カノン・ファンタジア
Chapter 3-A
-2-
侍女たる者、また王室警護の最高責任者たる者、いつ如何なる時も冷静でなければならない。
たとえどのような事態に直面しようとも、まず警護すべき対象たる王族に不安を与えないことを第一とし、状況を客観的かつ正確に見極め、最も的確な対処をすることが最重要である。
そう、彼女はあくまで冷静だった。
客観的かつ正確に状況の見極めを行った。
「お、かわいいメイドさん」
冷静に判断し見極めた結果、カノン王国第一王女付侍女長兼王室警護長たるレイリスは、この女をはっきり“敵”として認識した。
スッ・・・
足音も立てず、姿勢もまったく崩さずにベッド脇まで移動したレイリスは、目にも止まらぬ早業で侵入者の女からフローラを引き剥がし、スカートの下から取り出した刃渡りの短い剣を相手に突きつける。
あまりの速さに、フローラなどは何が起こったのか理解できず、直前のハプニングと合わせてすっかり放心していた。
そんなフローラを背中に庇いながら、レイリスは鋭い視線でベッドに腰掛ける巫女姿の女を睨みつける。
「・・・へぇ、鮮やかだね」
喉下に切っ先を当てられながらその女、莢迦は余裕の笑みを浮かべていた。
「何者ですか?」
冷たい声でレイリスは莢迦を詰問する。
妙な真似をすればただでは済まさないと無言で語るレイリスの視線を受けながら、莢迦はそれを向けてくる紅い瞳をじっと見詰め返す。
「ふぅん、おもしろい子がいたものだね」
「質問に答えなさい」
「・・・まぁ、端的に言うなら、迷い人?」
「普通に迷い込めるような場所ではないでしょう」
「ごもっとも。じゃあ、どろぼーさん」
「盗人ですか」
「そ。お姫様の唇を奪いに来た、ね♪」
僅かに眉をひそめるレイリス。
その後ろで、フローラが再び先ほどの出来事を思い出して赤面しながら我に返っていた。
「あのっ、その! レ、レイリスさんっ、そそそっ、その人は違うの! 違わないけど、違って、だから・・・!」
「あははっ、違わないけど違うって言ってることめちゃくちゃだよ~、フローラ」
「莢迦さん! 茶化さないでくださいっ!」
「落ち着きください、フローラ様。それと、賊の者が気安くフローラ様を呼び捨てにするなど言語道断です」
うろたえるフローラと笑顔の莢迦、そしてあくまで怜悧なレイリスと、まさに三者三様であった。
「まぁまぁ。レイリスって言ったっけ? 落ち着いて話し合おうよ」
「動かないでください」
「物騒なものはしまいなよ」
動くなと言われても気にかけず、莢迦は喉下に当てられている切っ先を指で摘まんで横へそらす。
口で何を言おうと、どんな行動をしようと、レイリスがフローラの寝所を血で汚そうとしないことを莢迦はわかっていた。
「とりあえず、怖いお姉さんが来たから退散することにするよ」
横にそらした剣を莢迦が軽く指で弾くと同時に、その姿はベッドの上から消えていた。
「え・・・?」
唖然とするフローラと違い、レイリスは即座に気配を追って莢迦の姿を捉える。
カーテンと窓を開け放った莢迦は、その窓枠のところに腰掛けていた。
「フローラ、また近い内に遊びにくるから。じゃあね~♪」
追いすがろうとするレイリスの手を逃れて、莢迦は窓から飛び降りる。
驚いたフローラが窓枠に駆け寄ると、城壁に着地して、さらにその向こうへ消えていく莢迦の姿が見えた。
「はぁ・・・すごい・・・」
「申し訳ありません、フローラ様」
「え?」
「あのような賊の侵入を許すなど・・・」
「い、いいよ! レイリスさんが悪いわけじゃないし、それに・・・悪い人じゃ、なかったから」
「今後は警備を厳重にし、二度とあのような者が近付かないように致します」
「え・・・」
レイリスが下げていた顔を上げると、フローラがひどく寂しげな表情をしていた。
そんな表情をさせてしまっていることに、レイリスは罪悪感を覚える。
改めて思い返しても、あの女がいる間のフローラは慌ててこそいたものの、とても楽しげでなかったかと思う。
「身の回りの警備は、私が密に行います。ただ、フローラ様」
「・・・はい」
「猫の一匹くらいが迷い込むことはあるかと思いますゆえ、ご自身でも充分にお気をつけください。何かありましたら、お呼びください。すぐに駆けつけます」
「!!・・・はいっ!」
パッと表情を輝かせるフローラを見ると、レイリスの心も晴れやかになる。
もしもあの女がフローラに害を成すことがあったならば、自分は全力をもってそれを排除する。
けれど、フローラが彼女と接することを望み、それで喜んでくれるのなら、目を瞑ることもまたしようと思った。
本来は許すべきことではないが、レイリスはフローラに負い目がある。
何も知らない彼女に全てを秘密にして、彼女の兄と会っているという負い目が。
誰にでも、会いたい相手というものはいる。
レイリスにとって“彼”がそうであるように、今のフローラにとってそれは、あの莢迦という女がそうであるのだ。
「いやはや、思いがけず楽しい出会いがあったものだね。フローラはかわいかったし、あのメイドさんも・・・おもしろい」
意図せぬ偶然というものは、時に彼女をとても楽しませる。
幽や祐一、そして今のフローラとの出会いがまさにそれだった。
或いは偶然ではなく、何かの必然なのか。
「ま、いいよね、どっちでも。楽しければさ」
街に下りて城を眺めていた莢迦は、踵を返して歩き出す。
新たな楽しみを見つけたとはいえ、とりあえずはカノンに戻ってきた目的を果たさねばならない。
「ちゃんと近くに送り届けたはずだから、戻ってると思うけど・・・」
とは言うものの少々不安にもなる。
何しろ先ほどは自身の意図とは外れて城内に転移してしまったのだ。
遺跡で目覚めたばかりで半ば暴走状態にあった魔力で行った転移が上手くいっているかどうか気になった。
短い間とはいえ共に旅をした仲間である以上、その安否には責任を持ちたい。
「お、ここだここ」
やってきたのは、カノン第一の貴族、倉田家の屋敷であった。
正面門に近付くと、すぐに目当ての人物を見つけることができた。
どうやら、向こうも彼女と、おそらくはもう一人を待っていたのであろう。
「!・・・莢迦」
「や、舞。ちゃんと帰ってたね」
屋敷内に上がらせてもらった莢迦は、佐祐理と舞と三人でテーブルを囲む。
「あははー、とりあえず、みんな無事でよかったですね」
自らお茶を入れながら、佐祐理が笑顔でそう言い、舞も茶菓子を口にしながら頷く。
「普通なら死んでるような状況だったからね~」
生き残れたのは実力半分、運半分といったところであろう。
莢迦や往人ほどの実力者になれば、100%実力で生き延びたとはっきり言えるが。
祐一や舞、佐祐理、それに往人と共にいたサーガイア組の面々は、莢迦が助けなければどうなっていたかわからない。
それほどまでに、覇王ゼファーは恐るべき存在なのだ。
二年前までの大戦においても、連合軍は覇王軍を追い詰めていたものの、幽と四死聖が覇王と十二天宮相手に戦っていなければ、これもやはりどうなっていたかはわからない。
「・・・莢迦、祐一は?」
「そうでした。祐一さんはどうしたんですか?」
「修行中」
無事であるという点は最初に伝えたが、今どうしているかについてはまだ話していなかった。
それを莢迦は一言で端的に伝える。
「修行なら、私も一緒に・・・」
「だーめ。余計な邪魔はいらない。彼には、たっぷりと地獄を見てもらうから」
「地獄って・・・」
「下手したら死ぬかもね」
「そんなっ!」
がたんと音を立てて佐祐理が立ち上がる。
普段温和な表情を崩さない佐祐理が蒼ざめている。
遺跡での戦いで祐一が、ライブラや覇王の手で殺されそうになるのを見てきた佐祐理は、祐一のことを前以上に心配するようになっていた。
「・・・祐一さんは、どこにいるんですか?」
「教えない」
「どうして!?」
「言ったでしょ。邪魔になる要素はいらないの」
「でも死ぬかもしれないって今! そんな修行なんて・・・!」
「生と死の境を見るほどの修行をしなきゃ、彼は彼が望む舞台に立つことはできないの」
「ですけど・・・」
「莢迦。佐祐理は誰よりも、祐一のことを心配してる。会わせるだけでも、させてほしい」
無表情だが、舞も真摯な表情で莢迦を見る。
必死に訴えかけてくる佐祐理からは、舞の言うとおり祐一に対する想いが強く伝わってくる。
しかし莢迦は、それらを冷たく切り捨てる。
「佐祐理、舞。彼が求めてるのは、癒しじゃないの。気遣いで差し伸べられる手は無意味よ」
「気遣い・・・佐祐理は、そんなつもりじゃ・・・」
「そんなつもりじゃなくても、彼にはそう見える。それは、ずっと彼を見てきたあなた達の方がよくわかってるはずでしょ」
莢迦の言葉に、佐祐理と舞は押し黙る。
言われた通り、二人は10年近く祐一と共に過ごし、その間ずっと彼の心に刻まれた傷を癒そうとしてきた。
けれど二人の想いは虚しく空回りし、彼に届くことはなかった。
「彼が欲しているのは、彼が目指す高みにいる者達から認められること。そのための強さは、彼自身が掴み取るしかない。その強さが得られるまでは、同情なんてもってのほかだし、誰の想いも彼に届いたりはしない」
「・・・・・・」
「大丈夫だって。私ならともかく、美凪なら少なくとも死なせるような真似はしないから。だから慌てなさんな。想いを伝えたいなら、彼が強くなって帰ってきてからにしなさい」
「莢迦さん・・・」
「それに、あなた達にはあなた達の仕事がある」
「え?」
ここからが、莢迦が二人をカノンに帰し、自分のここへやってきた本題だった。
「覇王が復活した。この意味は大きい」
遺跡での出来事を思い出し、佐祐理と舞も神妙な顔つきになる。
祐一のことはまだ気がかりだったが、覇王のことも懸念材料だった。
「あいつが二年前に頓挫した野望の続きを遂げようとするなら、邪魔な存在は二つ。一つは幽と私達四死聖。そしてもう一つは、連合軍に属した各国。その筆頭は当然、ここ、カノンよ」
莢迦の言わんとしていることの意味は、二人にもわかった。
大武会の時には十二天宮三人とモンスターの群れだけだったが、覇王が復活したとなれば、今度は本格的にカノンを落とすために軍を送ってくる可能性がある。
つまりはそういうことだった。
「佐祐理はまず、王様に覇王の件を伝えるのが仕事。彼のことばかり心配して、まだなんでしょ」
「あ・・・」
「しっかりしないとだめだよ、倉田家次期当主。舞は実際戦闘状態に入った時の大事な戦力。カノン騎士団は覇王軍の怖さは知っていても、もっと怖い十二天宮のことは知らない。曲がりなりにもあいつらと渡り合ったあなたの存在は、貴重なの」
「・・・・・・・・・」
舞は少しだけ体を震わせる。
あのバーサーカーや槍使いのレオと戦った舞だからこそ、莢迦の言う十二天宮の怖さは十二分にわかっていた。
いざとなれば、再び彼らと戦うことになるのだ。
「国の一大事なんだから、筆頭家老たる倉田公の後継者とその護衛役には、ここの守りを固めてもらわないとね」
「佐祐理一人がいて、それで何かの役に立つでしょうか・・・?」
「それはあなた次第。でも大丈夫、私もいるし」
「・・・莢迦も、この国に?」
「まぁ、彼の面倒を見るって決めたからね。彼が強くなるまでは、私が代わりに彼が守りたいであろうものを守ってあげるよ。別の理由もできたし、やばそうな時は私がこの国を守る」
覇王復活。
その報を倉田家令嬢から聞かされた北辰王は、表向きにはそれを内密にしつつ、連合各国に密使を送り、騎士団にも密かに通達し、備えさせた。
レイリスもそのことを伝えられていたが、城内の者達、何よりもフローラに不安を与えないため、事が公けになるまでは常日頃と変わらぬように努めていた。
いつも通りの朝、レイリスはフローラを起こすために寝所に向かう途中でその気配を感じて立ち止まる。
「・・・堂々と私の前に姿を現すとは、大した度胸でいらっしゃいますね」
「いやぁ、それほどでも」
廊下に置かれた飾り物の陰から莢迦が姿を現す。
「褒めていません」
ニヤニヤと笑う相手に対し、レイリスは冷たい視線を返す。
「何用ですか?」
「ちょっとフローラのところに行く前に、あなたに確かめたいことがあって、ね」
「私に?」
「あなた、人じゃないものの血が混じってるでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・」
レイリスの視線が鋭さを増す。
殺気に近いものさえ放つ眼光が莢迦を射抜いていた。
それを受け流しながら、莢迦は肩をすくめて数歩下がる。
「怖い顔しないの。確かめたかっただけだから」
「くだらない詮索はおやめください」
「はいはい」
「それと、好き勝手に城内を歩き回るのも今後は控えていただきます」
「厳しいなぁ~」
「姫様が望まれていることですから、御寝所に猫が一匹くらいいたとしても見なかったことにするつもりでいます。ですが、それ以上はいたしません」
くるりとレイリスは踵を返し、莢迦とフローラの寝所に背を向ける。
「やり残した用事を思い出しました。姫様の御起床時間は30分ほど遅らせることにします。ここでの出来事は忘れますので、早く立ち去ってください」
「へぇ~、見逃してくれるんだ?」
「先ほど申しました通り、姫様が望まれていることですから。ただし」
肩越しに振り返ったレイリスが、今まで一番鋭い視線で莢迦を睨みつける。
禍々しささえ感じる、その真紅の瞳が、強固な意志を漲らせている。
「あなたがフローラ様の身に害を及ぼすようなことがあれば、私は私の全てを懸けてあなたを排除します。それだけは、覚えておいてください」
「それはそれで、おもしろうそうだけど」
にやりと口元を釣り上げる莢迦。
このレイリスという侍女が秘めている力を、莢迦を感じ取っていた。
或いは、あの水瀬秋子すら上回って、カノン最強、かもしれない。
そんな相手の全力を、見てみたいとも思う。
「でも、約束するよ。フローラを傷つけるようなことだけはしない。絶対に、ね」
「信じはしません。ですが、その約束が守られることを願っています」
「うんうん」
「・・・・・・一つ、言い忘れていました」
「ん?」
「私は、あなたが嫌いです」
「それは残念。私はあなたのことも結構好きだけどな」
ぷいと顔を背けて、レイリスは歩き去った。
その背中に向かってひらひらと手を振りながら、莢迦はフローラの寝所へと向かう。
先日は驚かせてしまったので今日は・・・。
「・・・むふふ、もっと驚かせちゃおうっと♪」
悪魔の笑みを浮かべながら、莢迦はフローラの寝所へと忍び込む。
気配を殺してベッドに近付くと、静かな寝息が聞こえてきた。
覗き込むと、とても幸せそうな顔でフローラが眠っている。
「うわぁ、かぁわい~」
無防備に寝顔を晒している様が非常にそそる。
このまま永久に眺めていたい欲求にも、今すぐにでも襲ってしまいたい衝動にも駆られる。
「あ、だめだ、抑えられない」
あっさり欲望に対する抵抗をやめて、莢迦はベッドの中へ潜り込む。
しばらくして・・・。
「~~~~~~~~っ!!!??」
くぐもった悲鳴が寝所内に響き渡った。
「ごめんごめん♪ でもこの間も言ったでしょ、かわいい子が目の前にいたら襲うって」
「もう・・・今日は心臓が飛び出すかと思いました・・・」
莢迦は、真っ赤になって座っているフローラの髪を梳かしていた。
レイリスの仕事を取ってしまっているかもしれなくて少し悪いかもと思ったが、そんなものはすぐに頭から追い出して、莢迦はフローラの髪の手触りを楽しんでいる。
「フローラの髪は綺麗だよね~」
「・・・それ、莢迦さんに言われると厭味に聞こえます」
「そんなことないって。私のに負けてないよ」
もちろん莢迦は自分の髪も日々手入れを怠っておらず、それには自信を持っているが、フローラのものもまったくそれに劣らないというのは正直な感想だった。
きっとあのレイリスが毎日誠心誠意気遣っているからであろうフローラは、髪だけでなく全てにおいて完璧で綺麗なお姫様である。
「自信持たなきゃ。お姫様は堂々と、ね」
「それは、レイリスさんにもいつも言われます」
「うん。でも、私の前ではかわいい子猫ちゃんでいていいよ」
「私、子猫ですか?」
「そうそう」
髪を梳かしていた手を止めて、莢迦は後ろからフローラを優しく抱きしめる。
恥ずかしさを覚えながら、心地よいその感覚に、フローラは身をゆだねる。
「・・・莢迦さんと一緒にいると、不思議な感じがします。こういう感じ、二人目かも」
「二人?」
「うん。一人目は、この間の大会で、危なかったところを助けてくれた人。確か、名前は・・・・・・」
to be continued
あとがき
全2回と短かったけれど、これでAパートは終わり。莢迦、フローラ、レイリスの三人と舞や佐祐理には、次のChapterまでお休みしててもらいましょう。次は最初に言った通り、Chapter3のメインパート。当然主人公たる祐一を中心に、幽や十二天宮のあいつやあいつが登場して、最大の目玉たる熱い二大バトルが繰り広げられることに・・・。相手が誰か、楽しみに待たれよ。