純白の遁走曲〜Fuga〜



   Chapter 1−2





















 色々な事があったため、気がつけば結構陽が傾いていた。
 これだけ街中に電気による灯りがあれば多少空が暗くなっても全然明るいのだろうが、今までずっと田舎しか知らなかった紗絵にとっては夜という時間はもっと早く訪れる。もうあまりのんびりしている時間はなさそうだった。
 とりあえずお金はたっぷり手に入ったので、今夜は普通の宿に泊まる事にしようと思う。それで明日改めて、もっと安く長期滞在できる場所を探せば良い。
 そう決めると、それでも可能な限り安い宿をと思って探し歩いた。



 ようやく確保した宿は安いが食事が出ないため、チェックインを済ませた紗絵は夕食のため改めて街に出た。

「う〜・・・・・・もうお腹ぺこぺこ・・・・・・」

 結局昼食も抜きだったため、朝からほとんど何も食べていなかった。
 何でもいいからとにかくまずお腹に入れたい。
 歩いていて最初に見付けたレストランに入ろうとしたところで、ふいに声をかけられた。

「よう」

 誰かに声をかけられるような覚えのなかった紗絵は驚いたが、相手の顔を見てさらに驚いた。

「あ、ああーっ!」

 思わず指差しながら声を張り上げてしまった相手は、昼間食い逃げの代金を押し付けて逃げていった少年だった。

「さっきはごちそうさん。お陰で助かったぞ」
「ごちそうさん、じゃないよぉ。あの後散々お説教されてもう大変だったんだからぁ〜・・・・・・」
「いや悪い悪い、まさか財布が空になってるとは夢にも思わなくてなー。まいったまいった、はっはっは」

 からからと笑う少年は少しも悪びれた様子がない。
 紗絵が細めた目でじーっとにらめつけると、宥めるように手をかざしながら、そのまますぐそこのレストランを指差した。

「代わりと言っちゃ何だが、今度は俺が奢ってやるよ」

 少年の顔と、レストランと、自分のお腹とを順番に見ていった紗絵はしばらく悩んだ末、その申し入れを受ける事にした。
 この場で議論するよりも、まずは食事にありつける方が建設的との判断だった。



 とにかく空腹だったのだ。
 店に入った紗絵はまず適当なものを注文すると、出てきたものをひたすらお腹の中にかき込んだ。ちょっとはしたなかったかもしれないが人間、三大欲求の一つ食欲の前では少々の羞恥心などは捨てるものだ、と紗絵は育ての親から教わっていた。
 食べたい時には食べる。その生物のありのままの姿こそが美しいのだと。恥や外聞などというものは人間社会が後付けで生み出したものであり、気にする事など馬鹿らしいと言われた。 人里離れた大自然の中で暮らしている人間ならではの考え方だ。
 向かいに座った少年も大して気にしていないようで、黙々と自分が頼んだものを食べていた。
 そんなわけで、店に入ってから二人が口を聞いたのは、食後のデザートが出てきてからだった。

「ほんとにここは奢ってくれるの?」
「何だよ、疑ってるのか?」
「そりゃあ、昼間は食い逃げしてた人がいきなり奢ってくれるなんて言ったら誰だって疑うよ」
「違いない。まぁ、心配するな。あの後まとまった金が入ったからな。言っとくが真っ当な金だぞ。悪事を働いて手に入れたものじゃない」
「ならいいけど。食い逃げしてるような人の言う事を簡単に信じていいのかな・・・・・・」
「わりとしつこいな、おまえ」
「今日一日、色々ありましたから・・・・・・」

 その色々の内には、目の前の少年に食事代を押し付けられた事も含まれている。
 盗られたり騙されたり押し付けられたり、これだけ色々体験すれば世間知らずの紗絵といえども、都会が怖いところであるという事実を嫌でも学び、警戒心が芽生えるというものだった。

「じー・・・・・・」
「そんなに睨むなって。そもそもだな、都会にはこういうルールがある。財布を盗られたり失くしたりしたのを届けてくれた奴には、中身から一割を謝礼として差し出す、ってな」
「そうなの?」
「ああ。世の中ギブ・アンド・テイクで成り立ってるのさ」
「まぁ、そんなルールがあってもなくて、お礼くらいちゃんと言ってくれれば、食事代出すくらい構わなかったのに。何もあんな風に無理矢理押し付けて行かなくたって」
「悪かったって。だからほら、その分ここは奢ってやるんだから」

 本当に悪いと思っているのかはまだ怪しいところだったが、少なくともこうして話している限り人を騙すような人間には見えなかった。
 そういう印象さえも偽っているのだとしたらお手上げだったが、そこまで深く他人を疑う事を紗絵はまだ知らない。それに、一応人を見る目はそれなりにあるつもりだった。あまり自信はないが、目の前の少年に関してはおそらく、大丈夫だと思った。
 それに――。

「ぱくっ・・・・・・〜〜〜うるうる、おいしい〜!」

 デザートに出てきたアイスクリームのおいしさが、少々のわだかまりなどどうでもいい事のように感じさせてくれた。

「そんなに感動して涙流すほど美味いか? 普通だと思うんだが・・・・・・」
「すっごくおいしいよ〜!」
「そうか。そりゃ良かったな」
「うん♪」

 そこの代金は、ちゃんと少年の方が二人分払った。まとまったお金が入ったという話は本当だったようだ。

「まだ疑ってたのか?」
「え? あ、あはは・・・・・・まぁ、ちょっとだけ」

 苦笑いを浮かべながら、紗絵は少年と共に店を出た。
 すっかり陽は落ちて空は暗いのだが、街灯の明かりのお陰で、街中はまるで昼間のような明るさだった。こんなところに暮らしていたら体内時計の調子が狂いそうだった。

「でもほんとに、半日も経ってないのにどうやってお金稼いだの?」
「なに、これくらいはギルドに行けばすぐだよ」
「ギルド?」
「何だ、知らないのか?」

 こくん、と紗絵は頷く。

「ギルドってのはまぁ・・・・・・わかりやすく言えば旅人の活動拠点だな」
「活動拠点?」
「ああ。旅人・・・・・・冒険者って言った方が響きがいいか。そういった連中が町に留まる際に情報を交換したりする場所で、さらには一般人じゃ解決するのが困難な仕事を請け負ったりもしてる。冒険者は町にいる間そこで情報を集めたり、依頼された仕事をこなしたりして旅に必要な資金を貯めるってわけだ。仕事は厄介事が多く、中にはかなり大きな危険を伴うものもあるから、当然報酬はいい」
「へぇ〜」

 感心しながら紗絵は、ふと考える。
 これは色々な意味で非常に自分にとって便利なものなのではなかろうか。
 まず、今現在問題になっているこの街での滞在費と今後の路銀について。困難で危険を伴うが高額の報酬がもらえるという仕事というのをこなせば、この問題は解消できるかもしれない。
 そしてもう一つ、冒険者が集まって情報を交換するという点。色々な場所の情報が得られるという事は、人探しをする上でとても助かる事に思えた。
 ギルドを活用すれば、紗絵の旅はよりスムーズに行えるようになる。

「ねぇ、そのギルドって、誰でも利用できるの?」
「まぁな。ギルドの利用は自由だ。その代わり、連中は場所と仕事を提供するだけでそれ以外は何もしない。仕事でトラブルが起こっても一切干渉しない」
「ふ〜ん。それって、どこにあるの?」
「行くつもりか? あまりオススメはしないぞ、おまえみたいなぽ〜っとした奴には」
「ぽ〜っとしてて悪かったですねー」
「拗ねるなよ。ま、行きたいってんなら連れてってやるけどさ」



 30分ほど歩いたところに、ギルドという場所はあった。
 外から見た感じでは、酒場のような場所だった。といっても、紗絵は酒場など入った事もないのでよくわからないが。 ただ、中からお酒の臭いが漂ってくるのでそうらしいと予測できる。紗絵自身は当然飲まないが、育ての親は無類の酒好きだった。

「わりとならず者の溜まり場になってる事もあるからな、変なのに絡まれないように気をつけろよ」
「もう変な人に絡まれてるから大丈夫よ」
「って俺の事かよ? 俺はごく普通の善良な人間だぞ」
「ごく普通の善良な人は他人に食い逃げの代金押し付けたりしない」
「おまえ、結構根に持つタイプだな」

 ドアを開けてギルドに入る。
 中の造りも、やはり話に聞いた酒場という場所によく似ていた。いくつも並んだテーブルを囲んで、多くの人間がお酒を飲んだりしている。
 強面で屈強な如何にも傭兵という雰囲気の男達もいれば、細身で優男の青年など、多種多様な人間がいた。多くはないが、女性もいるようだ。老人もいる。どう見ても街をうろついているチンピラ風の者達もおり、ならず者の溜まり場というのにも頷ける。
 一つ確実なのは、紗絵の姿はあらゆる意味で場違いだという事だった。
 入った途端、周囲から奇異な目を向けられていた。まったく無関心な者も多くいたが、嘗め回すような視線で紗絵の全身を見てくる者もいた。
 少し嫌悪感を覚えながらも、物怖じはせず紗絵は先を歩く少年についていく。

「とりあえず、もうちょっとギルドについて詳しく説明してやるから、何か飲むか」

 そう言って少年はカウンターの席に腰を下ろした。紗絵もその隣に座る。

「マスター、ミルクをくれ。二人分」
「はいよ」

 少年の言葉に、周りの一部から失笑が洩れる。
 何がおかしいのかよくわからず、紗絵は首を傾げていた。

「さて、ギルドの特徴は大別して三つだ。一つはこの場所。ギルドは大きな街ならほとんどの場所にあって、それぞれこうした酒場っぽい形になってる。飲み物や食い物は有料だが、この場所を利用するだけならタダだ。一日中入り浸っていても構わない。喧嘩以外は何でもありだ。酒飲んで馬鹿騒ぎするなり、ただ話をするなり、賭け事も問題無しだ」
「お金賭けたりとか、してるの?」
「ああ。さっきも言ったように、世の中ギブ・アンド・テイクだ。タダじゃ誰も情報はくれない。基本的にここでは情報も売り買いするものだ。等価値の情報と情報とを交換するか、金で情報を買うか。賭け好きの奴は、賭けに勝ったらタダで情報を売ってやる、なんて物好きもいる。で、二つ目が仕事だ。マスターに聞けば今入ってる依頼を聞く 事ができる。仕事を請けると依頼人を紹介されるから、後は直接依頼人から話を聞いて、問題を解決し、報酬をもらう」
「その二つはさっきも聞いたよね。じゃあ、三つ目は?」
「あれだ」

 指差された方向へ目を向けると、大きな掲示板が壁に掛かっているのが見えた。その掲示板一面に、びっしりと何かの紙が貼られている。
 紙には顔写真か似顔絵と、その下に金額が書かれていた。

「あれって?」
「賞金首さ。町ごとに受ける仕事と違って、ギルドの総本山が国や大富豪から依頼を受けて、広範囲で指名手配してる連中だ。その額は、そこらの仕事の報酬の比じゃない」
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん・・・・・・じゅうまん・・・・・・ひゃくまん!?」
「それは賞金首の中じゃ底辺だ。もっと上の方を見てみろ」
「・・・・・・・・・せんまん!? おく!?」

 見た事もないくらいの巨額の数字がいくつも並んでいた。
 さすがに億単位の賞金首は僅かだが、平均でも数千万。見ているだけでくらくらしてくるような桁違いの世界だった。
 紗絵からすれば、10万でも十分過ぎるほどの大金である。

「あれがある意味、ギルドの本来の存在意義だ。あの中には世界的な大犯罪者の名前なんかも含まれてるからな。まぁ、1千万以上の賞金首を捕まえるとなるとそれこそ命懸けだが、まさに一攫千金ってやつだ」
「ふぇぇぇ〜〜〜・・・・・・・・・・・・すごいんだね・・・・・・」
「いや、本当にすごいのは、そんな何千万何億って賞金かけられてるような連中をとっ捕まえてる奴らの方だよ」
「そ、そっか。確かに・・・・・・」

 それはつまり、何千万何億という賞金をかけられるほど世界的に恐れられている人物達よりもさらにとんでもなく強い人物という事だった。いったいどんな人達なのか、想像もつかない。

「億クラスの賞金首を捕まえた奴は、ギルドじゃ生きた伝説って呼ばれて語り草になる。例えば――」

 少年は指折り、何人かそうした伝説になっている人物の名前を挙げていった。

「“風の契約者”八神和麻。何でも、風の精霊王と契約を結んだ超凄腕の風術師だって話で、とある国が5億8千万の賞金をかけてた稀代の天才魔術師アーウィン・レスザールを殺した 事で一躍有名になった奴だ。最近じゃコンビを組んで大小様々な仕事をしてるって話だが・・・相方がまた凄いらしい。“炎の巫女姫”神凪綾乃の行く手にあるものは全て灰燼に帰し、通った道のりにはただ焼け野原が残るという・・・・・・」
「よ、よくわからないけど、怖い人達みたいだね・・・・・・」
「ああ、どこかで会っても近付かないのが懸命だろうな。他にも――」



 それからしばらくして、紗絵と少年はギルドから出た。
 今日のところはこういう場所があるという事実を知れただけで満足だった。実際に情報を集めたり仕事を探したりはまた明日以降にするとして、今日は宿へ戻る事に決めた。
 少年とも、ギルドの前で別れる事になった。

「今日はありがとう。最初はちょっとあれだったけど、色々助かっちゃったから許してあげる」
「まだ根に持ってたのかよ。まぁ、許してくれるっていうならそれでいいけどな」

 二人して笑い合う。
 いきなり食い逃げ代を押し付けられたため、思わぬ再会をした時は警戒していたのだが、今では紗絵はもう少年の事は信用していた。彼は悪い人間ではない。
 その上こうして今後有益となるだろうギルドの存在を教えてくれたのだから、最初の件はチャラにしてしまうには十分過ぎた。
 別れる前に、気になっていた事を尋ねた。

「ねぇ、君の名前、何て言うの?」
「そういや、まだお互い名乗ってもいなかったな」
「ほんとだね。あたしは、名雲紗絵」
「俺は相沢祐一だ。ギルドには俺もちょくちょく来てると思うから、また会うかもな」
「相沢、祐一君・・・・・・。うん、また会えるといいね」

 同じ事を思ったのは、今日二人目だった。
 色々と大変な一日だったが、終わりに近付いてみれば素敵な出会いが二つ。実は結構良い日だったのかもしれない。
 祐一がその場から立ち去ると、紗絵はしばらくその後姿を見詰めていた。

「相沢祐一君、か。違ったみたい・・・・・・」

 もしかしたら、という思いが途中からあった。
 自分と同じくらいの年頃で、ちょっと変なところのある男の子。それでいて、根本的な部分で優しい。そして、どこか自分と似た雰囲気を感じた。
 だからもしかしたら、彼が“むっちゃん”なのではないか、と思った。
 けれど、“相沢祐一”では、どうやっても“むっちゃん”という呼び名には繋がらない。
 或いはそれは、願望だったのかもしれない。
 子供が7年も経って大人になれば、育った環境次第でどのように変化しているかわからないものだ。今どこかにいる“むっちゃん”が、ノートに記された7年前の思い出の姿のままでいるとは限らない。
 それでも、あの頃のままのようでいてくれたらいいと思う。
 あの相沢祐一という少年みたいな人が“むっちゃん”であったらいいと、そう思ったのかもしれなかった。

「さてと・・・・・・宿に帰って早く寝よう。明日からたくさん、がんばらなくっちゃ」

 心に憂いを帯びたのはほんの少しの間だけだった。
 次の瞬間には、紗絵はもういつもの明るさを取り戻して、宿へ向かって歩き出していた。



















あとがき
 1−1で登場した食い逃げ君の正体が明らかに。今回の祐一君はちょっとお調子者系である。そして話の中でも一部触れているが、今後準主役級として登場する可能性のある、つまりは投票で上位に入っていたキャラからさらに選抜した顔ぶれを載せておこう。

 白河 さやか
 里村 茜
 柚木 詩子
 橘 芽衣子
 坂上 智代
 牧野 那波
 白河 ことり
 バゼット・フラガ・マクレミッツ
 カレン・オルテンシア
 アルトルージュ・ブリュンスタッド
 八神 和麻
 神凪 綾乃
 イヴ
 芙蓉 楓
 朝倉 音姫
 朝倉 由夢

 我がSS初登場となるキャラも一部いるので、果たしてどうなることか。ちなみにこの中から1人、早くも次回から登場する。さて、誰でしょう。