カノン・ファンタジア

 

 

 

 

0.ある一日

 

   −3−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――夕。

 

 

 

ふっと心に浮かび上がる既視感。

なるほど、この街を訪れた時から思っていたことだったが、どうやら彼女はこの街を知っているらしい。

むしろ懐かしさすら覚えるこの場所は、或いは彼女の故郷であったのかもしれない。

だとすれば、多少は感慨深いものであろうが、それもあまり意味のないことだった。

仮にそうだったとしても、もはやどうでもいいことである。

 

彼女はもう___いるのだから。

 

美坂栞は、記憶の一部が欠落していた。

いや、一部と言わずほとんどがない。自分の名前すら、意識するようになってはじめて、自分の名前である、と認識できた程度のものだった。記憶が、というよりも感情が、否、人間が人間として存在するために必要なものがいくつか壊れているのだろう。

記憶の欠落など些細なことだ。

時々こうして、ふっと思い出すことがあるということは、記憶そのものが破損しているのではなく、記憶という引き出しから情報を引き出す機関が壊れているのかもしれない。

どちらであっても大差はない。

彼女が今の自分として存在しているためには関係のないことだった。

目下、気にすべきことは他にある。

例えば、自身が道に迷っていることとか。

 

「知ってる場所ならもっとはっきり思い出してほしいものです」

 

自分の状態を嘆く心も持ち合わせていない栞だったが、こうした点では不便だな程度には思ったりもする。

感情らしきものも欠落しているらしい自分だったが、客観的に見て喜怒哀楽はある方だと思っていた。外見上だけなら人並みに笑い、怒ったりもする。ただ、哀しむというのだけは、まだ体験したことがないような気がした。

或いは忘れているだけで、この上ない哀しみを知っているのかも――

 

 

 

――何かを思い出しかけて、結局記憶の引き出しは開かなかった。

思考が一瞬飛ぶのはいつものことなので気にもならない。

 

「そもそも、あの人は連れであるところの私をほっぽって一体どこに行ったんですか」

 

この場にいない相手に対して憤慨する。

壊れかけの存在である己だが、自身に対する執着がないわけではない。自分の存在をないがしろにされるのは気分の良いものではない。特に、あの男相手では。

今の栞にとってのはじまりであり、唯一関わりのある存在たる男。しかし今この場にはいない。

 

「どうせまた、お酒か女の人のいる場所でしょうね。まったく・・・」

 

通りかかった建物の窓に映った自分の姿を眺める。

どれほど中身が壊れていても、外見は普通の人と比べて変わりない。自分で言うのも何だが、美少女の部類に入るだろう。顔立ちやら胸やら、少々幼い感じがするが、それはさておき。

 

「こんな美少女を放っておいて、どうしようもない人です」

 

お気に入りのストールを広げながら、くるりとその場で回ってみる。

と、何気なくまとっているストールに目が止まって――

 

 

 

――また思考が飛ぶ。

懐かしいと感じる街にいるからだろうか。いつもよりも少しだけ、頻度が高い気がした。

 

「ま、言ってても仕方ありませんね。地道に探しましょう」

 

気持ちを切り替えて、栞はその場を後にする。

窓に映った自分の顔。その目から一筋の涙が流れていたことには、気付かなかった。

或いは、気付かなかったフリをした。

 

 

 

西に傾きかけた日差しに照らされた夕暮れの街を歩くこと小一時間。

 

「あ、そうでした、人に道を聞けばいいんでした」

 

ようやくそのことに思い至った。

幸い宿は決まっているのだから、そこで待っていればいずれ連れも戻ってくるはずなのである。そもそも朝起きたらいなかった連れを追って街に出た結果迷子になったのだ。大人しく宿で待っていれば問題は起きなかったはずである。

ほんの少しだけ、そのまま捨てて置かれる可能性も、あの男の場合はあるような気がしないでもないが。

それはさておき、まずは宿まで帰りつかないことには話にならない。適当に道を聞けそうな人がいないかと周囲を見渡して、手頃な相手を見つけた。

大きな剣を背負った少年が、道の向こうから歩いてくる。

栞と同年代か、少し年上くらいだろう。自分の正確な年齢もはっきりしないが、たぶんそれくらいだろうと当たりをつける。

 

「あのー、すみません」

 

明らかに、自分に近付くな、というオーラを発している少年――さらによく観察すれば、周りの他の人達もどこか彼に対して余所余所しい――だったが、栞は臆することなく声をかける。

そういえば、何故何人もいる通行人の中から彼を選んだのか。

ふとそんな疑問が脳裏を過ぎったが、大した問題ではないのでそのまま流すことにした。

 

「・・・何か用か?」

「ちょっとお尋ねしたいことがありまして」

 

見た目の印象通り、めんどくさそうなぶっきらぼうな受け答え。それでも無視はせずにきっちり相手をしてくれる辺り、根はいい人に違いないと栞は勝手に思うことにした。

手短に目的の宿の場所を尋ねると、少年は少し考えてから適当に道順を説明する。

それだけで少年はすぐに立ち去ろうとしたのだが、栞はそれを引き止める。

 

「私ちょっと物覚えが悪いので、近くまで案内してください」

「は?」

 

渋る少年を説き伏せ、というよりは拝み倒し、二人は連れ立って道を歩きだす。

誰かと一緒に街中を歩く――それだけで妙に楽しい気持ちになる栞とは反対に、少年はひどく居心地が悪そうだった。原因はおそらく、道行く人々の視線だろう。どうやら二人は、周囲から注目を受けているらしい。

美少年と美少女のカップルだから・・・ではなさそうだった。

この視線はもっと、悪意のようなものを感じさせる。だが、妬みの類よりは、蔑みに似ている。そうした視線を向けられる心当たりがないわけではないが、これは主に、少年の方に向けられている悪意だった。

ひそひそと語り合う人々の言葉から、気になる単語を拾い出す。

魔力0。

その言葉が意味するところは栞にもわかる。魔力を持たないというのが、この世界において異端であり、その存在に対して人々がどんな感情を抱くかも知っている。この視線は、そんな彼に対する侮蔑と、それと一緒にいる自分に対する様々な思いが入り混じった悪意だった。

だが栞にとってそれは、さして珍しいものでもなかった。

 

「あなた、魔力がないんですか?」

 

キッと、少年が栞を睨みつける。

 

「・・・ああ、そうだよ」

 

すぐに視線を逸らし、不機嫌さを隠そうともせずに顔を背けながら少年は言い捨てる。

睨まれた時はそのまま殴られるかと思うほどの気配がしたが、どうやら女相手に無闇に手をあげるほど捻じ曲がってはいないらしい。

 

「ふーん、大変そうですね」

 

また睨まれた。

よほどの苦労を背負っているのだろう。そんな一言で片付けられて堪るかという表情だった。けれど振り返った少年は、ハッとした表情で栞のことを見ていた。

何かに驚いているようだが、自分はそんなに変な顔をしていただろうかと、すぐ横の窓に映った自分の姿を目にする。

なるほど、自分は本当に軽い気持ちで言ったつもりだったが、そうでもないらしい。

窓に映った栞の顔には、何の表情もなかった。

 

「・・・・・・おまえも、何か抱えてるのか?」

「そうみたいです。自分でもよくわかりませんけど」

 

改めて少年の方に向き直った時、栞の顔はいつも通りの笑みを浮かべていた。

 

「そうか」

 

少年はそれ以上何も言わない。

そんな彼の態度に、栞は感じ入るものがあった。

彼は、これだけの悪意に晒されて生きていながら、表面はどれほど歪んでいても、心の底には優しい心を持っている。他人の思いやりは知らないくせに、自分は他人を思いやることができる。自覚があるかどうかは知らないが、彼はそういう人間らしい。

 

「ちょっとかっこいいです」

「何か言ったか?」

「いいえ」

 

この少年は自分とは違う。

彼は想像を絶するほどの悪意に晒されていながら、人であることを保っている。既に壊れかけている自分とは違う。

栞がよく知る、あの男と少し似ているかもしれない。

人と比べて足りないものを持ちながら、それを埋めて生きていくことのできる人。

欠けたものを、もほや取り戻すことの叶わぬ身である彼女にとって、それは憧れの的となる存在であった。

 

「ほら、着いたぞ」

 

立ち止まった少年が、横道を指差している。その先には確かに、栞が滞在している宿の看板が見えた。

 

「じゃあな。もう迷子にはなるなよ」

「そういう言い方、嫌いです。子供みたいじゃないですか。でも、ありがとうございました」

 

少年は振り返らず、軽く手を挙げて立ち去った。

互いに名乗りあうこともなかった間柄だが、また会えたらいいと栞は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

to be continued