向へ向かっていく。

水面を滑って停止した時、莢迦は完全に水の上に立っていた。足下には、僅かに波紋が浮かんでいるだけである。

逃げた莢迦を追って、祐一も堤防から海面へ向かって跳ぶ。

やはり水を蹴って沖合いに向かい、水上で停止した。こちらは、激しく波紋を立てているが、同じく水の上に立っている。

 

「さてさて・・・君は一体どうしてそんなに怒っているんだろうね〜?」

「俺は! 平気で他人を傷付けるような奴が許せないんだよっ!!」

 

カノン大武会での事件の時からずっと感じていた、この激しい怒り。それは、理不尽な暴力によって不条理に奪われていく命、その事実が許せないからだった。

幼い頃から魔力0と呼ばれ、弱者として理不尽な蔑みを受けてきた祐一だからこそ、弱き者が力ある者に虐げられることの痛みをよく知っていた。それと同じ痛みを、誰かが味わうことになる。それは、嫌だった。

最初は、自分を虐げてきた者達を見返そうと思って力を求めたつもりだった。

けれど、それは違っていた。

祐一はそんなものは求めていなかった。祐一が力を求めたのは、自分のためではない。自分と同じ思いを誰かがすることのないよう、弱き者を守るための力こそ、祐一はほしかった。

誰かを守るためにこそ、祐一は力を求める。

力ある者が自らを正当化し、理不尽な暴力を振るうのは許せなかった。

 

「本当に、そうかな?」

「・・・なんだと?」

 

口元を歪めて、莢迦がその思いを揺さぶろうとしてくる。

 

「君は、自分のその力が何なのか、まだわかってないでしょ?」

「それが、どうした?」

「その力は、世界の欠片だよ。君が揮う力は、この世界そのものの魔力。君は世界の力と意志を具現化する代行者なの。うん、正義の味方みたいなものかもねぇ。ああ、それなら君の言い分は確かに正しいね。弱い人を守るのは正義の味方の特権だもんね。だけど・・・・・・私を敵視するのは、本当にそれが理由?」

「何が言いたいんだよ・・・?」

「理由なんてないでしょう、君が私と敵視するのに。だって私は、“金色なる闇”・・・この世界にとっての異端たるべき存在なのだもの。世界の意志の代行者たる君が、本能で私達を敵と見なしてもおかしくない。私のことも、レギスのことも、だから敵視する。弱者に暴力を振るったからどうとかじゃない、ただ単に、そこに敵がいるから君も戦っているだけなんじゃないの?」

「な・・・」

「だったら・・・同じじゃない、君と、私。正直に気持ちを言ってみなよ。許すとか許さないとか、関係ないでしょう。ただ私を――殺したいだけでしょう」

「違うっ!!」

 

振り下ろした剣が海を割る。がむしゃらに振った切っ先は相手には届かず、莢迦は海面を横へ向かって走る。

それを追って、祐一も駆け出した。

途中何度も剣を振るうが、いずれもかわされるか、刀で捌かれるかで、莢迦の身には届かない。

海面を走り続けて陸に上がると、莢迦はさらに加速して山中へ逃げ込む。既に町からはかなり離れていた。

 

ギィンッ!

 

慣れない海上と違って地に足がつけられる場所では、莢迦の速度も上がったが祐一の速度もそれ以上に上がっていた。追い縋り振るう剣が、幾度も莢迦の身を襲った。斬撃を時には受け、時には弾き、時には流しながら莢迦は尚も駆け続ける。

やがて開けた場所に出た瞬間、莢迦の姿が視界から消え去る。縮地である。その存在を失念していたことに、祐一は舌打ちした。

先ほどまでは、いつでも振り切れたのにそうせず、ただ誘っていたのだ。

背後に回りこまれた祐一は、剣を振る間はなく、体を転がして斬撃を回避した。

 

「うん、大会の時よりさらにいい反応だね」

「この・・・」

「さぁ、ここなら君の望み通り、誰にも被害を出さずに戦えるよ」

 

両手を広げて莢迦が笑ってみせる。

誘っていたのは、そのためか。ここで戦えば、誰かを巻き込むことはない。祐一が嫌う、理不尽な暴力で弱者が死ぬことはなかった。

ここでならば、守るとか守らないとかそういうことに気兼ねすることなく、全力で戦っても問題はないと、莢迦はそう言っているのだ。

 

「恥じることはないよ。闘争は人間という生物の根幹にある欲望の一つ、原初の意志。さぁ、光と闇、互いの存在を否定して、欲望の赴くままに戦おうよ、相沢祐一君」

「莢迦・・・おまえは・・・!!」

 

二人同時に相手へ向かって踏み込む。

激突する強大な力と力。縮地を使った踏み込みの速度では莢迦の方が上をいっているが、振り下ろされた剣に込められた力は祐一の方が上だった。

両者一歩も譲らぬ押し合いは、しかし莢迦の優位で決着がついた。

 

「ぐっ・・・!」

 

莢迦が振り抜いた刀の圧力に押されて祐一の体が吹き飛ぶ。

 

「残念! 武器の差が出たね。さっきレギスに折られた刀とは違う、これは私の切り札の一つ、竜牙刀。君のそのただの鋼の剣とは格が違うよ!」

「それが・・・どうしたっ!!」

 

消耗した魔力が足下から溢れ出してくる。少しずつだが、この力の扱い方を体が覚えてきた。

その力を剣にまとわせて、祐一は莢迦に向かって振り下ろす。

まともに受けるのは危険と判断したか、莢迦はスピードでそれをかわしていき、祐一の横合いへ回り込む。

 

「うぉおおおおおおっ!!!」

 

剣を振るうのは間に合わない。だから祐一は、全身から魔力を放出してその攻撃を防御した。

噴出す魔力に圧されて、莢迦が後退する。

下がる莢迦目掛けて、溜め込んだ魔力を切っ先から一気に解き放った。魔力は塊となって撃ち出され、莢迦の身を包み込んだ。

 

「くっ・・・!」

 

吹き飛ばされる莢迦に追い縋って、渾身の一撃を振り下ろす。

だが、剣は地面を抉っただけで相手の体を捉えることはなかった。そして次の瞬間、背中に衝撃が走る。

 

「がっ・・・!」

 

攻撃するために放出したために薄くなった魔力の守りを突き破って、莢迦の斬撃が背中を深く切り裂く。

背後に向かって剣を薙ぎ払いながら、祐一は後退して距離を取る。

今の攻防は互いにかなりのダメージとなったようで、両者ともに肩で息をしていた。

 

「ぜぇ・・・はぁ・・・ぜぇ・・・っ」

「・・・ふぅ・・・・・・強くなったね、この短期間で。でも、“金色なる闇の眼”の第二段階は、まだまだこんなものじゃないよ。さっきのレギスも、余力を残してたしね」

「何だろうと関係あるかよ。おまえやあいつがどんな力を持っていようと、その力を弱い者を傷付けるために使う以上、俺は絶対にそれを許さねぇ」

「まだ言うんだ。それが本当に、君の意志? もっと闘争の欲望に身を委ねなよ。それは決して、欲望に対する敗北じゃない。欲望すらも、自らの支配下において闘争を楽しむの。そう、幽みたいにね!」

「鬼斬りの幽・・・あいつか・・・・・・」

 

あの男もやはり、自らの戦いのためならば他人が傷付こうが気に留めることがなかった。

 

「どう? 幽のことを思い浮かべて。私とは違うでしょ。許すとか許さないとかそんな感情じゃない・・・私に対しては、純粋な殺意が浮かんでくるでしょう。それでいいよ。迷うことなく・・・」

 

莢迦の言葉が終わるのを待たず、祐一は再び斬りかかる。斬撃の速度は鈍っているが、莢迦の動きも遅くなっていた。先ほどの攻撃が、確かに効いている証拠だった。

剣戟の音が響き渡る。互いに譲らず、打ち合いが続いた。

だが、一番最初に限界が来たのは体ではなく、剣の方だった。

何度目かの激突の際、祐一の剣は根元近くから折れ飛んだ。数段上の強度を誇る相手の刀と、祐一の発する魔力の圧力に耐えられなくなった結果である。これでも、十分にもった方だと言うべきであろう。

武器を失った祐一の頭上へ、莢迦の刀が振り下ろされる。

明確な死が降ってくる。

それを受け入れてしまって良いのか。否だった。このまま己の信念を否定されたままで、死ぬわけにはいかなかった。

 

「おぉおおおおおっ!!!」

 

折れた剣の柄を振り上げる。

 

バチィンッ!!

 

収束された魔力は実体を持つに至り、莢迦の刀を受け止め、弾き返した。

怯んだ相手目掛けて、魔力の剣を振り抜く。直撃を受けた莢迦の体が吹き飛ぶが、その瞬間、顔を上げた莢迦の眼に鋭い殺気が宿るのを見た。

莢迦が全身から解き放った魔力波を受けて、祐一もまた大きく弾き飛ばされた。

互いに満身創痍になりながら、されどまだ倒れることなく踏み止まった。数メートル離れたところで対峙しながら、共に激しく息を乱している。

 

「はぁ・・・はぁ・・・俺は、負けねぇ・・・絶対に負けられねぇ! おまえを殺すためにじゃない。俺の信念を、貫くためにだ!!」

「・・・ふぅ・・・はぁ・・・ふふっ、そう。なら私は、その信念を打ち砕いてあげる。惜しかったね。ちゃんとした武器があれば、勝てたかもしれないけど、残念ながら君の負けだよ」

 

祐一はそれ以上何も語らず、魔力を極限まで込めた剣を振りかぶった。莢迦も腰を落とし、刀を脇に構える。

しばしの静寂の後――。

 

ダッ!

 

同時に地面を蹴って踏み込んだ。

 

「うぉおおおおおおおおっ!!!」

「はぁああああああああっ!!!」

 

絶大な力と力が、激突せんとした、その瞬間――。

 

 

バァンッ!!!

 

 

双方から繰り出された剣が、両者の間に発生した白く発光する壁によって止められた。

人一人簡単に消し飛ばすほどの力が込められた一撃を二つ同時に、完璧に止めてみせたその力に驚愕を覚える。

祐一と莢迦が同時に横を振り向くと、そこには智代とレイリスに支えられたフローラがいた。全身に激しく汗を掻いており、今にも気絶しそうなほど消耗しているのが一目でわかった。

そんな状態で、フローラは必死で懇願するように言葉を紡ぐ。

 

「お願い・・・です・・・。これ以上、二人が争うのなんて・・・見たく、ないです・・・・・・」

 

やっとの思いでそれだけを言うと、フローラの体から力が抜ける。少し焦ってレイリスを見ると、気を失っただけだと告げられ、祐一は安堵する。

フローラが気絶すると同時に、祐一と莢迦の間に発生していた壁も消え去った。

 

「限定空間の時間停止、か。絶対防御だね、こりゃ。でも、さっきの時間回帰に比べれば、このくらいはお手軽なものかな」

 

手にした刀を一振りすると、莢迦の手元からそれが消え去る。瞳も元に戻っており、先ほどまでの殺気が嘘のようになくなっていた。

訝しがって睨みつけながらも、祐一は急速に敵意が収まっていくのを感じた。

あれほど噴出していた魔力も鎮まっていき、大きな力を使ったことによる反動か、虚脱感に襲われる。手元の剣は、力の負荷に耐え切れなかったか、柄に至るまで砕け散っていた。

もう戦う気は起こらなかった。

それは、フローラに懇願されたからか。それとも、莢迦の言うとおり、祐一の中にある力が、莢迦の“金色なる闇”と反発したためだったのか、明確な答えを出すことはできずにいた。

 

 

 

 

 

三日後。

目覚めたフローラと共に、一行は再びサーガイア目指して旅を再開した。フローラが眠っている間、祐一と莢迦は一言も互いに話すことはなく、レイリスや智代とも、ほんの少し言葉を交わすだけだった。

どこか重苦しい空気の中、中心にいるフローラは塞ぎこんでいる。

何とかこの空気を払拭しようと顔を上げかけるのだが、すぐに意気消沈して俯いてしまう。

他の皆も何を言うべきかわからず、黙ったまま歩き続ける。

 

「フローラ」

「は、はいっ!」

 

不意に莢迦に呼ばれて、フローラは弾かれたように返事をする。

 

「今後は、あんな無茶な力の使い方はしたらダメだよ。覚醒したてだったから何とかなったようなものの、時間回帰は他の誰も成功しえてない至上の奇跡なんだから。それができるのはただ一つ、光のアーティファクトたる“クロノスの刻時計”だけ」

「・・・これ、ですね」

 

首から提げた時計を握り締めて、フローラは自分の行ったことを思い出しているようだった。

町一つの時間を、丸ごと巻き戻す。それがどれほどの奇跡であるかは、誰もがよくわかっていることだった。

 

「時間を加速させる、減速させる、停止させる・・・そこまでだったら、その時計の力を利用すればわりと普通にできるはず。だけど、時間回帰だけは滅多なことでは使うべきじゃない。寿命を縮めるか、下手をしたら自分の命を代償にすることになる」

 

フローラが息を呑む。その強大な力が、軽率に揮うべきものでないことを噛み締める。

 

「君の方も、気をつけなよ」

「・・・・・・・・・」

「世界の魔力は人間の手には余るものだから、慣れない内から無茶な使い方を繰り返せば、体を壊すことになるからね」

 

祐一もまた、己の中に眠っていた強大な力の存在を思って拳を握り締める。大きな力は、使い方を誤れば、望む望まぬに関わらず誰かを傷付けることになる。

もしあの時、フローラの制止を受け入れず、莢迦と戦い続けていれば、結果としてフローラを傷付けることになっていただろう。

理不尽な暴力をもって誰かを傷付ける者は許せない。それがたとえ、自分自身であっても。

自分の心に、深くその戒めを刻み込んだ。

 

「何でわざわざ、俺にも忠告する?」

「だって、私と君の勝負は、まだついてないでしょう」

「・・・・・・・・・」

「直接やりあうとフローラが泣くから、剣を交えることはもうないかもしれない。でも、君の信念が真か否か・・・これから先ずっとかけて、見極めさせてもらうよ」

「・・・いいさ。なら見てろ。俺はおまえや鬼斬りの幽とは違う。俺のこの力は、誰かを守るため、理不尽な暴力を振るって人を傷付ける奴と戦うために使う。それが、俺の誓いだ」

 

祐一と莢迦は、互いに相手を目を見据え合う。

この勝負は、決してすぐに決着がつくことはないだろう。これから先何年も、戦いの中に身を置く限り、ずっと続いていく。祐一の信念が折れるか否か。

きっとそれは、二人がはじめて出会った時から始まっていた。

そしてこれから先、長い、長い間続くことになるだろう。

 

「俺は、絶対に負けねぇ」

「楽しみにしてるよ」

 

勝負はまだまだ、始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとがきというか、言い訳?

 一応、一区切りと言いますか、これで、一先ず、終わり。ジャンプの連載打ち切りみたいな終わり方というか、思い切りそれを意識して書いたものだったりする。どうしても先が続けられそうにない、けれど、書くべき事柄に対するけじめはつけるべきと思い、当初の予定ではChapter3に持ってくるはずだった、祐一が自らの信念を叫ぶシーンと、さらにもっと先に起こるはずだった二人の主役、祐一と莢迦の戦いを挿入することでラストっぽい演出にしてみた。実際、足りない部分は多々あるけれど、この物語で通じてテーマとしたいものの欠片ではあるけれど、その本筋はこの話に集約してある、はず。
 読み手側から見れば大いに不満であろうし、作者自身納得がいくところまで書けているわけではないけれど、まずはここで一つのけじめのような区切りといった感じにしたいと思う。いずれ・・・とか言い出すとまた期待させてしまうかもしれないけど、当面はないけれど、或いは続きが描かれる日が来る可能性も否定はできないが・・・とりあえず、己の不甲斐なさを噛み締めつつ、カノン・ファンタジアを終わらせたいと思う。

 ここまで読んでくださった方に多大な感謝と謝罪をさせていただきます。