デモンバスターズ Valkyrie



   STAGE 03 『学舎 の 戦乙女達』

            
Bパート





















「当然、筆頭はフローラ様」

 予想通りの名前がまず挙がった。

「学園理事の一人にしてレギンレイヴ随一の名門ジークリンデ家直系の後継者。ヴァルキュリアクラスの序列一位で、学生会長。ちなみに学生会長は本来Sクラス序列一位の男子がやるもので、Vクラスの女子は副会長になるのが慣わしだったんだけど、フローラ様はそれを覆した、紛うことなきヴァルハラ学園のトップたる才女。あらゆる分野に秀でているけど、特に戦術・戦略理論に優れていて、まだ学生の身でありながら警察部隊や城壁守備部隊の指揮を執ることもあったりで、将来この街を背負って立つこと間違いなしの人だね。もう非の打ち所のない完璧超人、全校生徒の憧れ、学園のプリンセス」

 一気に捲くし立てたハルナは、少し恍惚とした表情で、今は無人のフローラの席を見ていた。彼女自身も、フローラに憧れる生徒の一人だった。
 フローラがただの学生に納まらない器なのは初対面の時からわかっていた。確かにこのクラスにおいて誰がすごいかと尋ねられれば真っ先に名前が挙がるだろう。とはいえハルナ自身が前置きしたように、そんなことは誰でもわかることであり、序列の評価が正当であることの良い証拠となっている。
 注目すべきはこれ以降だろう。エリスは先を促した。
 次に名前が挙がったのは、やはり序列でフローラに次ぐ二位の生徒。それは先ほどエリスの下へやってきて敵意に近いものを向けてきた、アリシア・イシュタルだった。

「アリシアさんは口だけのお嬢様じゃなくて、ちゃんと序列通りの能力を持ってる人だよ。あまり知られてないし、本人としては知られたくないだろうけど、影で相当努力してるし。けど、成績も、家柄も、人望も、どれも申し分ないものを持ちながら、そのどれでもフローラ様には敵わない。学園のほとんどの人がフローラ“様”って呼ぶのに、アリシアさんはアリシア“さん”なんだ。それが、序列一位と二位の間にある、越えられない壁」

 数字にすれば、たった一つの差。なのにそこには大きな隔たりがある。
 あのプライドの高そうなお嬢様が常に二番手に甘んじなければいけないというのは、さぞかし我慢ならないことだろうと、エリスはほんの少しだけ同情した。

「いつかフローラ様を超えようって努力し続けてるところはすごいと思うよ、アリシアさんは。悲しいのは、アリシアさんがフローラ様をライバル視してるのに・・・」
「フローラの方は、彼女のことは眼中に無し、と」
「・・・フローラ様に悪気はないんだけどね、その態度はアリシアさんの神経を逆撫でしちゃうばっかりで。さっきエリスに喰いかかってきたのも、エリスがどうこうじゃなくて、フローラ様への対抗意識からだと思うよ」
「迷惑な話ね。ま、わかるけど」

 下手に無視すると、かえってつっかかってきそうな性格に思えた。かといっていちいち相手をしたくもない。どうやらアリシアの存在は、学園での厄介事のトップに列挙される事柄になりそうだ。

「けど、あたしはフローラ様とアリシアさんの関係は、見た目通りのものばかりじゃないと思うな」
「ん?」
「アリシアさんはたぶん、心の底ではフローラ様のことをすごく尊敬して、常に目標にしてるんだと思う。フローラ様もそれがわかってて、あえてアリシアさんを怒らせるような態度を取って、向上心を刺激してるんじゃないかって気がする。フローラ様は、アリシアさんの複雑な気持ちがわからないような人じゃないしね」
「・・・・・・そう」

 暇潰しのつもりの話題だったが、なかなかおもしろくなってきた。
 三人目に挙がった名前は、そのまま序列三位の生徒だった。

「御門雷羽さん、遠く東の果ての国からやってきたサムライで、総合的な序列は三位だけど、剣の腕だけならフローラ様、アリシアさんよりも上だよ。むしろ今のところ学園最強かな。学園イベントの一つ、戦技大会では二連覇中だし」
「あの黒髪の子ね。確かにあれは、大した使い手みたいね」

 エリスに対して向けられた三種類の視線の内、好意的でも非好意的でもないものを向けていた女子の一人だった。容姿もさることながら、他の少女達とは一線を画する雰囲気を醸し出していたため、印象の強かった。フローラとは違う意味で、彼女はこのクラスにおいて別格の存在だった。
 同じく剣の使い手として、一度その腕前を見てみたいと思った。だからといっていきなり果し合いを申し込む気はないが。

「頑張ってるアリシアさんには悪いけど、あたしとしてはこのクラスでフローラ様の次にすごい人って言えば、雷羽さんが浮かぶな〜」
「一芸に秀でているか、総合的に優れているか、そこは評価の違いね」

 ハルナの見解にはエリスも同感だった。
 決してアリシアを無能扱いするわけではないが、同じタイプのフローラに明確な差をつけられて劣っている以上、その存在感は弱いと言わざるを得ない。
 その点、雷羽は総合評価では上の二人に劣るが、剣の腕という一点においてトップであるという貫禄がある。
 エリスの中でも、この三人に対する評価を下すとしたら、フローラ>雷羽>アリシアという順番になる。ハルナの感性が自分に近しいものを感じていることから、彼女の人を見る目がなかなかのものであることが窺えた。
 けれどこの程度ならば、しっかり見ていればわかる範囲のことであり、ハルナの眼力が人並み外れて優れているかを測るには不十分だった。
 その考えを改めさせられたのは、ハルナが次の生徒を示した時だった。
 ハルナが示したのは、先ほどの白い髪の少女だった。

「あの子が?」
「序列は九位。名前は、リゼット・フローズヴィトニル。みんなあまり気にしてないけどね、あたしはこのクラスでフローラ様に並べるだけの人がいるとしたら、あの子だと思うね」

 皆気にしていないというのは本当だろう。エリスは最初に見た時から気になって常にその存在を意識していたが、もしも認識しようとしなければ、誰も彼女のことに気付かないのではないか。それくらい、リゼットという少女の存在感は薄いのだ。彼女自身があえてそうしているようにも見受けられた。
 それをエリスだけではなく、ハルナも意識していた。これは驚きであると同時に、リゼット自身と同じくらい、このハルナという少女のこともエリスに意識させるに足るものだった。

「よくあんな子のこと、目に留めたわね」
「うーん、確かに目立たない子だけどね。ああ見えてあの子、結構自己主張は強い方だと思うよ」
「そうなの?」
「あのね、あの子、ずっと序列九位なの」
「ずっと?」
「そう。毎月末に変わる序列の一位から三位は去年からずっと固定だけど、そこから下はわりところころ変わるのね。あ、二十九位もずっと固定だけどね」
「それはいいわよ、どうでも。それで?」
「どうでもいいはひどいなー。ま、いいや。だから四位から八位の子達が、次の月には十位以下だったり、十位以下だった子が八位以上に入ったりしてるんだけど、その間あの子、リゼット・フローズヴィトニルの名前はずーーーっと九位にあるの。これ、絶対狙ってるとあたし思うんだ」
「確かにそれは、偶然にしては出来すぎてるわね」
「目立ちたがらない性格なのは普段の様子見てればわかるんだけどね、それでも常に九位をキープしてるのは、単純に九って数字が好きなのか、それとも一桁台の実力はありますよ、って主張なんじゃないかと思うわけですよ。で、狙って九位を取り続けられるってことは、実際の実力はそれよりも」
「上、ってことになるでしょうね」

 話を聞いてみると、抱いた印象以上におもしろい生徒であることがわかった。

「あとは・・・」

 一通り語り終えた様子のハルナは、最後にその視線をエリスのところで止める。

「エリス」
「ん?」
「このクラスですごいと思う人、五人目」
「・・・ふっ、とんだ買い被りだわ」

 そう言いながら、エリスは内心ほくそえんでいた。
 予想外に充実した会話ができた。
 ハルナ・ヒルディスの眼力は本物だった。少なくとも、表面に寄らずに他人の本質を見ている。その点だけで彼女を評価すれば、ハルナの序列は二十九位どころではない だろう。
 惜しむらくは、彼女の能力を正しく評価している者がいないことだった。彼女自身も含めて。

「で、どうだった? あたしの人を見る目、確かでしょ」
「まぁまぁね。アタシが目をつけた三人の内二人までは言い当ててたわ」
「ええ、嘘!? 一人見落としてるの? 誰だろう、うーん・・・・・・」

 両腕を組んで悩み出すハルナを楽しげに眺めながら、エリスはこの学園での生活も暇潰し程度にはちょうどいいと思い始めていた。
 多少なりとも興味を引く人間がクラスに三人もいるとは思わなかった。
 中でも、リゼット・フローズヴィトニル。あの少女のことは、いずれももっとよく知りたいと思った。

「ねーねー、あと一人って誰〜!?」
「よく考えることね。それがわかれば、あんたはきっと大物になるわよ」









 放課後になると、ハルナの案内で学内を見て廻ることになった。
 学園の敷地だけで小さな町一つ分に相当するだけの面積があるだけあって、実に様々な施設があるらしい。実際にそのほとんどを利用する機会はないと思っているが、せっかく案内してくれるというのを無下に断る理由もない。仮宿とする場所の地理を把握しておくことも大事と思い、こうして付き合っていた。
 エインフェリア科のSクラス・Vクラスはそれぞれ専用の校舎まで用意されており、基本的な科目はそこでだけで事足りた。何とも贅沢な話だが、卒業生が将来はいずれもどこかの街の何らかの要職に就く人材になると思えば、決して割りに合わない投資ではないのだろう。
 他のクラスの学生とも共有しているのは、学食、図書館、各運動施設などだった。さらに鍛錬場の奥には巨大な闘技場まであり、戦技大会をはじめとする全校生徒を挙げてのイベントが行われるのだという。

「半年に一回の戦技大会は目玉イベントの一つなんだにゃ〜。前回大会の決勝戦、雷羽さんとアリシアさんの一戦は白熱したよー」
「決勝の顔合わせがどっちもうちのクラスって、男子の方はどうなってるわけ?」
「ちゃんと強い人はいるよ。けど、今のVクラスが特別なのかな」

 その時、どこからともなく薔薇の花びらが一枚飛んできた。

「はっはっはっは、何やら愉快な話が聞こえてくるねぇ」

 やたらと気障ったらしい声と共に、無数の花びらが降ってくる。
 ハルナともども、まったく相手にすることなく立ち去ろうとしたのだが、素早く前に回りこんだ相手によって行く手を遮られてしまった。
 視界に入ってしまったので仕方なく相手の姿を見ると、声の通りに気障っぽい雰囲気の背の高い男子が気取ったポーズを決めて立っていた。口には薔薇の花をくわえており、後ろでは取り巻きらしき男女が花びらを振り撒いている。ちらっと後ろを振り返ると、おそらくその男子が通ってきたと思しき道に大量の花びらが落ちており、それを箒とちりとりで集めている数人の生徒の姿があった。大半は女子だ。
 改めて男子のことを見ると、顔だけは整った容姿をしており、周りに集まった女子達がキラキラした熱い視線を送っている。
 取り巻きを引き連れている点では、同じクラスのアリシアと同じだが、あちらよりも数倍鬱陶しそうな相手だった。
 はっきり言って、まったく関わり合いになりたくない手合いだった。ハルナも同じ思いのようだったが、諦めろとでも言いたげに肩を竦め、首を振っていた。

「やぁ、そこなリトルレディ、見かけない顔だね」
「何、あんた?」
「これは失礼。私はムスペル・エルザード。エインフェリア科Sクラスに在籍する、人呼んで、そう! 薔薇の貴公子」

 ニッと笑みを浮かべた際に覗いた白い歯がキランと光る。それを見た女生徒の一人が卒倒した。 他にも数人、目がハートになっている。顔だけはいいので、女生徒には人気がある男子らしい。
 もっともエリスは、“誰”であるかなど聞いていなかった。同じ人間とは思えない得体の知れない生き物に対して“何”であるかと問うたのだが、どうやら異種族には言葉の意味が正しく伝わっていなかったようだ。
 本人に聞いても無駄なようなので、代わりにハルナに目線で問いかける。

「う〜ん・・・まぁ、自己紹介の通りの人だよ。Sクラスの序列四位・・・」
「序列など! この私の溢れんばかりの気品と優雅さ、そして内に秘められ力強さを評価しきれないつまらないシステムに過ぎないさ。真実このSクラス、否! この学園のトップたるべき人間は、この私を置いて他にない」
「って言ってるけどこの人、前の戦技大会ではアリシアさんに負けてるから」
「トップには程遠いわね」
「うん。アリシアさんの良いところを全部取っちゃったような人かも」
「つまり口先だけ男ってことね」
「はっはっは、この私を前にそんなつれない態度を取るなんて、まったくシャイなレディ達だね」

 本当に言葉が通じないらしく、早くもエリスはうんざりしてきた。

「ところでヒルディス君、こちらの小さなレディのことを紹介してもらえないかね?」
「あ、あたしの名前覚えてるんだ」
「当然だとも。この学園の女生徒達は皆私の守るべき人達だからね。一度顔を合わせ、言葉を交わせば忘れたりはしないさ。しかしすまない、私の身は一つしかなく、君だけに全てを捧げるわけにはいかないのだよ!」
「いやー、それはこっちから全力でお断りしたいんだけど、えーっと、この子は・・・」
「阿呆に名乗る名前はないわ。それよりあんた、その守るべき相手に負けてるそうじゃない。それでよく偉そうにしてられるわね」
「守るべき相手だからこそ華を持たせてあげたのさ。女性は男に守られ、男の腕の中で花を咲かせる、そういう存在だからね」
「大した言い分だこと」

 所詮は学園のイベントとして扱われているような大会での話である。そこでの勝ち負けがそのまま実戦での優劣を決定付けるかと言えば、そうではないとエリスは思っている。この男が相応の実力の持ち主ならば、今の言い分を否定したりはしない。
 女が男に守られるべきという考え方も古いものではあるが、いまだに根強く残っている慣習でもあり、それについてどうこう言うつもりもなかった。おそらくこの男ほどはっきりと口には出さなくとも、同じような考え方の男子は学園にいくらでもいるはずだった。
 だから、次にムスペルが口にした言葉も予測の範囲内だった。

「戦いは男のもの、エインフェリア科の女生徒達、ヴァルキュリアクラスなんておままごとみたいなものさ。彼女達の姿は美しく愛しいものではあるが、最終的にそれを守るのは男の役目ということだよ」

 随分な偏見だが、エリスにはそれをあえて否定する理由は特になかった。
 言いたい奴には言わせておけば良い。
 だが隣にいる、そのVクラスの女子はそうではなかったようだ。

「ムスペル君、あたしのことは別にそう思っててもいいけど、まさかフローラ様やアリシアさん、うちのクラスのトップの人達にまで同じこと言わないよね?」

 初対面の時から常に楽しげな表情を浮かべていたハルナが、険しい顔で語気を強めている。相当腹に据えかねているようだが、そんなハルナの視線を受けてもムスペルの方はどこ吹く風で平然としていた。

「もちろん変わらないさ。麗しのフローラ姫を守るのは騎士を志す身としてこの上ない名誉だね。彼女こそ我が守護を受けるお方に相応しいと言えるかもしれない」
「バッカみたい! あんたなんかにフローラ様の騎士が務まるわけないじゃない」
「はっはっは! 私を差し置いてこの学園の誰にその大役が務まると言うんだね?」
「誰にも、よ。だって、フローラ様自身がこの学園のトップなんだから。フローラ様は、あたし達ヴァルキュリアクラスは、誰かに守られるためにいるんじゃない、誰かを守るため戦える人になるために学んでるんだ。女だからって見下してるんじゃない!」
「勇ましいねぇ。怒った顔も素敵だよ、ヒルディス嬢。けれど戦いは私達男のものだ。君達は戦う術を学ぶより、より美しく華やかになることに努めるべきだよ。そうすればいずれこの私が、この腕の中で花咲かせてあげても良い」
「こんのぉ・・・言わせておけば・・・! ちょっと、みんなはいいの!? こんな好き放題ばっかり言わせておいて!」

 怒りに身を震わせるハルナの矛先は周りに見ている女子達にも向けられる。こっそり観察していたが、ムスペルの言い分に不満げな表情を見せる女子は少なくなかった。 それにはさっきまでムスペルを見て顔を赤らめていた者達も含まれており、特にハルナがフローラの名前を出した辺りではそれが顕著だった。
 しかし、いざハルナから話を振られると、皆一様に顔を背ける。特にムスペルに熱い視線を向けていた者は、決してハルナと目を合わせようとしなかった。
 フローラの人望が高いことはここまで来る間にも多く窺うことができた。彼女達からすればフローラもムスペルもどちらも形は違えど敬愛する対象であり、その板ばさみになって何も言えないでいるのだろう。
 収まりがつかないハルナはさらに激昂してムスペルを睨み付ける。

「訂正して」
「何をだい?」
「あたし達のヴァルキュリアクラスはおままごとじゃない。みんな自分が目指すもののために頑張ってるんだ。それを認めなさい」
「うんうん、頑張っている女性は美しいね。私は君達を、とても麗しく思っているよ」
「いい加減に・・・!!」

 ハルナが平手を振り上げ、踏み込もうと一歩進み出る。
 けれどその足が途中で止まり、頬を張る音の代わりに、ハルナの息を呑む声がした。
 前に出かかったハルナの目の前に、薔薇の花が突き付けられていた。それは、一瞬前までムスペルが口にくわえていたものだった。
 おそらく、その瞬間を目で追えた者はほとんどいなかったろう。それくらいの早業だった。
 相当な剣の腕前がなければできない動きであり、この男が決して口先だけで喋っているわけではない証となっていた。
 突きつけられた花と現実を前にして前にも進めず、さりとて意地を張って後ろにも下がれず、ハルナが悔しげに唇を噛んで相手を睨み付ける。
 ムスペルの方の態度は、現れた時からまったく変わらない。

「怒った顔も悪くないが、やはり君には笑顔が似合うね。どうか笑っておくれ、ハルナ・ヒルディス君」
「〜〜〜〜〜!!」

 今にも地団太を踏み出しそうなハルナは、微かに目尻に涙まで浮かべていた。
 それを見たエリスは、自分がひどく不愉快な思いを抱いていることに気付いた。

「行くわよ、ハルナ」
「でもエリスぅ〜!」
「いいから」

 ハルナの腕を掴んで、エリスは踵を返す。引っ張られながら歩き出したハルナは、思い切り不満げな顔をしている。

「あんなのは放っておけばいいのよ。それで納得いかないなら、“これ”をあれだと思って毟ってやりなさい」

 そう言ってエリスが差し出したものをハルナは訝しげな目で見ていたが、やがてそれが何であるか気付くと、驚いた表情でそれと、それが本来あったはずの場所とを交互に見比べる。
 一転して奇妙なものを見るような表情を浮かべるハルナに、登場した時のように気障っぽいポーズを決めていたムスペルも不思議そうな顔をしている。
 しばらく唖然としていたハルナだったが、その内堪えきれなくなったように吹き出した。

「ぷっ、あっはははははは! そ、それは、ちょっと、あはははは!」
「ど、どうしたんだい、急に?」

 突然自分の顔を見て笑い出したハルナに戸惑うムスペルだったが、段々何かに気付いたように周りの他の生徒達も笑い出したことでさらにうろたえる。

「な、なんだと言うんだい?」

 それでもお得意のポーズを崩さない辺りは見事と言えなくもないが、とうとうそれを仕掛けたエリス自身も、その滑稽さに笑みを漏らした。

「あんた、今自分が何くわえてるかわかってる?」
「なんだって?」
「これ、何だと思う?」

 エリスは、ハルナに見せたものを顔の高さに掲げてみせる。
 それはついさっきまで、ムスペルがくわえていたはずの薔薇の花だった。

「!?」

 驚愕に目を見開いたムスペルは、口元に手をやり、自分が薔薇だと思ってくわえていたものを手に取った。それは、学園の購買で売っているペンだった。
 先ほどのムスペルのそれを上回る早業。おそらくこの場の誰も、その瞬間を認識してはいない。

「それ、さっき買ったんだけど、お近づきの印にあげるわ。良く似合ってるわよ、ペンの貴公子さん」

 周りからドッと笑いが起こる。涙を流すほどの勢いでお腹を抱えて爆笑しているのは、ハルナだった。
 ムスペルの方はそれまでの余裕が崩れ、エリスがあげたペンを握った手を小刻みに震わせていた。そのままペンを圧し折るのではないかと思ったが、フッと力を緩めると、ペンを胸ポケットへ仕舞い込んだ。
 微笑を浮かべて余裕を保とうとしているが、頬が引きつっている。

「ふふっ、これはこれは素敵な贈り物をありがとう、リトルレディ」
「どういたしまして」
「お礼と言っては何だが、君には少し女性の男性に対する接し方というものを教えてあげたいのだがね」
「あら、フェミニストの仮面はもう返上かしら」
「誤解しないでくれたまえ、これは教育だよ」
「そう。じゃあ皆にもよくわかるように見せてあげないといけないわね、何が正しいのかを」

 どうにも、ダメそうだった。
 学園ではおとなしくしていよう、目立ちたくない、というのは本心だった。
 しかし、こうした不愉快な輩を前にすると、つい言葉が荒くなる。そして、こちらの挑発的な態度に相手が乗って喧嘩を売ってくるようなら、それを買うことは厭わない。
 冷静な部分では、またトラブルを起こしてしまったと反省するのだが、やるとなったら止まることはなかった。

「男と女の違いを教えてあげよう、リトルレディ」
「やってみなさい、お坊ちゃま」

 笑っていられない事態に発展していることに周りも気付いていたが、既に歯止めが利かない状況にまで来ていた。
 元より自分から口出しもできない者達に、そんな度胸があるはずもない。事態の発端であるハルナはと言えば、むしろエリスを囃し立てていた。
 どうなるものかと皆がハラハラした面持ちで見守る中、誰かの叱咤が飛んだ。

「やめないか!」

 ピクリと、その声に特に強い反応を示したのは、当事者の片割れであるムスペルだった。それから周囲の生徒達もどよめき出し、その一角が割れて一人の男子が姿を見せた。
 ムスペルほどではないが長身で、眼鏡をかけた知的な雰囲気をまとった男子だった。
 さらにその後ろから、ムスペルと同じくらい長身で整った顔立ちの美形と、二メートル近いスキンヘッドの巨漢が続いてやってくる。

「これは副会長殿、こんなところで奇遇だね」
「ムスペル・エルザード、他の生徒の模範となるべき序列上位に列する者がこんな騒ぎを起こすのは感心しないな」
「失礼、騒がしくするつもりはなかったのだがね。ただこちらのレディ達に、世の中の在り様というものを説いていただけだよ」
「何であろうと構わん。校内での私闘は禁止だ。全員今すぐ解散しろ」
「私闘と呼ぶほどのものではないのだが・・・まぁ、ここは副会長の顔を立てておくことにするよ。残念だがそういうことだ、レディ達。また機会があれば指導してあげよう」

 あっさりと矛を納めたムスペルは、副会長と呼ばれている男子を宥めるように両手を胸の前で振りながら数歩下がり、踵を返した。
 本人はそのまま颯爽と立ち去ったつもりのようだが、先ほどペンをくわえていたイメージがまだ残っていたため、見ている側からするとまったく格好がついて おらず、ところどころで失笑が洩れていた。ただ、退き際だけはなかなか鮮やかだと言えるかもしれない。それがどういう心境によるものかは別として。
 興醒めではあったが、エリスにすれば面倒なことにならずに済んで良かったところだった。

「エリス・フレイヤ」
「ん?」

 片付いたのならさっさと立ち去ろうとしたエリスの前に、副会長とやらがやってくる。

「君も、編入早々問題を起こすような真似は謹んでくれたまえ。いくらフローラさんの推薦とはいえ、そうした行動は許容し難い」
「・・・・・・こいつも同じようなことを・・・」
「何か?」
「いいえ。ごめんなさい、以後気をつけるわ、副会長さん」
「Sクラス序列一位、学生会副会長、アウル・シュタインだ。覚えるかどうかは君の自由だが、僕は二度名乗るつもりはない」
「覚えておくわ、あなたがそれに値する人間なら、ね」
「ふん」

 指で眼鏡を押し上げながら鼻を鳴らし、アウル副会長は回れ右をすると背中に定規が入っているような姿勢で、メトロノームのような正確な歩調で歩いていった。その行く手でまだ残っていた生徒が慌てて道を空ける。副会長の威光は、それなりに高いようだ。
 アウルと共に現れた二人の内、スキンヘッドの男子はエリスとハルナのことをつまらないものでも見るような目で一瞥してから、アウルに続いて立ち去っていった。
 あとの一人が、整った顔に人懐っこい笑みを浮かべてエリスを見ていた。

「エルザードの坊ちゃんはともかく、アウルの奴の仏頂面を前にしてあんだけ皮肉っぽく話せるなんて、あんたなかなかやるねぇ」
「ああいう他人を見下した態度の奴が嫌いなだけよ。あっちの気障坊やも、副会長殿もね」
「手厳しいねぇ。俺は殊勝な態度を心がけるとするよ。Sクラス序列二位、スレード・ゼフィリスだ。もう一人いたでかい奴は序列三位のベルガー・ガイウス。ま、気が向いたら覚えておいてくれ」
「ええ、気が向いたらね」

 笑いながら手を振って、スレードも去っていくと、その場にはエリスとハルナだけが残った。
 ようやく静かになったところで、頭に上がった血も引いていく。
 また余計なトラブルを起こすところだった。もっと落ち着いた人間にならねば。こうした出来事の後は常々思っているのだが、なかなかそれが次に活かされることはなかった。
 己の困った性格を憂いていると、ハルナがキラキラした目でエリスの顔を覗き込んできた。

「エリス〜!」
「何よ」
「あなた最高!」

 ガバッと抱きつかれる。

「ペンくわえてるムスペル君とか傑作だったよ! 溜飲が下がる思いだったね、も〜〜〜エリス、愛してる〜!」
「変なテンションの上げ方してるんじゃないわよ。まったく、アタシはあまり目立ちたくないっていうのに」
「決めた! あたし、あなたと一緒にこの学園生活を彩りに満ちたものにするよ!」
「・・・人の話を聞きなさい」
「あたし達親友だねっ、エリス!」
「どうでもいいわよ」

 口では突っぱねるようなことを言いながら、エリスは抱き付いているハルナを無理矢理引き剥がそうとはしなかった。
 先ほどのムスペルの態度に腹を立てたことといい、思った以上に自分はハルナのことを気に入っているようだとエリスは気付いた。学園生活を共に送る友人として、この関係が続くのも悪くないと思った。
 彩りに満ちる必要は、あまりないが。

「ね、ね、エリスは寮に入るの?」
「ええ。そういえばこれからその手続きがあるんだったわね」
「あのね、あたしの隣の部屋って空いてるんだ。そこにしなよ! で、お互いの部屋で泊まりっことかしよ♪」
「好きにすれば?」
「う〜〜〜ん、楽しくなりそうだーっ!」

 やれやれと肩を竦めるエリスだったが、その表情はまんざらでもなさげに柔らかなものだった。



















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