カノン・ファンタジア
2.覚醒の刻
−1−
室内には、一種異様な空気が流れていた。
当事者たる四人の表情は、まさに四者四様である。
この部屋の主たる王女フローラは、苦笑と冷や汗を浮かべながらうろたえている。
この場において最も異端たる莢迦は、それにも関わらず最もこの場にいて当然のような顔をしている。
部屋の主に仕える立場にある侍女レイリスは、その異端者に対する明確な敵意を隠そうともしない。
そして四人中唯一の男たる祐一は、我関せずの体で傍観しつつ、何故こういう状況が生まれたのかを回想していた。
大武会当日から一週間。
一般には先日の事件は、カノンを中心とした連合国の王制に不満を持つ集団による大規模なテロ行為と公表されており、首謀者があの覇王軍の残党であるという事実を知るのは、極一部の人間に限られていた。
いずれにせよ、被害は甚大で、死傷者の数は数千人に上った。
この事実は、当然のことながら大事件として民衆を不安に陥れた。何と言っても、先の大戦からまだ僅かに四年。人々の心にはまだまだ戦乱に対する恐怖と不安が残っているのだ。それを忘れ、泰平の世を謳歌しようという祭りの日にこの出来事である。再び戦乱が起こるのかと、人々は浮き足立っている。
不幸中の幸いと言うべきか、北辰王と宰相秋子は無事であり、騎士団も健在であったため、混乱は最小限に抑えられていた。
王都は現在、厳戒態勢にあった。そんな国中が落ち着かない中、祐一の身辺にも変化が生じていた。
表向きには何も変わりはない。だが祐一は、忙しいのを承知で秋子から知りうることを全て聞き出し、その上で国王と会った。
交わした言葉は少なかった。ただ、自分の出生の経緯を直接聞き出した祐一はそれに対してただ一言「そうか」とだけ応えて国王の前を辞した。
幼い頃は自分を捨てた親に対する恨み言を何度も口にしてきたが、今となっては何も言う気にはならない。
それに、今はそれ以上に祐一の心の中を埋めるものがあった。
物心ついてからはじめて会った肉親のことよりも、今まで自分が知っていた世界の常識を遥かに超えた強者達との出会いが、祐一に衝撃を与えていた。
そうした経緯を経た後、祐一の新しい日常の象徴となっているのが、現在の光景であった。
レイリスは、祐一の素性を知りながらそれを隠していたことに後ろめたさを感じていたようだが、祐一にそれに対して特に気にしていないと言って、二人の関係は以前と変わりないものとなっていた。
そのレイリスが間に立って、祐一は腹違いの妹である王女フローラと改めて対面した。
そして、何故かその場には莢迦がいた。
国王との対面を終え、レイリスに連れられてはじめて訪れたフローラの寝室に、どういうわけか我が物顔で居座っていたのである。
本人曰く、友達の部屋に遊びに来た、とのことだった。
レイリスは凍りつくような視線で敵意を剥き出しにしたが、フローラが懇願したのでとりあえず室内に入ることだけは許したようである。あくまで、とりあえず、なのは今尚敵意を隠そうともしていないことからも明らかであった。
(春夏秋冬・・・)
何の脈絡もなく、祐一は現在の様子をそう例えてみた。
木漏れ日のような柔らかな笑みを浮かべるフローラは春。
からからと能天気に笑う莢迦は夏。
二人の楽しげな様子を見ながらまるで違うことを考えて哀愁を漂わせる祐一はおそらく秋。
そしてフローラや祐一に向けるのはまるで違う“お客様用”の冷たい笑みで莢迦を睨むレイリスは冬。
よくもこれだけ性質の違う四人が一堂に会しているものである。
或いは違うがゆえに互いに引き合ってこうして集まっているのか。
「それにしても」
ずっとフローラと他愛ない話に花を咲かせていた莢迦は、不意にテーブルに頬杖をついて祐一とフローラの顔を交互に見やる。
「何だよ?」
「まさか君らが兄妹だったとはねぇ。しかも、あの日ちょっとした偶然で会った四人がこうして揃って友達になってるのって、何か運命的じゃない?」
「私はあなたと友達になったつもりはありませんが」
きっぱりと否定の言葉を吐くレイリスを黙殺して莢迦が続ける。
「世の中、わりと狭いものだよね。知り合いの知り合いが知り合いなんてザラみたい。あの日は特にそう思ったよ」
言いながら莢迦は細めた目で祐一のことを見る。
その視線を受けながら、祐一は眉間に皺を寄せた。
あの日、つまり大武会の日のことは、これまで散々喋っていた莢迦が一度も口にしなかったことである。そして祐一自身も、気になっていながら話題にするのを無意識に避けてきたことでもあった。だが、これ以上目を背けているわけにもいかない。この女には、祐一としても聞かなければならないことがたくさんある、そんな気がした。
おそらく莢迦は、祐一が思っている以上に多くのことを知っている。
そう思うのはただの勘だったが、あながち的外れでもないはずだと祐一は感じていた。
不穏な空気を漂わせる二人の間で、フローラの視線を落ち着き無く動きまわる。
「あ、あの・・・兄様、莢迦さん・・・どうしたんですか、急に・・・?」
「急に、じゃないよフローラ。彼はずっと私に聞きたいことがあったのに、あえて知らん振りをしてたの。意外と臆病なのカナ?」
揶揄するような莢迦の言葉に、レイリスが鋭い視線を投げかける。
それを受けて少しだけ肩をすくめてみせた莢迦は、その目を再び祐一へと向ける。
祐一はしばらく瞑目してから、決心を固めて口を開いた。
「莢迦、おまえの知ってること、全部話せ」
「い・や」
「てめぇ・・・」
「君ねぇ、女のプライベートはこの世で最大の神秘なんだぞ。それを全部教えろなんて言われてもね〜」
「茶化すな」
「まぁまぁ。もっと具体的な質問をしなよ。隠し事はするかもしれないけど、嘘は答えないって約束してあげる」
莢迦の言い分に対して、この女の言葉ほど聞いていて信用に足らないと思わせるものはないだろうと思いつつ、祐一は気を取り直して質問を考える。
「じゃあ、おまえは一体何だ?」
「名前は莢迦、年齢その他個人情報は秘密。肩書きがほしいなら、四大魔女の一人とでも、四死聖の一人とでも」
「四大魔女!?」
驚きの声を上げたのはフローラだった。
魔術に関して詳しくない祐一でも、その名くらいは知っている。かつて、魔道の全てを極め尽くしたと云われる伝説の魔女がいた。その四人を総じてそう呼ぶが、現在その存在をはっきり知られているのはただ一人のみで、残りの三人に関しては一切謎とされていた。
そしてもう一つの四死聖とは、四年前までその名を馳せた伝説の無法者の称号である。
「四大魔女で四死聖・・・それは、どういうことなんだ?」
「質問は具体的に、って言ったはずだよ」
「・・・なら、四大魔女ってのは何だ?」
「知識の探求者。私と、あなた達にはもっとも馴染みの深い名前であるだろうカタリナ・スウォンジー・・・」
カタリナ・スウォンジーとは、サーガイアにある世界最高峰の魔術師養成機関の長を勤める人の名前だった。少なくとも、普通に知られている世の中においては、最高の騎士たる秋子と並び称される、最高の魔術師である。
「あとの二人は、遠野美凪と・・・・・・相沢夏海」
「っ!」
ひとつめ。一連の出来事において、祐一の中で最も重い名前の一つとなっているものが出てきた。
意外と驚きは少なかった。秋子を打ち破るほどの魔術師となれば、自ずと答えは出ようというものである。
「いやはや、夏海に子供がいたことも驚きなら、その君と出会ったのはやっぱり運命かね〜。しかも何か君、美凪とも顔見知りだったんだって?」
「・・・何でそこまで知ってる?」
夏海と相対していたあの占い師は、美凪と呼ばれていた。今四大魔女の一人として名前が出た遠野美凪というのが、おそらく彼女なのだろうとは、夏海と同等の魔術を扱っていたことからも想像に難くない。しかし、大会以前に彼女とも接点があったという事実までどうして知っているのか。
「ああ、本人に聞いたから。ちなみに夏海と君が親子だっていうのもはっきり聞かされたのはあの子からね。で、大会の二日前にゆっきーと一緒に会ったって話も一緒に聞いたよ」
「・・・ゆっきーって・・・あの芸人の男か?」
「そ。国崎往人、四死聖の一人で通称人形遣い」
「四死聖・・・四死聖ってのは・・・」
「あ、あの! ちょっといいですか!?」
次の質問をしようとしたところで、横から遮る声が上がる。
見れば、フローラが手を挙げていた。
「話の腰を折ってごめんなさい。でもちょっと気になって・・・」
「何かな?」
「確か四大魔女って、確か50年以上前の伝説ですよね・・・でも、莢迦さんも、お父様を助けてくれた占い師さんも・・・・・・あの人も、みんなそんな年齢にはとても・・・」
「あははっ、まぁそこは魔女の魔女たる所以ってね。不死ってことはないけど、普通の人よりもずっと長命なの。でも年齢は秘密ね。あ、ちなみに私や美凪はいいけどカタリナに会ったらその話はしない方がいいよ、殺されるから」
「え? えぇ!?」
「よかったねー、行く前に気付いて。サーガイア行くなら気をつけないと」
「ちょっと待ってください」
今度は別の方向から話を遮る声が上がった。
レイリスが立ち上がって、今までで一番険しい目つきで莢迦のことを睨みつけていた。
「何故あなたがそのことを知っているのですか?」
そのこと、とはサーガイアへ行くという話のことだった。
祐一は密かにレイリスからその話を聞かされていた。表向きは魔術を学ぶ留学のため、実際には戦地になる可能性のある王都から王女を一時避難させるため、近日中にフローラは僅かな供を連れてサーガイア魔術学院へと行くことになっている。
だが、そのことを現在知っているのは本人とレイリスと祐一、それに国王をはじめとする極一部の王国中枢の人間だけだった。
「何故って、フローラに聞いたから」
「姫様!!」
「ごっ、ごめんなさい! で、でも、伝えておかないと、莢迦さん遊びに来て私がいなくても困ると思って・・・」
「この人が信用できる人間かわかりかねるのですよっ。いいえ、間違いなくこの女は信用に値しない存在です」
「うわー、ひどい言われよう。ね〜、祐一君?」
「俺もそれに関してはレイリスとまったくの同意見だが」
「ひどっ! まぁいいでしょ、その話は。次の質問どうぞ」
「レイリス、フローラ、悪い、話を続けてもいいか?」
「あ、はい、どうぞ」
「申し訳ありませんでした。・・・フローラ様、この件はまた後ほど」
「ぅ・・・」
祐一の向かい側で、フローラが縮こまっている。どうやらフローラにとって、レイリスは怒らせると相当怖い存在らしい。
「じゃあ、次の質問だ。四死聖ってのは何だ?」
「力の求道者。やっぱり私と・・・鬼斬りの幽、人形遣い国崎往人、他一名」
「何だよ、その他一名ってのは」
「秘密。気が向いたら本人から教えてもらいなよ」
「本人から・・・?」
その口ぶりだと、まるで祐一の知っている人間がそうであるように聞こえた。
だがそれ以上に、気になる名前の方に祐一の心は反応していた。
鬼斬りの幽。
圧倒的な力で祐一をねじ伏せたあの男。その力と、それを振るうために邪魔な者を容赦なく斬り捨てる非情さが強く印象に残っている。
本来なら敵対する存在ではなかったはずなのに、祐一はあの男に対して、襲撃してきた敵達と同じくらいの怒りを感じていた。
「はい、次の質問いってみよー」
「・・・なら、攻めてきたあいつらは何者だ?」
「ご存知覇王軍。その中核、覇王十二天宮だよ」
「何でその中に四大魔女の一人がいたり、同じ魔女のおまえや遠野美凪と敵対してた?」
「四大魔女って言っても、私は美凪以外とはもう20年以上付き合いないし、夏海が何してようと知らない。ただ、四年前はいなかったから、覇王軍に味方するようになったのは最近じゃないかな〜?」
「四年前・・・四年前に、おまえらと覇王軍の間に何があったんだ?」
「・・・・・・・・・質疑応答、飽きた」
「は?」
急に投げやりな態度になった莢迦に対して、祐一は口を開いたまま固まる。
「もっと色々答えてあげてもいいけど、つまんないや」
「あのな・・・」
「もっと根本的なこと、素直に聞いてきなよ」
「何のことだ?」
「どうして私達は、そんなに強いのか」
「!!」
「もうわかってるでしょ。私も、幽も、ゆっきーも、夏海も、美凪も、十二天宮の奴らも、みーんな君より遥かに強い。それも、君の今まで知る常識の範囲外に」
「・・・・・・」
「言ったでしょう。君が大会での勝利に固執するのは無意味だって。本当の強者は、あそこにはいないのだもの。世界は広く、上は果てしなく高い。大会で優勝したところで、君はその先にある更なる高みに絶望して、そこで終わるだけ」
「終わる・・・」
「強さを他人に認めさせるためにはね、一度きりの勝利なんかじゃだめなの。それこそ永久に、勝ち続けなくちゃならない。私達はね、そうしてきたの。君に、それができる?」
永久に勝ち続ける。
莢迦は事も無げに口にするか、それがどれほど険しい道のりか、想像を絶する。
それができるか。莢迦の言葉を心の中で反芻する。それはきっと、とても孤独な道のりのような気がした。
できる、と一方で思う。孤独など、今さらである。一人で勝ち続ける覚悟くらいあると、そう思っていた。
だが一方で、そんな自分の行き着く先を憂う心があった。それは、勝ち続けたその先にいる存在、鬼斬りの幽や、相沢夏海や、莢迦の姿に、ひどく納得のいかないものを感じるからだ。
この三人は、本当に強い。莢迦が言う、勝ち続けた者そのものであると言えた。勝ち続けることで強さを証明し続けてきた者達――四大魔女、或いは四死聖として、人々に認められるほどの強さを持つに至った者達。それは祐一の望んだものであるはずなのに、何かが決定的に間違っているような気がした。それが何かは、はっきりとはわからなかったが。
「さて、真面目な話はこれくらいにしようか。あ、フローラ、お茶おかわり」
「あ、はい」
「フローラ様、このような礼儀知らずに出すお茶はありません」
思い悩む祐一を余所に、女三人はこの数日ですっかりおなじみになったやり取りをしていた。
「よう」
王都から離れること数百キロ、カノン王国の国境付近で、往人は幽に声をかけた。
往人の傍らには美凪とみちるが、幽の傍らには栞がいる。
「往人、何の用だ?」
「何の用だ、じゃねぇ。ひさしぶりだってのに挨拶の一つも無しに王都から出て行きやがって。おまえのことだから十二天宮の連中を追ってんだろうが、何の手がかりも無しに闇雲に動くんじゃねぇ。無鉄砲なところは少しも変わってねぇな」
「てめぇはまたさらに説教臭くなったな。歳食った証拠か?」
「阿呆。おまえとはタメだろうが」
二人のやり取りを、栞は目を丸くして見ていた。
栞が幽と出会ってからもうそれなりに経つが、この男が親しげな様子で悪態を付き合う相手などはじめて見た。
「で、何の用だ?」
「莢迦の奴から連中の手がかりになる話を聞いて調べに行くんだが、おまえも来るか?」
「必要ねぇよ」
それだけ言って、幽は踵を返して歩き出した。
遠ざかっていく背中を見送りながら、往人は嘆息する。
「ったく、ほんとに変わってねぇな」
「あの、そんなにあっさり引き下がっちゃうんですか・・・?」
十二天宮を追っているはずの幽がその手がかりになるという話を聞こうともせず、また必要ないと言われたからといってそれで納得してしまう往人の両方に訝しがって、栞は疑問を口にする。
「あいつがああ言った以上こっちにも食い下がる理由はないさ。ま、勘だけは鋭い奴だから、放っておいてもその内目当てのものを探り当てるだろ」
「はぁ・・・そういうものですか」
「そういうものだ。それよりおまえ、幽の野郎についてくんだったらさっさと追わないと置いてかれるぞ」
「は! そうでした。待ってくださいっ、幽さん! こらーっ、置いてく人なんて嫌いです!」
怒声を上げながら栞は幽の後を追って走っていく。
道の向こうで幽に追いついた栞が、その頭を叩こうとして避けられているのが見えて、往人を肩をすくめながら傍らにいる美凪に目をやる。
「・・・よかったのか? 何も話さなくて」
「・・・話すことも、特にありませんから」
「そうか・・・」
それなりに長い付き合いになるが、美凪の心の内は往人にも計り知れない。おそらくそれがわかるのは、彼女の育ての親であり師でもあるという莢迦だけなのであろう。
しかし、幽と美凪がかつて恋人同士だったのは紛れもない事実だった。だからこそ余計に、こうしてひさしぶりに会いながら言葉一つ交わさないのも、そもそも四年前に別れた理由もわからない。別れたと言っても、今尚美凪の心が幽に向いているのも間違いなかった。こればかりは、美凪に惹かれている往人だからこそわかることだった。
世の中の色々を見てきて、多くの物事を知るに至った往人だったが、絶対に計り知れない人物が二人いた。それが莢迦と美凪である。
(まぁ、いいか)
考えても埒のないことである。
一応無駄と知りつつ幽に話を持ちかけるために追ってきたが、断られた以上もう用はない。元々調べ事なら、彼一人いれば事足りるのだ。
「むー、何か国崎往人が国崎往人のくせきれいにまとめて決めようとしてる」
「やかましい。行くぞ遠野、ついでにチビ」
「チビ言うなー!」
みちるの蹴りをかわしつつ、莢迦に告げられた名称を思い浮かべる。
(覇王軍の後ろ盾、か・・・確かに可能性として高いのはそれだろうな。・・・・・・アインツベルン)
to be continued
あとがき
んーむ・・・はじまり、って難しいなやっぱり。せっかくの新章だというのに盛り上がりに欠ける。本当は新しい四人組の関係を描写するつもりが、何故か説明会に・・・まだまだ甘いな。