カノン・ファンタジア
Chapter 1-A
-2-
人々が少しずつ起き始める時間帯。
その部屋の主は、本来ならこんな時間に起きることなど絶対にありえない。
「・・・・・・」
ベッドの上ですやすやと寝息をたてている部屋の主の顔を、一人の少女が傍らで見下ろしていた。
スッ・・・
少女はゆっくりと手にした得物、本来は両手で扱うバトルアックスを片手で振り上げると、無造作にそれをベッドに向かって振り下ろした。
ズシッ!
当然、振り下ろされた両手斧によってベッドの中央は大きく窪んでいる。
呑気に寝ていた少女は、間一髪起き上がってそれをかわしていた。
「か、香里~、殺す気?」
寝ていた少女、水瀬名雪は、カエルの抱き枕を抱えながら両手斧を振り下ろした少女の対して抗議する。
「殺してでも起こせって言ったのはあんたでしょ」
「あれは比喩表現だよ~。ほんとに死んだらどうしてくれるの?」
「大丈夫よ。あんたは寝てる時の方が七倍反応速度が速いから」
「理由になってないよ~」
さすがの名雪も、今のばかりは驚いたらしく、すっかり目が覚めていた。
香里と呼ばれている少女は、これからこの手は使えるかもしれないと思ったが、いつか本当に殺しそうなので、金輪際使うのはやめようと思った。
既に紹介したこの部屋の主は、宰相水瀬秋子の一人娘で、騎士団に所属する水瀬名雪。
そして起こしに来た方の少女は、その親友で同じく騎士団に所属する美坂香里。
二人とも今日は大武会に出場するつもりで、朝早めに起きてウォーミングアップのために組み稽古をやる約束をしていたのだ。
「自分でやっておいてなんだけど、まさか名雪がこんな時間に起きるとは思わなかったわ」
「下手したら永遠の眠りにつくところだったよ。洒落になってないよ」
「そうそう、先に言っておくけど、対戦相手になっても、手加減はしないわよ」
「少しくらいはしてよ。香里は優勝候補なんだから」
「あんただってそうじゃない」
「私のは・・・違うよ」
「・・・・・・」
「・・・そうだ、北川君も来るんだよね?」
表情を曇らせた名雪は、あからさまな態度で話題を変えようとする。
「・・・なんであたしに聞くのよ?」
「だって、幼馴染でしょ」
今度は香里が眉間に皺を寄せる。
話題に上った北川潤という男と香里は、共に隣国カレドニアの出身である。
二人は昨年、共にカノン騎士団の入団テストを受けたが、厳しい条件の前に香里だけが受かり、落ちた北川は国へと帰っていった。
今年はそのリベンジに燃えているようで、大武会で優勝してアピールをするとはりきっているらしい、とそんなことを、香里は国の妹から手紙で聞いていた。
「知らないわよ、あんな奴」
素っ気無い態度を取る香里だが、内心楽しみでもあった。
カノン騎士団の査定には受からなかったが、北川の槍の腕だけは香里も認めている。
一年前からさらに腕を上げているとしたら、楽しみであった。
「ほら、早く行くわよ」
「わ、待ってよ香里~」
「あれ? 舞ー、祐一さんは?」
朝起きた佐祐理は、いつもならいるはずの朝食の場に祐一がいないのを疑問に思って舞に尋ねる。
既に食事中だった舞は、口の中のものを飲み下してから答えた。
「・・・もう出た」
「え? もう?」
「・・・朝、二人軽く稽古してから、先に行くって」
「そっか。うーん、激励の言葉とかかけたかったのに」
「・・・会場で言えばいい」
「そうだね。あ、今日は腕によりをかけてお弁当作るから、それも楽しみにしててね」
「・・・はちみつくまさん」
食事をとる舞の表情に変化はなかったが、尻尾があったら振っていそうなほど、全身から喜びのオーラを発していた。
「それと、舞も大会、がんばってね。でも、怪我とかしたら嫌ですからね」
「・・・大丈夫。問題なく勝つから」
「うーん、じゃあ、もし祐一さんと当たったら?」
「・・・もちろん、全力でいく。手を抜くのは祐一に失礼」
「・・・ほんとに、二人とも怪我だけはしないでね」
「・・・善処する」
戦う者達の気持ちというのは、佐祐理にはわからない。
けれど、自分のような者が口を挟んでいいものでないのはわかっている。
せめて怪我がないよう祈り、万一怪我をしても、すぐに自分が治せるよう心がけることを佐祐理は決めている。
「舞、がんばっ、だよ」
「・・・(こくり)」
「祐一さんと、どっちかが優勝で、もう一人が準優勝なんかだといいよね」
「・・・それは組み合わせ次第」
「あ、そっか。あははーっ」
パンパンッ
祐一は朝早く倉田邸を出ると、少し遠回りをして神社に来ていた。
必勝祈願をするためである。
「俺は必ず今日の大会で優勝してみせる。そして、この国の奴らに俺を認めさせてやる」
チャンスは初出場の今回しかない。
仮に今回負けて、次に出て勝ったとしても、今回の負けによって言われるであろう『やはり落ちこぼれ』という屈辱的な言葉は一生ついて回ることになるだろう。
今まで必死に剣の腕を磨いてきたのは、今日この日、大武会での栄光を勝ち取るためだった。
「絶対勝つ!」
グッと拳を握り締める。
決意も新たに、祐一は神社を後にしようとした。
「うーんっ」
「ん?」
そう思った矢先、思いもがけないところから声が聞こえた。
声がした方を見ると、神社の軒下から何かがヌゥッと現れた。
思わず身構える祐一だったが、よく見ればそれは人間だった。
祐一よりも少し年上くらいの、長い黒髪の綺麗な女で、白い着物に赤い袴、腰には白木拵えの刀という少し変わった雰囲気のする巫女である。
というか軒下から現れること自体変わっているを通り越している。
「う~~~・・・・・・ん、あれ? ユウ?」
「へ? 俺のこと知ってるのか?」
「・・・・・・・・・・・・あー、ごめん、人違いみたい」
「でも、今ユウって・・・」
「君もユウって名前なの?」
「いや、相沢祐一っていうんだけど」
「そうなんだ。どっちにしても人違いね。でも、一瞬ほんとにアイツかと思ったよ。ふーん」
「?」
巫女は興味深げに祐一のことを監察している。
ぶしつけな態度に、少しむっとする。
「なんなんだよ、あんたは。突然現れたと思ったら人違いの上に人のことじろじろ見て」
「あー、ごめんごめん。私は莢迦。見たとおり、巫女さんよ」
「で、その莢迦が俺に何か用か?」
「用っていうか、君の方が先に私の寝床の近くにいたんだけどな」
「寝床?」
「うん、そこ」
そう言ってさやかは神社の軒下を指差す。
「・・・寝床?」
「そ、寝床」
「いや、違うだろ?」
「ううん、いいの。掃除すれば割と居心地いいんだよ。ただたまに頭ぶつけるんだけどね」
「・・・あっそう」
深くはつっこまないことにした。
世の中色々な趣向の人間がいるということで。
この相手は深く追求すると負けのような気がした。
「まあ、それはいいとして、何で俺のことじろじろ見てんだ?」
「うーん、そうだね~。実は私ね、他人の魔力を感じることが出来るのよ」
「・・・・・・」
「なかなか人探しの時なんか便利だし、魔力の質で人の識別も出来るの。でもさっきは驚いたよ。だって、誰もいないと思ってたのに人がいるんだもの。あ、そうだ君、レディの起き抜けの顔なんか見るもんじゃないよ」
莢迦はおもむろに懐から鏡を取り出すと、手櫛で髪の毛を整えていく。
顔の方も色々とチェックを入れている。
「・・・・・・それで?」
「あ、やっぱり気悪くした? ごめんね。私ってぶしつけなところあるから。魔力ないって、気にしてた?」
「・・・別に」
思い切り気にしている。
こんな態度ではそう言っているようなものだった。
「ま、仕方ないか。集団っていうのは残酷なもので、あぶれ者には厳しいからね。私としてはあまり気にしない方がいいとは思うけど、本人の問題だからなんとも言えないよね」
「・・・・・・気になんかしてないさ。魔力はないけど、俺はその代わり魔力に頼っている連中の何倍も剣の修練を積んできた。今日の大会、絶対に勝って俺を認めさせてやるんだ」
何故かわからなかったが、祐一は少し感情的になって思いのたけを目の前の巫女に曝け出した。
「ふーん、大会に出るんだ」
「ああ」
「ねぇ、それって今からでも参加出来る?」
「あ? ああ、当日受付もしてるけど・・・」
「じゃ、私も出てみようかな。会場まで案内してよ」
「はぁ?」
「こう見えても、私だって結構腕が立つのよ。楽しそうだし、行ってみたいな」
「まぁ、行くのは勝手だけど、なんで俺が案内?」
「ここで会ったのも何かの縁でしょ。それに、こんなかわいい子と連れ立って行けるなんて君ラッキーだよ」
軽いノリの女だった。
正直あまり関わりたくもなかったが、成り行き上仕方なく、結局流されるままに祐一は彼女と一緒に会場へ向かうことになった。
「君とはなんだか運命的なものを感じるよ。よろしくね」
「何だよ、運命的なものって?」
「さぁ?」
陽気な笑顔を浮かべる莢迦を見ていると、自分の態度がひどく大人気ないものに思えた。
毒気を抜かれたような感じにもなったが、同時に緊張がほどよく解れているのに、祐一自身は気付いていなかった。
武会の会場近くでは物凄い人込みができていた。
もともと人口の多いカノン首都に加え、近隣の国々から武会を見ようと集まってきた人間が大勢いるのだ。
「まだ時間まで大分あるのに、すごい人だな」
「ほんとにね~」
「・・・って、何だよおまえのその格好は?」
いつの間に、しかも一体どこから出したのか、莢迦は薄布を垂らした笠を被って顔を隠していた。
「気にしないで。顔を隠した方が神秘性が増すでしょ。それに、この美貌をただで衆目に晒すのはもったいなすぎるよ」
「どこのお姫様だ、おまえは・・・」
確かに、見れば見るほど彼女が絶世の美人であることがわかる。
けれど、それを自分で言ってしまっては魅力も半減すると言うもの。
ましてや、個性的な性格の方が立っていて容姿の良さを打ち消していた。
「黙ってれば大貴族のお姫様で通りそうだけどな」
「あら、それはお姫様に対して幻想を抱き過ぎね」
「そうかよ。それにしても・・・油断しているとはぐれそうだな」
ついでに言うと、受付の時間が押し迫っていた。
かなり時間に余裕を見ていたつもりだったが、莢迦と話したりしてる内に思った以上に時間が経っていたようだ。
「急ぐぞ。ほら」
「ん?」
のんびりとした足取りで歩く莢迦に向かって、祐一は片手を差し出す。
「はぐれないようにだ」
「ふーん、結構紳士なんだ」
「違う。はぐれると後でうるさそうだからだ、おまえが」
「ふふ、そうかもね」
莢迦は片手で笠の端を押さえ、もう片方の手を差し出された祐一の手に重ねる。
その手をしっかり握ると、祐一は人込みの間を縫うように走り出し、莢迦もそれに続いた。
受付には何とか間に合った。
その際、参加者は魔力査定を受けることになっている。
大会はまず予選を行い、勝ち残った八人が決勝トーナメントで戦うこととなる。
魔力査定は、予選でできるだけ実力者同士が潰しあわないようにして、本戦でよりレベルの高い試合をさせるためのシステムだった。
「チッ、嫌なシステムだな・・・」
当然のことながら、これは祐一にとってプラス要素を一切含まないシステムだった。
誰もが彼の魔力0という事実を知ることになり、組み合わせに際しても予選で優勝候補クラスと当たる可能性が出てしまう。
「まぁまぁ、いいじゃない。プラスに考えるのが大事よ」
「どうやってだよ?」
「みんなが魔力0のことを知ることになる。その君がもし優勝すれば、一気に汚名挽回よ~」
「・・・一つ教えておいてやろう。挽回するのは名誉で、汚名は返上するものだ」
「軽いジョークなのにぃ」
そんなやり取りをしてる内に、早くも予選開始の時間となった。
「じゃ、お互いがんばろうね~」
そう言ってブロックが違う莢迦は自分の試合会場の方へ向かっていった。
祐一の試合は予選Gブロックである。
見渡しところ、知っている相手はいないように思われたが、一人、いた。
非常に目立つ鎧を着た貴族風の男。
昨日倉田邸にやってきていたローラントという男である。
「あいつと同ブロックか・・・」
その上、どうやら初戦の対戦相手でもあるらしかった。
両者の名前が呼ばれ、予選用リングに上がる。
「いやぁ、君か、曲芸師君。運がなかったね、いきなりこの僕と対戦することになって。しかし安心したまえ、僕に負けても恥じゃない。何故なら僕は優勝する男だからだよ」
「ごたくはいいからさっさと構えろよ」
「ははははは、よく聞こえなかったな。なんだって?」
「この間は佐祐理さんのお客様だから黙ってたけど、てめえはむかつく」
「うーん、無知とは罪。この僕に対してそんな口を聞くのは蛮勇というものだよ」
ローラント 魔力1170
相沢祐一 魔力0
リング脇に設置された掲示板に表示された両者の魔力値に、観戦している他の選手達から失笑が漏れる。
当然それは、祐一の魔力0という項目に対してだった。
力の差は歴然、誰もがこの試合の結果を確信していた。
「さぁ、来たまえ。遊んであげるよ、曲芸師君」
「・・・その口二度と聞けなくしてやる」
ドッ!
「へ・・・?」
試合開始が告げられてから数秒後、世界が反転するのを眺めながら、ローラントは生まれてはじめて間の抜けた顔というのをしていた。
体が宙に浮いている。何故?
一部の者を除いて、それに答えられる者はいなかった。
皆、見えなかったのだ。
それほどの祐一の打ち込みは速かった。
ドサッ
反転したローラントは、無様にもリングの上へ仰向けに落ちた。
一瞬にして間を詰めて相手を吹き飛ばした祐一は、振り返って剣を向ける。
「油断してる奴倒しても自慢にならないからな。今の一撃は手加減してやった。今度はそっちが来いよ」
「き、貴様ァ! 人が親切にしてりゃあ調子に乗りやがってェ!!」
キレたローラントは確かに強かった。
しかしそれはあくまで一般レベルで見ればの話。
剣の腕は、祐一からすればまったくお遊戯のようなものだった。
「よく憶えとけ。俺は曲芸師じゃない、剣士相沢祐一だ」
「ひっ・・・!」
振りぬかれた祐一の大剣は、ローラントの鼻先数センチを掠める。
恐怖のあまりローラントは気絶し、勝負はあった。
その後も順調に勝ち続け、祐一はGブロックからの本戦出場を決めた。
to be continued