カノン・ファンタジア

 

 

 

 

1.変わる世界

 

   −7−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

既に祐一に成す術はなかった。

縮地を打ち破る一手はない。最高速度が出る直線式縮地の超スピードはまったく捉えられず、動きを先読みしても曲線式縮地で外され、背後を取られる。反撃など到底できず、ひたすら防御して致命的なダメージを避けている状態だった。

攻守は完全に一方的なものになっており、まだ勝負はついてないというより、まだ負けてはいない、と言った方が正しい。

それでも必死に喰らい付こうと、祐一は耐えていた。

倒れない限り、負けはない。ならば必ず、反撃の一手を見つける術はあるはずだった。

ここで終わるわけには、いかないのだ。

 

(負けて・・・たまるかよっ!)

 

斬撃を受けたのは、最初の内だけだった。莢迦は刀の刃を返しており、斬撃からみねによる打撃に切り替えていた。

全身数十箇所を打ち据えられ、祐一の体は満身創痍となっている。

だがまだ、骨にひびが入った箇所はない。ならば、無理をすれば十分に動ける。

とはいえ既に、体力の方も限界が近付きつつあった。これだけ打たれ続ければ当然であろう。

けれどここで集中を切らせては、二度と縮地を見切ることはできなくなる。

痛みで気が散っては、集中力が乱れる。だから痛みは、頭の外へ追い出す。それでまだ、戦える。

 

「粘るね。これだけタフな相手はひさしぶりかな」

 

二人の間の距離はおよそ9メートルほど。縮地の一歩で8メートル余り踏み込む莢迦にとっては、一足飛びの間合いのほんの一歩外だった。これより近くで対峙すれば、反応する間すらなく攻撃を受ける。だがこれだけ遠くては、祐一の方から仕掛けても到底届かない。

祐一に出来るのは、莢迦が踏み込んでくる瞬間を見切ってカウンターを当てることだけだった。だが当然、莢迦もそれがわかっているからこそ、決して見切らせはしない。そして今の祐一では、直線式と曲線式の縮地を複合した動きを完全に見切ることは不可能だった。

 

「でも、君に打つ手は無し。ここで負けを認めるのは潔いと思うけど」

 

実力の差は歴然としていた。

所詮、これは試合である。命を懸けてまで勝たなくてはならない理由もなく、負けたからと言って失うものもない。敵と己を良く知るならば、ここは負けを認めるのが、武術を修める者としては正しい判断に違いなかった。

負けて恥じることはない。自分はよく戦った。だが、相手が悪かった。

そんな誘惑が、祐一の脳裏にも過ぎる。

ここで負けを認めれば、楽になれるだろう。死に物狂いになってまで勝たなくてはならない理由など――。

 

(・・・ないわけあるかよっ!)

 

ここで終わるわけには、いかないのだ。

もう一度強く思う。負けることはできない。

この大会に全てを賭けて来たのだ。

魔力0と自分を蔑み続けてきた者達を見返し、自分を認めさせるために、絶対に勝つと決めて挑んできた。

後へ引くことなど最初から考えてはいない。

全てを投げ打ってでもここで勝たなければ、祐一に未来はない。

 

「ふむ・・・」

 

祐一の眼光を受けながら、莢迦は手の中でまわしたりしながら刀を弄ぶ。

少し考えるような仕草をしてから、おもむろに口を開いた。

 

「私はね、自分のことをこの世で一番欲張りな人間だと思ってる」

「?」

「ほしいものは何でも手に入れる。やりたいことは何でもやる。誰にも邪魔はさせないし、しようとする相手は遠慮なく叩き潰す」

「・・・何の話だ?」

 

要領の得ない莢迦の言葉に、祐一はずっと閉ざしていた口を開いて問い返す。

 

「何って、私が強い理由。我が儘に生きるには強いのが一番手っ取り早いからね。力ずくで障害を排除すれば、後はやりたい放題。ね、いいでしょ」

 

何が言いたいのかはさっぱりわからない。

だが何故か、その言い分にはひどく腹が立った。

 

「だから、それがどうしたってんだ!?」

「君がそこまでこの試合・・・この大会での勝ちに拘るのは何でかなと思って。ただ聞くのもあれだから、先に私の方から話してみたんだけど。それで、どうして君は、そんなに必死になってるの?」

 

そんなものは、決まっていた。

さっきから何度も、頭の中で噛み締めるように抱いている思いがそれだった。

 

「俺を、魔力0と蔑んでる奴らに、俺の強さを認めさせるためだ」

 

勝てば誰でも認めざるを得ないはずだった。奴らが知る誰よりも強い存在になれば、誰も自分を蔑むことなどできはしない。

魔力という力を持たない弱者であった祐一は、強者となることで、この世界における立場を変える。

そのためには、奴らの見ている前で、負けるわけにはいかないのだ。

 

「なるほどね。私なんかは、自分を認めるのは自分だけで十分なんだけど、まぁ、他人に認められることを願望として持ってる人は確かにいるかもね。でも、本当にそれが君が望み?」

「何だと?」

「はっきり言って自慢だけど、私は強い。その私が言うよ。君は強い。素質もあるし、それを伸ばすために絶えず上を目指そうとしてるところもすごいと思う」

「何を・・・・・・」

 

祐一は戸惑う。

莢迦はほとんど手放しで祐一を褒めていた。

そこには少しも偽りが見て取れず、本心から称えているようだった。はじめて会った時から相手を小馬鹿にするような言動をしているが、今はそうした響きもない。

本当に莢迦は、ただ祐一を評価している。

 

「ねぇ、そんな君を、今までちゃんと見てくれる人はいなかった?」

「それは・・・」

 

脳裏を過ぎる、誰かの顔。それが誰なのかは、思い出すまでもない。いつだって彼女達は、そうだったではないか。

幼い頃から彼を見続けてきた少女。学院でいつも付きまとってくる後輩の少女。

彼女達はいつでも真っ直ぐと、彼の本質を見てきたはずだ。祐一の強さも、努力する姿勢も、偽りのない言葉で、すごいと言ってくれていた。

それは紛れもなく、彼女達が彼のことを認めている証だった。

 

「周りを見なよ」

 

言われるままに顔を上げる。

目に入るのは、大勢の観客の姿。

一人一人の顔など見分けがつかないが、そこから向けられる視線は、祐一が昔からずっと向けられてきたものに違いなかった。

今まで感じてきた思いが胸を満たし、もう一度それを口にしようとする。

だがそれは、莢迦の言葉によって遮られる。

 

「君さ、こんな一人一人の顔も見分けがつかないような有象無象に認められて嬉しいの?」

「な・・・に?」

「本当の君を見てくれる人、ちゃんといるんでしょ」

 

いない、とは言えなかった。莢迦の言葉を聞くほどに、浮かぶ彼女達の姿は鮮明になっていくのだから。

 

「誰かに認められるのが君の望みだって言うなら、それはもうとっくに叶ってるよ。それでも君が満たされないのは、それが君の本当の強さに懸ける望みじゃないから」

「本当の望みじゃない・・・だと?」

 

そんな風に言われたのは、はじめてだった。

いや、本当ははじめてではない。誰か他に、同じことを言った相手がいたはずだった。

今目の前にいる相手と同じように、普段は人を不快にする言動しかしないというのに、その時はだけは真摯な言葉で、本当にそれがあなたの望みなのかと聞いてきたことがあった。

その時は、ほんの少しだけ迷いながら、しかしはっきりと答えた。

けれど今、こうして再び同じ問いを突きつけられると、迷いを振り払うことができない。

本当に、自分はそのために強さを求めたのだろうか――。

 

「迷った時点でだめ。これは君の望みじゃない。 仮にそうだったとしても、君はそもそもまず自分で自分を認められてない。自分を計れるのは、結局のところ自分だけなんだから。他人の評価なんて二次的なものだよ」

「自分で、自分を・・・・・・」

「そう。だから、ここで君が勝ちに固執するのは、無意味だよ」

「・・・・・・無意味、だと・・・」

 

崩れかけた心が、その言葉で奮い立つ。

無意味、と。自分が全てを懸けてきたものが無意味だと言うのか。

何もかも無意味。

魔力を持たない落ちこぼれが何を求めても無意味。

剣の腕をいくら磨いたところで無意味。

騎士を目指して学院に入るなど無意味。

大武会で勝つことも無意味。

全て無意味。

自分の存在すら無意味。

無意味無意味無意味無意味無意味無意味――。

 

――ふざけるな。

 

無意味であってたまるものか。

自分が何を望んでいるのかなどどうでもいい。

ただ、無意味と、その言葉を否定するために、自分を取り巻く全てと今まで戦い続けてきたのだけは偽りのない真実だった。

だから無意味などと言わせない。絶対に。

 

「無意味なんかじゃない。たとえこの先に俺の望む勝利がなくても、俺は絶対に負けたりしない!」

 

体の痛みも、心の迷いも振り切って、祐一は言い放った。

その気迫を受けた莢迦は目を見張り、次いで笑みを浮かべた。

 

「ふふっ、やっぱり強いね、君。まだ足りないものはあるけど、その強さには敬意を表するよ」

 

クルリと刀を回して、鞘に納める。柄には手をかけたまま、左足を半歩引いて構える。

それを祐一は、抜刀術の構えと見た。

反りのある刀を鞘で滑らせて加速させる、刀術における最速の型である。その上莢迦には縮地がある。縮地による踏み込みから放たれる抜刀術の速度は、文字通り神技と呼ぶに値するものであろう。

当然、かわすことなど不可能。

 

「じゃあ、決着をつけようか。君のこの大会に懸ける執念、砕いてあげるよ」

「やらせるかよっ」

 

瞬時に頭をフル回転させて、あの神技を打ち破る手を考える。

到底無理としか思えなかった。縮地だけでも手に負えないというのに、その上抜刀術とあっては、対抗策などありえない。直線式と曲線式の縮地を組み合わされれば、成す術なく死角を取られ、斬られることとなる。

 

「そうそう、一つ予告しておくけど。私は、ここから君のいる位置まで最短距離を通っていくよ」

「!!」

 

真っ直ぐ突っ込んで斬りにくると、莢迦は宣言していた。曲線式のものは使わず、直線式のみで、しかも真正面から斬り込んでくると。

馬鹿にしている。そう思ったがそれは違うと即座に否定する。

これは莢迦の自信だった。

たとえ動きを読まれようと、それ以上の速さをもって、反撃も許さず、確実に祐一を斬ることができる絶対の自信を持っているのだ。

間違いなく、これから放たれるのは、これまでで最速の一刀。

ならば、祐一の方も小細工は捨てる。

正面から来ると言うなら、ただそれに合わせて自分も最速の反撃を放つことに全身全霊を込める。

 

「俺は、絶対に勝つ!」

 

抜刀術の斬撃が描く軌跡は、上中下段の高さの違いこそあれ、祐一の方から見て右から左へと向かうものになるのには違いない。ゆえにそれに対するため、祐一は剣を左の肩越しに振りかぶる。

勝負を決するのは、速度とタイミング。

速度だけでは絶対に追いつけない。相手の技が発動するタイミングを見極め、それより一瞬早く動く。早過ぎれば空振り、遅過ぎれば剣を振ることさえ適わなくなる。かといって、どんなにタイミングを見極めても斬撃の速度が遅ければ追いつけない。

だから自分も、限界を超えた最速の一刀を放つ。

 

「行くよ、祐一君」

 

その瞬間、祐一の集中力は、かつてないほど研ぎ澄まされた。

周囲の音も、色も一切が消え去り、全ての動きがスローになって見えていた。この感覚も、祐一は知識としては聞いたことがあった。極限に高まった集中力が生み出す、超感覚の世界。そんな中で、莢迦の動きだけを見る。

ほんの僅かに、莢迦の体が沈み込む。その足が、地面を蹴る瞬間、祐一は振り絞った剣を振りぬくべく力を込める。

全てがスローモーションで移る超感覚の中にあってさえ、莢迦の縮地は視認しきれない速度を誇っていた。

しかし目には見えずとも、祐一の脳裏には、莢迦の踏み込んでくる位置、刀を抜き放つタイミング、その全てがイメージされている。そこへ向かって、剣を振り抜く。

 

――――――――――ッ!!!

 

完璧にイメージしたつもりで、尚莢迦の速度はそれを上回る。

既に莢迦の姿は目前。祐一の剣は半ばまで振られているが、このタイミングでは莢迦の刀が抜き放たれる方が早い。

自分が斬られ、倒れるイメージが浮かび上がる。

 

(そんなものっ!!)

 

斬り払う。

相手の速度が予想を超えていたなら、自身もそれを超える速度を生み出せばいいだけのこと。

剣を振る腕と、それを支える全身にさらに力を込める。

筋が切れ、骨が砕けそうな痛みに全身が悲鳴を上げるが、構うことはない。

この一撃に全てを懸けるためなら、体が壊れようと知ったことか。

迫り来る、自分を斬る刃。

迎え撃つ、全身全霊の一撃。

 

 

ギィィィンッ!!!

 

 

二つが交差する音が響き渡る。

リング上の二人は共に、剣を振り抜いた姿勢で固まっていた。

息を呑んで見ている観客達も、しんと静まり返っている。そんな中で、沈黙を打ち破る音が響いた。

会場中央のリングから離れた場外に突き立つ剣。

それは、莢迦の刀であった。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

長く感じられた沈黙、時間にすれば僅か一秒足らず。

全力の一撃を放った硬直も、長くは続かない。それが解けた瞬間、祐一は剣を相手の頭上に振り下ろした。

額の寸前で止められる刃。

相手は動かない。

しばしの静寂の後、全員が試合の勝者が誰であるかを理解した。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりだ?」

「ほぇ?」

 

会場では、次の試合が始まっていた。

それには目もくれず、智代は控え室から出て行った莢迦を追って、通路の途中で後ろから呼び止めた。

 

「どういうつもりって、何が? ともちゃん」

「どうしてわざと負けた?」

「うわー、ともちゃんそれは彼に失礼だよ。私はわりと本気だったんだから」

 

何が本気なものかと、智代は思う。

そもそも莢迦の力はその剣の腕と同等、いやそれ以上に絶大な魔力と強力な魔術にこそある。最初から最後まで剣のみで戦った時点で、莢迦は本気など出してはいないのだ。

 

「剣での勝負に拘っただけで、私は手を抜いてなんかいないよ」

「百歩譲ってそうだとしても、最後のはどう説明するつもりだ? あの時、おまえの方が先に硬直が解けたはずだ」

 

たとえ魔術のことを差し引いても、二人が互いに放った全力の一撃の後、先に動けたのは莢迦のはずだった。

刀を弾かれたとはいえ、莢迦ならばその状態からでも相手を倒す手段など、1ダース以上見出せる。

それを何もせず祐一が動くのを待っていたのは、わざと負けたことに他ならない。

 

「剣を失くした時点で勝負あり、って思っただけなんだけどなぁ」

「おまえにそんな考えはない。相手の弱みを見つけてはそこにつけこみ、心を挫いていくのを楽しみにしている悪趣味な奴にはな」

「・・・・・・ともちゃんが日頃私のことをどう思ってるかはこの際置いておいて・・・そんなに納得がいかないなら、答えっぽいものを教えてあげてもいいかな。その様子じゃたぶん気付いてないみたいだし」

「何のことだ?」

 

莢迦はクスリと、智代の言う悪趣味な笑みを浮かべながら顔を寄せ、囁くように耳打ちした。

 

「あの二人も、ここに来てるよ」

「!!」

 

雷に打たれたように、智代は体を震わせる。

あの二人と、莢迦が言う存在が他の誰かであるはずがない。

智代ははっきりと、それが誰かわかっている。

だからこそ、衝撃を受けていた。

ここに莢迦がいただけでも驚きだったというのに、それに加えてあの二人までもいるなどと――。

 

「散り散りに別れて以来、四年振りだね。わかるよね、私達四人が一堂に会することの意味」

「・・・・・・っ」

「私達は皆、戦いの星の下に生まれてる。私達は常に戦いの中心にいる。そんな私達が四人揃う場所・・・」

 

呪いの言葉のように、莢迦は心底楽しげに語る。

 

「ここはもうすぐ戦場になるよ。それも飛び切り大きな。そうなってからの方が、楽しいでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

to be continued


あとがき

 まるまる二話、二人の試合にかかった。まぁ、序盤の山場だから長くて困ることもなし。単純な戦いというだけでなく、祐一の心を色々と揺さぶる話でもあって、重要な回なのである。次回は急展開! 準決勝を前にして起こったことは・・・。