デモンバスターズ Valkyrie



   STAGE 04 『英雄 と 乙女』

            
Bパート





















 近隣において最大の都市であるレギンレイヴの繁華街は、夜になっても賑やかだった。深夜を過ぎてもまだ店を開けているところもあり、表通りの真っ当な店以外にも、裏通りに行けばカジノに酒場、娼館などの夜の顔も建ち並んでいる。
 夜になってもこれだけ灯りをつけていられるのは、少量の魔力を宿して発光する魔光石と呼ばれるものが安価で出回っているからだった。 油を使ったランプの類しかない小さな町とは違う、大都市ならではの光景である。
 しかし、この街に限ってはそれだけではない。

「ますます不思議なものね」

 街中を歩きながら、エリスは頭上を仰ぎ見る。
 都市の中心に聳え立ち、周囲に枝を伸ばす大樹ユグドラシルは、微かに発光していた。
 それは星の明かり程度の本当に微々たる光だが、夜の闇を和らげる役を果たしていた。
 繁華街では周りが明る過ぎてほとんど光っている様子はわからないが、暗い道にやってくると、淡い光を放つ巨大な樹は幻想的な雰囲気を醸し出しており、それが神話の時代に通じる存在あるという思いを抱かせる。
 改めて、長年この樹を見て育った街の住人が、伝説を信じやすい性質に育ったのは無理もないことだと思った。
 そしてエリスは、その伝説に語られている存在かもしれない人物を探していた。

「とはいえ、この大きな街でたった一人を探そうなんてどれだけ大変なんだか」

 思い返せばここへやってきた初日も同じようなことをぼやいていた気がする。
 本来の目当てを探すだけでも大変だというのに、その手がかりを得るために同じだけの苦労をしようとしているのは本末転倒なのではないかとさえ思った。
 もっとも、まったく探す取っ掛かりすらない“あの男”と違って、件の少女に関しては少なくとも、エリス以外にも探している人間が多数いるという。ならばこちらの方が、幾分か手がかりを見つけやすいはずだった。
 それではまず何から取り掛かろうかと考えを巡らせようとした時だった。

 タンッ

 頭上で物音がした。
 顔を上げると、思わず思考が停止した。
 ふわり、と。
 まるで天使が舞い降りたような錯覚を得た。
 ユグドラシルの放つ幻想的な淡い光を背に受け、空から舞い降りてくる一人の少女。その姿を目にすれば、それが伝説に語られる乙女であると信じるのも無理もない。
 人の手では触れられない、神性なモノ。
 ただの人ならば、本能的にその存在に祈りを捧げるだろう。
 エリスはむしろ、親しみを覚えた。
 それは、とても愛しいものだったはずだ。
 多くの者達に愛され、祝福され、誰もが幸福を願わずにはいられなかった、なのに――。

 トッ

 地面に降り立つ音が、エリスの思考を現実に引き戻した。

(何・・・今の感じ・・・?)

 まるで、自分ではない誰かが自分の中にいて、その思いが溢れ出たような気がした。
 その感覚は波が引くように消え去り、もう思い出す事はできなかった。
 そして目の前には、見覚えのある少女の姿があった。

「あれ〜?」
「・・・・・・こういうの、縁があるって言うのかしらね・・・、良縁か悪縁かは知らないけど」

 きょとんとした顔でエリスのことを見ている少女は、間違いなくこの街を訪れた日に出会い、散々な目に合う原因となり、今まさに探していた相手だった。

「こんばんは〜、また会ったね」
「ええ、こんばんは。先日はドウモ」
「あれ、なんか怒ってる?」
「別に、怒ってないわよ。いきなり人を巻き込んでおいて挨拶も無しにさっさとトンズラしたことなんてこれっっっぽっちも怒ってないわ」
「あはは、すっごい怒ってるね・・・」
「まぁ、その件はこの際水に流してやってもいいわ。今はあなたを探してたのよ」
「あ、ちょっと待って」

 両手を顔の前に出してエリスの言葉を遮ると、少女はさらに掌を下に向けて手を上下に振るジェスチャーをする。口も動かしているのだが、言葉が出てこないのか首を捻って考え込んでいる。
 何が言いたいのかと待っていると、少女が言葉を選び出すよりも早く、エリスはその意味に気付いた。
 尚も何かを言おうと悩んでいる少女の二の腕を掴み、引き倒しながら自身もその場に身を沈める。

 シャッ!

 頭上を覆うように何かが広がりながら飛んでくる。
 それが網のようなものだと気付いた瞬間には、もうエリスは剣を抜いていた。
 身体にかかる前に網を十字に切り裂き、立ち上がりながら残骸となったものを払い除ける。

「そうそう、伏せて〜」
「遅いわ」

 同じく立ち上がって網を取り払いながらやっと言葉を見つけ出した少女に、エリスは冷静にツッコミを入れる。
 投網を使ってエリス達を――正確にはおそらく少女のみを――捕らえようとした集団は、立ち上がる間にもう二人の周りを取り囲んでいた。全員が夜の闇に溶け込むような黒いローブを頭までかぶって顔を隠しているが、ユグドラシルの明かりに照らされたこの街ではその意味も薄れていた。それでも、建物の影にでも入ればその姿を目で追う事は困難だろう。
 黒尽くめ風体、明らかに対人用と思しき投網を使用したり、さらには二人を取り囲む際の連携の取れた素早い動きなど、どう見ても素人ではない。

(この間の連中とは大分毛色が違うわね)

 先日、はじめて少女と遭遇した時に追ってきた相手も決して一般人とは言い難かったが、今日の相手は紛れもなく、本物の裏社会の人間達だった。国の暗部を受け持つ諜報部隊か、金で動く闇の暗殺集団か、そうした類である。
 旅の最中に色々な事件に関わっている内にこうした者達と遭遇したことも一度や二度ではないが、少女一人を追い回すにしては少々物騒過ぎる集団だった。
 社会の裏表を問わず様々な組織から狙われているとは聞いていたが、いったいこの少女は何者なのか。
 まさか本当に伝説の乙女であるなどという与太話を、エリスはまだ信じてはいなかった。
 とはいえ、これで一つの確証は得られた。この少女は確かに、裏社会を含む色々な組織から狙われているようだ。
 ならば、その中にエリスの本来の目的が紛れていても不思議ではない。

「随分と愉快なお友達が多いわね、あなた」
「ん〜、あんまり嬉しくはないかな」
「アタシにも紹介してほしんだけど、いいかしら?」
「わたしに聞かれてもなんとも・・・」
「なら直接聞いてみましょ。そこのあなた、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、話をするのに顔も見えないんじゃあれだし、フードを取ってもらえないかしら」

 返答の代わりにフードの下から発せられたのは、冷たい警告だった。

「邪魔をするな、小娘。我々が用があるのはそっちの女だけだ」

 最初に仕掛けた投網をかわしたことから、エリスをただの小娘と見て侮ってはいないようで、若干警戒心を滲ませた声だった。
 それでも人数の優位もあるためか、あくまでエリスのことは任務遂行のためのちょっとした障害程度にしか思っていないようだ。脅せば手を引くと考えているか、実際エリスも面倒に関わる必要がないならその警告に従ってもいいのだが、残念ながら向こうに用がなくてもエリスにはあった。

「ちょっと質問に答えてくれるだけでいいのよ、手間は」

 取らせない――そう最後まで言い切るよりも早く、黒ローブの一人がエリスの前に迫っていた。
 ローブの下から繰り出された拳がエリスの腹部を狙う。いや、それはただの当て身ではなく、指の隙間から刃を覗かせた暗器による攻撃だった。
 警告一回であとは問答無用で殺しに来るとは、短気なのか、それとも時間が惜しいのか。
 エリスは冷淡な微笑を浮かべながら、突きつけられた刃の切っ先を見つめていた。
 当然切っ先は、肌どころか服の表面まですら達していない。はじめから暗器の存在に気付き、切っ先を指で挟んで止めていた。ローブの下から息を呑む声が洩れ聞こえる。

「プロがこの程度で驚くものじゃないわ」

 手許を固定したまま、エリスは右足を高く振り上げた。

 ドッ!

 鈍い音と共に、黒ローブが上空に向かって打ち出された。
 蹴り上げられた相手は五メートルほどの高さまで上がってから、地面に向かって落下した。フードが取れて露になった顔は、驚愕の表情に彩られていた。落下の衝撃で白目を剥いて気絶している。手加減はしたので生きてはいるだろう。
 予想外の展開に、黒ローブの集団に動揺が走っていた。
 このくらいのことで取り乱すとは、あまりレベルの高い集団ではないようだ。エリスが以前遭遇した似たような集団は、腕がもげようが仲間が死のうが、目的を遂げるか自身の生命活動が終わるまで迷いなく行動していた。
 たかが少女一人を捕まえる仕事と侮ってか、それほど質の高い者は寄越していないのかもしれない。

「さてと、次の奴はもう少し友好的な態度だと嬉しいのだけど」

 言った傍から、もう相手は動き出していた。動揺はあっても、そこからの立ち直りは早い。そうでなくては裏社会では生き残れまい。
 今度は二人同時に、左右から向かってくる。
 一人やられたことでエリスをはっきり障害と認識したか、最初の相手とは違って必殺の気迫を感じた。ローブの内に仕込まれているであろう凶器の存在に気を払いつつ、エリスは自ら向かってくる相手の方へ踏み込んで行った。
 エリスが剣を突き出すと、相手は手にした得物でその切っ先を受け止める。先が鉤状になっている短い金属製の棒で、武器を破壊する、或いは絡め取るためのものとエリスは読んだ。武器を捻られる感触が手首に伝わってくると、エリスは自ら剣を手放した。相手が虚を突かれた隙に密着し、掌で顎を打ち抜く。頭を揺さぶられた相手は脳震盪を起こし、その場に崩れ落ちた。すかさず落ちた剣を拾い、背後から襲ってきた相手の武器を受け止めた。こちらは両手に短刀を持っていた。
 視界の隅に、他の黒ローブ達の動きが入る。二人がエリスを押さえ、残りが少女の方を捕らえる算段のようだ。彼らの目的を考えれば、最適な判断と言えよう。
 そこではじめてエリスは、どうしてこれだけの相手に狙われながら、少女が今までまったく捕まらなかったのか、その理由の一端を知った。
 後ろから掴みかかってきた相手の手をするりとかわす。
 絡め取ろうと放たれたロープが巧みな扱いで蛇のように動くが、これも一切身体に触れさせることなく避ける。
 棒を打ちつけようと振り下ろした相手の手を取り、勢いを逆に利用して投げ飛ばす。
 少女の動きは洗練されていた。
 剣の腕はそれなりのものがあると自負しているエリスが思わず見惚れるほど、それは達人の域にまで昇華されたものだった。まるで風に舞う木の葉のように、全ての攻撃を受け流している。それは剣士として理想とする動きの一つの形と言えた。
 エリスの気が逸れたのを隙を見た黒ローブの短刀が急所を狙って繰り出されるが、かえって余計な気を回すことを失念していたエリスは手加減無しで柄尻を相手の顔面に叩き込んだ。
 話を聞くつもりが、もう三人も気絶させてしまったことに気付いて我に返る。

「おっと、いけない」

 はじめにいた黒ローブは六人、残りは少女の下へ向かった三人だった。
 と思って見てみたら、少女に投げ飛ばされた一人は受け身を取りそこなってやはり気絶していた。残り二人。

「ちょっとあんた、話聞きたいんだから一人残しておいてよ」
「あ、うん、わかった〜」

 見るものが見れば神技と称して魅了されても不思議ではない動きを見せながら、のんびり間延びした少女の声はひどく脱力感を覚えさせられる。
 ゆったりとした構えとも言えない体勢で襲ってくる二人と向き合う少女。
 いくら仕掛けても柳の枝のようにかわされてしまう相手に、どう対処していいか考えあぐねたように、黒ローブ達の動きが止まる。そこで彼らも、残っているのが自分達二人だけだと気付いた。
 数の上では同じ二対二。しかしどちらに有利な状況かは一目瞭然である。
 ここでもう一度、改めて尋ねてやろうとエリスが思った時だった。

「ちょっと待ったーーー!!!」

 声は、またしても頭上から降ってきた。
 全員が思わずその声に反応して上を仰ぎ見る。すると一人の男が建物の屋根の上から飛び降りてくる姿を確認することができた。
 先ほど少女が降りてきた時の神秘的な雰囲気とはかけ離れた、ひどく現実的な姿にエリスは眉を潜める。
 せっかく脳裏に焼きついた綺麗なイメージが台無しだった。
 しかも、男は落下の途中でバランスを崩した。

「うぉ、ったったった・・・・・・」

 空中を泳ぐように手足をばたつかせた末――。

 ドグシャッ

 顔面から地面に激突した。

「・・・・・・・・・・・・」

 何を言ったらいいものか、エリスは思い悩む。
 場の雰囲気を乱した阿呆に何か言ってやるべきなのか、それとも完全に無視して話を進めてしまうべきなのか。
 しかし少女の方は落ちてきた男が気になるのか、しゃがみ込んで男の様子を窺っている。

「ヴェル君〜、大丈夫?」

 どうやら知り合いらしい。
 地面に突っ伏している男は唸りながら、しばらくもぞもぞ動いていたかと思うと、突然起き上がってピッと背筋を伸ばした。

「フッ、この俺が来たからにはおまえら、お嬢に手出しできると思うなよ」

 そして何事もなかったかのように決めようとしていた。しかし――。

「・・・鼻血出てるわよ」

 思わずエリスはつっこんでしまった。

「おっと、いかんいかん」

 顔を上に向けて鼻の下を拭う。しばらく鼻頭を指で押されてから、顔の位置を元に戻した。
 はっきり言って、変な奴、というのがエリスのその男に対する最初の印象だった。
 なかなかの美形と言えなくもないが、登場した時の姿と今の鼻血でイメージとしては完全に三枚目に落ちていた。加えて頭もあまり良さそうでない。つまりは阿呆っぽいのだ。
 よく見ればそんなことはあまりないのだが、イメージの問題だった。
 うっかりツッコミを入れてしまった愚を反省し、もう無視して話を進めようと思っていると――。

「まったく、格好をつけて屋根の上から飛び降りておいて顔面から着地するのも、それで五体満足でいるのもおまえくらいのものだろうな」

 無視できない、新たな乱入者の声がした。

「あんたは・・・」
「よう、また会ったな」

 通りの先から現れたのは、少女と出会ったのと同じ日に遭遇し、理由もないまま戦った祐漸という男だった。
 二人の乱入者に、一番動揺していたのは黒ローブの襲撃者達だった。

「まさか、祐漸・・・それに、ヴェルハルト・バルグラムか!」
「自己紹介の必要はなさそうだな」
「わかってるなら話は早い。おまえらさっさと消えな。俺のお嬢にこれ以上手を出そうっていうなら、ただじゃ済まさねーぞ」

 軽薄そうな表情を浮かべてはいるが、ヴェルハルト・バルグラムと呼ばれた男の言葉には気圧されるだけの凄みがあった。その言葉が本気であることがひしひしと伝わってくる。その威圧感たるや、祐漸にも劣らないほどのものだった。
 どうやら、ただの阿呆ではないらしい、とエリスの中での評価が少し変化した。
 明らかに分が悪いと悟った襲撃者達は、互いに目配せをした後、逃走を開始した。誰もそれを追おうとはしなかった。
 その場に残った四人は、通り上にほぼ一直線に並んで立っていた。
 端から祐漸、ヴェルハルト、少女、エリスの順である。祐漸の視線はエリスを気にしており、ヴェルハルトは少女のことだけを見ている。少女はヴェルハルトと向き合いつつエリスのことも気にかけており、エリスは三人全員の様子を視界に収めていた。
 さてこの状況、どうしたものか。
 エリスが考え込んでいると、まず口を開いたのは少女だった。

「そうだ! まずは〜」

 くるりと体を半回転させてエリスと正面から向き合う。

「わたし、天壌かなた、よろしくね〜」

 にっこりと、心が癒やされるような笑みを浮かべ、少女は名乗った。それでエリスも、まだ彼女達がお互いに名乗りあってすらいない間柄だったことを思い出した。

「・・・エリス・フレイヤよ」
「うん、エリスちゃん、よろしく〜」
「・・・よろしく」

 はじめからそうだったが、独特のペースを持った少女だった。ふわふわしていて、つかみ所のない感触は、はじめて会った時から抱いていた印象そのままだった。そしてそんな人畜無害そうな雰囲気の裏に、油断ならない面も秘めている点も、先ほどの動きを見て確信していた。
 かなたと名乗った少女は、続いて後ろにいる男を紹介しようと、一歩横にどいて手で背後を示す。

「それで、この人が〜、ヴェル君」
「ヴェルハルト・バルグラムだ。ま、覚えといてくれ」

 愛称で紹介された後、本人から改めて名乗られる。その名前には、微妙に聞き覚えがあった。

「バルグラム、って確か・・・」
「ああ、ジークリンデに次ぐこの街の名門さ。といっても俺は三男坊なんで、家の方じゃ単なる穀潰しだけどな! はははは!」
「笑いどころなのね、それ」
「ヴェル君にとっては、あまりお家のこととか関係ないみたいだね〜」
「そういうことだ、お嬢。家のことは親父や兄貴達が気にしてりゃいい。俺は自由に生きるのさ」
「ね〜、ヴェル君。その、お嬢っていうのもうやめようよ〜。今はもうちゃんと名前あるんだから」

 妙な言い回しに、エリスは微かに首を捻る。

「嫌だね。その名前はおまえには相応しくない!」
「え〜」
「・・・どういうことよ?」
「ああ、エリスちゃんはもちろん知らないよね。わたし、きおくそーしつだから、本当の名前は知らないんだ。だから今の名前も本当じゃないんだけど、わたしは気に入ってるんだ〜。ちなみに、つけてくれたのは」

 かなたの視線がヴェルハルトを通り越して、さらにその向こうにいる相手に指し示す。

「祐君だね」
「祐漸だ」
「知ってるわよ、あんたの名前は」
「そうだな。だが、オレの方はまだおまえさんから名乗ってもらってないんでな」
「・・・聞いてたくせに」
「おまえが名乗った相手はジークリンデの姫やかなたに対してだろう。名前を知っているのと、実際に名乗られたのじゃ意味が違う」
「ふんっ」

 つまらない拘りだと鼻で笑ってやる。けれど、知っている相手にわざわざ名乗る意味もないが、かといって名乗らない理由もないのだが、エリスとしては意地でも祐漸相手には名乗りたくない気になっていた。これはこれで、つまらない拘りだった。
 祐漸のことはこの際どうでもよかった。
 今のところ再戦を挑んでくる様子もないし、仮に挑んできたとしても今度はさっさと逃げるつもりだった。そう何度もあんな化け物と付き合う義理はなかった。

「それじゃ、お互いの名前もわかったところで、天壌かなた」
「そんな堅苦しい呼び方しなくても、かなたでいいよ〜」
「なら、かなた、少し話したいことがあるわ」

 祐漸とヴェルハルトのことはあえて気にせず、元々の目当てであったかなたとの話を切り出そうとする。

「ちょっと待てよ」

 しかし、話し出そうとしたところでヴェルハルトがかなたの前に立って割ってはいる。

「・・・何?」
「エリス・フレイヤ、おまえにどんな思惑があるのかは知らないが、俺のお嬢に変なちょっかい出すのは遠慮してもらいたいな」
「あの〜、わたし別にヴェル君のじゃないんだけど・・・」
「遠慮しなかったら、どうするって言うのかしら?」
「できれば穏便に済ませたいな。けど、そっちが力ずくで来たりするなら、こっちもそれに合わせた対応をするぜ」
「へぇ」

 エリスは軽く口元をつり上げる。
 こうした挑発的な態度にはつい過敏に反応してしまう。あまり良くない傾向とは常々思っているのだが、この性分はなかなか治りそうにない。
 ここで荒事になると分が悪いため、努めて冷静に話を進めることにする。

「なら、あなたでもいいわ。まず聞きたいのは、どうしてその子はやたらと狙われてるのかしら?」
「って、全然知らないのか?」
「神話に出てくる乙女の生まれ変わりだとかいう話なら聞いてるわ。けど、アタシが知りたいのはそんな曖昧なのじゃなくて、もっと正確な話よ」
「正確な、つっても、そのまんまだしな」
「そう言い切る根拠は?」
「知らんし、興味もないな。理由が何だろうと、お嬢が狙われてるのは事実で、俺は他の誰かにお嬢を渡すつもりはない。それだけさ」
「ふぅん」

 この男はかなたの騎士を気取っているようだ。それ自体は別に構わない。かなたが何者かに狙われているなら、逆にそれを守ろうとする人間がいても不思議はなかった。
 特にかなた自身を狙う理由がエリスにない以上、彼女を守ろうとする人間と敵対する意味はなかった。
 ヴェルハルトの方はそうは思っていないようで、敵意とまではいかないが、笑みを浮かべながらもエリスを威嚇するような目をしている。軽そうな性格とは裏腹に、かなたに対する気持ちは本物らしい。
 必要以上に警戒されている様子に、エリスは軽く嘆息する。

「そんなにピリピリしないでも、その子をどうこうしようなんて思ってないわよ。アタシにとっては、その子自身には大して興味はないんだから」

 これは半分本当で、半分嘘だった。かなたを見ていると、ひどく惹き付けられることがあるのをエリスは自覚していた。
 学園でも、フローラにハルナ、リゼットと興味を引く対象は何人もいたが、かなたから感じるそれは相当に強いものだった。しかも、どうしてそこまで惹かれるのか、その理由が自分自身ではっきりしないというのは滅多にないことだ。
 そういう意味で興味はあるが、かなたの正体や狙われている理由に関心がないのは事実だった。
 かなたが狙われる理由に興味があるとすれば、それを知った方が狙ってくる相手の情報を得やすいかもしれないという考えに基づいてのことだった。

「本当か?」
「ええ。アタシが興味があるのは、その子を狙ってる連中の方だからね」
「そっか。それなら話をするくらいは構わな・・・」

 言いかけたところで、ポカッという音がしてヴェルハルトは頭を抱えて蹲る。背後から、かなたがチョップを後頭部に叩き込んでいた。
 結構効いたらしく、唸り声がしていた。

「ぐぉぉぉ・・・」
「も〜、どうしてヴェル君がわたしのことを勝手に決めてるの」

 たしなめるように言ってから、タッタッタとかなたはエリスの下へ走り寄ってくる。

「ごめんね〜、エリスちゃん。ヴェル君が変なこと言って。お話、ちゃんと聞くよ」
「そう、助かるわ。話と言っても一つはそっちの奴にも聞いたことなんだけど、あんたも自分が狙われてる理由は知らないの?」
「きおくそーしつだからね〜、心当たりはないよ。それに、おとぎ話の登場人物だ、って言われてもピンとこないよね」
「そうね。じゃ、ここからは話というか、提案」
「うん」
「アタシは人を探してるの。で、そいつはあんたを狙ってる連中の中にいるかもしれない。だから、そいつの手がかりを得るために、あんたと一緒に行動させてもらいたい」

 初日と今日と、会う度にかなたは誰かに追われていた。彼女と行動と共にすれば、そうした相手と遭遇する機会はいくらでもあるはずだった。そうしていれば、いずれアタリを引く可能性は充分にあった。

「タダでとは言わないわ。あんたの腕じゃ見返りとしては弱いだろうけど、代わりにアタシはあんたを連中の手から守ってあげる。それでどう?」
「つまり、エリスちゃんがわたしのぼでぃーがーどさんになる、っていうことだよね?」
「端的に言うとそんなところね」
「わたしを守ってくれながら、探してる人を見つけるんだね」
「ええ」
「うん、いいよ〜」

 確認だけすると、深く考えもせずにあっさりかなたは頷いた。

「いいの? そっちの奴みたいに過剰に警戒しろとは言わないけど、少しはアタシの言葉を怪しいとか思わないの?」
「だって、エリスちゃんは嘘を言ってないもん」
「・・・・・・」
「ね」
「・・・ええ、嘘は言ってないし、今後も言うつもりはないわ」
「じゃあ、おっけー、ですよ」

 人を疑うことを知らないような無垢な表情で答えるかなたの様子に、エリスは軽く頬を染めて顔を背ける。よく見るとこの少女は、同性でもドキっとするほど綺麗な顔をしていた。その上、満面の笑顔が眩しく感じられて、正面から見ていると、照れる。
 赤面したことを誤魔化すように咳払いを一つしてから、改めて前を見て向き合う。

「それじゃ、改めてよろしく、かなた」
「よろしくお願いします、エリスちゃん♪」

 こうして契約は成立した。のだが――。

「ちょっと待ったーーー!!!」

 登場した時と同じ叫びで、ヴェルハルトが再び割ってはいる。

「何あんた、まだいたの?」
「ひどっ!? っていうか、お嬢のボディーガードなら俺がいるじゃないか。むしろ俺も一緒に行動させてくれ!」
「いやです」
「ちょっ、お嬢まで!?」
「だって〜、ヴェル君は他の人と一緒になってわたしを追いかけ回してるもん」
「いやだからそれは、他の奴らからおまえを守ろうとしてだな」
「わー」

 わざとらしい悲鳴を上げて、かなたはエリスの背中に隠れる。かなたの方が背が高いので、全然隠れられてはいないのだが。
 声も態度もどう見ても本気ではないが、拒絶されたヴェルハルトはひどくショックを受けて固まっていた。

「お、お〜い・・・お嬢〜?」

 それでもゾンビのように近寄ってくる様はとても不気味だった。
 顔をしかめていると、かなたが後ろからエリスの袖を引いた。

「エリスちゃん、逃げちゃお」
「・・・そうね。捕まると阿呆がうつりそうだし」

 哀れみを込めた嘲笑をヴェルハルトに向けつつ、エリスはかなたの手を取って踵を返す。そしてそのまま一目散に駆け出した。

「あ、祐君、またね〜!」

 手を引かれて走り出しながら、少しだけ後ろを振り向いたかなたは、祐漸に向けて大きく手を振る。祐漸の方は軽く手を挙げて応えており、追ってくる気配はなかった。
 一人置いてけぼりのヴェルハルトは、片手を前に伸ばした状態で彫像のように固まっていた。
 エリスとかなたは、手を取り合って夜の街を駆けて行く。
 奇妙な縁で出会った仲だが、行動を共にするパートナーとなった以上、今後こうした光景はよくあるものとなっていくだろう。
 不思議と、それ自体も楽しそうな気がした。

「えへへ」

 かなたの方も、やたらと楽しそうな顔をしていた。

「何がそんなに楽しいのよ」
「なんとなく〜♪ そう言うエリスちゃんだって、楽しそうな顔してるよ」
「気のせいよ」
「そっか〜、あはは! うん、これからよろしくね〜、ちっちゃなぼでぃーがーどさん♪」
「・・・ちっちゃなは余計よ。次言ったら潰す」

 こうして、エリスとかなたの関係は始まりを迎えた。



















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