カノン・ファンタジア
1.変わる世界
−12−
彼女の視線がその場所を指したと知った時、レイリスは咄嗟に彼女の言葉を遮ろうと思った。
だが結局止めることはできず、祐一はそこへ向かって駆け出した。
このまま行って、彼が真実を知ることになれば、これまでの二人の関係が、崩れてしまうかもしれない。その不安を抱きつつも、いつか知ってほしいと思っていたことを知りうる機会が訪れたことに、淡い期待を抱いたりもする。
そうした複雑な思いを込めて、レイリスは祐一の傷を癒した女の事を見据える。
「どういうつもりですか?」
「・・・たぶん、あなたの思っていることと、私の思っていることは、少し違います。でも、行き着く場所はひとつ」
意味深な事を言いながら、女は立ち上がり、駆けていった祐一の向かう先を見詰める。
「・・・あなた達は、行かないのですか?」
その言葉に先に反応して立ち上がったのは、フローラだった。
「レイリスさん! 私達も・・・あの人を追いかけないとっ」
「フローラ様・・・」
レイリスは、ほんの僅かに逡巡する。
けれど、迷う理由などないはずだった。
祐一のことを抜きにしても、あそこには北辰王がいる。今この状況で、傍らにいる姫と共に守らなければならない、彼女の恩人であり、父でもある人がいるのだ。
それに比べたら、自分の小さな感情など、些末なことだった。
「わかりました。急ぎましょう、フローラ様」
「うんっ」
二人は祐一の後を追って、観客席の上階へ向かって走り出す。その際にレイリスは、会場全体の様子に目を向けた。
被害の拡大は、ほとんど食い止められていた。観客の避難も概ね済んでおり、今は騎士団が兵士達を率いて残っているモンスターの掃討に当たっている。おそらく、何事もなければこのままほどなく鎮圧されるであろう。
残る問題は、三度目の転移時に感じた8つの強大な魔力の持ち主達の動向だった。
内一人は、先ほど祐一と戦っていた男と交戦している。他にも、大きな魔力の衝突が三ヶ所で感じられた。敵と交戦している者達の正体は不明だが、この状況では彼らの力に頼らざるを得ない。今は、強敵を押さえていてくれていることに感謝をした。
しかし、まだ不安はあった。
最初に感じた気配は8つ。内戦闘を行っているのは5人だけで、後の3人が見当たらない。そして、襲撃者が周りに悟られないよう襲う可能性のある存在を察して不安が増す。
(陛下・・・どうかご無事で!)
フローラと祐一のことに気を取られていたとはいえ、王が狙われる可能性があることを失念していた己を叱責する。
王には秋子以下、騎士団の精鋭が護衛についているとはいえ、この襲撃者達の力は常軌を逸している。
何事もないように祈りながら石段を駆け上がっていくと、王族の観覧席が見えてくる。
一般の観客席からは隔離された形になっているそこは、本来は裏から回り込まなければ入れないのだが、今は非常時である。
「フローラ様、跳びます」
「え?」
説明する間も惜しんで、レイリスはフローラの体を抱えて、テラスのように突き出した観覧席へ向かって跳躍した。
目的の場所に到着すると、一足先に来ていた祐一が呆然として立ち尽くしていた。その背中越しに見えた光景に、レイリスも目を見開いた。
祐一は、信じられないという面持ちで、その光景を見ていた。
立っている人間は、祐一と後から来た二人を除くと、四人。カノン王国国王、北辰と、敵意の塊とも言える見知らぬ三人組、それだけだった。
王の護衛であったと思われる者達は全員倒れている。
秋子までも、血を流して倒れ伏していた。
カノン王国の宰相にして、騎士団における最高指揮官。祐一が知る世界において、最も強い存在だと思っていた人が倒れている。それだけでも十分過ぎるほど驚愕に値するというのに、祐一を驚かせる要素はもう一つあった。
倒れた秋子の横に立っている、杖を手にした魔術師姿の女性。空色の長い髪を三つ編みにして後ろで束ねているその女性の顔は、秋子にそっくりであった。けれど、いつも穏やかな表情を浮かべる秋子とは対照的に、凛とした鋭い雰囲気を纏っている。
その女の姿を見た途端、祐一の心は激しく揺さぶられた。
最強と思っていた秋子を倒したということ、そして何よりその容姿。
一体何者なのか。
そう心に問いかけると、答えが返ってくるような気がした。喉まで出掛かったその答えを、しかし祐一の頭は否定し、押し込める。
「チッ、まだ邪魔者がいたか」
その声で、祐一はようやく、秋子に良く似た女以外の襲撃者に意識を向けた。
一人は、口髭を生やした中年の、蟹座の紋章を持った男。もう一人は、強い存在感を放つ天秤座の紋章を持つ男である。特に天秤座の男の方は、はっきり強いという気配を感じ取ることができる。
「キャンサー、始末しろ」
「心得た」
蟹座の男が剣の柄に手をかける。
「待ちなさい」
だがそれを、魔術師の女が制した。
祐一の方へ振り向いた女は、牡羊座の紋章の入った装飾品を身につけていた。
女の視線が、祐一のことをじっと見据える。その視線に怯みながら、祐一も相手を睨み返す。
奇妙な沈黙がその場を支配する。それを破ったのは、今度も天秤座の男、ライブラだった。
「アリエス、片付けるのなら早くしろ。我々はカノン王に用があるのだ」
「ええ。でも、ただ始末するよりも、この子達には利用価値がありそうよ」
「何?」
アリエスと呼ばれた女の視線は、祐一からその背後へと移されていく。
「娘を人質に取れば、王の口も少しは軽くなるんじゃないかしら?」
その言葉を聞いた途端、祐一は背後で殺気が膨れ上がるのを感じた。
振り返らなくとも、レイリスが双剣を構えているのが気配でわかる。
少し前までは祐一同様、困惑しているように思われたレイリスだったが、今の発言を聞いて完全にあの女を敵と見なしたようだ。
だが祐一の方は、いまだに混乱していた。
「おまえら・・・一体何なんだ?」
口から零れ出たのは、現状に対する疑問だった。
突然モンスターを使って会場を襲撃してきた敵、桁外れの強さを見せ付ける者達、そして何より、アリエスと呼ばれるこの女は、一体誰なのか。
そんな疑問を口にする祐一のことを、アリエスは冷ややかに見据える。
「別に。ただあなた達の、敵よ」
敵と、彼女は言う。
その通りだろう。それは今のこの状況が物語っている。
けれどそれでも祐一は、まだ彼女を敵として認識できずにいた。
「敵って・・・なんだよ? この国を、滅ぼしにでも来たっていうのか?」
「こんな国に興味は無いわ。探し物があるからやって来ただけ」
「探し物だと・・・それだけのために、こんな風に襲ってきたのかよ! 今日一体、どれだけの犠牲が出たと思ってるんだ!」
まだ敵と思うことはできない。けれど彼女の言葉に対し、祐一は強い怒りを抱いた。最初に襲撃が起こったことを知った時に感じた、言い知れぬ怒りが、今特に強くなっていた。
「何をそんなに怒っているの? 他人がいくら死のうが、あなたに関係はないでしょう」
「関係ないわけあるかよっ、人が死んだんだぞ!」
「だから? この国の人間がどれだけ死のうが私の知ったことじゃない。それにあなただって、どうせあなたを蔑み、見下され、憎んできた連中でしょう」
「なっ・・・!?」
「そんな連中の死に、あなたが同情する意味なんてあるの?」
彼女の言葉は、祐一の心に重く圧し掛かってきた。
祐一が彼らに蔑まれ、見下されてきたことは事実だ。彼らを憎んでいたかと言えば、そうかもしれない。自ら彼らの死を望んだわけではなかったが、そんな彼らがどうなろうと、祐一の与り知らないことではないのか。
人のことを散々除け者にした報いだと、そう思ってしまってもいいのではなかろうか。
「・・・・・・確かに、俺はあいつらを、見返してやりたいと思って・・・だけど、誰かが死んで、それでいいなんて風には思わない」
「矛盾ね。本当に、あなたのすることは何もかも、無意味だわ」
何度目か。今日その言葉を言われたのは。
全て無意味だと。
――あんたまで、そんな風に言うのか。
憤っているのか、悲しんでいるのかわからないような感情が爆発しそうになっていると、誰かが動く気配があった。
祐一の横を、風が吹きぬけたかと思うと、その影はアリエスの頭上で剣を振りかぶった。
「それ以上、口を開くな」
振り下ろされる剣に対し、アリエスは手にした杖を振りかざす。
ギィンッ!!
剣と杖とが撃ち合わされる。
レイリスの一撃に押され、アリエスは僅かに後退するが、二人はそのまま鍔迫り合いの状態で対峙する。
「あなたが、それを言いますか」
問い詰めるようなレイリスの声には、明らかに怒りがこもっていた。
彼女がこれほどに感情を露にするのを見るのは、はじめてである。
レイリスは両手に持った剣を交差させ、力で相手を押し込んでいく。その圧力を抑えきれないのか、杖を手にして伸ばされたアリエスの手が、徐々に縮んでいく。
「この国を否定し、あの方の生きてきた今までを・・・あなたが否定するのですかっ」
「否定も肯定もしないわ。ただ私にとって、どうでもいいことなだけよ」
「・・・もういい。これ以上陛下の前で、祐一さんの前で、その口を開くなっ!!」
グッとレイリスが、床を強く踏みしめる。その反動で得た力で押してくる圧力を耐え切れなくなったアリエスが、剣を弾くように杖を回転させながら後退する。
互いに弾きあったような形で、二人が距離を取る。
怒りを表情で相手を睨みつけるレイリスと対照的に、アリエスの表情はどこまでも冷ややかだった。
「あなたこそ、つまらないことを言うのはやめなさい。私にとってこの国にも、その子にも価値なんかない。ただ――」
その先に発せられた言葉は、祐一の事を凍りつかせた。
彼女の言ったことが理解できず、その音だけを、頭の中で繰り返す。
――この国には、昔気まぐれで手を貸した王と、その王との間に気まぐれで生んだ子供がいる、それだけのことよ。
子供と言った時、彼女の目が一瞬だけ祐一のことを見た。
それがなくても、もうわかっていたことだった。祐一の叔母である秋子とよく似た容姿。そして、秋子の姉であるという祐一の母の話。彼女の姿を見た瞬間に悟っていた。彼女が自分の、母親なのだと。
加えて彼女の子供は、この国の王との間に生したものだという。
つまり祐一は、彼女と王の間に生まれた子供だということだった。
なるほど、と祐一は不思議と簡単に納得できた。
「・・・知ってたんだな、レイリス」
「・・・・・・っ!」
祐一の前に立つレイリスの肩が震える。
その背中がひどく申し訳なさそうにしているように見えて、祐一は彼女を責める気がわかなかった。もとより、彼女を責めるのは筋違いだった。
流れ者の魔術師との間に生まれた子供、ましてや魔力を持たない異端児を王族として認めるわけにはいかなかった事情くらい、祐一にも容易に想像できた。
だから、怒りや悲しみはない。ただ、驚きだけがあった。
「アリエス、個人的な事情で動くのはそれまでにしろ」
「そうね。とりあえず、この三人なら誰を取っても使えそうだけど、やっぱり人質にするなら、一番弱い子よね」
祐一にかけられた言葉に動揺していたからか、レイリスの反応が一瞬遅れる。
その僅かな隙に、アリエスの姿が眼前から掻き消えた。
見失った敵を探そうとするレイリスだったが、その動きは、正面から切り込んできたキャンサーによって阻まれる。キャンサーが持つ得物も二刀。四本の剣が交差し、レイリスとキャンサーが切り結ぶ。
動きの取れなくなったレイリスに代わって、消えたアリエスの気配を先に感じ取ったのは、祐一の方だった。
瞬間的にそれに反応し、背負っていた大剣を抜き放つ。
ガキィッ!
後ろで佇んでいたフローラの横目掛けて振るった剣が、受け止められる。
呆然とするフローラを背に庇いつつ、祐一は剣を受け止めた相手を見据えた。
杖で剣を受け止めているアリエスは、祐一の視線を冷たく見詰め返す。
「邪魔をするのね。どうしてかしら。それはあなたにとって意味のあることなの?」
「知らねぇよ、そんなことは。けど、一つだけ言えることがある」
「何かしら?」
「さっきのあんたの言ったことが本当なら、この子は俺の妹ってことだろ。だったら今は、それだけでいい。兄貴が妹を守るのに、理由なんていらねぇっ!」
「・・・・・・そう」
フッと、ほんの一瞬だけ、彼女の目から冷たさが消えたような気がした。その上少しだけ、笑みを浮かべたようにも、祐一には見えた。
だがそれを確かめる前に、アリエスの姿はそこから消えていた。
周囲に視線を走らせると、彼女は元いた場所に戻っている。
レイリスもキャンサーを退けつつ、祐一とフローラのところまで下がってきていた。
「さてと・・・厄介そうな敵が二人。どうするの、ライブラ?」
リーダー格と思しきライブラという男の傍らに戻ったアリエスは、再び冷めた表情に戻っている。
彼女の問いかけに、ライブラは苛立たしげな表情を浮かべた。
「抜け抜けとよくも言ったものだな、相沢夏海。子を前に感傷的になったか」
「つまらない冗談はよしなさい」
「ふんっ。まったく他の者達も何を遊んでいるのか・・・。まぁいい、たかが二人、早々に片付けてしまえ、アリエス、キャンサー」
ライブラの命を受けて、アリエスとキャンサーの発する殺気が強まる。
それに対して祐一とレイリスは、フローラを守るように身構える。
「祐一さん・・・」
「話は後だ、レイリス。今はこの場を切り抜けることだけ考える」
「・・・はい」
「レイリスさん・・・えっと、にい・・・さま」
不安げな声で、フローラが後ろから二人に呼びかける。
「ご安心ください、フローラ様。フローラ様と陛下は、必ずお守りします」
レイリスはそれを安心させるように、優しい声で語りかける。
祐一は後ろは振り向かず、ただ態度でその思いを示す。
不思議と迷いはない。自ら言った通り、兄が妹を守るのに理由などいらないからか。今この時は、戦うことに一切の躊躇いはなく、自然と力が湧き出てくるのを感じた。
はじめて会った時から感じていたものの正体もわかった。
どうしてだか、祐一は彼女の姿を見ていると、無条件で庇護したくなっていたのだ。その理由が、つまりはこういうことだった。
相手が誰だろうと関係ない。
フローラを傷つけようとする者がいるなら、祐一は絶対にその相手から彼女を守る。その決意を込めた剣を構えて、祐一は眼前の敵と対峙した。
「いい気迫ね。さっきまでとは別人みたい」
「しかし所詮ただの人間。我ら十二天宮の敵ではない」
「油断してると足下をすくわれるわよキャンサー。まぁ、でも確かに・・・まだまだ甘い」
すうっと杖を持ったアリエスの腕が挙げられる。
横に真っ直ぐ向けられた腕の周辺に、青光りする光球が無数に出現する。その一つ一つが、魔力を感じられない祐一にもわかるほどに強力なエネルギーの塊だと理解できた。
合計で20にも及ぶ光球が、一斉に祐一達目掛けて発射された。
――かわしきれないっ!
祐一は迫り来る光球を凝視しながら歯軋りをする。
自分一人ならば、数発喰らう覚悟で突っ込めば、致命傷は受けずに相手の懐まで入り込めるかもしれない。だが今は、後ろにフローラがいる。下手に避ければ、光球は無防備なフローラに当たることになる。
「祐一さん!」
横からの声に視線だけを向ける。
レイリスが目配せで意志を伝えてくる。意図は理解できたが、可能かどうか僅かに逡巡する。だが迷う時間はない。祐一は即座に決断し、踏み込むために腰を落とす。
隣から風が流れてくる。おそらく、レイリスの魔術が相殺するためのものを生み出しているのだろう。だが数は相手に比べて圧倒的に足りない。
相殺できるのは一部のみ。その小さな隙間を狙うべく、祐一は踏み込むことにのみ意識を集中する。
「フローラ様、伏せてくださいっ!」
「は、はいっ!」
相手の放った光球が着弾するまで2秒もない。決断までに擁した時間は1秒。
背後でフローラが体を伏せるのと、レイリスが魔術を撃ち出すのがほぼ同時。
そしてそれに半秒遅れて、祐一の足が床を蹴った。
20の光球のうち、レイリスの放った魔術で相殺されたのは5つ。それで出来た間隙を通って、祐一は低い体勢で斬り込む。
いくつかの光球が体を掠めていくが、ダメージは低い。後ろへ抜けた分は、フローラに当たりそうなものだけを見極めてレイリスが打ち落とすはずだった。
祐一は後方の全てをレイリスに任せ、前のみに集中した。
「なっ!?」
「ふっ」
光球の弾幕を抜けると、二通りの反応が返ってきた。
驚愕の声を上げて硬直しているのはキャンサーの方で、アリエスはそれを予測していたのか、既に迎え撃つ用意をしていた。
ギンッ!
下から斬り上げた祐一の剣が、杖の柄で阻まれる。
「咄嗟にいい判断だったけど、その程度でどうにかできるつもり?」
「さぁな!」
to be continued
あとがき
切りが中途半端な・・・まぁよい、とにかく次回、いよいよ1章ファイナル。