カノン・ファンタジア
Chapter 3-B
-9-
館の最も奥にある部屋。
イリヤはそこで、彼女の祖父にしてアインツベルンの現当主たる男と向き合っていた。
不機嫌さを隠しもしない老人に対して、イリヤはひたすら無表情である。
「この愚か者めが」
「申し訳ありません、お爺様」
祖父が何を怒っているのか、イリヤは重々承知している。
何より、反論しても無駄であることもわかっているため、素直に謝っておく。
「鬼斬りの幽を倒せ、とわしは言ったが、バーサーカーを失えとは言っておらぬ。あれは魔導改造体の最高傑作であったというのに、あれを失ってはわしの野望にどれほどの遅延が出るのか・・・」
「・・・・・・」
バーサーカーはアインツベルンが研究していた魔法生物の究極形であった。
元々は大戦時、西方で力を振るった騎士であった男の肉体を徹底的に改造し、アインツベルンが持てる全てを込めて作り上げられた存在。
この世の魔導の全てを手に入れるという、この老人の野望を達成するために、アインツベルンの最高戦力となるために。
そして、“もう一つの最高傑作”たるイリヤスフィールという存在を守護するために。
それがバーサーカーの存在意義であった。
「バーサーカーで倒せずとも、この館に誘い込んであの男を完全に消し去る計画だったのだ。それを無理に戦うことを選択し、逆に倒されるなどもってのほかじゃ。とんでもない失態をしてくれたものだのぅ、イリヤよ」
「はい」
「何故無理をしよった? あれには『十二の試練』の呪法をかけてあったのだ。残りが半分になった時点で退く選択肢があったはずじゃろう」
「バーサーカーなら勝てると思いました。わたしの、判断ミスです」
「力を過信しよったか、嘆かわしいことよ」
「・・・・・・」
「もうよい。バーサーカーを失ったのは痛いが、何もあれに拘る必要もない。代わりが作れぬわけではないし、やがてさらなる力が手に入るのだからな」
表情は変えずに、イリヤはぎゅっと拳を握った。
代わりがあるという言葉が気に食わなかった。
イリヤにとってバーサーカーは、唯一無二の存在であった。
そしてそのバーサーカーは、もういない。
「イリヤよ、一度城へ戻るがよい。そこで新たな従者をつける」
「・・・・・・いらない」
「何?」
「わたしの従者はバーサーカーだけ・・・他のなんて、いらない・・・」
「・・・・・・ふぅ、情が移ったか。やはり余計な感情を持たせたのは間違いだったようじゃの」
「・・・・・・・・・」
「その方が器により多くの魔力を溜められると思ったが、つまらぬ感傷をするようならば致し方ない」
老人がかざした掌をイリヤに向ける。
「余分な記憶と感情は、消去するとしよう」
イリヤの全身が白い光に包まれ、その眼が虚ろになっていく。
反論する間もなく消されようとする意識の中で、イリヤは老人が発した言葉の意味を考える。
記憶と感情を消すと、祖父は言った。
それでも構わない。
所詮自分は、この老人の野望を達成するために必要な“器”でしかない。
覇王軍と行動を共にさせ、外で様々な体験をすれば“器”の魔力を高める要因になると思ったからこそ今まで自由にさせられていたが、大事なのは肉体だけで、内面、心はどうでもよいものだった。
必要ないものならば、消されてしまっても何の問題もない。
祖父の魔力に包まれ、頭の中が真っ白になっていく。
「(消えていく・・・全部)」
城にいた頃、身の回りの世話をしていた侍女達の顔が思い浮かび、消える。
今まで、城を出てから体験した様々な出来事の記憶が、消える。
全てが無へ帰っていく中で、二人だけ、なかなか消えない存在があった。
一人は、バーサーカー。
外へ出て行くイリヤに、従者として与えられたもの。
どこへ行くにも、ずっと一緒にいた灰色の巨人。
その強さを絶対のものとして、自分を守る者は最強なのだと信じていた。
けれど、もういない。
「(バーサーカーは、もういない・・・わたしを守ってくれるひとはもう・・・・・・)」
守る。
そう言ったのは、誰だったか。
バーサーカーが消えても、まだ一人記憶の中に残っている存在がいる。
彼女が今まで普通に信じていたものを否定し、彼女を守ると言った彼が。
「(ユウイチ・・・!)」
唐突に、忘れたくないという思いが浮かんでくる。
一度浮かんできたら、もう消えない。
消えかけていたものは戻ってくる。
真っ白になっていた心に、再び色がついていく。
「(忘れたくない! わたしは、忘れたくない・・・!!)」
強い思いが、祖父の魔力を弾き飛ばす。
「むぉ・・・っ!?」
自分の術が破られたことに驚く老人が、イリヤを睨みつける。
先ほどまでとは違う、強い意志を宿した眼で、イリヤはそれを見詰め返す。
「お爺様の言いつけでも、それはお断りさせてもらいます。わたしは、城にいた頃のこと、城を出てからのこと、バーサーカーのこと、何も忘れたくありません」
「えぇい、“器”の分際で余計な感情を持ちよって。わしに逆らうかイリヤ!」
「どうしてもわたしの心を消したいと仰るのなら、そのつもりです」
「許さぬわっ」
老人が再び手をかざす。
放たれる魔力波を、イリヤは自らの魔力で跳ね返す。
魔力を使用することにより、イリヤの全身には赤い紋様が浮かび上がっていた。
「戯けが!」
別の術を老人が発動させると、イリヤの全身に描かれた紋様が怪しく光る。
「ぁっ・・・!!」
自らの魔力の源たる紋様が、逆にイリヤの体に絡みついて、その魔力行使を封じる。
「おまえがわしに逆らえるはずはなかろう。その呪印はおまえの魔力を高めるだけでなく、アインツベルンの意志に反しないための呪縛なのだからな」
「ぅ・・・ぁ・・・・・・っ」
魔力を封じられ、動きも戒められ、全身を痛みが襲う。
声を上げることも叶わず、イリヤはその場に蹲った。
「今度は二度と逆らわぬよう、教育しなおさねばならんの」
体の動きを封じられ、魔力で抗う術も奪われたイリヤに対し、老人は改めて白い魔力波を放ち、イリヤの記憶と感情を消そうとする。
イリヤにはもう、それを阻止する術はない。
「(イヤッ! 助けてバーサーカー・・・ユウイチ!!)」
バンッ!
「!!」
「何だと!?」
扉を蹴破る音がして、イリヤの体を強く抱きしめる者がいた。
力強い腕に抱きかかえられると、先ほどまでの苦しみが嘘のように消えた。
喜びの笑みを浮かべて、イリヤは自分を抱く男の顔を見上げる。
「ユウイチ!」
だがすぐに、その表情が曇った。
祐一の顔は血まみれであった。
いや、顔だけでなく、体中に傷を負っている。
その上今はイリヤを守るために、全身から魔力を放出して祖父の魔力を防いでいた。
限界まで酷使した肉体で、しかも無茶な魔力放出をしているため、ただでさえ血の気の抜けた祐一の顔がさらに憔悴していっている。
「ユ、ユウイチ! だめだよっ、そんな体でそんな魔力の使い方したら死んじゃうよっ!」
祐一がやっているのは魔法でも何でもなく、ただ単に魔力を放出しているだけである。
確かにこれならばどんな魔力や術に対しても効果があるが、反面消耗が激しすぎるため有効な手段とは言い難い。
満身創痍の祐一が使えば、それこそ命を削りかねない。
「ダメッ、ユウイチ! やめて!!」
「心配・・・するなっ。おまえは、俺が守るって言ったろ・・・!」
「でもっ!」
イリヤを庇っている祐一の姿を見て、老人は驚愕の表情を浮かべていた。
「馬鹿な・・・庭の守りを突破しただけでなく、ヴァルゴまで倒されたというのか。しかも鬼斬りの幽ではなく、こんな小僧に・・・!?」
「はぁ・・・はぁ・・・あんたがイリヤの爺さんって奴か。自分の孫に対して、何てことしやがる・・・」
「だ、黙れ! それはわしのものだ、わしがどう扱おうと貴様などに関係ないわっ!」
「むかつくジジイ、だな・・・はぁ・・・はぁ・・・・・・あんたみたいなののところにイリヤは置いておけない。だから・・・もらっていくぞ」
「ユウイチ・・・・・・」
「ふざけるなよ、小僧が!!」
老人が魔力波を強めて、祐一とイリヤを狙う。
苦しみ出すイリヤを守るため、祐一もさらに魔力を強めてそれを防ごうとする。
しかし、もう今度こそ本当に限界であった。
「ちく・・・しょう・・・・・・イリヤ・・・」
「ユウイチ! わたしはいいから、もうやめて! ユウイチが死んじゃったら、意味ないじゃないっ!」
「失せろ小僧! わしのものを返してもらうぞ!」
祐一の魔力が、消える。
その瞬間・・・。
ドンッ!!
紺色の魔法陣が、祐一とイリヤの下に敷かれた。
魔法陣が結界となって、老人の魔力を完全に遮断する。
「な、何ぃっ!?」
驚きに目を見開くアインツベルン翁。
そこへ現れたのは・・・。
「・・・じゃじゃーん」
どこかやる気のなさそうな掛け声と共に現れたのは、美凪であった。
「みな・・・ぎ・・・・・・」
「・・・無茶ですね、相沢さんは。せめて、治癒魔法くらい受けていってください」
二人を包む魔法陣には治癒効果もあるのか、少しだけ祐一は体が楽になるのを感じた。
イリヤの方は、緊張の糸が切れたのか、祐一の腕の中で気を失っていた。
美凪はその横にかがみこんで、イリヤの身に浮かび上がる紋様を観察する。
「・・・なるほど、魔力を増幅し、蓄積する他に、ある種の呪縛効果がある呪印のようですね」
「わかるのか?」
「・・・少しなら。深く刻み込まれていますので、完全に除去することはできませんが、軽く書き換えるくらいなら」
スッと手をかざした美凪が、イリヤの体をなぞるように何かの印を描いていく。
「・・・これで少なくとも、アインツベルンの支配力を受けることはないと思います」
祐一には何が変わったのかさっぱりわからなかったが、美凪がそう言うのならそうなのだろう。
「そうか・・・よかった」
「・・・相沢さんは、イリヤさんをお願いします。私は・・・」
立ち上がった美凪は、魔法陣の前に進み出て老人と向き合う。
「・・・このご老人の相手をしますので」
突然現れて老人の魔力をあっさり跳ね返す魔法陣を一瞬で敷き、さらには長年かけて刻み込んだイリヤの呪印を簡単に書き換えてしまった目の前の女に、アインツベルン翁はただただ呆気に取られていた。
「き、貴様一体・・・何者だ?」
「・・・申し遅れました。遠野美凪と申します」
「な・・・に・・・!? こ、紺碧の占星術師! 四大魔女の一人が何故こんなところに!?」
「・・・ぶしつけですが、アインツベルン翁。私は今、ちょっと怒っちゃったりしてます」
いつもと変わらぬ無表情で。
いつもと同じ静かな口調で。
しかしはっきりとした意志を込めて、美凪は老人に対する怒りを示していた。
その静かだが強大な魔力を感じて、老人があとずさる。
「・・・イリヤさんやふぅちゃんに対する所業、許し難いものがあります」
「なん・・・だと・・・・・・?」
「・・・私の姉であり、師であり、尊敬する人の言葉です。『かわいい子は世界の宝、大事にすべし』と」
「それって・・・」
祐一はその言葉を言ったであろう者の姿を脳裏に思い描く。
巫女姿で、ブイサインをしながら高笑いをしていた。
「・・・そういうわけですので、お覚悟を」
「ぬぅ・・・わ、わしを殺せるなどと思うな! わしの、アインツベルンの野望はこんなところで潰えたりはせぬ!」
「・・・確かに、その状態のあなたを殺すのは無理でしょうね」
美凪は見抜いていた。
この場にいるアインツベルン翁は実体ではない。
おそらく本体は、アインツベルンの本城にいるはずだった。
これは、精神体を飛ばす類の魔法であろう。
「・・・お気の毒に」
「何?」
「・・・この場にいらっしゃったら、楽に殺して差し上げられたのですが」
何かの魔法を、美凪が発動させたのだけは、祐一にもわかった。
一瞬にして、目の前にいた老人は消え失せていた。
「何を・・・したんだ?」
「・・・精神に直接衝撃を与える術を使いました。彼くらいの魔法抵抗力があると、精神攻撃程度では死ねませんので、かなり苦しむことになると思います」
「そ、そうか・・・」
同情する余地などない相手である。
だが、少しだけ気の毒と思わないこともない。
世界最高の魔女が放つ精神攻撃とやらがどれほどのものかは知らないが、おそらく想像を絶するほどのものだろう。
それだけは、一ヶ月の特訓で体験したものから、祐一にも予測ができた。
「それにしても・・・こんな子供にふざけた真似しやがって・・・どんな野望があるってんだ、あのジジイ」
「・・・わかりません。ですがその野望に、幽さんや私達が邪魔な存在なのは確かみたいですね。それに、イリヤさんが、その要であるように思えます」
「ああ、そうみたいだな」
「・・・ということは、今後もアインツベルンはイリヤさんを奪還するために襲ってくるでしょう。なので、次の課題は、イリヤさんを守り抜くこと、にします。できますか?」
「当たり前だ。言われなくたって、イリヤは俺が守るさ」
絶対に守る。
そう祐一は心に誓った。
祐一はイリヤを抱きかかえて下の階へと戻っていった。
「・・・大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかな・・・」
そうは言うものの、傷は治っても体力は限界まで消耗しているので、祐一はふらふらしながら歩いていく。
一応いつ祐一が倒れてもいいよう、美凪はイリヤを回収する準備を整えていた。
ちなみに、祐一を助ける気は毛頭ない。
修行中の時と同様で、傷だけは治すが、それ以外は祐一が倒れようがどうしようが放っておく。
それが美凪の方針であった。
そんな状態で、二人は一階の広間まで戻ってきた。
先に戻っていた風子と、幽がそこにはいた。
智代の姿は既にない。
「あ、お姫様抱っこです。羨ましいです」
「風子、おまえも無事だったか。羨ましいって・・・おまえもやってほしいのか?」
「相沢さんにされるのは御免被りますが、女の子としての憧れの一つではあります」
「そうかい・・・。ところで、坂上は?」
「誰ですか、それ?」
「ここにもう一人いたろ、銀髪の、俺と同い年くらいの女」
「その方でしたら、出て行きました」
「そうか・・・」
さっきは戦う以外に道がなかったが、できたら一度彼女とは話がしてみたいと思った。
「あ、相沢さんに伝言があったんでした」
「ん?」
「確か、『借りは必ず返す』でした」
「・・・そうか」
どうやら、いずれまた会う機会はありそうだった。
その時までに、さらに腕を磨いておかなくてはならないだろう。
今日は何とか勝ったが、祐一の強さはまだまだ、彼女や他の強い者達に及んでいない。
「おい、行くぞチンクシャ」
声がする方へ顔を向けると、幽が館の外へ出て行くところだった。
「チンクシャって言わないでください。あと、風子に指図しないでください」
「うるせェ、置いてくぞ」
「それはもっと嫌です」
さっさと歩き出した幽の後を、風子が慌てて追いかけていく。
しかし幽が突然立ち止まったため、その腰の辺りに顔をぶつけて倒れる。
「いたた・・・いきなり止まらないでください、最悪です!」
「おい」
「?」
幽が背中を向けたまま、祐一に呼びかける。
「少しは認めてやるよ、てめェの強さってやつをな」
「え・・・?」
「ただし」
唖然とする祐一の方を肩越しに振り向いて、幽は口元を釣り上げる。
「ゼファーの野郎を倒すのはこの俺だ、てめェの出る幕じゃねェ。覚えておきな、相沢祐一」
「・・・・・・・・・」
「あばよ、小僧」
「わ、急に止まったり急に歩いたり、風子を置いてかないでくださいっ」
今度こそ幽は、風子と共に立ち去った。
その姿が見えなくなると、祐一は階段に腰を落とし、後ろに倒れ込む。
「はは・・・なんだよ、これ・・・?」
片手でイリヤの体を支えつつ、もう片方の手で顔面を覆う。
「俺はおまえのやり方なんか認めないって言ったのに・・・そんな奴の言葉なのに・・・・・・なんで、何でこんなに・・・」
自分の顔が綻ぶのを、祐一は抑えられなかった。
ずっと誰かに認めてもらいたかった。
最初はずっと、そのために強くなろうとしてきた。
戦う本当の理由を見つけた今でも、その思いは心の片隅に残っている。
その思いが今、誰よりも強い、最強と呼ばれる男から認められたことで、生まれてはじめて満たされていた。
素直に言葉になど、絶対にしたくなかった。
けれど今祐一は、本当に、嬉しかった。
to be continued
あとがき
前回が一筆入魂という感じだったせいか、今回は全体的に弱いな・・・とりあえず書いた、って感じだ。やはり毎回毎回納得のいく文章を書いていくのは難しいものよ。とにかくこれで一段落。最後はついに、幽からほんの少しだけ強くなったことを認められた祐一。くだらないと一蹴された1-Aの時から大きく成長した証である。
次回は3-Bラスト、その後どうしてどうする。