カノン・ファンタジア
Chapter 1−A
−1−
その世界は一般に、メルサレヴと呼ばれていた。
元々どう呼ばれていたのかは定かではないが、およそ1800年ほど前に統一年号としてメルサレヴ歴が定められて以来、その呼び名が定着していた。
以来およそ1800年の間、様々な国が生まれ、消え、また生まれていった。
だが、もう一つ定められたものと共に、年号は常に変わることはなかった。
もう一つ定められたもの。
それは、魔力の概念であった。
魔力というのは、字面通りの、魔法を行使する力のことのみを差すのではない。
もちろん、魔法を使うためには魔力が必要だが、この世界で使われる魔力という言葉は、全ての生物無生物が等しく持っている潜在的な力を規格統一された数値としたものである。
人間はもちろんのこと、動植物、魔物や、さらには神族、魔族といった存在に至るまでその力は魔力で現される。
そして魔力は、人々の一つのアイデンティティーとして認識されていた。
決して、魔力だけが強さの判断基準になるわけではないが、強い者は基本的に魔力も高いのが常であった。
魔力は全ての人間が持っているもの。
なら、その魔力を持たない人間がいたとしたらどうなるのか。
大陸の東に位置するカノン王国に、その例があった。
彼の名は、相沢祐一。
メルサレヴ歴1802年、彼はこの世界に生を受けて、十七年目を迎える。
メルサレヴ歴1800年。
長く続いた戦乱の世も、この時終結を迎えようとしていた。
世界の覇権を手にしようとする覇王ゼファー・フォン・ヴォルガリフ率いる覇王軍と、北辰王率いるカノン連合軍は、大陸のほぼ中央に位置するメキド大平原においてついに激突することとなった。
周囲を山に囲まれた盆地に、両軍合わせて総勢100万もの軍勢が集っての大決戦であった。
公式記録ではこの戦は、北辰王が覇王を討ち取り、連合軍の勝利に終わったとされている。
だがそこには、戦場にいた者だけが知る隠された真実があった。
覇王を本当に討ち取ったのは・・・・・・。
真実がどうであるにせよ、その戦いで戦乱が終結したのは事実である。
そして、それから2年の月日が流れていた。
「いよいよ明日か・・・」
「ええ、そうですね」
王城の奥の間で話している男女は、かつて連合軍の率いたカノン王国の元首北辰王と、その片腕として武を奮った大将軍水瀬秋子である。
二人が話題にしているのは、明日に迫った第二回カノン大武会のことだった。
戦後一周年を記念して開かれた去年の武会は大盛況の中幕を閉じたため、今年再び開かれることとなったのである。
連合諸国より腕の立つ者を集め、公の場で競わせる。
祭りとしての経済効果、近隣諸国との交流、そしていまだ戦乱の興奮冷めやらぬ猛者達に力を奮う場所を与えるためなど多数の目的を内包した一大イベントなのであった。
そのため、まだ前日だというのに街は活気に満ち溢れていた。
「みなさんとても楽しそうで。私も出場したいくらいですよ」
「おまえが出たら対抗馬すらいないまま優勝決定だろうが」
「わかりませんよ。意外な伏兵がいたりするかもしれません」
「それはそれで怖いものがあるな」
水瀬秋子は、カノン王国最強の魔導師にして剣士であり、ロードの称号を持つ最高の騎士であった。
その力は近隣諸国どころか大陸全土に知れ渡っている。
実は連合軍が北辰王の下に集まったのも、彼女の存在によるところが大きいとさえ言われている。
そんな秋子と互角の勝負が出来る人間がいたなら、それはそれで困ったこととも言えるのだ。
何故なら、力はある者はどうしてもその力は振るわずにはいられないのがほとんどだからだった。
「もう戦乱はたくさんだ」
「そうですね。まぁ、さっきのは冗談ですけど、この大会は、私も楽しみですよ」
「そういえば、今年はおまえの娘も出るそうだな」
「ええ、それに、彼も・・・」
「・・・・・・そうか」
北辰の表情に複雑な色が浮かぶ。
彼にとって、秋子が口にした者は特別な意味を持つ存在のようだ。
だがそれについての思いが口をついて出ることはなかった。
そのことを知るのは、ここにいる二人のみ。
そこへ、人の来る気配があったからである。
「お父様?」
「フローラか。どうした?」
「いえ、その・・・ちょっとお伺いしたいことがあるんですけど。お忙しかったですか・・・?」
やってきた北辰の娘、フローラ姫は秋子の方を気にしながら父に問いかける。
「ああ、構わんよ。別に重大な話をしていたわけじゃない」
「なんでしたら、私は席を外しましょうか?」
「あ、いえ、それには及びません、秋子様」
秋子の方へ一礼をして、フローラは北辰の下へ近付く。
その姿を見て秋子は、普段から大人しくて引っ込み思案なところのあるお姫様が、いつにも増して困惑気味な表情をしているのに気付いた。
「それで、どうしたんだ、フローラ?」
「えっと、その、ですね・・・」
「ん?」
「明日の大会で優勝した方が、私のお婿様になる、という話を・・・聞いた・・・の、ですけど・・・・・・」
あとの方になるにつれて声は小さくなり、顔も赤くして俯いてしまう。
その様子を見て、秋子は顔を背けた。
笑い出しそうになるのを堪えるためである。
「はっはっは! その方が盛り上がるではないか」
「じゃ、じゃあ! 本当なんですかっ!?」
「心配いらん。例え優勝者でも私の目に適わぬ者であったなら私自身の手で倒してやる」
「そ、そんなぁ〜! わ、わたしの意志は?」
「何だ? 意中の相手でもいたのか?」
「い、いませんけどぉ・・・」
微笑ましい父娘の会話を横目に見ながら、秋子は先ほどうやむやになったことを思い浮かべる。
彼女の甥であり、北辰王にとっても特別な意味を持つ少年のことを。
その少年は秋子の姉の娘で、相沢祐一といった。
「・・・・・・」
王都の一角、上流貴族の住む区域に、一際大きな屋敷がある。
その敷地内の、そこだけで屋敷一つ入りそうな広さがある庭の一角にある大木の下に、一人の少年が立っていた。
木の枝からはいくつもの板が吊るされており、その中心で少年は大剣を構えている。
「・・・ハッ!」
風が止むのを待って、少年は構えていた大剣を立てた状態で一気に薙ぎ払う。
剣の面で打たれた板は一斉に弾き飛ばされ、少年が構えなおすのとほど同時に中心に向かって戻り始めた。
カッ カッ カッ カッ!
少年は自分に向かってくる数々の板を剣で弾き、或いは受け流していく。
見る目のある者が見れば、その動きがいかに卓越しているかわかるであろう。
相当な大きさと重量のある大剣に振り回されることなく、迫ってくる板全てに対して確実に反応していく。
十個以上の板が360度全方向から迫ってくる状況を綺麗に捌くのは、並大抵の腕前では出来ないことだった。
力自慢でも扱いが困難であろう、身の丈ほどの大剣を手足のように操っている少年こそが、相沢祐一である。
一度弾かれた板は再び反動で戻ってくるが、祐一は一つ一つ、軽く打つことで勢いを殺していく。
ただ打つだけなら誰でも出来るが、そこで相反するベクトルをゼロにして板を止めるのはさらに相当な技量が必要だった。
「・・・・・・ふぅ」
ゆっくりと息を吐く。
全ての板は元の位置に戻って、僅かに揺れているだけだった。
パチパチパチ
ふいに背後から拍手がした。
構えを解いて祐一が振り返ると、そこには三人の人間がいた。
「いやー、素晴らしいね。曲芸として街で売り出せばさぞ儲かるでしょう」
拍手をしているのは金髪の、いかにも貴族のボンボンという感じのする騎士姿の男。
雰囲気と声の訛りからして、この国の人間ではない。
おそらくは大武会に出場しに来た他国の貴族か。
「愉快愉快。倉田嬢は楽しい使用人を抱えておられる」
「あははー、祐一さんは使用人ではなく、お客様ですよ」
「・・・居候とも言う。私もだけど」
「二人とも佐祐理のお友達です」
清楚な感じと、場を和ます笑顔をしたお嬢様然とした少女は、この屋敷の主の娘で、倉田佐祐理。
その傍らに立っている少し背の高い、剣を持った細身の少女は、佐祐理の護衛をしている剣士で川澄舞。
祐一も含め、この三人はこの屋敷の住人である。
「おお、これは失礼。使用人ではなく、住み込みの曲芸師でしたか」
貴族の男は楽しげに、とても失礼なことを言う。
そこには明らかに蔑みの意思が込められており、祐一のことを知った上で言っているのだわかった。
ただ、こうした態度にはすっかり慣れていたため、祐一は内心穏やかでなくても、表向きは平然としている。
「佐祐理さん、この人は?」
「お隣りのカレドニア王国の伯爵家の方で、ローラントさんです」
「お見知りおきを、曲芸師さん。あなたがいつか興行することがあったら、しっかり伝えてください。カノン大武会で優勝した誇り高き騎士の名を」
さっと髪を掻き揚げ、ローラントは陶酔した様子で天を仰ぐ。
典型的な貴族バカと祐一は判断した。
色々な意味で相手にするだけ時間の無駄である。
「じゃあ、曲芸師風情が佐祐理さんのお客様に粗相があっちゃいけないな。これで失礼させてもらうよ」
「まあ、待ちたまえ、相沢祐一君。せっかく君に会いに来たんだから、もう少し相手をしてくれたまえ」
「俺に?」
「そうだとも。聞けば君は、魔力0だそうだね」
「・・・・・・」
魔力0。
それは祐一が生まれた時に受けた不名誉な呼び名だった。
全ての人は等しく潜在的な力、魔力を持って生まれる。
それがないというのは、つまり人以下の存在だということだ。
いや、さらに言ってしまえば、この世に生きる全ての存在には魔力が宿ると言われている世界においては、彼は生物と同列にすら扱われないことすらあった。
「それが何か?」
「いやぁ、涙ぐましいね。魔力を持たないばかりに落ちこぼれなものだから、剣の腕を磨いている。しかし、騎士団に入るためには剣技の他に一定の魔力基準をクリアしなくてはならない。他のどんな職業でも同じだ。君はどこに行っても基準クリアを出来ないわけだ。同情するよ」
「・・・・・・」
「剣の腕が立つのは素晴らしいね。でも、魔力を持たない者は所詮評価されないのがこの世界さ。剣だけが使える君は、せいぜい曲芸師にしかなれないんだ。ま、これは僕の精一杯の親切さ。君は曲芸師を目指すべきだ」
「・・・そりゃどうも」
今すぐこの場を立ち去りたかった。
いや、正確今の気持ちを言い表すなら、手にした剣を鼻先に突きつけてやりたかった。
だが、仮にも相手は隣国からやってきた貴族であり、世話になっている倉田家の客人だ。
無礼があっては佐祐理に迷惑がかかる。
「なんなら僕がパトロンになってあげよう。君みたいな愉快な存在を飼うのもおもしろそうだ。そうあれだ、珍獣コレクションみたいな・・・」
バチンッ!
痛快な音が響いて、ローラントがよろめきながら膝をつく。
その頬は真っ赤に腫れており、本人は涙目になっている。
「い、痛い・・・。父にもぶたれたことなどないのに・・・!」
「あははー、すみません。蚊が止まっていたものですから」
そう言って佐祐理は赤くなった手のひらを見せる。
確かにそこには一匹の蚊がいた。
「この蚊は怖いですよ〜。たま〜にですけど、これに刺されて死んじゃう人がいるんですよ。特に免疫のない他国の方は気をつけないといけません。間一髪助かりましたねー」
笑顔で佐祐理はそう捲くし立てる。
ちなみに、蚊が稀に毒を持ち込むのは事実だが、非常に珍しいことであり、毒を受けてたとしても、治療は容易だった。
さらに付け加えると、佐祐理にとって小動物や虫程度に魔法をかけて操ることなど朝飯前でもあった。
「あ、大変です。もう刺されちゃってるかもしれません。こんなに赤くなって」
「いや、赤いのは叩かれたから・・・」
「大至急治療しないといけません。佐祐理の家には優秀なお医者様がいますから、そこへ行きましょう。さあさあさあ」
反論する間を与えず、佐祐理はローラントを連れてさっさと行ってしまう。
後には祐一と舞だけが残る。
「・・・気を使わせちまったな」
「・・・気にすることない。佐祐理がやらなかったら、私が斬ってた」
「いや、それはいくらなんでもまずいだろ」
流血沙汰はいけない。
本人がよくても、家主に迷惑がかかる。
「・・・佐祐理が、祐一に謝っておいてほしいって」
「謝る? 何を」
「・・・あんな男を連れてきたこと」
「ああ・・・」
佐祐理は誰に対しても人当たりよく接する。
それは貴族の娘として必要なことなのだろう。
だが同時に、佐祐理は人の心の機微に敏い。
さきほどの男がどういう性質かをすぐにわかっていたのだろう。
だから祐一と会った時にどういう態度を取るのかも。
「気持ちは嬉しいけどさ。変に気を使われると、かえって辛いんだよな」
「・・・祐一、佐祐理は・・・」
「わかってる。佐祐理さんのそういう優しいところ好きだけどさ。やっぱり・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・じゃあな」
祐一は舞に背を向けて自分の部屋の方へ歩いていった。
「・・・違う祐一。佐祐理は・・・・・・」
その先の言葉を、舞は呑み込んだ。
口に出したところでどうなるものでもない。
祐一が十六年間受けてきた屈辱の気持ちは、舞には所詮わからない。
少なくとも、半端な言葉で慰められるものでないのは間違いなかった。
「・・・・・・」
舞は剣を抜いて祐一が使っていた板を吊るした大木の前に立つ。
大きく一歩踏み込み、一瞬で全ての板に対して剣を打ちつける。
全ての板は一瞬空中で制止し、そこから一斉に舞に向かって戻ってくる。
カッ カッ カッ カッ
「・・・・・・」
十数個の板全てに二度目の剣撃を打ちつけ、一瞬後には全ての板は元の位置で小さく揺れていた。
祐一がやったのとまったく同じことだが、舞の方が数段速い。
だが、これを先に出来る様になったのは祐一の方だった。
遠くで板を打つ音が聞こえた。
例の訓練を舞もやっているのだろうと考えながら建物の中に入る祐一。
確かに先に出来る様になったのは祐一だった。
しかし、今では舞の方が遥かに巧く、速い。
「チッ・・・!」
柱に拳を打ち付ける。
舞にはああ言ったが、本当なら自分で斬ってやりたかった。
何度も何度も言われてきたことだ。
『魔力0の落ちこぼれ』
耳にタコが出来るほど聞いてきた。
しかし、慣れるということなど決してなかった。
さらに、祐一の周囲にいる人間達にも、祐一の強い劣等感の原因となる要素があった。
例えば叔母の水瀬秋子、王国最強と呼ばれる最高位の騎士にして、王の信頼厚い宰相だ。
その娘で従姉妹の水瀬名雪、英雄水瀬夫婦の娘として将来を約束された騎士団の超エリート。
倉田佐祐理、水瀬に告ぐ地位にある大臣倉田の娘で、一流の魔導師たる才女。
川澄舞、祐一のライバルではあるが、魔力の高さ、剣の腕ともに超一流の剣士。
皆良い人ばかりであった。
むしろ好感を持てる相手ばかりなのだ。
けれども、明らかに彼女達に劣っている自分という存在が情けなくなる。
「いや、いつまでも落ちこぼれのままでいてたまるかよ」
壁を見る。
そこには大武会開催の旨が掻かれた張り紙がしてある。
『目標 優勝!!』
そう大きな字で書いてある。
どんなに剣の腕を磨いても、魔力0の祐一をほとんどの人間は認めなかった。
秋子や名雪、佐祐理や舞は祐一に分け隔てなく接するが、認めてはいない。
だが、大武会に優勝すれば、誰もが認めざるを得ないはずだ。
「俺は落ちこぼれなんかじゃない。それを、証明してやるっ!」
to be continued