デモンバスターズ Valkyrie



   STAGE 04 『英雄 と 乙女』

            
Aパート





















「まったく、あなたのおかげで面倒な毎日を過ごさせてもらってるわ」

 エリスがヴァルハラ学園に通うようになってから、数日が経っていた。
 その間、特筆すべき事件などはなく、世間的に見ればとても平和な毎日だったと言うべきであろう。だが、エリスにとってみればひどく不本意な日々だったと言わざるを得ない。
 そもそもエリスにとって学園は、お金がかからずに長期滞在可能な仮の宿以上の意味を持たない場所のはずだった。にもかかわらず編入以来、学園生活への対応に追われ続け、本来の目的にまったく手をつけられない状態が続いていた。
 そうなる原因は、間違いなくこの相手にあった。

「あら、それはどういたしまして」

 皮肉にもまったく動じず切り返してくるフローラに、エリスは手元に目線を落としたまま苦い表情をする。
 二人が今いるのは、学園図書館の一角だった。
 エリスは本棚に寄りかかって手にした本を覗き込んでおり、後からやってきて棚に並んでいる背表紙を眺めているフローラに向けて、挨拶も抜きに先の言葉を投げかけたところだった。二人きりのなるのも、そもそもまともに会話するのも、はじめて会った日以来のことだった。
 別々の方向に顔を向けながら、お互いに意識だけはしていた。が、エリスの方から先の言葉以上に話すべき事柄もなく、無言の状態が続く。本来なら気まずい雰囲気になりそうなところを、逆に落ち着いた心境になるのはフローラという少女の持つ独特のやわらかな空気故だろう。
 この空気は、エリスも嫌いではなかった。
 個人的に悪い感情を抱いているわけでもなく、また仮宿としてこの学園への編入という手段を用意してくれたフローラには感謝もしていた。
 しかし、学園に入ってからの面倒事の元凶に彼女の存在があることもまた事実だった。そう考えると、一度落ち着いた心がまたざわついてくる。

「大した人望ね、あなた」

 結局我慢できず、またエリスの方から口を開く。

「おそれいります。そうありたいと願っている身ですから、みなさんに慕われているというのは嬉しいです」
「必ずしも慕ってる奴ばかりじゃないみたいだけどね。どっちにしてもものすごい影響力だと思うわよ」

 ジークリンデ家という名門の姫としても知られているらしいフローラだが、この学園においてもまさに彼女の存在はプリンセスの異名に相応しかった。非公式のファンクラブなども存在しているらしい。さすがにエリート優等生揃いのVクラスでは、ハルナも含めてそうしたミーハーな集まりに興じたりはしていないが、それでもほとんどの生徒がフローラに対して尊敬と憧れを抱いていた。
 そのこと自体は別に構わない。
 学園で誰がどんな影響力を持っていようが、エリスの目的に関係ない次元での話である以上、そんなものに興味はなかった。
 問題は、そうであるにもかかわらず、エリス自身がそのことに無関係の立場でいられないということだった。

「どこの授業に行っても、やれフローラ様のご推薦なさった方のお手前はどのようなものでしょうだの、やれフローラ様がお認めになった腕前をご披露してくださいだの・・・逆にフローラ様の推薦だからってでかい顔するな、フローラ様のお名前を汚さないよう気をつけろだのと・・・!」
「あらあら」

 雑音は無視してしまえばいいのだが、下手に角の立つ態度を見せるとかえって目立ってしまうため、その都度適度に対応していかなくてはならず、余計な神経を使わされていた。
 何より、いちいちフローラを引き合いに出してくる者達に苛立って無視もしていられなかった。

「どいつもこいつもフローラ様フローラ様と、うっとうしいったら!」
「ご迷惑をおかけします」
「あなたの推薦だから何だってのよ、それがアタシと何の関係があるの、アタシとあなたがどういう間柄だろうと知ったこっちゃないでしょ、そもそもどうして交友関係一つでこのアタシの振舞い方を指図されなきゃならないのよ」
「ごもっともなお話です」
「・・・ま、別にあなたのせいじゃないんだけどね」

 鬱憤がたまっているのは事実だが、それでフローラに八つ当たりするのは筋違いというものだった。彼女は彼女なりに、学園理事として、また学生会長としての責務を果たすべく努めてきた結果として得た人望であり、その影響でエリスが面倒に巻き込まれたとて、フローラの責任を問う謂れはない。
 それに、数日が経って少しは皆の熱も冷めてきたため、今はこうして一人静かに調べものができるわけだった。
 やがてはエリスもただの一生徒として認識されるようになり、余計な騒ぎも起こらなくなる。そして最終的には、特に記憶に残るようなこともなく去っていく、それだけのことだ。
 その日が少しでも早くくるよう、さっさと目的に取り掛かろうと思ってまずはここに足を運んだのだ。

「何をお読みになっていらっしゃるのですか?」

 エリスが愚痴が終わったと見ると、一拍置いてフローラの方から話しかけてきた。眺めていた本棚からは目を離し、エリスが見ている本を覗き込むように顔を向けてくる。

「この街の神話とか伝承とか、そういったものよ」

 本から顔を上げずにエリスは答える。
 読んでいるというほどきちんと目を通しているわけではなかった。正直、話が複雑過ぎて半分も内容が頭に入っていなかった。

「ここには強く信仰された伝説が色々あるそうじゃない。そうしたものを知ることが、アタシの目的へ至る手段の一つになるかもしれない」

 エリスはフローラに、はっきりと自分の目的を告げてはいない。ただ、この街でやることがあるから長い期間滞在できる場所を探している、とだけ伝えていた。結果としてそれが、エリスを学園に招きたいというフローラの願いと利害が一致したため、こうして学園に通うことになったのだ。

「そうですね、確かに根強く信仰されている伝説は多いです。みなさん、生まれた時から“あれ”を見て育っていますからね」

 棚と棚の隙間の先にある窓を通して外に目を向けるフローラ。その視線の先には、遮蔽物さえなければ街のどこからでも見ることができる巨大な樹があった。

「大樹、または神樹、ユグドラシル。あの樹は、かつてこの地に神様の力が降り注いでいた確かな証拠と言われています。そして、それにまつわる伝承が、この地方には多く語り継がれているんです」
「あんなもの、自然に存在してるようなシロモノじゃないものね」
「はい。だから信じられているんです、神様の、或いはそれに近いものがかつて実在したことを」
「今も実在している、とは考えないの?」
「さぁ、どうでしょう。何しろ、神話の時代が幕を閉じ、人の歴史が興ってから、もう何千年も経っているという話ですから」
「神の時代は、もはや古の話、か」

 だがこの街へ来る前、エリスは聞いていた。この街に“神の器”と呼ばれるものがあると。少なくとも、それを信じて探している人間達が多数いるらしい。エリスの目的は、その人間達の中にいるかもしれない“あの男”を探し出すことだった。
 ユグドラシルに関しては、当然真っ先に調べる対象とした。
 思ったとおり、ほとんどの神話伝承において、あの樹の存在は確認できた。ただし、その正体についてははっきりとはわからない。話によっては、あの樹こそが世界の中心であるなどとしているが、それであまり抽象的で、何よりそこまで大層な存在には思えなかった。
 現実離れした巨大な樹ではあるが、それ以上のものは感じない。
 あの樹は神の存在を証明する手がかりにはなりえても、例えばあれが神そのものと言われても信じ様がなかった。
 神話伝承の類からユグドラシルの実態に迫るのは難しかった。そうなると今度は歴史書などから、あの樹が本当に何千年の前から存在しているのどうかを調べるなどの方法が考えられるが、それをやろうとすると膨大な時間がかかりそうなので、後回しにする。樹の由来を知りたいわけではなく、重要なのはそこにどんな意味があって、どうエリスの目的と関わってくるかである。由来を知ることでそれを考える手がかりにはなるかもしれないが、直接的な手段としては確実性を欠き、時間も足りない。
 結局のところ、調べる事柄が漠然としすぎているのが問題だった。
 何もかもが“手がかりになるかもしれない”状態であり、具体的に何が重要な情報なのかさえわかっていない現状では、いくら本を開いたところで役に立つはずもなかった。
 自分の行動の不毛さを憂えていると、横から一冊の本が差し出された。

「・・・何、これは?」
「この街の伝説をお知りになりたいなら、まずはこのお話に触れてみることを、おすすめしますよ」
「『英雄と乙女の物語』・・・って、これ絵本じゃない」
「入門書だと思ってください。大丈夫、シンプルによくまとまっているので、はじめて読むにはちょうどいいですよ。絵本を馬鹿にしてはいけません」
「ふぅん」

 ようやく手にしていた本から顔を上げて、代わりにフローラの差し出した絵本に目を向ける。
 表紙には、この地に伝わる神話の象徴とも言うべきあのユグドラシルと思しき樹と、一組の男女が描かれていた。









「それでね、そのラーク・アルヘイム君っていうのがSクラスで今期待のルーキーでね、去年の今頃は序列三十二位だったのが、今は何と八位だよ、八位! 遠くない将来、彼はSクラスのトップに立つね。少なくとも、ペンの貴公子(ムスペル)やデカハゲ(ベルガー)辺りはちょちょいと抜いちゃってほしいよね〜」
「ふぅん」
「ただ彼もねぇ、性格は悪くないどころかむしろすっごく好感持てるんだけど、ちょっと問題もあってねぇ」
「へぇ」
「女の子は戦うものじゃない、っとか言ってるんの。こういうところは他の男子と一緒だわ。まぁ、彼の場合はあたし達のことを見下してるわけじゃなくて、もっと純粋にあたし達のことを心配してのことだから、かわいいっちゃかわいいんだけど、やっぱり考え方が古いよね〜」
「そう」
「・・・ところでエリス、さっきからあたしの話ちゃんと聞いてる?」
「ええ」

 適当に相槌を打っているだけだが、一応耳には入っている。ただし、頭にまで入っている保証はなかった。
 そもそもお喋り好きのハルナの話す事柄には無駄な部分が多く含まれていることがあり、逐一記憶していたら大事な事柄の方から逃げ出して行ってしまいそうだった。長年情報収集に奔走してきたエリスの耳は、自分にとって重要な情報が含まれた話だけを選別して聞き取ることができるようになっている。
 ちなみにさっきまで延々ハルナが喋っていた内容は大まかに、最近食べたおいしいデザートの話に始まり、そこから派生したダイエット対策に、ファッション絡みのこと、他愛ない噂話についてなどなど続き、先日の続きとばかりにエインフェリア科のSクラス・Vクラスに在籍する生徒達の話に至っていた。その小一時間にも及ぶ話の中で、エリスにとって僅かでも興味を引いたのは、Sクラスになかなか見所のあるルーキーがいるという話だけだった。ハルナの眼力はこの間の件でエリスも認めているものなので、ラークという男子もそれなりのものには違いないのだろう。ただしそれも、特に気にかけるべき事柄でもない。
 要するに最初から最後までハルナの無駄話ということなのだが、ハルナにしても単に喋りたいだけということがあり、エリスがただ聞いているだけでも彼女の欲求は満たされている。
 こうした語らい――というよりほとんどハルナの一方的な語りだが――は、ほぼ毎日行われていた。

「エリスの部屋もやっと物が揃ってきたよね〜」
「ほとんどあんたの私物だけどね」

 寮で隣同士の部屋になって以来、二人は毎晩、夕食後から就寝までの時間をどちらかの部屋で一緒に過ごすようにしていた。はじめは備え付けの家具以外に一切物がなかったエリスの部屋も、ハルナがやってくる度に何か持ち込んでくるため、一応それなりの生活感は出ていた。
 だいたいの時間はハルナの無駄話に費やされているが、たまに勉強もやっていた。ハルナは自らをドンケツなどと呼んでおり、実際Vクラス内での成績は最下位なのだが、それでもエリートクラスに在籍しているだけあって最低限の知識は身につけており、また基本的に頭はいいため教えるのが上手い。長らく学校に通っていなかったエリスにとっては、理解しにくい科目を習うのには申し分ない相手だった。もっともこの学園では、履修科目はかなり自由に選択できるため、不得意科目の授業をあえて受け続けてる必要はない。編入直後は色々な授業を見学するつもりであれこれと受けていたが、それも落ち着いたらわざわざ教わることもなくなっていた。
 なので、結局は適当な時間を過ごしているのが常だった。

「ね、ね、さっきから何読んでるの?」

 話すのに飽きたのか、それともネタが切れたのか、ハルナはベッドの上に寝転がりながら床に座っているエリスの手許を覗き込んでくる。
 ちょうど読み終わったところだったので、エリスは本を閉じて表紙を見せる。

「あ! 『英雄と乙女』だー、懐かしいなぁ。この絵本、あたしも小さい頃何度も読んだよ」
「有名な話みたいね」
「どうしたの、これ?」
「フローラに薦められて、図書館で借りてきたわ」
「そっかー。おもしろいっしょ」
「そう、ね」

 絵本だけあって、非常に単純な話にまとめてあったが、おかげで物語の概要は簡単に掴むことができた。
 要約すると、物語の内容はこんなものだった。


 大昔、この地に一人の青年がいた。
 鍛冶屋の息子であったその青年は、亡き父の形見の剣を手に旅をしていた。
 旅の途中、財宝を守る竜を退治した青年の名は世の中に知れ渡り、いつしか彼は英雄と呼ばれるようになった。
 さる地方の領主は彼を自分の娘の婿にしようとするが、彼は断り、また旅を続けた。
 やがて彼は、ある山の頂で眠っている一人の乙女を見付けた。
 青年が触れると、乙女は眠りから目覚めた。
 乙女には、彼女の眠りを覚ました者と夫婦になることを宿命付けられていたため、二人は結婚の約束を交わした。
 しばらくの間、二人は幸福な時を過ごしていた。
 しかし、乙女の美しさに心奪われた一人の男が、策略を用いて青年を殺してしまう。
 青年を殺した事実を隠し、男は乙女に近付き、求婚する。
 けれど青年の死を嘆いた乙女は、男を受け入れることなく、自ら命を絶った。
 人々に愛された英雄と、神に宿命を与えられた乙女を引き裂いた罰を受け、男もその後破滅を道を辿った。


 要するに、青年と乙女の恋物語を主題としつつ、一人の英雄の栄光と破滅を描いた典型的な英雄譚だった。絵本では、二人が恋に落ちて幸福な日々を送る部分が多く描かれており、最期に至る経緯は曖昧になっている。子供向けなのだから、その辺りの陰惨な話は省いてあるのだろう。

「ねぇ、この話、最後はどうなってるの?」
「あれ、読み終わったんじゃないの?」
「これはね」

 エリスは手にした絵本を掲げてみせる。
 この本のラストでは、青年と乙女の魂は神の導きによって来世で再び出会い、そこで結ばれるというハッピーエンドになっている。しかし、これはあまりにも都合が良すぎて、明らかに作家の創作だというのがわかる。

「神話や伝承って、こんな優しい話じゃないでしょ」
「あたしは好きだけどね、この方が夢があって」
「それで、実際のところはどうなの?」
「諸説あるよー。来世で改めて結ばれる、っていうのも一応そんな数ある説の中の一つ。けど、一番よく知られてるのは・・・」

 ハルナはそこで一拍置いて、少しだけ厳かな口調になってその先を語った。

「悲しみに暮れた乙女の魂は炎となり、やがて神々の世界を焼き尽くす業火となった・・・・・・その乙女は、実は一番偉い神様の娘だったんだって、だからその魂には、それだけの力があったんだね」
「世界の終焉、か。壮大な話ね」
「終末の話は、“神々の黄昏”って呼ばれてるよ。そこにはもっとたくさんのお話があって、『英雄と乙女の物語』はあくまでその中の一つだね。だけど英雄になった青年のかっこよさとか、二人の悲恋とか見所が多くて、ここではこの話が一番有名なんだ」

 それからまたいくらかハルナが語ったところによると、この絵本のみならず、『英雄と乙女の物語』は様々な解釈やアレンジが加えられた作品が多数存在しており、書籍以外にも歌劇などとして公表されているという。
 内容や結末も、それぞれにおいて違っている。
 ある話では、青年の英雄としての活躍が冒険活劇として描かれている。竜以外にも様々な怪物と戦ったり、何万もの軍勢から一つの街を守って勇敢に戦ったり、果ては乙女の父親の神様まで出てきてこれと戦うなど、娯楽性が強い物語になっていた。
 また別の話では、より悲劇性が強調されており、二人の出会いに至る経緯からどこかもの悲しい雰囲気が漂っている。終盤に出てくる男が実は青年の友人であったり、英雄になった青年に対する妬みや乙女に対する執着など、男の心理描写も多く描かれた愛憎劇となっていた。
 二人の死まで描かず、結ばれたところで完結としたり、逆に死の部分を特に重く描いたりと、ハッピーエンドかバッドエンドかも話によって異なっている。来世で結ばれる話では続編として、現代での二人の恋を改めて描いたりしているものもある。
 それだけ数多くの作品が派生していることから、如何にこの物語がレギンレイヴの人々に親しまれているかがよくわかった。
 ただ、エリスが知りたいのは派生した物語の内容ではなく、この話の根本にあるものだった。即ちそれを知ることが、何故フローラがこの物語をエリスに教えたのかという理由に繋がってくる。
 単にお薦めの本を紹介したわけではあるまい。
 エリスは自身の目的に至る手がかりとしてこの街の神話や伝承を調べていた。そこへやってきてこの物語を描いた絵本を渡した。あの聡明な少女が示したのだから、この物語の根本に迫ることが、エリスの欲する手がかりを得るヒントになっているはずだった。
 これだけでは、まだわかりそうにないと思っていると、ハルナが内緒話をするように顔を寄せてきた。

「ね、ね、ちょっとおもしろい話を教えてあげよっか?」
「何?」
「今のところは、ほとんどただの噂話、或いは都市伝説とでも言うような話なんだけど」

 こういう話をする時に少しもったいつけるのはハルナの癖なので、黙って続きを待つ。

「実はね・・・・・・今、この街に、その乙女がいるんだって」
「は?」

 語られた内容に、エリスは怪訝な顔をする。

「いる、って・・・仮にこの物語が事実に基づいた話だとして、もう何千年も前の話でしょう」
「うん、そうだね」
「まさか、生まれ変わり説が正しいとでも言うつもり?」
「それも可能性の一つ。知ってる人の間じゃ、色んな憶測が飛び交ってるよ。生まれ変わり説もあれば、実は死んでなくてずっと眠ってたのが目覚めたとか、どこかの魔導師が彼女の墓を暴いて復活させたんだとか」
「どれもさっき言ってた創作物の域を出そうにない話ね」
「まぁねー。だけど、目撃例はたくさんあるんだよ」
「年頃の女の子がちょっと変わった行動でも取ってれば、それっぽく見えるんじゃないの」
「その女の子にまつわる話その一、空から降ってきた」
「は?」
「ある日突然、こう、どーんって落っこちてきたんだって。これは、街で結構有名な人が目の前で見てるらしいよ。さらにその二、魔法みたいな不思議な力が使える。その三、忽然と消えたり現れたりする。その四、羽が生えて空を飛ぶ。その五、変身する。その六・・・」
「どんどん胡散臭くなるわね」
「うん、後半は大分尾ひれ。最初の空から落ちてきたっていうのも、ユグドラシルの上から落ちてきたとすれば、一応説明はつくね」
「あの樹、登れるの?」
「登れるよ、許可さえあれば」

 とはいえ、あの高さから落ちて無事だったというなら、それはかなり特殊な話と言える。だがそれも、魔法のような力が使えるというなら不思議ではない。
 魔法は決して一般的な技術ではないが、実在することだけは証明されている。
 消えたり現れたり、空を飛んだり、変身したり、いずれも魔法が使えるなら不可能なことではないかもしれない。
 つまりその女の子とやらは、不思議な存在には違いないが、少なくとも常識の範囲内で説明できる存在だということだった。

「それがどうして、この物語の乙女だなんて話になるのよ」
「はっきりした証拠はないよ。ただ、いくつかそう思わせるような根拠はある」
「どんな?」
「ユグドラシルへ出入りは、街の偉い人達が管理しててね、女の子が落ちてきた時、誰かがユグドラシルにいた記録はない」
「飛んで行ったんじゃないの?」
「鳥でも頂上辺りには近付かないんだ。気流の関係とか色々言われてるけど、結界みたいなのがあるって話もある。試せる人がいないから何とも言えないけどね。それから、その子は身元不明で、しかも記憶喪失らしい」
「・・・ん?」
「どうかした?」
「何でもないわ、続けて」

 一瞬何か引っかかるようなものを感じたのだが、気にしないことにして、まずは話の続きを聞く。

「少なくともこの街の子じゃない。周囲のいくつかの街でも調べてみたらしいけど、やっぱり素性はわからなかったみたいね」
「けど、身寄りのない子なんていくらでもいるわ。探したって、まったく身元の知れない子だって珍しくない」
「そうなんだよねー、だから結局のところ、はっきりとした根拠はないんだけど・・・」
「だけど?」
「・・・・・・これはほんとに秘密の話ね。って、ある意味今さら隠されてもいない公然の秘密ってやつなんだけど、一応あたし達一般人は知らないはずのことだから」

 ハルナはさらに身を寄せ、声も相当潜めて話す。

「ジークリンデ家やバルグラム家みたいな街の権力者、裏側を仕切ってるマフィアや、どこから来たのかわからないような秘密組織まで、かなりの数の人達がその子のことを追ってるんだ。中にはかなりその道のプロっぽい人もいる。それだけでもおかしいのに、しかもそんなプロな人達に追われていながら、いまだにその子は全然捕まっていない。これはちょっと、普通じゃないよね」
「・・・・・・」

 なるほど、その女の子が只者ではないらしいということはわかった。それに加えて空から降ってきたなどのエピソードがあれば、その子が伝説の乙女であるという仮説を立てる人間がいてもおかしくはない。
 だが、女の子の正体よりも、もっと気になることがエリスにはあった。
 思い切り心当たりがあったのだ。
 記憶喪失という単語を聞いた時から引っかかりを感じてはいたのだが、まさかという思いと、あまり思い出したくないという気持ちがあって咄嗟には浮かんで来なかった。
 この街を訪れた日に出会った少女が、今の話の女の子に非常によく似ていた。
 神出鬼没で、記憶喪失で、様々な組織から追われている。そんな奇特な少女が二人も同じ街にはいるとは、あまり考えられなかった。

「そう・・・ちょっと見えてきたわね・・・」

 繋がりそうな気がした。
 フローラはあの日、エリスが件の少女と接触していることを知っているはずだ。直接見てはいなくても、状況からそう推察することは容易い。『英雄と乙女の物語』の絵本を渡し、さらにそこからエリスが街に現れる“乙女”の存在を知り、あの少女のことを思い出すよう仕向けたのだとすれば説明はつく。
 今ハルナに聞いた話によれば、フローラのジークリンデ家もあの少女を追っているという。エリスが少女を探し出せば、それがフローラの家に利することになる可能性があった。つまり、エリスを利用しようとしているということだ。
 手駒にされようとしている、というのは考えすぎかもしれないが、フローラの意図は大筋で読めた。
 学園にいさせてもらっている宿賃代わりに、少しくらい利用されてやるのは構わない、とは思っていたものの、いざ手駒にされるというのはおもしろくないものだった。しかし、フローラの思惑はこの際どうでもよかった。
 もっと大事なのは、その少女を複数の勢力が追っているという話だった。
 ひょっとしたらその中にこそ、エリスが真に探している人間がいるかもしれない。だとしたら――。

(あの子を探すことが、“あの男”へ至る手がかりになる!)

 漠然としていた行動の指針が、ようやく定まりそうだった。
 学園生活にも慣れ、拠点の基盤は固まってきた。あとはいくらか根回しが必要だった。

「ねぇ、ハルナ」
「んー、何?」
「友達で、お隣さんのよしみで、一つ頼みがあるんだけど」
「いいよー、何でも言って! あ、でもできないこともあるよ。男の子紹介してとか言われてもあたし無理。目ぼしい男子のピックアップはしてるけど、誘えるほど親しくしてる相手とかいないし」
「そんなのはどうでもいいわよ。アタシ、これからたまに夜抜け出したりするけど、それを黙認してほしいの。気付かない振りをしてるだけでいいわ」
「なんだー、そんなことか。いいよ」
「・・・随分あっさりしてるわね」
「実はこれも秘密だけど、結構いるよ、そういうのやってる子。うひひ、男子寮に夜這いかけたり、外で逢引したり、いいよねー、相手がいる子は」
「言っておくけど、アタシのはそういうのじゃないわよ」
「わかってるわかってる、いざという時はちゃんと誤魔化しておくからー」

 本当にわかっているのか疑問だったが、少なくとも信用はできそうだった。素行を注意されて学園生活に支障をきたすのは避けたいので、この点ハルナの協力が得られるのは心強い。
 できればこれに加えて、フローラの動向にも対策を立てたいところだが、そこまではさすがに難しい。騙しあいで勝てそうな相手ではないし、向こうから手出ししてこない内は放っておいてもいいだろう。そもそも“乙女”とやらに繋がる情報を得るきっかけはフローラが与えてきたものであり、今後のエリスの行動は彼女も予測済みのはずだった。
 夜に学園から抜け出すのを邪魔されることはないだろう。後は実際に件の少女を見つけてからの話だが、それはその時になってから考えればいい。

(行動開始、ね。絶対に“あの男”の尻尾を掴んでやる)

 翌日の晩、エリスは学園を抜け出し、夜の街へと繰り出した。




















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