カノン・ファンタジア

 

 

 

 

2.覚醒の刻

 

   −3−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

一国の王女としての重責を背負い、しかし普段はそれをおくびにも出さず毅然とした態度で公務に臨み、王位継承者としての威厳充分と目されるフローラも、素顔はまだ若干16才の少女である。基本的にのんびりとした性格の彼女にとって、全ての責務から解放される睡眠時間、特にそれを深く認識できる朝のまどろみは至福の一時であった。

起床時間になってレイリスが起こしに来るまでのこの一時が、彼女の日々を構成する要素の中で2、3番目くらいの楽しみだった。

 

「ん〜〜〜」

 

そんな小さな幸せを噛み締めながらシーツに包まって寝返りなどを打つ。

 

むにっ

 

「・・・むにゅ?」

 

転がった際に前に伸ばされた手が、何か柔らかいものに触れた。少し暖かいそれは、朝の冷えた体には恋しいもののように思えた。

そこはかとなく危険な匂いを感じながら、まだ半覚醒状態で思考能力が鈍っている頭ではそれが何か理解できず、ただ本能に任せてその何かを手繰り寄せようとする。

さらに手を伸ばして二度三度それに触れると、今度は向こうの方からもぞもぞと寄ってきた。

はて、あちらから動いてくるこれは何だろう、と再び寝起きの頭で考えようとする。頭の中で何か警告音が鳴っているのだが、眠りを妨げる要素となっているので鬱陶しいだけだった。

そうこうしている内に、柔らかくて暖かい何かがにじり寄ってくる。そしてすぐ傍まで近寄ってきたところで――。

 

がばっ!

 

逆に一気に抱き寄せられた。

 

「っ!?」

 

ぱちり、と目を見開く。

寝惚けていた頭が今ので一瞬にして覚めた。

覚醒した頭で自分の置かれている状況を鑑みる。

最初に目に入ってきたのは、顔を覆ってくる艶やかな黒髪。そして、頬に押し付けられた白い単の着物。その二つから連想される人物に一人心当たりがあった。

その人物に、フローラはがっちりと抱きしめられていた。

というよりも、抱き枕状態にされていると言った方がわかりやすい。

 

(うわっ、わっ、わぁっ・・・!)

 

朝っぱらから刺激の強すぎる状況に、フローラの顔が茹で上がったように紅潮する。

しかもあのまま行っていたら自分の方から抱きついていっていた可能性もあることに思い至って尚恥ずかしい思いが込み上げてきた。

だが、恥ずかしくはあるが、慌ててはいない。何故ならば、こんな光景にも既に慣れてきているからである。

最初は大武会の二日後の朝のことで、いきなりベッドの中にいたので心底驚いた上で、大会後行方がわからなくなっていた相手との再会を喜んだ。

それ以来、彼女は三日と空けずにフローラの部屋に遊びに来る。

自分を王女としてではなく、一人の少女として、友人として扱う彼女の態度は、フローラにとって今までにない嬉しさを与えてくれる。また王女としての責務を背負う自分とは正反対な自由奔放な彼女の姿は、憧れの対象にもなっていた。

そんな相手であるため、この状態も恥ずかしくはあるが、同時に嬉しくもあった。

優しくも厳しいレイリスとは違い、自分にとことん甘えさせてくれる姉という印象である。しかし、奔放な彼女と厳格なレイリスは対立する存在ゆえにいつも衝突していた。

 

(最初の時なんかすごい剣幕だったもんね、レイリスさん。・・・・・・・・・レイリスさん?)

 

はて、何か大切なことを忘れていないだろうか、と思ったところへ――。

 

こんこんっ

 

「フローラ様、失礼致します」

 

控え目だが、よく通るノックの音とレイリスの声。いつの間にか起床時間になっていたようだ。

声を聞いた瞬間、フローラの全身からどっと汗が噴き出した。

この状況は非常によろしくない。

ただでさえレイリスは彼女が無断でこの部屋にやってくるのを快く思っていないのだ。フローラが懇願したため、来ること自体は黙認してくれるようになっていたが、こんな状況を見られたらどんな事態になるか。

 

「いけないっ、莢迦さんっ、起きて!」

 

自分を抱き枕にしている相手に向かって小声で呼びかける。

とりあえず抱きしめられている状態だけでも何とかしなくては一大事となる。

 

「莢迦さんってば〜〜〜!」

「むにゅぅ」

 

しかし呼びかけても一向に莢迦は目を覚まさず、それどころか寝惚けた様子でますます絡み付いてくる。

 

「ちょっ、莢迦さん! くすぐった・・・じゃなくて起きて早く大変だってば!」

「何が大変なのですか?」

 

サッと血の気が引くのを感じた。

寒気がするのはシーツを剥ぎ取られたからだけではあるまい。ぎこちない動作で首を動かして視線を上へ向けると、レイリスが冷たい目でベッドを見下ろしていた。

 

「いやっ、あのっ、レイリスさ・・・これは・・・」

 

しどろもどろになって言い訳しようとするフローラに向かって、レイリスは少しも表情を変えずに、口元だけを軽く釣り上げてみせた。そうすると顔は何となく笑っているように見えるのに、目はまったく笑っておらず、しかも額にはうっすらと青筋が浮かんでいる。

 

「ひっ、ひぇ〜っ・・・レイリスさん怖い! その顔怖いってば!!」

「とりあえず、その抱き枕は粗大ゴミにしてしまってよろしいですか?」

「え、え〜と〜・・・わ、私の一存では何とも・・・・・・」

「わかりました。では少々かさばりますが、燃えるゴミにしておきましょう」

「そ、それは何かが違うんじゃ・・・?」

「問答無用です」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

扉の横で壁に寄りかかりながら、祐一は室内の喧騒を聞くともなしに聞いていた。

もう何日も繰り広げられていることなので、音だけで何が起こっているのかは大体想像がつくし、既に日常の一つとして慣れた。

 

「やれやれ・・・」

 

朝っぱらから揃いも揃って元気なことだと思った。

大武会以後、祐一の立場は表向き、王室警護長の側近、つまりレイリスの直属の部下で王女の護衛騎士ということになっており、城内の宿舎で寝泊りをしていた。大会での活躍が国王の目に留まり、またレイリスの推薦もあって決まったこととなっている。

だが城内を歩いているとたまに、特に古くから仕えていると思しき人間から、ささやかながら、一騎士に対するものではない礼を尽くされることがある。おそらくそうした人間は、祐一の素性を知っているか、それを察しているのだろう。今さら王子になるつもりはない祐一には、少し煩わしいことだった。

それも今日までのことである。明日の朝には、王都を離れ、サーガイアへ向かうことになっている。

 

 

 

朝の馬鹿騒ぎが終わると、莢迦はどこかへ姿を消し、フローラとレイリスは公務に向かう。

普段ならば王位継承者とはいえまだ16才のフローラにあまり多くの仕事はないのだが、大会での一件以後は有事ということで、色々と奔走している。

護衛騎士という立場にある祐一は、彼女が行く先々での警備に当たっていた。

 

(しかし、これだけの警備体制にありながら・・・)

 

当然のことながら、大会以後城内の警備は倍以上に強化されている。

にもかかわらず、誰一人として連日起こっている莢迦の侵入に気付いていなかった。

そのこと自体はフローラ自身が望み、レイリスが黙認しているから良いのだが、これは要するに、莢迦と同等の技術があれば容易に潜入できるということだった。

覇王軍にそれだけの相手がいるのかどうかはわからないが、仮にいた場合、護衛するにも後手に回らざるを得ない。

敵の敵は味方と考えるならば、莢迦も覇王軍に対しては警戒しているだろうと思いたいが、それは他力本願というものである。何より、あの女は信用ならない。むしろ敵の潜入に気付きながら、わざと見過ごす可能性すらある。

バルコニーに出て、一番広い視界を確保できる位置に陣取ってはいるが、有視界だけでは限界がある。こういう場合は、魔力感知ができないというのは痛い。また仮にできたとしても、莢迦のように完璧に魔力の気配を遮断されてしまっては、見つけ出すことは困難を極める。というところで思考のループに入らされる。

結局護衛という任務は、常に後手になるしかないのだった。

 

「あ、兄様・・・」

 

歩き回っていると、外へ出てきたフローラに出くわした。

一応誰が見ているかわからないので、形の上だけでも礼をしながら小声で注意をする。

 

「あまり大きな声でそうやって呼ぶな。誰が聞いてるかわからないぞ」

「あ」

 

ハッとしたフローラが口を押さえる。公式上は、フローラに兄と呼ぶべき人物は存在しないのだ。

けれど、祐一の態度がおもしろくないのか、フローラは少し膨れた顔をして駆け出していく。それを目で追っていくと、フローラはバルコニーの中央、一番城側から離れた場所に移動していった。

 

「この位置なら、大きな声で喋らなければ誰も聞こえませんよ」

 

追いかけていくと、フローラは笑いながら得意げに言う。

確かにその通りだが、声は聞こえずともここではどこからでも姿が見えてしまう。長年仕えているレイリスならともかく、表向きは新参者な祐一と王女が親しげに一緒にいる姿を見られるのはあまりよろしくない。

そう思ったのだが、何故自分がそんなことに気を使わなければならないのかと不意に馬鹿らしくなった。

元々祐一が国王の息子でありながら王族として認められなかったのは、体面を気にしてのことだった。そのせいで理不尽な半生を送らされてきた自分が、どうしてまた体面を気にするような真似をしなくてはならない。むしろ、王家の面子を潰してやるくらいのことをしても罰は当たらないのではなかろうか。

もっともそんなことはしても意味がないのでやらないが、とにかく祐一が王家の体裁を気にしなければならない義理はどこにもない。

 

「そうだな」

 

それにフローラ自身からも、公の場以外では兄妹の関係でいたいと言われていた。ならば、それらしく振舞おうと思う。

事情はどうあれ、自分を捨てた親に、ひいては王家に対して割り切れない気持ちも抱いてはいるが、少なくともこの少女には何の罪もない。

だが、いざこうして二人きりになってみると何を話せばいいのかわからなかった。

そもそも祐一は、まともに人付き合いなどしたことがない。数少ない好意を持って接してくる相手も邪険にしていたため、普通に接する手段というのがわからなかった。

どうやら理由は違えど、フローラも同じように何を話そうか迷っているようだった。しかもいつになく緊張しているように見える。

 

「えっと・・・こ、こうやって二人きりになるのって、実ははじめてですよね?」

 

ようやく口を開いたフローラに言われて、祐一もその事実に気付いた。

 

「あー、確かにな」

「いつもレイリスさんか莢迦さんが近くにいたから・・・」

 

特にレイリスは一日の内ほとんどフローラの傍を離れる時間がない。さらにここ数日は、レイリスがいない時間帯はほぼ確実に莢迦がフローラの下にいた。そのため、祐一とフローラが二人きりで会う場面というのは一度もなかった。

そのことに思い至って、ますます二人とも緊張した。

これまで普通に接することができていたのは、間にレイリスというクッション役がいたからだった。双方と親しい彼女がいたため、はじめて接する相手でありながら、二人の仲は良好に保たれていたのである。

互いに相手を意識しつつ、けれどどちらも話を進められない。そんな状態がしばらく続いた。

 

「・・・あ、あの・・・兄様」

 

先に沈黙を破ったのは、フローラの方だった。

 

「やっぱり、怒ってますよね?」

 

そして口にしたのは、祐一が、そしておそらくフローラも、これまで避けていたであろう事柄だった。

同じ血を分けた兄妹でありながら、二人の間にある隔たり。その溝は、そう易々と埋まるものではない。たとえ祐一が心の中ではもう何とも思っていないと考えていても、フローラの側からすれば負い目があり、そのことが彼女の心を不安にさせるのだろう。

 

「おまえが悪いわけじゃないだろう」

「・・・でも私は、もうずっと前から知ってたのに・・・。私もレイリスさんみたいに、もっと早く・・・」

「いや、それはやめておいた方がよかっただろ」

 

たぶん、こんな風に接せられるようになったのは、それなりの歳になって、それなりに世の中を知るようになったからだと思った。

もしも、まだ世間をロクに知らない頃に会っていたら、何の罪も無い妹にまで、辛く当たっていたかもしれない。子供というのは、何も知らないがゆえに、時にひどく残酷になれる生き物だった。

 

「おまえが負い目に感じることなんて何もない。仮に城に残ってたとしても、俺が魔力を持たない人間だってことに変わりはないんだしな」

「・・・どうして兄様は、魔力を持たずに生まれたのでしょう?」

「さあな」

 

そんなことは、今まで散々考えた。けれど答えなど見付からないから、いつしか考えることをやめていた。今となっては、別に理由を知りたいとも思わない。

けれど、フローラはさらに続ける。

 

「私、兄様の話をお母様から聞いた時・・・・・・あの人のことも、一緒に少し聞きました」

「・・・・・・」

 

あの人、というのはおそらく、大武会の会場で会った、祐一の母親だと名乗ったあの女のことであろう。

 

「とても、偉大な魔術師だったと聞いています。たぶん、この世界に10人といないほどの」

「・・・そんな大層な魔術師の子供が魔力0か・・・そんなつまらない子供だったから捨てて行ったのかもな」

「兄様!」

「・・・・・・」

「あの人とは、ちゃんと話した方がいいと思います。だって・・・実の母子が敵同士なんて、悲しいです・・・」

「・・・・・・そうかもな」

 

この城に住むようになって国王、父親とは、少しだけ話をした。

十数年の溝をすぐに埋めることはできないし、僅かな時間でわかりあえたとも思わない。

それでも、話したことで、少しだけ何かが変わったような気はした。

彼女とも、話せば何かが変わるのだろうか。

いや、それは無理かもしれない。

自分を捨て去っていった、その事実以上に、彼女の在り方は祐一にとって許し難いもののような気がしていた。

だからきっと、この次再び会った時にも、また戦いになるだろう。

その時、自分は勝てるだろうか。

 

「あ! そうだ兄様、明日からサーガイア行きですよね。結構前からお話はあったんですけど、こんな形で行くことになるとは思いませんでした」

「そうか。俺には・・・・・・いやまぁ、何だ、俺はこの国から出るのははじめてだな」

 

サーガイアと聞いて、自分には一生縁のない場所と思っていたことが浮かんだが、フローラが多少無理やりにでも話題を変えようとしているのに、わざわざまた魔力0の話を蒸し返すこともないだろうと言葉を呑み込んだ。

 

「私は、何度か周りの国々を回ったりしました。戦後の復興支援とか、結構大変で、観光気分というわけにはいきませんでしたけど」

 

先ほどまでの沈んだ顔は潜まり、明るい笑顔でフローラは自身の体験談を語る。

ようやく普段部屋にいる時と同じ態度が取れるようになってきたようだ。

祐一は時々相槌を打ちながら、フローラの話を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「微笑ましいねぇ。良き哉良き哉」

「喜ばしいことです」

 

バルコニーに接する廊下の柱に隠れるように、莢迦とレイリスは二人の様子を窺っていた。

それぞれの視線の先では、フローラが楽しげに話し、祐一にそれを聞いている光景が映っている。

 

「何となくちょっかいかけたくならない?」

「一歩でも近付いたら容赦しません」

「気にならないのぉ?」

「お二人の仲が睦まじいのはこの上ないことです」

「それでいいの?」

「何がですか?」

「だってさ〜、異母兄妹なんて典型的じゃない。血筋を重んじる一族なんかじゃこの程度は近親相姦の内に入らないよ」

「それは私の関与する事柄ではありません」

「ドライだねぇ。ああ、そっか〜、王族の一夫多妻なんて珍しくもないし、そくしつ・・・」

 

トスッ

 

「・・・・・・」

 

莢迦が身を預けている柱に、刃渡り10cm程度のナイフが突き刺さっていた。顔の横、数センチの位置にである。

隣の柱では、レイリスが変わらぬ姿勢で佇んでいた。

 

「ノーモーションで、しかもコントロールも絶妙だね〜」

「この際ですからはっきりと申しておきますが、あなたがこの場にいるのを黙認しているのは、フローラ様のご友人だからです。その領分を越えた言動は謹んでいただきます」

「慎まなかったら、どうするのカナ?」

「相応の態度を取らさせていただきます」

 

殺気を隠したまま、レイリスが鋭い視線を莢迦に向ける。莢迦は、柱に刺さったナイフを手に取り、それを手の中で回しながらレイリスの視線を受け流す。

 

「そのメイド服の中にどれくらいの武器が仕込んであるのかも気になるところだけど・・・ま、言われた通り大人しくしてましょ」

 

手首のスナップだけでナイフを投げ返して、莢迦は踵を返す。が、少し進んだところで振り返った。

 

「あ、そういえば・・・」

「何ですか?」

 

投げ返されたナイフを掴み取り、袖の中でしまいながらレイリスが問い返す。

 

「十二天宮の連中が狙ってたもの、あなたは何か心当たりない?」

「いいえ、私は何も」

「そ。ならいいや。じゃ、フローラによろしく。明日からの道中お気をつけて、ってね」

 

ひらひらと手を振りながら、莢迦は今度こそその場を立ち去った。その姿が見えなくなるまで、レイリスはその背中をずっと睨みつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

to be continued


あとがき

 改めて、四人の関係編。次回からはサーガイア行き。