カノン・ファンタジア

 

 

 

 

1.変わる世界

 

   −5−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リング上では、一回戦の試合が続いていた。

第2試合が予想したより盛り上がったことで、観客のテンションも上がっているようで、会場は熱気に包まれている。

自分の試合を終えた祐一は、観客席に来ていた。今リング上で試合をしている智代が、控え室にいる間中付きまとってきてうるさかったので、彼女が試合に行ったと同時に抜け出してきたのだ。智代の相手は騎士団の中でおそらく五指に入る使い手だった。戦いは互角に見えるが、どうやら智代の方に余裕がある。祐一の見立てでは、智代と渡り合えるのはおそらく昨年優勝した騎士団のトップのみだった。

坂上智代は、それだけの実力者である。

 

(あいつとやりあうとしたら、決勝か・・・)

 

この大会で、最大の敵はたぶん彼女となる。入学してから一年余り、学院の他の生徒や、騎士団のことをずっと見てきたが、僅か数ヶ月前に入学してきた智代ほど肌で実力を感じた相手はいなかった。

彼女と本気で戦えたら、楽しいかもしれない。

ふと脳裏を過ぎったそんな考えを、頭を振って振り払う。勝たなくてはならない戦いで、それを楽しむ余裕などあってはならない。ただ勝つためにはどうすればいいか、それだけを考える。

やがて試合が終わる。予想通り、智代の勝利だった。

それを見届けてから、祐一は観客席から立ち去った。ここは、あまり居心地のいい場所ではない。噂が広まるのは早いもので、既に第2試合で勝った祐一に関する情報が出回っているようだ。

魔力0が少しは健闘したらしい、程度ならまだいいが、中には勝ったのは相手の油断やまぐれの産物だという話まで耳に入って来ていた。

そんなに魔力が重要か。

今の試合とて、智代は魔力を使うようなシーンは少しもなかった。魔力になど頼らなくとも、純粋に武術だけでも人は強くなれる。それを証明するには、同じ武術の使い手よりも、魔力をより多く使う魔術師を倒した方が早いかもしれない。そういう意味では、自分と同じタイプの智代はそういった役割としては弱い。

 

『見ての通り・・・そうね、魔女、かな』

 

(・・・魔女、か・・・)

 

字面の通りに捉えるなら、魔女は魔力を操る技に優れた存在の呼称である。あの女がもし、名乗る通りの者なのだとしたら――。

 

(次の試合、か)

 

もちろん、誰が相手でも負ける気などない。

けれど特に、あの女には負けたくないという気持ちが強くあった。

 

「祐一さん」

 

次の試合に向けて気持ちを高めているところに、それを萎えさせるような声をかけられた。

誰かと思って振り返ると、知らない少女が立っていた。

いや、知らないことはなかった。すぐには思い出せなかったが、いつぞや迷子になっていたところを案内してやった少女であった。小柄な体を覆うチェック柄のストールが特徴的だったが、顔の方もわりとちゃんと覚えていた。

 

「何してんだ、おまえ。また迷子か」

「そんなこと言う人、嫌いです。ちょっと観客席の熱気にやられて涼んでるだけです」

 

そう言って少女は手にしたスプーンを口に運ぶ。もう片方の手に持っているのは、アイスクリームのカップだった。確かに涼んでいるように見える。

 

「今何してるのかはわかった。じゃあ、何でここにいるんだ?」

「建物の中の方が涼しいじゃないですか」

 

確かにここは会場の、観客席の裏を通っている通路であり、人気がなく、太陽の光も入らず、石造りのため涼しい。だが祐一が聞きたいのはそういうことではない。

 

「何で、この会場にいるのかを聞いてるんだ」

「暇ですから。せっかくのお祭り、見に来ないのは損じゃないですか」

「そうかよ、じゃあ心行くまで楽しんでいけ」

 

これ以上話すこともない。多少印象には残る相手だが、特に関心があるわけでもなかった。そう思って立ち去ろうとしたのだが――。

 

「待ってくださいよ、祐一さん」

 

呼び止められる。

まだ何か用があるのかと足を止めて、ふと気付く。

 

「・・・おまえ、何で俺の名前知ってるんだ?」

「そっちこそ何言ってるんですか。選手の名前は試合の時に紹介されてるじゃないですか。あ、申し遅れました。私、栞って言います」

 

よろしくお願いします、などと言って少女、栞は頭を下げる。

 

「だからって、いきなり大して知りもしない相手のことを下の名前で呼ぶのか、おまえは?」

 

よろしくされたからといって、祐一の方もそうするつもりはない。互いに名前を知ったことで多少の縁はできたわけだが、やはりそれ以上の関係ではない。

祐一としては、早くこの場から立ち去りたかった。

こういう屈託ない笑顔を向けてくる相手は、レイリス然り智代然り、苦手であった。穏やかな気分にさせられて、勝利への飢えを奪われるような気になるからだ。

こういう時にはむしろ、あの教会の性悪修道女が恋しい。あの女の毒舌を聞いてイライラしたいところだった。

 

(あれがこんな人込みにくるはずもないか)

 

つまらない、というかとんでもないことを一瞬でも考えてしまったことを反省する。

とにかくそうしたわけで、いつまでもこの場に留まっていたくはない。

 

「じゃあな、俺は忙しいからもう行くぞ」

「まだ今第6試合ですよ? 祐一さんの次の試合までまだ時間あるじゃないですか」

「試合前の精神統一とか、そういうのも必要なんだよ」

「なるほど・・・よくわりませんけど、わかりました」

 

適当な理由をでっち上げただけなのだが、どうやら栞は納得したようだ。考え込みながらアイスを口に運んでいる。

再び関心が自分の方に来ない内に、祐一はそこから立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ・・・」

 

会場内に用意された専用の休憩室に入ると、フローラはソファの上に倒れこんでいた。はしたない格好だが、ここへ来るのは彼女の他にはレイリス一人であり、これくらいは大目に見てもらいたいものだった。何しろ、疲れていた。

朝、あの後30分ばかりレイリスの小言を聞かされてからはずっと公務で出ずっぱりだったのだ。今日のメインイベントは午後の大武会本戦だが、それまでの間会場を盛り上げるセレモニーに参加したり、各国からの来賓に挨拶をしたり、王女としてやるべき仕事が山積みであった。

イベントの主役が大会の選手達になると、黙って観戦しているだけでよくなるのだが、それでも表に出ている以上、絶えず王女らしく振舞わなくてはならない。さすがに気力体力ともに消耗したので、一回戦の途中で少し休憩に下がらせてもらったのだ。

そんなわけでしばらくプライベートな時間を満喫していると、部屋のドアがノックされる。

 

「フローラ様、よろしいですか?」

「どうぞ〜」

 

声だけで相手がわかったため、間延びした声で応える。

室内に入ってきたレイリスは、そんなフローラの態度をたしなめるような表情をしていたが、何も言ってこなかった。どうやら希望通り、少しくらいは大目に見てくれているようだ。

 

「レイリスさん、今試合どの辺り?」

「今し方、第7試合が始まったところです」

「そっか。二回戦が始まる前には戻らないとね」

 

最初は大会が始まったら一回戦の間はずっと休んでいるつもりだった。決勝が終われば、また優勝者を称えるセレモニー等々の公務が待っている。だからその時のために体力を温存しようと、少しでも休憩時間を長く取ろうと思ったのだが、どうしても気になる選手達がいたので、最初だけはちゃんと観戦することにしたのだ。

 

(あー、でもそういう意味ではラッキーだったかな・・・)

 

第1試合と第2試合に、あの二人の試合が続いていたのは確かにラッキーだった。その後、第3から第8試合までをこうして休憩時間に当てられたのだから。

二回戦第1試合では、その二人が対戦することになる。それは、絶対に見たいと思った。

 

「いけない。そろそろお化粧直さないと間に合わないよね。寝癖もついてそうだし」

 

フローラはそれほど化粧が好きではない。ありのままの自分でいる方が良い。だが公務の時はさすがにそういうわけにはいかなかった。

起き上がって鏡台の方へ向かおうとするが、おかしなことにレイリスが動かない。普段ならこういうことに関しては、自分より早く動くのだが、今はじっと佇んで複雑な表情をしていた。

 

「・・・フローラ様、そんなに次の試合が・・・あの方のことが気になりますか?」

「え?」

「昨日までは、観戦にはあまりご関心がないようみ見受けられましたので・・・」

「あ・・・うん、まぁ、そうなんだけど・・・」

 

確かにフローラは、争い事は好まない。この大会についても、その趣旨を理解しているため公務として受け止めているが、積極的に楽しもうという気はなかった。

ただ、今気になっているのは試合そのものではなく――。

 

「・・・いえ、差し出がましいことをお聞きしました」

 

レイリスは軽く頭を下げると、化粧直しの準備をするために鏡台に向かう。

だが今度は、フローラの方が動かず、じっとレイリスの様子を見詰めていた。

 

「・・・・・・レイリスさん、何か変」

「私はいつもと変わりありません」

「じゃあ、私が次の試合が気になってるのは、どうしてだと思ってる?」

「それはあの方が・・・・・・っ」

 

言いかけたレイリスがハッとなって口をつぐむ。

普段ならば何かあっても、フローラにそれを悟らせるようなことはないのだが、今日ばかりは違っていた。フローラはそんなレイリスをじっと見据える。

 

「私が気になってるのは、今朝出会った二人ともだよ。でもレイリスさんは、私が言ったのに対して片方しか思い浮かべてない。たぶん、レイリスさんが一緒にいた人の方、だよね?」

「・・・・・・・・・」

 

答えはない。だがここで黙っているのは、肯定しているのと変わらない。元より、否定したとしてもフローラは既に半ば確信をもって話していた。

 

「さっきは動転してて気付かなかったけど、あの時もレイリスさんの態度はちょっとおかしかったし」

 

今朝、レイリスに見付かった時、最初は怒っていないように見えたのは、彼の目を気にしてのことだったのではないかと、今のフローラは思っていた。

 

「レイリスさんとあの人の関係についてはプライベートなことだから聞かないよ。だけどレイリスさんは、私があの人のことを気にしてると思ってる。さっき会ったばかりの、しかも一言も言葉を交わしていない人なのに、どうして?」

 

彼とレイリスの関係も少しは気になったが、それよりもレイリスがフローラが彼に関心を持っていることを知っていることの方が気になった。

そう、確かにフローラは彼のことが気になっていた。自身で言うとおり、ただ一瞬顔を合わせただけで、言葉も交わしていない。どこかで出会った覚えもない、まったく接点のない相手だった。

むしろ直前に会った彼女、莢迦の方がインパクトは強かったはずだった。実際、彼女のことも気になっている。

だがそれ以上に、たった一目会っただけのあの少年のことが、どうしてここまで気にかかるのか。

そしてレイリスは、その理由を知っている。知っていなければ、フローラが気になる相手として、真っ先に彼を思い浮かべるはずがなかった。

 

「答えて。私とあの人と、どんな関係があるの?」

 

目を逸らしたまま答えないレイリスを問い詰める。

それに対してレイリスは、逸らしていた視線を真っ直ぐフローラに向け、きっぱりと言い放った。

 

「申し訳ありません。その答えを、私の口から申し上げることはできません」

 

二人の関係を知っていることについては認めたが、それを教えることはできない。そうレイリスは言っていた。こう言ったからには、どれほどフローラが問い詰めても彼女は口を割らないだろう。

けれどフローラには、それだけで充分だった。

厳しくはあるが、基本的にフローラに対して忠実なレイリスが語れないと言っている以上、その意志の在処は明白である。フローラ以外で、レイリスの言動を制限できる人間は、たった一人しかいないのだから。そのたった一人がフローラに対して隠そうとしている事があるという、その事実を知れただけで、フローラは自分の予測が正しいという確証を得ることができた。

 

「そっか・・・あの人が、そうなんだ」

 

嬉しさがこみ上げて、笑みがこぼれる。

フローラは、自分がずっと会いたいと思っていた相手に、知らない内に会えていたことを知った。

そんなフローラの言葉を様子を見て、レイリスが驚いている。

 

「フローラ様・・・知って、いらしたんですか・・・?」

「うん。母様が、最期に教えてくれたの」

 

元々病弱だったフローラの母は、フローラが5歳の時に亡くなっていた。その母が今際の時に遺言としてフローラに語ったのが、彼女に腹違いの兄がいるということだった。

 

「本当は、誰かが教えてくれるまで、私の方から聞いてはだめだって言われてたんだけど・・・もしかしたらって思って」

「そうでしたか・・・」

「うん。えへへ、そっか〜、あの人が・・・」

 

目を閉じて、彼の姿を思い浮かべる。

はじめて出会った時、少しきつい印象の表情をしていたが、まとっている気配は穏やかなものを感じた。きっと優しい人に違いないというのは、美化されたイメージと重なっているからだろうか。

試合の時、武芸には疎いフローラだが、彼の剣捌きは力強く、見事なものに思えた。

確か名前は、相沢祐一といったか。

 

「・・・あれ? あの人の名前、どこかで・・・」

 

どこかで聞いたことがあるような気がした。何か、まったく関係ないと思っていた場所でその名前を聞かなかったかと考えていると、レイリスが答えを出してくれた。

 

「あの方は、水瀬宰相の甥です」

「あ、思い出した!」

 

あれは確か、父と秋子が話している時に聞いたのだった。その時の詳しい会話の内容までは覚えていないが、思い返せば不思議と父は彼のことに関心を持っているように思えた。それは、至極当然のことだったわけである。

それとは別の話で、秋子の甥に魔力を持たない少年がいるという話も聞いたことがあった。

魔力を持たないというのは、この世界においては大きな意味を持ってしまう。彼が正室の子でない、ただの側室の子であったり隠し子であったりしたらまだ問題はなかったのだろうが、魔力を持たない子を王子として認めるわけにはいかなかったのであろう。その結果として、彼が送ってきたこれまでの不遇の日々を思うと、心が痛んだ。

 

「フローラ様、そろそろ時間です。あの方の試合に、間に合わなくなりますよ」

「うん」

 

フローラの気持ちを察したレイリスが、話題を変えてくれる。フローラは鏡台の前に腰掛け、レイリスがその髪を櫛で梳く。

しばらくそれに身を委ねながら、せっかくなのでもう一つ気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「レイリスさんは、あの人のこと好きなの?」

 

一瞬、櫛を動かす手が止まる。本当に一瞬のことで、すぐにそれは再開された。

 

「そのことに関しては、黙秘させていただきます」

「うん、わかった。・・・いつか、三人で一緒にお話できたらいいね」

「・・・・・・はい、そうですね」

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

「まったく、どこへ行ったんだ、あいつは?」

 

自分の試合を終えた智代は、控え室に祐一がいなかったため探し歩いていた。

特に用があるわけではないが、目を離すと危なっかしい気がするので、いつもこうして追いかけている。今日は特に、勝ちに固執するあまり堅くなっているようなところがあるように思えるので、ちょっと話でもしてそれをほぐしてやろうと思っていた。

 

(自分がこんなに世話焼きだとは思わなかったな・・・)

 

ほんの数年前では考えもしなかった。

学院に入った頃には、人から頼られるようなことも多く、それらには可能な範囲で応えてきたつもりだった。だが、自分から積極的に世話を焼こうという相手は、祐一がはじめてである。

余計なお世話だ、と最初から突っぱねられているのだが、それでもやはり放っておけない。好意を持っているのか、と問われれば多少はそうかもしれないとも思うが、そうしたことには疎いのでよくわからない。

結局、いくら探しても見付からない。これだけ大きな闘技場なのだから、仕方がないと言えば仕方がない。二回戦の時間も近いので、諦めて控え室へ戻ろうと思った時、通路の先に人が立っているのが見えた。

 

(あれは・・・)

 

巫女装束に、顔を隠す笠と薄布。二回戦で祐一の対戦相手となる、舞姫と名乗る女だ。

何故か妙に気になるのに、不思議と関心を持たずにいる存在だった。今も、視界には入っているのだが、風景の一部程度にしか認識できない。おかしいと思うこと自体がおかしいという、よくわからない心境だった。

 

(気にするだけ無駄か)

 

引っ掛かりを感じつつも、気にせずすれ違おうとしたところで、向こうから声をかけてきた。

 

「やれやれ、思った以上に鈍ってるね〜」

 

足を止める。その言葉、その声が、智代の中の何かを刺激する。

何故、今まで、気付かなかったのか。

驚愕しながら、相手に目を向ける。巫女が笠を取って顔を晒した途端、抜けていたものが戻ったような感覚がした。

 

「おまえ、は・・・・・・莢迦!」

「ひさしぶり、ともちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

to be continued


あとがき

 一回戦と二回戦の間のインターバル、その間に栞登場、フローラとレイリスの間で明かされる事実、そして莢迦と智代の再会。密かに重要な回を挟みつつ、次回は二回戦へと入ることに。