南九州の旅 |
今回は、ご覧の通り爺様ばかりの旅行である。 2月27日~3月1日、南九州の旅。 この会は、昔はどこの地方にもあった青年団からの流れで作られた会で、 近所の先輩から後輩まで5才差程の年代の会である。 地元に居らず青年団にも入らなかった私は本来入会資格はないんだが、ここでも 最大構成員数を誇る例の「オシドリ会」の友人達が推薦してくれて入れてもらえた。 この面々は青年団当時から毎年旅行をしているから、この顔ぶれでの旅行は 40年以上にもなるだろう。気心の知れたどころではなく兄弟のようなつきあい なのである。私も個々にはガキの頃から遊んでいた面々なので即同化出来た。 今回で3回目の参加である。 |
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鹿児島空港からこんやの宿泊地指宿まで、途中池田湖に寄る。 |
菜の花畑と開聞岳 |
開聞岳には特別な思いをもつ人もいた |
灯台から開聞岳を望む |
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指宿のホテルからの眺め 右下の屋根の所が名物の砂風呂 思ったより砂が重かった、温まるには最高。
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2日目
知覧特攻平和会館
知覧には太平洋戦争末期に「特攻隊(陸軍特別攻撃隊)」という「命」を武器として戦わねばならなかった若者達が集結させられた基地があった。現在、基地跡には「知覧特攻平和会館」というメモリアル施設がある。 中には零式戦闘機や特攻戦没者1026名の遺影や遺品が展示されておりました。辞世や最後の手紙などを拝見すると胸に迫るものがありました。館内での説明やバスガイドさんからの様々なエピソードや悲話を聞かされて、ヤンチャ爺ジイ達も神妙に静まり返ってしまった。観音様のお堂に茨城から持参したお酒をお供えして、全員で般若心経を唱えてお参りさせてもらいました。 南九州の旅行が決まった時から、このお参りは決められておりました。「国を守るために命を奉げて戦ってくれた英霊に敬意を」と年長のリーダーの方針でした。またこのりーダーは特攻で沖縄決戦に飛び立った方々が、開聞岳を目印にして日本とお別れをしたことを知っていて、どうしても開聞岳に登るんじゃとガイドさんを困らせておりましたが、こちらはどうしても時間的に無理となって諦めてくれました。 このように書くと、コイツ右寄りな奴かと思われるか知れませんがそうではないんです。 私もこれを書くために、気持ちの整理するのに時間がかかりました。特攻で命を散らせた方々は、間違いなく当時の為政者の誤った国体による戦争の犠牲者であります。それは重々わかってはいるのですが、ここから次の目的地に向うバスの中でこれまでに見聞きした東京空襲や原爆の悲惨さとは異なった感覚にとらわれていて、それが何か解らずに「歳のせいで感受性が鈍ったかなとか、私はこんなにも薄情な人間だったのか」とか考えて愕然として悶々としていたのですが、先日やっと解ったのです。 彼らはどう思っているのだろうと考えてみた時に、彼らは決して自分の死を非業の死とは考えていないだろうということを。親を思い、子を思い、妻を恋人を思い、それらの人々を守るために、子達の未来を守るために命を奉げたのであって、人間としての崇高な精神性の発露であったのではないだろうか。例えばもし私たちの身に地球規模の不可抗力の天災が起きて、妻子に危険が迫った時身を挺して守ろうとするのは人間の精神性の所以であろう。 それが戦争という人類の愚行によって為されなければならなかったということが、真に悔しく痛ましいことであったのです。 ですから彼らに対しては、気の毒にとか可愛そうにと云う思いだけでは申し訳ないと思うのです。方々の崇高な思いに敬意を表し、感謝し、英雄として讃えねばならないと思うのです。はからずも年長リーダーの自然体の感性が間違っていないことを再認識することになってしまいましたが、これが正直な気持ちです。 |
知覧武家屋敷庭園
篤姫館
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篤姫様の衣装を着せてもらって記念撮影が出来た。 我らの添乗員さん、JTB BS九州の姫。お世話になりました。 |