純白の遁走曲〜Fuga〜



   Chapter 1−6





















 ギルドを後にした紗絵達は、3人で夕食を共にする事になった。
 祐一が「今日は俺の奢りだ。じゃんじゃん食ってくれ!」と言ったのがきっかけだった。一応、彼なりに機嫌を取っているつもり、らしい。何を考えているのかわからないこの少年の事だから、何か裏があるのではと勘繰ってしまうのだが、食事が始まるとそんな考えはどこぞに吹き飛んだ。
 色々あってすっかり失念していたのだが、今日の紗絵は朝から何も食べていなかったのだ。レストランに入った時からずっとお腹がきゅ〜きゅ〜と鳴っており、頼んだものが出てくると何をおいてもまずとにかく食べる事に集中した。
 がっつく、というほどではないがものすごい速度で料理を平らげていく紗絵に、さくらは少し面食らっていたが、祐一はまったく気にした様子もなく、こちらはそれ以上の勢いでがっついていた。

「次はまたいつまとまった金が入るかわからんからな、今の内に食い溜めだ」

 ギルドでの仕事、殊に賞金首を捕まえるのはハイリスクハイリターンで、1人捕まえれば相当な金額を入手する事ができる反面、まったく収入を得られない時期というのも存在する。ならば入手したお金は大事に使うべきでは、と紗絵は思ったのだが、祐一はお金は使える時に使うべきだと言っていた。
 その理由というのが、「いきなり明日死ぬ事もあるかもしれないからな」というものだった。
 あまりにあっけらかんと、日常会話の調子で言われたので、一瞬その言葉の持つ重みを理解するのが遅れた。理解してから、ハッと息を呑む。
 冒険者というのは、いつでも死と隣り合わせの危険なものだ。
 この辺りでは戦争などが起こっているわけではないが、それでも街から街、国から国への交通は快適なものとは言い難い。夜盗や山賊の類に出くわす事もあれば、野生の獣に襲われる事もある。山道ならば落盤に合う事もあるだろう。ただ移動するだけでもこうした危険がある上に、賞金稼ぎなどの命懸けの仕事をしている者が多いのだから、尚の事冒険者にとって死は身近なものだった。
 もちろん、紗絵もそれくらいの事は、養父から重々聞かされていたから、理解はしていた。けれど祐一のように、こうも簡単に自分が死ぬ可能性を語れるかと言えば、それは難しい。祐一の言い方にはまるで、自分の命など大した価値がないような響きが含まれているような気がした。やはりこの少年は、心のどこかに、欠けた部分があるようだった。
 では、さくらはどうなのか。
 見た目は紗絵や祐一よりもさらに幼いこの少女は、けれど2人よりもずっと年上のような雰囲気を持っている。そのさくらは祐一の言葉に対して、「そうだね」と言って頷いた。その一言には、祐一のような軽い響きはなく、それをしっかり重く受け止めている感じがあった。また、紗絵よりもずっと深く、その事を理解している 様子もあった。
 少なくともこの2人は、冒険者としては紗絵よりもずっと豊富な経験を持っているようだった。
 そう思えば、少しは祐一の事も尊敬しない事もなかった。
 ただもしそれが、自分が生き延びるためなら手段を選ばない、というものなのだとしたら、その考え方には賛同できなかった。

「やっぱり相沢君って、よくわからないよ」
「そうか? 俺はわりと単純なんだがな。それより俺がむしろわからないのはおまえだよ」
「あたし?」
「ああ。おまえの剣技は普通の奴が普通に修行して会得できるレベルを遥かに超えてる。そこに至るまで相当な鍛錬が必要だったはずだ。いくら才能があったと言っても、おまえみたいなお嬢様っぽい奴がそんなものをわざわざ身につけようとした動機は何だ?」
「・・・・・・・・・」

 同じような問いかけは、最初に養父から剣を教わる時にも聞かれた。
 紗絵のような幼い少女が1人で多くの苦難が待ち受けている旅をできるだけの力を身につけるには、過酷な修練を積まなければならない。そこまでする理由は何か、と。
 もちろん、その問いに対する答えを、紗絵は迷う事なく出す事ができる。
 目的があるからだ。
 どんな事をしても、絶対にこの手に取り戻したい温もりがあるから。
 そのためだったら、どんなに険しい道でも突き進むと自ら決めたのだ。

「失くしてしまった大切なものを、取り戻すために」
「・・・・・・それが、“むっちゃん”とかいう奴なのか?」
「うん」
「どんな奴なんだ? 本名は?」
「・・・・・・わからない」
「わからない?」

 頷くと紗絵は、いつも肌身離さず持っているノートを取り出す。
 今まで他人に見せた事はなかったが、今は自然と2人の前でそれを開いていた。

「ここに書いてあるの。あたしの一番大切な人の事。けど、あたし自身は何も覚えていないの。むっちゃんと一緒に過ごしたはずの、7年前の事・・・・・・」
「「7年前?」」

 驚いたような声は、祐一だけのものではなかった。
 ずっと黙って紗絵と祐一のやり取りを聞いていたさくらも、「7年前」というのが非常に大事なキーワードであるかのように驚きを露にしていた。

「どうしたの、2人とも?」
「7年前・・・・・・」
「うん、ちょっと気になって。実はね、ボクも7年以上前の記憶がないんだ」
「え?」
「7年前、気がついたらボクはそこにいて、自分の事も、何もかも、わからなかった。辛うじて思い出せたのは、自分の名前と・・・・・・色んな魔術の知識、だけだった」

 7年前と言うが、紗絵でさえ子供だったその頃、さくらは一体何歳だったのか。
 普通に考えれば、さくらの年齢的に7年前辺りでようやく物心がついた頃であろう。ならば、記憶がないのは当たり前と言える。
 けれど、さくらの雰囲気から、彼女の年齢が見た目どおりのものではないような気もしていた。
 紗絵が怪訝な顔をしていると、それを察したさくらが少し寂しげな笑みを浮かべながらその疑問に答えた。

「ボクの姿はね、7年前からずっとこのままなんだ。だから、自分の本当の年齢さえ、ボクにはわからない 。だから、周りの人はボクの事を、魔女って呼ぶ。たぶん、人によって、色んな感情を込めて」
「そう・・・なんだ・・・・・・」

 はじめてさくらと出会った時に感じた、自分と似た雰囲気。それはひょっとすると、過去の記憶を失くしているという、共通の境遇に起因していたのかもしれない。
 一方、さくらが口を閉じると、しばらく考え込んでいた祐一が逆に口を開いた。

「俺も同じだ。7年前の記憶がない」

 そう言った祐一の表情は、はじめて見る真面目なものだった。
 というよりも、一切の感情が抜け落ちた、色のない表情だった。言動から時々感じ取れる、心の空虚がそのまま顔に出たような、そんな見ていて心の底をチクリと刺されるような怖さを感じさせられる表情だ。
 感情のこもらない表情と声で、祐一は淡々と語る。

「その時からずっと、心にぽっかり穴が空いたような感じがずっとしてるんだよな。きっと俺も、その時に何かの失くしたんだと思う。それが何なのかは、俺の場合はわかんないけどな」
「・・・・・・じゃあ、相沢君も、その失くしてしまったものを探してるの?」
「いいや。覚えてもいないものに俺は興味はないさ」

 本当に何の興味も未練もないように祐一は言う。

「ただ俺は、この心の虚ろをどうにかしたいんだ。失くしちまったものは今さらしょうがない。だから何でもいいから、それに代わるものがほしい。そんなところだ、俺の事情はな」
「そう・・・・・・」

 祐一の境遇に自分と同じものを感じながら、けれど祐一の言葉を、紗絵はすんなり受け止める事ができなかった。
 失くしてしまったものの代わりになるものなら何でもいいと言う祐一の考えは、あくまで失くしたものを取り戻そうと必死になっている紗絵とは、正反対だった。紗絵は絶対に、“むっちゃん”を諦める事などできないし、“むっちゃん”の代わりになる人などこの世のどこにも存在していないと思っている。
 はじまりの境遇は似ているのに、何故にこうも違う道を進んでいるのか。
 そう思うと居た堪れなくなって、紗絵は視線を祐一からさくらの方へ戻した。

「さくらちゃんはそれで・・・・・・今は、どうしてるの?」
「・・・・・・2人と違ってボクは、自分が何かを失くしたかどうかもわからないんだ。7年前のボクは本当に、まっさらだったから。何年か経ってからその時の事を客観的に考えてみると、まるで赤ん坊みたいな感じだった。ううん、赤ん坊だって、もっと感情の起伏がある。それすらもなくて、完全な、真っ白なんだ、心が」
「・・・・・・・・・」

 それは、祐一の心の虚ろとはまた違った怖さを覚えさせられた。
 ただ白く、他の一切の色を持たない真っ白な空間は、一条の光も差さない暗闇と似たようなものだ。そんな状態の中に、ぽつんと自分だけがいる事を考えると、身震いがする。
 さくらはそんな中から、何を思い、見出したのだろう。紗絵は、恐る恐るそれを尋ねた。

「それで・・・さくらちゃんは、それでどうしたの?」
「自分がどこから来たのか知りたくなった」
「どこから、来たのか?」
「うん。何もないボクにも、生まれた場所はあったんじゃないか、って思うんだ。それを探してる。生まれた場所・・・・・・帰れる場所。そういうのが、ボクにもあったらいいな、って」

 そう言って、さくらは笑った。
 その表情を見て、普段の自分と似ていると思った。
 辛い事がある。けれどそれを、ただ辛いとだけ思っているだけではない。失くしてしまった、その事実をただ辛いと思って泣いているだけでは終わりたくない。きっといつか、それを取り戻せる時が来る。そう信じているから、そのために旅をしているから、だから笑うのだ。
 ふと祐一の方へ視線を戻すと、さっきまでの虚ろな表情は消え去り、いつものおどけた調子の顔に戻っていた。
 きっと彼も同じなのだ。
 失くしてしまった、その重みに潰されてしまう事なく、前を向いて生きている。
 似ているのだ、紗絵達は。自分が本当は誰なのかもわからず、どこから来てどこへ行くのかもわからない、迷い子。それでも何かを求めて今を生きている。求めているものは違うけれど、その生き方は、同じだった。

 ――もしかしたら、この2人の事だったのかな?

 芽衣子から聞かされた占いによってもたらされた結果。あの後ギルドに戻っても結局芽衣子に再び会う事はできなかったため、確かめる事はできなかったが、今の話を聞いて、紗絵はわかったような気がした。
 あの占いによってあの場所へ行った紗絵が得たのは、祐一とさくらとの出会い。
 そしてその2人は、紗絵と同じ境遇の中、紗絵と同じように生きている者達だった。
 2人と出会う事が紗絵のこれからにどんな影響を及ぼすのかはまだわからないが、この出会いは、確かな意味を持っていた。

「ねぇ、2人とも。ちょっと相談があるんだけど」
「む、ふぁんら?」
「・・・・・・とりあえず口の中のもの飲み込んでからでいいから・・・」
「ほむ・・・・・・ごくんっ。で、何だ?」

 祐一に促され、さくらも聞く姿勢になっているのを見て、紗絵は自分の思いつきを口に出す。

「もしよかったら、これからあたし達、一緒に旅をしない?」
「おう、いいぞ」
「早っ!」

 自分から提案しておきながら、祐一の即答に思わず声を上げてしまった。2人ならばきっと承諾してくれるだろうという気はしていたが、それでも少しは考えるものだろうに。

「さっきの勝負がまだ終わってないからな。一緒に旅してればその内また機会が来るだろ」
「・・・・・・そういう理由なんだ・・・・・・」
「ボクも構わないよ。その勝負はそもそもボクが預かった身だしね。でも祐一君、随分さっちゃんとの勝負にこだわってるみたいだね?」
「さっきも言ったろ。俺は心の空隙を埋めるものがほしいんだよ。名雲との勝負は今までになく昂ぶりを覚えるものだったからな。もしかしたらその先に何か得るものがあるかもしれん」
「ふぅん」

 その言い分には納得しかねたが、ともかく申し入れを承諾してくれたのだから、今はそれで良しという事にした。

「1人より2人、2人より3人って言うしね。ボクもさっきからそれは考えてたんだ。さっちゃんが良ければ、ボクは喜んで一緒に旅がしたいよ」
「うん、あたしも。さくらちゃんと・・・・・・相沢君と、一緒に旅がしたい」
「なら、決まりだな」

 祐一がテーブルの上に拳を突き出す。その上からさくらが手を重ね、最後に紗絵が一番上に同じく手を重ねる。

「同じ記憶喪失同士、求めるものは違うけど」
「けど、ここで3人こうして出会ったのは、きっと何か意味があるんだよ」
「一緒に行こう。それぞれの大事なものに、辿り着けるように」



 こうして、記憶と共に大切なものを失くした3匹の迷い猫は出会い、共に旅に出る。

 少年は心の空虚を埋めるものを求めて。

 魔女は帰るべき場所を求めて。

 少女は大切な人の温もりを求めて。

 その旅の果てには、いったい何が待ち受けているのか――。



















あとがき
 主役トリオに共通するもの、それは「7年前の記憶がない」という事である。それをきっかけに3人が一緒になっての旅立ち編、それがチャプター1であった。次回からのチャプター2では、主にONEのキャラ達が話の中心になる他、さやかなども登場する予定だ。旅先で様々な事件に関わりながら、徐々に謎が明かされていく・・・・・・かもしれない。