カノン・ファンタジア
2.覚醒の刻
−5−
誰が予想できただろう。
ほんの少し前まで、平穏で活気に溢れていた港町の風景が――阿鼻叫喚の地獄絵図に変わることを。
「何だ・・・あいつは?」
祐一達は、フローラを守るような形で黒衣の男と対峙する。
莢迦だけは数分前までと少しも態度を崩さず、港へ入ってくる船を眺めたりなどしているが、祐一と智代が前面に立ち、レイリスがフローラを背に庇うようにしている。
相手の正体はわからないが、一つだけ確実なのは、男が彼らにとって友好的な存在はない、ということだった。
道行く町の人々は、日常風景の中に生まれた異質な空気を怪訝そうに見ており、けれど異様さゆえに近付こうともせず、遠巻きに眺めていた。
「誰だ! おまえは!?」
姿や気配が異様なだけならば、それだけのこととしてやり過ごしたかもしれないが、男の意識は明らかに祐一達に向けられている。
ただ正確には、前にいる三人に関しては、まるで関心がないようだった。
「・・・貴様達に用はない。私が用があるのは、後ろの二人だけだ」
実際に、男は己の目的を言葉にして明確にした。
フローラが目的と聞いた瞬間、レイリスの緊張感が高まるのがわかった。どうやら、レイリスは完全にこの男を敵として認識したようだ。
祐一と智代はまだそこまでの敵意は抱いていないが、警戒は緩めずにいる。
「カノンの王女、おまえの持つであろう力の正体、見極めさせてもらう。そして・・・魔女」
男は、フローラの素性を知った上で現れたようだった。そして、フローラから莢迦へとその視線を移すとき、さらに異様な気配は高まった。
ゆっくりとした仕草で、男が黒衣のフードを外す。
素顔が露になると、その鋭い視線が強い眼光を放って莢迦の姿を射抜く。
「何故貴様は、覇王や私と同じ“金色なる闇の瞳”をしている?」
その言葉を聞いた瞬間、それまでずっと無関心だった莢迦がピクリと反応した。
顔を半分だけ振り向かせた彼女の表情は、珍しく僅かな驚きに彩られていた。莢迦の視線が向かう先には、彼女のそれと同じ、金色の眼をした黒衣の男がいる。
角のように逆立った髪に、青白い肌をした、若い男の風貌は、普通の人間とはどこかかけ離れた印象を受けた。それを見て、莢迦がさらに関心を深めたように口を開く。
「へぇ、純粋魔族に会うのはひさしぶりだね。で、私に何の用?」
「無論その瞳が、真実我がものと同じか、確かめさせてもらう」
ごく自然な感じに、男が右腕を上げようとする。その動作が行われようとした瞬間、祐一は背筋に寒気が走るのを感じた。
あれは、ヤバイ、と。
だが、反応するにはあまりに遠い。
間に合わないと思った瞬間、男の眼前に莢迦の姿が現れる。
ガッ!
縮地による踏み込みと、神速の抜刀。莢迦の刀は男の右腕と交差している。
だが、祐一が知る限り最速たるその行動も、ほんの僅かに相手を上回っただけに過ぎなかった。
ズドォォォォォォン!!!!!
衝撃が真横から襲ってくる。
堪らず祐一達は、爆風に吹き飛ばされる。祐一と智代は数メートル飛ばされたところで踏みとどまり、レイリスは安全圏までフローラを連れていった。
爆風が止み、顔を上げたところで、ようやく祐一は何が起こったのかを知った。
祐一達がいた場所のすぐ横が、幅数メートルに渡って消し飛んでいた。道も、家も・・・・・・人も。何もかもが、跡形もなく消し飛んでいた。
「な・・・・・・っ!?」
そのさらに向こう側では、祐一達と同じく爆風に吹き飛ばされた人達が転がっている。何人かは呻いたりして、まだ生きていることがわかるが、飛ばされた際に打ち所が悪かった者は、動くことはなかった。
そして、爆心地にいた人間は全て、消えていた。
当たり前に生活をしていた人達が、突然の攻撃によって、一瞬にして死体すら残さずに消え、死んだのだ。
先の大武会の時も、大勢死んだ。
あまりに呆気なく、あまりに理不尽に。
長く続いた戦乱の間は、そうしたこともたくさんあっただろう。けれど、ようやく平和になって、誰もが皆普通に暮らせる世の中になったはずだったというのに、またこうして、理不尽な暴力の前に人の命が失われた。
死ぬかもしれない、そんな予感を抱くことすらなく、あっさりと――。
「――っの野郎ッ!!」
祐一は背負った剣の柄を掴んで、屋根の上の“敵”を睨みつけた。
今の攻撃、莢迦が反応しなければまともに自分達に向けられ、自分達の方が消し飛んでいたかもしれないことなどどうでもよかった。ただ、そんな攻撃を、町中の人の多い場所で、何の遠慮もなく放った相手に対して、祐一は激しい怒りを抱いた。
「・・・・・・・・・」
ちらりと、莢迦は後ろを見やる。
祐一達が無事なのは気配でわかっている。ただ、今の一撃はその僅か1、2メートルほど横を通過していた。
最速で反応したつもりだったが、ほんの少し攻撃の軌道を逸らすに留まったことに、軽い驚きを覚える。
「鈍ったかな?」
「そう思うのは自由だが、その程度では到底私の敵ではない」
素手で莢迦の斬撃を止めている男が、冷ややかな眼で莢迦のことを見下ろす。
「言ってくれちゃうね。それよりも今・・・・・・本気で殺す気だったね?」
「これくらいで死ぬようならば、はじめから用はない」
「私じゃなくて。フローラにも用があるんじゃなかったの?」
「それも同じだ。むしろ、私としてはあの小娘には消えてもらった方が都合が良い」
「どういうこと?」
相手の意図が掴みかねた。
確かに共に過ごすようになって数日、フローラのことを知れば、彼女が魔族にとって好ましくない力の持ち主であることはわかったが、それにしてもこれほどの実力を持った魔族が警戒するほどのものではない。
だとすれば、覇王十二天宮が狙っていたカノンの秘宝とやらと何か関係があるのか。
では、十二天宮が欲しているそれを消そうというこの男は一体何者なのか。
「あんた、何者・・・・・・・!!」
「うぉおおおおおおおお!!!」
迫り来る気迫の塊を感じて、莢迦の言葉が止まる。
横を振り向けば、下から一気に跳躍してきた祐一が、振りかぶった剣を振り下ろすところだった。
ズンッ!
渾身の一撃を屋根の瓦を粉砕するが、標的とした相手は余裕の体でそれをかわし、隣の家の屋根へと飛び移っていた。
振り下ろした剣を持ち上げ、祐一は敵である黒衣の男へと切っ先を向ける。
「てめぇ・・・絶対許さねぇっ!」
「貴様に用はないと言ったはずだ。失せろ、羽虫」
「こらっ、祐一君! 君、今私ごと斬ろうとしたでしょ!」
危うく巻き込まれかけた莢迦が文句を口にするが、頭に血が上っている祐一は聞いていなかった。
無視されたことで莢迦は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、追求はせず、敵の方へ向いて先ほど途中だった質問を改めて投げかける。
「で、あんたは一体誰?」
「我が名はレギス。が、今は覇王十二天宮が一人、アクエリアスとしておこう」
「覇王・・・十二天宮・・・・・・またおまえらなのかよっ!!」
「十二天宮? それが何で・・・」
莢迦が訝しげな顔で首を捻るが、祐一は気にせず再び剣を振りかぶる。
だが、踏み込む姿勢を取った瞬間、レギスの姿は祐一の懐にあった。
(速いッ!)
おそらく祐一には、頭で反応する暇すらなかっただろう。莢迦でさえ、動いた瞬間を捉えるのがやっとだった。
ドンッ!
レギスの突き出した掌が祐一の胸を突き、祐一の体は凄まじい勢いで吹き飛んで、建物を何軒も薙ぎ倒しながら見えなくなった。
「うわっちゃ〜、生きてるかな祐一君?」
「羽虫を払うには少々力を入れすぎたか。まぁよい」
もう、たった今吹き飛ばした相手には興味を失ったように、レギスは莢迦の方へと向き直る。
おどけた態度は崩さずに、けれど最大限に緊張した状態で莢迦は目の前の相手と対峙する。
これほどの実力を持った相手に会うのは、実にひさしぶりだった。
「四年前に姿を見せなかった十二人目、まさかこんな隠し玉が覇王の部下にいたなんてね」
部下という言葉を自分で使っておきながら、その不自然さを自ら笑う。
この男の力は、覇王と同等かそれ以上だった。そんな男が何故覇王の部下という立場にいるのか。何故他の十二天宮が狙っているはずのカノンの秘法とやらを逆に消そうとしているのか。疑問は様々あるが・・・。
「ま、いいや」
どうでもよかった。
「私と、私のフローラに手を出そうとした、それだけで充分だね」
目の前にいるのは敵、ただそれだけのことだった。
「私に喧嘩を売ったこと、後悔するよ」
「させてみるがいい」
言葉はそれまで。
一瞬にして爆発的に魔力を高めた両者は、その場から同時に跳躍した。
バッ!
先に仕掛けたのは、レギスの方であった。右腕を突き出し、先ほどと同じ光波を放つ。
しかし、同じ攻撃も二度目ともなれば、余裕をもって対応できた。
莢迦は動きの鈍る空中で体を捻って光波をかわし、さらにその風圧を利用して相手のさらに上を取る。
「今度はこっちの――」
片手で肩越しに刀を振りかぶる。するとその周囲に、無数の炎弾が生じる。
「――番だねっ!」
刀を振り下ろすと同時に、それらの炎弾が一斉にレギス目掛けて降り注いだ。
散弾銃のように広範囲に向かって放たれたそれは、少し素早く動いた程度でかわせるものではなかった。
レギスは、いくつかはかわし、いくつかは防ぎつつ凌いでいく。
当然のことながら、敵に命中しなかった弾丸は、そのまま眼下の町へと降り注いだ。
「その程度で・・・」
「じゃ、この程度なら?」
「ッ!」
余裕の表情を見せながら炎弾を防いでいたレギスの眼前に莢迦が迫る。炎に紛れ、自らも接近していたのだ。しかしそれを、レギスは直前まで気付かなかった。
ガッ!
咄嗟に斬撃に備えたレギスの頭部に、莢迦は蹴りを叩き込んだ。
「ぶほぉっ!」
仰け反る相手に向かって、連続して斬撃を放つ。
ギギィンッ!
左右の腕でそれを弾くレギス。斬撃が己の身を切り裂くに至らないことを確認すると、レギスは刀が振り下ろされるのにも構わず正面から突っ込んでくる。
レギスの腕が莢迦目掛けて伸ばされる。爪が肩を掠り、血が噴き出した。
だが同時に、レギスの体からも、人の赤い血とは違う、緑色の血が流れ出ていた。
「ぬぐ・・・っ」
「本気で斬れないとでも思った?」
振り下ろされた莢迦の刀の切っ先が、レギスの肩に食い込んでいた。
互いに同じ箇所に傷を負った両者は、一旦離れる。
「それくらいはしてもらわなくてはな・・・ならば」
両腕を左右に広げるレギス。その金色の両眼が妖しげに光ると、腕の一部が盛り上がり、爪か牙のような形状の鋭い刃を形成した。
ドンッ!
気合の掛け声もなしに、足下で魔力を爆発させた勢いでレギスが突撃する。繰り出される刃を刀で受け止めた莢迦は、突撃の勢いまでは止められずに押し出される。
屋根の上から落下した両者は、家々を破壊しながら着地する。周囲に悲鳴が巻き起こるが、二人は気にも留めず互いに攻撃を繰り出す。
辺りに血が飛び散るが、二人のものではない。二人が振るう刃の余波が、近くにいた人間を巻き込んだのだ。さらに一振り、二振りと繰り返す内に周りの壁や天井も破壊されていく。
落ちてくる天井の瓦礫を煩わしげに払いながら、莢迦とレギスは戦いの場を移して行く。
建物の中から道へ、また建物の中へ。その度に人々の悲鳴が木霊する。けれど人々の嘆きも虚しく、二人の戦いは周囲に破壊と殺戮をもたらしていく。
ギィンッ!
悲鳴の中心には、打ち合わされる金属音が響き渡る。
莢迦の繰り出す斬撃をレギスが右の刃で受け、左の刃で反撃すると莢迦は体を仰け反らせてそれをかわす。後ろへ傾いた体重をそのまま利用して、バク転するようにレギスの顎を蹴り上げる。数歩よろけたレギスはしかし倒れず、距離の離れた莢迦へ光波を放つ。
何軒もの建物が一撃のもとに破壊された。そうして出来た穴を通って、莢迦は屋外へと逃げ、レギスはそれを追っていく。
道へ出た両者は数度刃を交えると、壁を蹴って屋根の上へ、さらに上空へと跳躍しながら魔力を練り上げる。
「てぇぇぇいっ!!」
「ぬぅっ!」
両者が同時に光波を撃ち合う。
空中でぶつかり合った魔力はまったくの互角で、衝突によって互いに相殺し合う。飛び散った魔力は火の粉となって、またしても町へ降り注ぎ、新たな破壊をもたらす。
相殺した際に起こった爆発に紛れて、莢迦はレギスに肉薄し、カウンターを狙って繰り出された相手の刃の片方を弾き、片方を掴んで逆に相手の体を引き寄せる。
ガシッ!
刀を持っていない左手で相手の頭を鷲掴みにすると、突っ込んだ威力を利用してレギスの体を屋根の上に押し付けながら引きずっていく。
隣り合わせに繋がっている建物の屋根をいくつか通り過ぎ、途切れたところで跳び上がり、左腕を大きく振りかぶる。
「どっりゃぁあああ!!!」
そして掴んだ相手を、思い切り下へ向かって投げた。
ドォンッ!!
隕石のような勢いで落下したレギスは、建物を破壊して地面に叩きつけられる。
上空では、莢迦が刀を振り上げ、その周辺に先ほどの数倍の数にあたる炎弾を生み出していた。
まだ眼下には、逃げ遅れている人間の姿がいくらか見えた。
だが、莢迦は一瞬の躊躇いも見せず、刀を振り下ろした。
ドドドドドドドドッ!!!!!
炎弾は誘導弾の如く、レギスが落下した地点を正確に目指して降り注ぐ。
着弾による爆発はどんどん連鎖していき、辺り一帯を次々に破壊していく。
さらに、とどめとばかりに放たれた特大の一撃が落ちると、凄まじい爆発が起こって半径十数メートルに渡って全てを吹き飛ばした。
爆心地から黒煙が上がるのを眺めながら、莢迦は少し離れた位置で無事だった建物の上に降り立つ。
その表情は楽しげに歪んでおり、金色の瞳は妖しく光を発していた。
「くっくっく・・・あっはっは、ハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!!!!」
その光景を前にして、フローラは地面に腰を落とす。
何度も何度も、レイリスから見るなと言われ、それでも目を離せずに、その光景を見続けていた。
何度も何度も、姿が見える度に「やめて」と叫び続けたが、その声は少しも相手に届いていなかった。
何度も何度も、目の前の地獄絵図を否定しようとして、その度に現実に打ちのめされる。
そんな妹の姿を、祐一は白くなるほど唇を噛み締めながら見ていた。
レイリスと智代に助け起こされた体は、痛みが激しく思うように動かない。
たった二人の破壊者によって蹂躙されていく町の惨劇を、ただ黙って見ていることしかできない己の無力さに歯噛みする。
「なんなんだよ・・・これはっ!」
何もかもがわからない。あまりに理不尽すぎた。
町の惨状も、その光景を見て心を痛める妹の姿も。
そして全てに対する激しい怒りが込み上げてくる。
突然攻撃を仕掛けてきたレギスにも、その敵との戦いで町を壊すことに何の躊躇もしない莢迦も、こんな状況でありながら冷静でいるレイリスと智代に対してさえ怒りを覚えずにはいられない。
怒りのぶつけどころがなければ、心が壊れてしまいそうだった。
けれど一番強い怒りを覚えているのは、この惨状を前に何もできずにいる自分自身の無力さに対してだった。
「ちくしょうぉーーーーー!!!」
町を包み込む炎に向かって、その炎の中心で哄笑する女に向かって、悔しさを吐き出すように声を上げる。
だがその声は、赤く染まった空に虚しく響くだけであった。
to be continued
あとがき
さてひさびさの戦闘なれど、すごいことになっておる。魔女莢迦vs魔族レギス、周囲の被害をまったく省みないバトルを繰り広げておる。さぁこのままどうなってしまうの、というところで次回へつづく!