デモンバスターズ Valkyrie



   STAGE 02 『魔人 と 呼ばれた 男』

            
Bパート





















 昔、何かの仕事で組んだ仲間内で、こんな問答をしたことがあった。

「一人で何十人も相手に戦わなきゃならなくなったらどうする?」

 力自慢の屈強な戦士はこう答えた。

「わしなら逸早く敵の頭を叩くな。そうすれば相手は乱れて、多勢でも付け入る隙ができる」

 卓越した技量を持った剣士はこう答えた。

「まずは引いて、狭い場所に誘い込む。そうすれば挟み撃ちにされることもなく、一度に相手にする人数はせいぜい数人となり、よほどの腕利きがいない限り、私が遅れを取ることはなくなるだろう」

 猪突猛進な若いランス使いはこう答えた。

「とにかく一点突破っしょ。こっちが一人なら相手は取り囲んでくるだろうし、そうなれば面は薄くなるから、そこに突破口がある!」

 口達者なトレジャーハンターはこう答えた。

「とっとと逃げるね、俺は。それが無理なら降参して、上手く言いくるめてやっぱり逃げる。一人で大勢とやり合うなんてあほらしいだろ」

 そしてエリスはこう答えた。

「アタシも逃げるでしょうね。理由もないのにそんな戦いする必要はないし。けど、助けが来る望みがあったり、どうしても退けない理由があったりしたら・・・とりあえず動く。足を止めないこと。撹乱して乱戦に持ち込めば、何らかの勝算は見出せるでしょうからね」




 ふと思い出した問答で、全員の答えに共通していたことは、とにかく先手を取って動くことだった。
 敵の頭を叩く、有利な場所に誘い込む、一点突破を試みる、逃げる。いずれの行動もエリスの言った、とりあえず動くという点に事は集約される。四方を敵に囲まれた状態で足を止めるというのは、自ら的になるようなものだ。集団はどうしたって判断から行動までに時間を取られるため、目標を定めさせなければその意義は大きく失われることになる。
 自身が単独であることの利点を最大限に引き出し、相手が集団であることの利点を失わせる。それが一対多数のセオリーだとエリスは思っていた。
 だから、あの男のやっていることはナンセンスだった。
 祐漸は戦闘開始から、まったくその場から動かなかった。

「フッ――!」

 左から私兵団が三人がかりで剣を振るって迫れば、右手に持った槍剣を背中を通して持ち換え、下から掬い上げる一撃で繰り出された剣を弾き、手首の返しで得物を旋回させると、三人の胴をまとめて薙ぎ払った。

「ふんっ――ハッ!」

 マフィアの組員が先に突っ込んだ者達を囮にして、槍剣を振り抜いた後の隙を狙おうとすれば、薙ぎ払った一撃の勢いを殺さずにそのまま一回転し、続いて向かってきた相手を迎え撃つ。
 離れた場所からボウガンで狙われると、得物を回転させて矢を弾き、近付いてきた一人の首根っこを浮かんで射手に向かって投げ飛ばす。
 三度、四度、祐漸の槍剣が振るわれる度に悲鳴が上がり、次々と男達が倒れ伏していく。
 馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
 たったの一歩だ、祐漸が動いた距離は。
 左足を支点に、右足だけを前後左右に動かして体の向きを変えながら、向かってくる相手を撃退していっている。
 50人という多勢を相手に、祐漸はひたすら“待ち”の姿勢で戦っているのだ。
 当然、一方からのみ襲い掛かっても通用しないと悟った相手は両側から挟み撃ちにもしようとした。さらには四方から、さらには八方から一斉に剣を突き出すなど、出来うる限りの攻め方を試していた。だというのに祐漸は、その尽くを僅かな動きのみで跳ね返していく。
 まるで結界だ。
 祐漸が持つ槍剣の間合いの内側に踏み入った者は、例外なくその一撃を受けて行動不能な状態にさせられる。誰一人として、祐漸の身まで刃を届かせることができない。いくらリーチが長い得物とはいえ、取り囲まれた状態でここまで攻撃を凌げるなど並大抵のことではない。

(並大抵じゃないなんて言い方が生温いわね。異常だ、こいつ!)

 しかも、である。

「どうしたおまえら、もう息切れか?」

 十人、二十人と打ち倒しておきながら、祐漸自身は息一つ乱していなかった。いくら最低限の動きしかしていないとはいえ、扱っている武器が凄まじい重量を持っているのだ。あれを振り回すだけで相当な体力を使うはずなのに、その使い手はまるで疲労というものを知らなかった。むしろどうにかして祐漸の隙を突こうと周囲を動き回っている私兵団とマフィアグループの方が疲弊していた。
 精神的なものもあるだろう。数の上で圧倒的有利に立っていたはずなのに、まるで歯が立たない現状は、彼らの士気に大きく影響している。
 エリスは知らないが、この時彼らの誰もが、祐漸という男の異名の意味を知ることとなっていた。
 “魔人”。
 まさしくその男は魔人であった。人間の常識の範疇を大きく逸脱した力の持ち主だった。

「そろそろ終わりか?」

 さらに三十人、四十人と倒された。
 もう残っているのは両陣営の頭目と、その周りを固めている数人だけである。どう見ても、もはや勝負はついていた。いくら二つの陣営が入り混じっての戦いで、連携が取れていなかったとはいえ、こうも一方的なものになるとは想像できなかった。
 その光景にじっと見入りながら、エリスは考え込む。
 果たして自分が50人相手に戦って、これほど鮮やかに勝てるだろうか。
 答えは、イェスには違いない。現にエリスはつい先ほど、倉庫内で十人相手に余裕の勝利を収めている。同じレベルの敵が50人に増えたところで、負けはしないだろう。
 しかしあの男のように、その場からまるで動かずに戦うなどという真似はできない。
 エリスの身体能力が見た目通りのものではないとは言っても、やはりその身が華奢な少女のものであることには変わりがない。押し包まれて攻撃され、もしダメージを負うようなことになれば、一気に不利な状況に立たされる。これはエリスでなくとも、以前熊のような男が何人もの敵に囲まれ、四方から無数の傷を負わされて倒されるところを見たことがあった。集団を前に動くことをやめるのは、それほどに危険を伴うのだ。
 だが祐漸という男はそれをやった。それもまだまだ余裕があると言いたげな表情で。
 これほどの人間がこの世にいるのかと戦慄する。
 端で見ているエリスでそうなのだから、直接刃を交えている者達の受けている衝撃はその比ではないだろう。双方の頭目はまだどうにか喰らいつこうとしているが、残りの者達はもう完全に腰が引けていた。
 そしてついに、どちらも折れた。

「引け! 引けぇ!」
「ちくしょうっ、覚えてやがれ!」

 示し合わせたように私兵団もマフィアも、倒れた仲間を助け起こして逃げ出していった。祐漸はそれを追おうとはしなかった。
 辺りに静寂が戻った。
 けれどエリスの心臓は、早鐘のように脈打っていた。

(うるさい黙れ、ちょっと落ち着けアタシ!)

 冷静になって考えれば、化け物みたいな人間を見るのははじめてと言うわけではない。
 一人で大勢を相手にするというのも、味方の支援がある状況でならば、それこそ数百人という軍勢を相手に立ち向かっていった剛の者も戦場にはいた。神技としか思えないような腕前を見せる剣豪とも会ったことがある。
 今までに見て来た中でも、祐漸という男がトップクラスの実力を持っていることは確かだが、それでも自身と比べてまったくの別次元の存在というわけではない。
 なのにどうしてか、この男は格が違うと感じるのだ。
 敵が何者であろうと、自らの勝利を疑わず、決して引くことのない姿勢で戦いに臨む、戦いの申し子のような男。
 まるで“戦神”のようだと、エリスは思った。
 この男が世界最強なのだと言われても、今なら納得してしまいそうだ。それほどまでに祐漸の戦いは衝撃的なものに映った。

(たかが・・・どこかの権力者の私兵や、マフィアの連中、大した相手じゃない。なのに・・・)

 相手が何であったかなど関係ない。
 ただ、彼の戦いは美しかったのだ。
 認めたくないが、見惚れていた。

「いつまでも隠れてないで、出てきたらどうだ」

 だからそれが自分に向けられた言葉だと気付いた時、心臓が跳ね上がった。
 気付かれた。いや、当然かもしれない。気配を消すことすら忘れていた。
 エリスは観念して、倉庫の影から歩み出る。

「よう」
「・・・・・・」

 気心の知れた相手に接するように声をかけてくる相手に、鋭い視線で応える。
 祐漸は軽く肩を竦めると、槍剣の切っ先をエリスに向けて突き出した。

「・・・・・・何のつもり?」
「・・・くっくっくっく」
「・・・何がおかしいのよ」

 怒気を込めて問い詰めても、祐漸はおかしくて堪らない様子で肩を震わせ、口元を歪める。

「何のつもりか、だと。そんな眼で人を見ておいて、そんな滑稽な質問をするのか?」

 わかっている。自分がどんな眼で相手を見ているのかくらい、他ならぬ自分自身が一番よく知っている。
 望んでいるのだ。対峙している相手、祐漸が求めているのと同じことを、エリス自身も。
 けれど、自分からそれを口にしてしまうのは、認めてしまうのは許せなかった。自分で抑制できない、もてあましている感情など、認められるわけがない。

「・・・なるほどな、それがおまえの矜持か。なら何も言わなくていい。ただ、剣を抜け」

 背の包みを指して祐漸が言う。そこに剣が納められていることが見抜かれている。 それを抜いて自分と戦えと、この男は言っているのだ。ただ、強敵と出会ったというだけの理由で。
 普段のエリスならば、付き合う義理はないと判じるところだ。しかし例によって、体はこの場に留まることを主張している。
 まだ迷いはあった。
 だがもはや、逃げられるタイミングはとっくに逸していた。ならば今は、この男の挑戦に応じる以外の道は、残されていない。

「後悔しても――知らないから!!」

 怒声を放ち、エリスは背負った包みを紐解くと、前方に向けて投げ放った。









 白い布が視界一杯に広がる。
 押し広げられた包みの布が少女の姿を覆い隠した。遮られた視界の向こう側で少女が動く気配を感じ取るが、どちらへ向かって動いたかはわからない。だが、一瞬視界を遮られたのはどちらにとっても同じこと。祐漸から少女の姿が見えないように、少女の方からも祐漸の姿は見えないはずだ。
 ここは次の判断が重要な場面である。
 祐漸はあえて、その場から動かなかった。
 おそらく視界を確保するために左右か後方へ動けば、先に動き出した相手に隙を突かれる可能性がある。ならば動かずこの場に構えて、どちらから仕掛けられても対応できるように備える。

(右か、左か、それとも上か)

 動き出した瞬間の気配は、微かに左へ向かっていたようにも思えた。

(なら、それをフェイクにした・・・右か!)

 予測は、半分までは正しかった。
 相手の攻撃の手は、祐漸から見て右手から視界に入ってきた。しかし目に映ったのは剣の刃の部分だけで、それを持つ少女の姿は広がった布に隠れたままだった。
 まさか正面からとは、ほんの少し虚を突かれた祐漸だったが、それならばそれで対処できるだけの余裕はある。
 右側から突き出た剣が斜め下から逆袈裟に振るわれる。
 その時、祐漸が感じた違和感は、二つ。

(浅い?)

 小柄な少女である。リーチは短いはずで、その位置から振るっても祐漸の体には届かない。
 布で視界を遮られているため、正確な間合いが計れていないのか思ったが、そんな程度の相手ならば祐漸がこれほど気にかける道理はなかった。
 間合いの広さはそれだけで強みとなる。長身で長大な得物を持つ祐漸は、リーチの点で圧倒的優位を持っている。逆にあの少女は、その点で大きなハンデを背負っている。ゆえにこそ、間合いの計り方に誰よりも優れていなければ、高い実力を得ることは適わないはずだった。
 祐漸ほどの男が自ら戦いを挑まんとした相手である、こんなことで間合いを読み違えるはずがない。
 そしてもう一つの違和感は、祐漸の並外れた動体視力がなければ気付かなかった。
 振り抜かれた剣は、刃が立っていなかった。
 布が取り払われ、視界が開けると、迷いのない眼で一直線に踏み込んでくる少女の姿があった。

(オレが動かないと読んでいたか! だがこの位置からならオレの槍の方が速い!)

 大胆にも正面から向かってきた判断とその勇気には感心するが、布を剣で払ったのは失敗だった。牽制のつもりだろうが、その一手の分、次の動きは少女の方が僅かに遅れる。長大な武器を持つ祐漸に対して少女の方が小回りが利くのは確かだが、それでもこの位置取りならば、祐漸の方が後の先を取れる。
 真っ直ぐに向かってくる相手の眉間に狙いを定め、槍剣の穂先を突き出す構えを取る。
 しかし少女の動きは、祐漸の予測をさらに一手上回った。

 ヒュッ!

 槍剣が繰り出されるよりも速く、少女の放った一撃が祐漸の顔面を襲う。

(二刀か!)

 右手の剣を振り抜く反動を乗せて、体を半回転させた勢いで左手の剣での刺突による攻撃。布で視界を遮ったのは、自らの姿を隠すためではなく、二振りの剣を抜く瞬間を見せずにこの奇襲を行うためだったのだ。
 先に感じた二つの違和感がなければ、この一手をかわすことはできなかったかもしれない。頭の隅に僅かに警戒する心があったからこそ、頭を逸らせて刺突を避けることができた。
 左右の手に持った双剣による奇襲。だが祐漸はこれを凌ぎきった。
 今度こそ、少女の方に隙が生まれる。
 頭を逸らしたことでバランスを崩しかけながらも、祐漸は槍剣を振るうべく少女の姿を探す。

 バキッ!

 だが、祐漸の目が少女の全身を捉えることはなく、代わりに視界一杯に広がったのは、彼女の靴裏だった。

「――がっ!?」

 不覚を取った。
 本命と思った刺突による攻撃の後に、さらに蹴りが来るとは読み切れなかった。三段構えの攻撃に恐れ入った。
 刺突をかわすために体勢が崩れかけていたため、踏み止まることはできなかった。二、三歩たたらを踏んだ後、地面を蹴って後方へ跳び下がり、間合いを取った。
 少女は追撃してこようとはせず、右の剣に絡まった包みの布を取り払っていた。
 蹴りを受けて曲がりかけた鼻の頭を撫でる祐漸を、少女は面白くなさそうな目で睨んでいる。

「やっと動いたわね」
「何?」
「むかついてたのよ、さっきからその場から全然動かないで戦ってるその余裕が」
「・・・・・・はっ」

 思わず笑いがこぼれた。
 とてもおかしくて、戦いの最中だと言うのに顔を覆って笑い出しそうになるのを堪える。
 今の三段攻撃、読み切れないはずだった。最初の奇襲で祐漸を倒しに来るものと思っていたが、少女にとって今の一連の攻撃は、祐漸をその場から動かす ことに主眼を置いたものだったのだ。見ているものが違うのだから、動きを予想できないのは当然だった。
 何ともひねくれた性格をしている。祐漸の戦うスタイルが気に食わないからと、それを崩すためだけに先制の一手を費やすとは。

「やはりおまえは違うな、オレが今までに会ってきた連中とは」

 型にとらわれない考え方は、祐漸の好むところだった。

「おもしろいな、おまえ」
「アタシはおもしろくないわ。あんたを見てると妙にむずむずする。こんな無駄な戦いに興じたくなんかないっていうのに」
「それは残念だな。同じ気持ちを共有できたら楽しいと思ったんだが」
「確かに残念ね、気が合いそうになくて」
「ああ、だがひょっとすると、おまえがオレの・・・・・・」

 この少女こそ、祐漸が求めていた相手かもしれないと思わないこともなかった。
 けれど確信するだけのものはない。
 何より、はじめは自分の同類かと思ったのだが、どうやら彼女の本質は祐漸とはかなり違う部分にあるようだった。戦いに生きる者としての素質はある、が、その理由や目的がまるで違う。これでは祐漸の望みを叶える相手とはなりえないだろう。
 残念に思うが、それとは別に、この少女に対する興味は薄れるどころか逆に強くなっていた。
 正面から不覚を取るなど、ひさしぶりだった。

「オレは祐漸。おまえは?」
「名乗る義理はない」
「なら、名乗りたくさせてやろう」

 “待ち”の構えから後の先を狙う“静”のスタイルはやめ、相手のリクエストに応えて“動”の戦いをしよう。
 槍剣の柄に両手を添え、腰の高さに構える。

「行くぞ、女!」









 穂先の点が、面になるほどの勢いで眼前に向けて突き出される。
 全身に重圧を感じるほどの突撃。さすがに槍の使い手だけあって、先ほどエリスが繰り出したものとは比べ物にならないほど洗練された突きだった。巨大な武器の重量と合わせて、大岩をも砕く一撃と言えるだろう。
 まともに喰らえばただではすまないが、避けられないものではない。
 左足を引き、半身になりつつ全身を横へずらすことで、突きをかわす。

「それで避けたつもりか!」

 しかし祐漸の攻撃はそれで終わりではなかった。
 突き出された槍剣は、刃を左右に向けた水平の状態で繰り出されていた。エリスがかわすと、祐漸は即座に前後の動きから左右の動きへと切り替える。
 槍という武器はその見た目から突き技が主体のように思われがちだが、その実、長柄武器の真髄は払い技にこそあるとも言われている。ましてや祐漸の武器には大型の刃がついており、払い技は広範囲の斬撃となり、回避困難な驚異的な攻撃となる。
 本来ならば、これほど巨大な武器を自在に操れる者などそうはいない。逆に言えば、使いこなしさえすれば、絶対的な攻撃力を得ることができるのだ。
 ただしそんなことは、対峙した瞬間からエリスにはわかっていた。

「そっちこそ、それで当てたつもりか!」

 横へかわした直後、祐漸が槍剣を薙ぎ払うよりも早く、エリスはその場で身を屈めた。

「ぬぅ!」
「いくらそれを自在に扱えたって!」

 突きと払いの二段構えの攻撃を回避すると同時に、低い姿勢から剣を振り上げ、斬り付ける。
 敵もさるもの、この一撃は後退して回避した。
 だがエリスの攻勢はそこで止まらず、左右の剣を交互に連続して振るい、さらに押し込んでいく。

「そんだけでかければ、攻撃の型はどうしたって限られる!」

 攻撃の軌道は直線的で、型としては突くか、振り下ろすか、薙ぎ払うかの三つに大別して分けられ、そのいずれも大振りが基本となる。常人離れした膂力で即座に切り返せるとしても、小回りの利くエリスが死角に廻り込む方が速い。
 初撃をかわし、後は反撃の暇を与えずに攻撃を繰り返せば、勝勢は一気に傾く。

「間合いに入りさえすれば!」
「そうかな!」
「なっ!?」

 だがここで予想外なことに、後退を繰り返していた祐漸が突如として前へ踏み出してきた。
 両者の体がほとんど密着するほどに接近する。これだけ近付けば当然ながら槍も使えないが、エリスの剣とて振るうことができない。

「このっ!!」

 それでも無理矢理刃を押し付けて引けば、肉くらいは斬れる。エリスは右手の剣を相手の腹に押し付けようとするが、槍の柄から話した祐漸の左手が鍔元の刃を掴んでそれを止める。
 さらに祐漸は槍剣を逆手に持ち換え、エリスの背を狙うが、逸早くそれを察知したエリスは相手の体を支点に半回転し、背後に廻り込む。
 背中に廻ったエリスに向けて、祐漸は右側から槍剣を回して背後を攻撃せんとするも、エリスの左の剣にそれを阻まれる。
 エリスの右の剣は祐漸の左手に掴まれたまま、左の剣と槍剣とが交差した状態で、両者は背中合わせに動きを止めていた。

「ちっ」

 このままでは、どちらも迂闊には動けなかった。
 強引の右手を引けば、剣を掴まれている左手を斬って抜け出すことはできるが、そのための力を込めた瞬間に致命的な隙が生まれる。素手で剣を掴むなど大胆不敵にもほどがあるが、左手と引き換えに勝ちを得られれば充分という思い切りの良さに感嘆する。
 共に左右をがっちり固めている状態にあり、どちらか一方に力を込めると拮抗が崩れ、隙が生じる。
 もっとも普通なら、この形はエリスの方が圧倒的に不利だった。何と言っても体格差があり、長身の祐漸が小柄なエリスを上から押し潰そうと力を込めれば簡単に勝負がつくはずだった。しかしそこに誤算がある。エリスの力が見た目通りではないということだ。

「ハッ、組み付けば押さえ込めるかと思ったんだがな、なかなかどうしてその小さい体のどこからこんなパワーが出てくるんだか」
「お生憎様、あんたの三倍はありそうな大男と力比べをしたことだってあるわよ」
「スピードはそっちが上で、パワーも互角となると、オレの方が不利だな。間合いの広さは、おまえの動きに対しては優位になり得ん」
「わかったらとっとと降参して尻尾を巻いて逃げたらどう?」
「そうはいかん、これだけ楽しいのは久しぶりなんだ。とはいえ、このままじゃ埒が明かんな」
「そうね」
「三つ数えたら分かれるか」
「いいわ・・・・・・1」
「2・・・」

 「3!」の掛け声と同時に、それぞれ相手の左右の手を封じていた力を緩め、背中合わせの状態から分かれる。
 一歩間合いを離れたところで振り返り、互いに正面から向き合う。
 この時点でエリスは無傷・・・・・・いや、最初の突きをかわす時に避けきれず、頬が僅かに裂けている。対する祐漸は左手の掌から出血していた。傷は浅いように見えるが、あの状態で槍剣を握ることはできないだろう。
 エリスの方が、僅かに有利。にも関わらず、祐漸の表情には余裕すら見て取れる。

「ほんとむかつくわね、あんた」
「そうか?」
「その“オレが最強なんだ”って顔に書いてあるところがね!」
「そいつは仕方ない、実際そう言われて育って来たんでな。だから知りたいんだよ、オレは」
「何を?」
「本当にオレが最強なのか、をな」
「・・・あんたより強いと思う奴くらい、アタシは知ってる」
「オレもだ。だが不思議と、そんな奴らと戦ってオレは一度も負けたことがない」
「一度くらい負けた方がいいわよ。そうすればその態度も少しは殊勝になる」
「それができる奴を、オレは探してるのさ」
「迷惑だわ。アタシにそんな役を求めるな」
「そう言わずにもう少し付き合えよ。もう少しで、見極められそうだ」

 祐漸は傷を負った左手を一度グッと握り込むと、そのまま槍剣の柄に添えた。とても力を入れられる状態とは思えないが、痛む素振りもなく、構えた穂先にもまったく乱れがない。
 怪我をした手で構えているとは思わない方がいい、とすぐにエリスは考えを切り換えた。
 この男はまだまだ万全の体勢で戦える。それどころか、まだ全力を出していないだろう。もしもこれ以上の強さを見せられたら、エリスも出し惜しみをしているわけにはいかなくなる。
 不本意ながら、エリスも全力を出さなくてはならないかもしれなかった。
 剣を握る両手に力を込め、腰を落として次の動きに備える。
 槍剣を構えた祐漸も、動き出すために全身のバネを縮ませている。
 再び両者が動き出そうとした時だった――。

「そこまでです」

 穏やかだが、凛とした声が二人の間に割って入った。
 張り詰めた糸を断ち切る鋭さと、高揚した気持ちを静める柔らかさとが共にこもった声で、エリスも祐漸も完全に動くタイミングを逸してしまった。
 先に表情を崩したのは祐漸で、構えも解いたためエリスも剣の切っ先を下ろす。

「せっかくいいところだったのに、邪魔してくれたな、ジークリンデの姫」

 姫と呼ばれた人物に目を向けると、エリスと同い年くらいの少女が歩いてくるのが見えた。長い髪の美しい少女で、穏やかな雰囲気の持ち主だったが、二人の戦いを止めた凛とした声の主が彼女であることもすぐにわかった。
 視線に力があった。鋭さが表面化しているようなところはまったくないが、眼光だけで複数の人間を従えることができるだろうと思われた。それだけの存在感があった。
 なるほど、どこの誰かは知らないが、祐漸が“姫”と呼んだのは言い得て妙だった。
 少女は十数人ほどの軽武装の男達を引き連れていた。その男達に連行されているのは、先ほど祐漸にやられて逃げ出して行った二つの集団の者達だった。少女の指示を受けて、数人が倉庫の中へ向かい、ほどなく中でのびていた者達も連れ出してきた。
 そのまま彼らは連行され、男達は少女と二、三やり取りをした後、挨拶をして去っていく。
 残った少女は、笑顔を浮かべてエリスと祐漸の下へやってきた。

「申し訳ありません、こちらから水を差しておいてお待たせしてしまって」
「構わん。どの道あんたが出てきた以上、今日はお開きだ」
「お話が早くて助かります。できれば普段からもう少しご自重くださると、みなさん助かるのですが」
「検討はしといてやる」

 どう見てもまったく検討する気のなさそうな態度で明後日の方向を祐漸は見ている。その様子に少女は苦笑して、今度はエリスの方へ向き直る。

「こちらの方は、この街の方ではありませんね」
「わかるの?」
「はい。この街の方々、特に同年代の方のお顔と名前はほぼ把握していますので」

 本当だろうか、と思ったが、少女の微笑からその真偽を探ることはできそうになかった。
 どちらにしても、余所者と見抜かれてエリスが困るような要素は特にない。

「そうよ、この街には今日はじめて来たわ。まったく、着いて早々散々な目に合ったわ」
「申し訳ありません。私の家は、この街の治安を守る役目を負っているのですが、至らない部分があり、遺憾に思います。あ、申し遅れました、私は、フローラ・ジークリンデと申します。よろしければ、あなたのお名前をお聞かせ願えませんか?」
「・・・・・・エリス・フレイヤよ」

 不思議だった。祐漸に問われた時は突っぱねたというのに、フローラというこの少女に問われるとすんなり名乗る気になった。
 それに気付いた祐漸が意味深な視線を向けてくるが、無視することにした。しかし、結果としてこの男にも名前を知られることになってしまい、そう思うと何となく負けた気分で苛立った。
 眉間に皺がよりそうになるが、フローラの笑顔を目にしていると自然とそれが和らいだ。
 なかなか、人を和ませるのが得意な人間だった。

「で、治安維持のために暴れてた余所者を逮捕するのかしら、フローラ姫さん?」

 名前と一緒に、祐漸が呼んでいた姫という呼称をつけて皮肉っぽく尋ねる。どうにもこの相手には勝てそうにない雰囲気があって、それを跳ね除けるために突っ張った態度になってしまっていた。
 エリスの態度を気にした風もなく、フローラは首を左右に振る。

「いいえ、そんなことはしません。状況から見て、エリスさんは被害者に違いありませんから」
「そう、ならいいわ」
「ただ少し、個人的にお話してみたいことがあるのですけど、よろしいですか?」

 軽く首を傾げて尋ねてくるフローラに、エリスは少し考えてから頷いた。



















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