それから、「自由の橋」という国境最北の地にも行った。そこには見慣れない風景があった。鉄条網と銃を携えた見張りの兵士。緊張の国境を抱えた国の実情なのである。平和ボケと言われる我が国の一員である私にとって違和感を感ずるどころか、まるで映画のセットを見ているかのような、現実の光景であるという実感が湧かない。陸続きの境界地にはそれぞれ4Kmの緩衝地帯が設けてあるそうなので鉄条網の外側も南なのだが侵入者監視の見張り小屋が延々と配置されている。よくよく考えて思い直せば恐ろしい光景なのだ。

この国の場合、同じ民族同士で国境を隔てなければならないということが、さらに悲劇的なことである。第2次世界大戦の戦後を現在も色濃く引きずっている国がここにあったのである。*1

ウチの猫の名前は「金太郎」、ヒマラヤンのオスで「オナカが空いた時だけしか人間共には用事はない!」とばかり可愛げナシ、腹が立つから「アホ金」と呼ぶ。朝鮮半島の諸問題が一向に改善されないのは同名の北のならず者のせいであることは周知の通り。ウチの「アホ金」は気位が高く卑しさは微塵もないが、彼のアホ金やることはヤクザ以下、今では死語かもしれないが「下衆(種)」という言葉がピッタリである。

北では知識人は絶滅させられてしまったのだろうか、粛清の恐怖で口を開くことができないのであろうが、国のありようを憂い恥じている人が間違いなくいるであろうと想像する。これもまた大きな悲劇である。


*1:北方領土、沖縄の基地問題もそれであるが。
このHPがどれほどのものか想像もできないが、こんなことを書くとドグマティックな連中の事だから何らかのアクションがあるかも知れないと思っているのだが。あればまたご報告したい。
国   境
都   市
ソウル市は人口1千数百万、都市の状況は所謂「大都会」、東京とほぼ同じようなものであった。20数年前に仕事で行った時とはかなり印象が違った。
この色の組み合わせは王家だけに許されたものだそうで、宮殿のみに見られるものということである。

中国の極彩色とは趣を異にし、こちらの方が、ハヤカ好み「地味派手」の世界であった。

鳳凰は王家の紋章
紗綾形、亀甲文、四方襷、文様の見本市のような塀が続く。
宗廟の杜
韓国の旅
2010/5/14〜16
 
 

今年のジジイ軍団の旅行は地元 茨城空港の開設を祝して、茨城空港を利用して出かけようということになった。現時点での茨城空港の路線便はアシアナ航空韓国ソウル便1便、と国内神戸便1便だけ。だけなんですよ、笑っちゃいますよね。でもこれは地元の人間にとっては想定内なんです。計画のスタート時点から、「官民共用」これは自衛隊百里基地の拡張が目的の隠れ蓑だろうとまことしやかに囁かれておりましたから。まあそれはともかくとして行き先は韓国しかないのでした。

この連中、韓国へはこれまでに何度も行っているようで、散々悪さをしてきたのだろう。今年の幹事は私の従兄なんだがこれが生真面目な堅物で、完璧な健全旅行をセットしてしてくれちゃったのである。ホットしたというかガッカリしたというか複雑。未体験のキーセンパーティーなるものを密かに期待してたところもあったのか。ガイドさんの話ではソウルオリンピックの時「売防法」ができて置屋さんがなくなったので今はありませんということでした。(表の話だろうけどね)
・・・まあ、私は写真が撮れれば良いんだけどね (な〜んちゃって・・・・鳩山さんの「国外移設!なんちゃって」よりは可愛いよね)

今回はソウル市観光の旅行だったが、韓国は立派な王朝の歴史があり宮城史跡も保存されて見所。ソウルの現状は大都会そのもの、韓国のイメージを新たにする旅でした。

川を隔てた向こう側が北朝鮮である。ここは統一展望台と言う所で、直接北朝鮮を望める唯一の場所らしい。間に流れる川がイムジン河。「イムジン河」といえば昔そんな反戦歌があった。帰国してからYouTube、やWikipediaで調べてみて思い出した。フォーク クルセダーズの歌・・・♪イムジン河水清く〜・・・である。1968年発売のレコードであるから私が20歳の時、40年以上前になる。南北に分断されたのはその20数年前、60年以上経っているのにその歌詞の状況とまったく変わっていないようである。現地添乗員のJさんお父さんは北の出身で、3男だったので戦前ソウルに出て働いていて帰れなくなってしまったということでした。78歳ということで今はもう諦めているそうですが、その望郷の念はいかばかりでしょうか。Jさん自身も北に間違いなくいるであろう従兄姉達に会って見たいと言っておりました。「南には親戚も無いんです、寂しいですよ」
李朝陶磁器
歴  史
国立民族博物館で撮影。入り口にフラッシュ禁止の表示があった。 ん・・・・フラッシュ禁止?ストロボ使わなければ撮影OKかな? 勝手に解釈して一応周りを気にしながら撮影して行ったが、最終コーナー碗、杯のところでついに係りのおじさんが近づいて来てしまった。ヤッパリまずかったかと思ったら、「興味がおありですか?」と声をかけてきた。
「李朝磁器が好きなのです」と答えると、いろいろ説明をしてもらえた。お咎めナシでありました。私はこれまで李朝磁器の本物を目にする機会がほとんどなかったので、じっくり味わってきました。「味わい」と書いたのは骨董の真贋は雰囲気というかオーラというか「味わい」が重要な決め手と思っているからです。