カノン・ファンタジア
1.変わる世界
−2−
街に帰りついた頃には、くたくたになっていた。
色々あって思っていた以上に消耗しているらしく、足下がおぼつかない。 そもそも妙な女、莢迦のせいで精神的にも疲れているのだ。
だがこれは、単なる体力の消耗だけではない。祐一の場合は、自身が魔力を持たないため、モンスターの持つ不純魔力を浴びるとその影響を受けやすい。これは誰でも同じことなのだが、普通の人間ならモンスターの巣を離れれば周囲と自身の魔力でそれを浄化できる。それができずとも、誰かに浄化の魔術を受ければすぐに治すことができる。
だが、自力で浄化できず、魔術をかけてくれる相手もいない祐一は、いつまでもそれに苛まれる。
街中にいれば自然治癒の速度も早まるため、すぐに回復するだろうが、さすがに家まではもちそうにない。
「・・・仕方ない、少し休んでいくか」
あまり気は進まないが、人が少なく、休憩に適した場所がすぐそこにあった。
教会である。
ギギィと音を立てて扉を開ける。中からは、オルガンの音色が響いていた。
来なければよかったと、祐一は少しだけ後悔する。オルガンを弾いているのは、カレンというこの教会の修道女だった。基本的に人間嫌いな祐一が、特に相性が悪いと認識している相手の一人である。 厚顔不遜というなら先ほどの莢迦といい勝負の女だった。
しかし今さら引き返す元気もなく、一番後ろの椅子に腰を下ろす。
礼拝堂には他に人はいない。この国の人間は教会の教えにあまり熱心ではない。
神父の姿もないが、ここを今預かっている神父は少し特殊なため、いないことの方が多い。
必然的に、ここに常にいるのはカレンということになるのだが、何故自分はそんなところに好き好んでやってくるのか、祐一は疑問に思う。
祐一はカレンが嫌いなのである。色々な意味で。
だから、演奏を終えた彼女が当然の流れとして祐一の方へ歩いてくるのも気に食わない。
「こっちまで来るな。西の沼まで行ってきたところだからな」
ピタッと、カレンの足が止まる。
このことには、特別な意味がある。修道女であるカレンは、浄化の魔術の一つや二つ心得ているだろうが、それを使うためには近付かなくてはならない。
けれどカレンは、黒い魔力や不純な魔力といった、悪性の魔と接することができない理由があった。
「また無茶をしたものね。あそこに巣食うモンスターは見習いの手に負えるものではないと、師が言っていたわ」
「そうかよ。けど、きっちり倒して来たぜ」
そのあとさらなる大物に襲われて逃げ帰ってきたことは黙っている。言えばここぞとばかりに攻め立ててくるに決まっているのだ。この女は相手の弱みを見つけるとねちねちとつついてくる性格をしていた。
二人は一定の距離を保って話をする。
もっとも祐一からすれば、話などせずに放っておいてほしいところだった。
「少し休んだら出てくから、構わなくていいぞ」
「そうですか。ではごゆっくりどうぞ」
そう言いながら、カレンは一歩もそこを動かない。
視線もずっと祐一に固定したままでいるため、ひどく落ち着かない気にさせる。この無言のプレッシャーに負けて、以前は何度か話をするはめになり、互いの身の上話などというつまらないことをしあったりもした。
お互い、気が滅入ることこの上ない身の上話だった。
それ以来話などするものかと思っているのだが――。
「・・・・・・なぁ、そうやってて楽しいか?」
どうしてもいつも、祐一の方が根負けして声をかけてしまうのである。
「そうですね。楽しいか楽しくないかで言えば、楽しい、かしら。あなたは表情がころころ変わるから、見ていて楽しいわ」
そして、返ってくる応えは大概不愉快なものばかりなのであった。
「ほら、また変わった。失礼なことを言いましたか?」
「いや、ご指摘ドウモ。今後はポーカーフェイスを心がけるから、楽しみなんかないぞ」
「それは残念ですね」
明らかに、できるものならやってみろ、という態度のカレンに対抗心が沸き、祐一は無言無表情を貫こうとする。
元々友人と呼べるような知り合いのいない祐一は元々お喋りな方ではない。境遇上、仏頂面に慣れているため無表情でいることも難しくはないはずだった。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
一分経過。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
三分経過。
無言無表情を貫いているはずなのに、同じく無表情なカレンが何故か楽しげなのを祐一は感じ取った。
そう祐一が思った途端、カレンが口の端をほんの少し釣り上げて笑みを浮かべる。修道女のくせに、悪魔の使いのような笑みだった。
「・・・何が面白いんだよ?」
問いかけた時点で祐一の負けであった。そして問いかけの答えは、聞かなければよかったと思えるものだった。
「別に、表情を変えないように耐えている表情が面白かっただけです」
体力的には休まったが、精神的には余計疲れさせられた状態で、祐一は教会を後にした。
二度と近付くまい、と心に誓うのは、これで一体何度目であろうか。
莢迦といいカレンといい、自分はよほど女運がないらしい。他にも、叔母は大国最強の使い手で祐一の劣等感をより強いものにし、学院では妙な一年の優等生が自分を更正すると言ってつきまとってくる。
唯一傍にいて落ち着けるとしたら――。
「・・・そういや、忙しくなったのか顔を出さないな」
もう10年以上奇妙な関係が続いている彼女は、城内で王室警護の任に就いている。大武会を二日後に控え、各国から多くの人が集まるこの時期、ゆっくりする暇もないのだろう。
彼女、レイリスだけは、祐一に対して確かに好意を向けてくれている。それだけはわかった。
けれどそれでも、水瀬秋子と並び称されるその存在は、祐一にとって上に立つものだった。どれほど真摯に気遣われても、強者の弱者に対する哀れみのように感じてしまう。そんな風に捻れた考え方をするほど歪んだ自分を疎ましく思うこともある。
だが、そんな日々もいつまでも続かせたりはしない。
二日後の大武会、必ず勝利を収めて、皆に彼の存在を認めさせる。
剣を手に取ったその日から、心に誓ったその目標を、ついに果たす時が来たのだ。
大武会では必ず優勝する。そしてその後で、秋子とレイリスにも挑んで勝つ。それだけの強さを見せれば、例え魔力0でも皆認めざるを得ないはずだった。それだけが、祐一の生きる目標だった。
だから、女のことなど、今は考えない。
「・・・・・・女難の相」
ピタリと、足を止める。自分の額に青筋が浮かんでいるであろうことを、自分で認識できた。
何故このタイミングで、不愉快極まりない言葉を投げかけられなければならないのか。その不機嫌さを一片たりとも隠すことなく、祐一は声がした方へ振り向いた。
そこでまた、ピタリと動きを止める。
扇状に広げたカードで口元を隠した女が立っていた。少女の面影を残しながら、大人びた雰囲気を持つ女である。夕日に照らされたその姿は、どこか幻想的でもあった。
先ほどの莢迦ほどではないが、思わず見惚れさせられる相手だった。その上どことなく、莢迦と似通った雰囲気を感じさせる。
「・・・残念」
ほんとに残念そうな表情を女がする。カードと祐一の顔を見比べて、哀れむような視線を送ってくる。
「・・・あなたの運勢、大凶」
ピキッと、再び祐一の額に青筋が浮かび上がる。
一瞬でも女の容姿に見惚れていたことなど綺麗さっぱり忘れ去り、女を睨みつける。
そこへ、横合いから別の声が投げかけられた。
「よう少年、占いの結果は残念だったな。遠野の占いは99%確実だから、まぁ諦めろ。その代わり、今から俺の芸で心を癒していくといい」
女を睨む視線をそのまま少し横へ動かす。
すぐ隣にしゃがみ込んだ青年が、足下を指差している。さらに視線を動かすと、そこには小さな人形が横たわっていた。
それが?と視線で問いかけると、青年はにやりと笑って、掌を人形の上にかざす。すると不思議なことに、人形がひとりでに動いて歩き出す。その動きはとても洗練されていて、物を操る魔術でもここまで精巧な動きは再現できないだろうと思えた。
人形は祐一の足下まで歩いてきて、そこで方向転換して青年の方へと戻っていく。思わずその先を期待してしまったが、人形はそこで止まったきり動かない。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
その場で三人、沈黙する。
女はカードを切ったり引いたりしながら、その度にほんの僅かずつ表情を変えている。男は得意げな表情で、何かを求めるように祐一のことを見ている。そして祐一は――。
「・・・つまらない」
ガーン、と音を立てて青年が石化する。
技術は確かに大したものだったのだろうが、芸としては二流どころか三流、面白みの欠片もなかった。これでよく芸などと胸を晴れたものだというほどにつまらなかった。道行く他の人々の反応を見る限り、皆共通の認識を持っているようだ。
カードを弄り続ける女と、芸をつまらないと断じられて石化している男。妙なコンビに絡まれたものである。
(・・・今日は厄日だな)
祐一にとってみれば、日々の全てが厄日そのものだが、今日はそれが際立っていた。
確かに大凶かもしれないと思っていると、ふと脳裏に閃くものがあった。
「なぁ、あんたらって旅の芸人なのか? まぁ、芸はつまらないし、占いは失礼極まりないが」
「・・・しょっく」
失礼極まりないと言われて傷付いたのか、女がカードを弄る手を止めてしゅんとなる。
最初に顔を合わせた時からつかみ所がなく、扱いづらい相手だとは思っていたが、こういう反応をされたらどうしたものかと悩む。
少しだけフォローを入れようと声をかけようとしたところで、動きを止める。
突き刺すような視線と共に浴びせかけられるのは、確かな殺気。
視線だけでなく、物理的な衝撃を伴うものが真横から接近してくるのを感じる。
振り向いて確かめる暇はなく、背負った大剣を鞘ごと体から外し、盾代わりにして衝撃を受け止める。
衝突の直前、祐一は相手の姿を確認する。思ったよりもずっと小柄な、子供だった。
それが僅かな油断を生み、踏ん張りが甘くなった。
ズンッ!
重い。
蹴りの威力を腕だけでは止めきれず、数メートル後ずさりさせられる。
子供の体格では、全体重を乗せてもここまでの威力は出まい。跳び上がる瞬間に地面を蹴った勢いが相当なものであったに違いない。加えて、込めた魔力の強さも威力に上乗せされている。
祐一は剣越しに、蹴りの反動で距離を取った子供を見据える。
「おまえ! なに美凪に悲しい顔させてんだーっ!!」
赤い髪のツインテール、溢れんばかりのエネルギーを全身で持て余しているような、そんな少女だった。あの小さな体で、今の強烈な蹴りを放ったという事実は、俄かには信じがたい。
尚も殺気立つ少女だったが、その背後に石化から解けたらしい青年が立ち・・・。
ごんっ!
「んにょぐはっ!」
「このばかちるが! 何金づるに蹴りくれてやがる!」
何か引っかかる言い回しがあったが、頭に拳骨を受けた少女は地面に突っ伏し、殺気立っていた空気は元に戻る。
祐一も緊張を解いて剣を背負いなおすが、別の意味で警戒心を抱いていた。
今、あの男は、いつ少女の背後に移動したのか。
少女の方に気を取られていたとはいえ、その瞬間をまるで思い描くことができなかった。それに気付いた時にはもう、あの男はそこに立っていたのだ。
「悪かったな少年。で、さっきの質問だが、確かに俺達はさすらいのナイスな旅芸人だ」
「いや、そこまでは言ってないが・・・」
男の軽いノリに、今のはちょっとした不注意だと思うことにした。
それよりも今は、先ほど思いついたことの方が大事である。
「それなら、旅先で、それまでの旅の土産話なんかもしたりするのか?」
「吟遊詩人じゃねぇからそういうのは本業じゃないが、求められればそういうこともするな」
「そうか、なら・・・」
祐一はポケットから金貨を一枚取り出し、男に向かって放る。
眼前でそれを掴み取った男は、怪訝そうな表情で祐一のことを見返してくる。
「芸の代金だ。それと、二日後の大武会、見に来いよ。いい土産話になるだろ」
「ほう・・・。俺には売名行為みたいに見えるんだが、間違ってないか?」
「優勝した奴の話を添えれば、つまらない芸でも注目を集めるだろ」
「大した自信だな、小僧」
スッと男の目が細められる。
先ほどの見えなかった動きは、やはり気のせいなどではない。この男も、只者ではない。空気が変わったのを、肌で感じ取る。
「いいだろう。言われずとも見に行くつもりだったが、望みどおりおまえの戦い、旅の土産話にさせてもらうぜ。魔力を持たない野郎の大武会での有様を、余すことなく、な」
「ああ。何なら、あんたも出場してきてもいいんだぜ」
「俺はただの芸人だ。臆病者なんでてめぇでは戦わねーよ」
「そうか。なら、ちゃんと見に来いよ」
祐一は、おかしな三人組に背を向けて歩き出す。
大見得を切ったものだと、自分でも思う。だがどうせ、失うものなど持たない身である。賭け金を釣り上げたところで、痛みはない。ただ当初の思い通り、ただ勝つのみである。
「・・・・・・・・・」
歩き去っていく少年の背を、旅芸人の男、国崎往人はじっと見送る。
大した見栄っ張りであるが、面白い逸材ではあると思う。まだまだ若さ、というより幼さを感じさせるが、将来有望と言える。或いは本当に大武会では優勝するかもしれない。それが真に誇れる勝利となるかどうかはさておき。
何にしても、この街に来てさっそく一つ、楽しみができたというものであった。
「・・・国崎さん」
「何だ、遠野?」
「・・・助かりましたね。大会会場への入場料どころか、今夜の宿代にも困っていたところでしたから」
「ぐ・・・おまえな、人がせっかくかっこよく決めてるところにだな・・・」
旅の道連れである占い師の女、遠野美凪の言葉に、往人はバツが悪そうに顔をしかめる。
手にした金貨を弄ぶ。たった一枚ながら、その重みが愛しい。何故こうも日々困窮しなければならないのかと疑問に思うことは常々だが、それを隣の占い師に尋ねると、悲しそうに顔を背けられるのみだった。それ以上を聞き出す勇気は、往人と言えどもなかった。
いずれにせよ、金貨一枚あれば数日分の生活費には事欠かない。
「事も無げに金貨一枚出しやがって、どこの御曹司だ、あの小僧?」
「・・・噂を耳にしたことがあります。この国の宰相の甥に、魔力を持たない人がいると」
「なるほどな。ま、お手並み拝見と行くか。しかし大会は二日後か・・・何かがあるとしたら、やっぱりそこか?」
「・・・はい、たぶん」
美凪は目を閉じて、手の中のカードを扇状に広げてみせる。
横から見ていても、往人にはそこに映し出されている結果を読み取ることはできないが、美凪は瞑目したまま、そこにある意味を読み上げる。
「・・・無数の因果の鎖が絡み合って、混沌としています。何が起こるのか、私にもわかりません」
「そうか」
的中率99%を誇る美凪の占いを以ってして、何が起こるかわからないと言わしめる状況。だがしかし、何が起こるかわからない、という状況こそ、何かが起こる、という予見そのものだった。
「ふん、おもしろくなってきやが・・・っぶほっ!!」
ニヒルに笑って決めようとした往人の顎が、真下から蹴り上げられる。
ツインテールの少女、彼らのもう一人の道連れであるみちるが、四肢のバネを利用して跳び上がりながら蹴りを放ったのである。
「なに国崎の分際でかっこつけてるんだー! それと、さっきはよくもみちるの頭を叩いてくれたな!」
「ぐ・・・・・・てめぇらな・・・そろいもそろって俺が決めようとしてるところを邪魔しやがって・・・」
「・・・みちる、足は大丈夫?」
「んに、だいじょうぶ。ちょっとひねっただけ」
蹴り上げられ、真上を向いた状態で固まった頭を元に位置に戻しながら、往人は先ほどのシーンを回想する。
剣の腹を盾にしてみちるの蹴りを防御した少年。威力を殺しきれずに押されていたが、あのタイミングで蹴りに反応し防御できただけでなく、離れ際に軽く手を返してみちるの足首を捻りにいっていた。みちるの速度の方が 僅かに上だったため完璧には極まらなかったが、反応速度、判断力、技量、どれを取っても並大抵ではない。
本当に面白い逸材である。
名前を聞いておけばよかったと思ったが、どうせ二日後にはわかることだった。それまで、楽しみは取っておくこととする。とりあえず、当面するべきことは――。
ぐ〜〜〜
「・・・・・・・・・いい加減腹減ったな。せっかく収入があったことだし、今夜は久々に奮発するか」
「おー、めずらしく国崎往人がふとっぱらだー」
「・・・はい、行きましょう」
to be continued
あとがき
おなじみ、旅芸人トリオ登場。今までは祐一と往人の接点は曖昧だったけれど、今回は初っ端から遭遇させてみた。ちなみに、途中で水平線が挿入されるのは、祐一以外の視点に移る際の 表現である。さて、次回からはさっそく大武会開始か・・・!