染付 暦文皿
江戸後期 径17.0cm 高2.3cm 

この文様は「暦文」と呼ばれ、蕎麦猪口でよく眼にする柄である。
なんとなく印象的な文様で気にはなっていたので、そのうち蕎麦猪口でも手に入れようと思っていたのですが、

このお皿に縁あったようで暦文の代表として当コレクションに納まった次第であります。

この文様は高級なイメージはありませんがリズミカルで楽しい印象で、線描きの製品としては秀逸な意匠であると思います。
しかしながら、私の持っている日本の伝統文様の本には取り上げられてはおりませんので、
原典は中国の文様かと思っております。青華(古渡か新渡か定かではない)で眼にしたことがあります。

ところでこの形は何を模したものなのでしょう、「暦文」と言うからには暦なのでしょうが、
具体的に思い当たるものはない。そこで、ネットの検索で調べてみたが明確な説明は見つからなかった。
以前なにかで、一日ごとに紐に結び目を付けていって日にちを認知したという記述を見たような気がする。

古代暦について検索をして行ったなかで、いくつか興味深いものに出あったのでそれらを考慮して
私なりの仮説を立てて考察してみた。

「暦」は紀元前からというか有史前のころから何らかの形であったようである。
人類が文明を築きはじめた以前から人類の存亡に密接に影響を及ぼしていたであろう自然現象に
古代人は注目していたのである。
太陽の運行、月の満ち欠け、星の位置、季節の循環、これらの規則性に気付いた人類が
体系的に研究した最初のものは、おそらく天文とそれを生活に結びつける暦であったのではないだろうか。

文字を持つ以前の人類が用いた記録的伝達手段に「結縄」(ケツジョウ)という方法があったそうである。
縄に結び目をつけてその形態に意味を持たせて伝達手段とする。
この方法は人類の基本的知恵の一つであるらしく、おそらく互いに交流はなかったと思われる世界中の文明で
独自に発生し用いられたようである。中国の「結縄」、インカやアステカで用いられた「キープ」など同じものである。

当然、暦もこれを用いて表したであろうし認知もした。具体的には基準日からの日数で「日」を把握し、
また記録としても使用されたものと思われる。一本で6日とか7日単位として何本で一月とか一年とかである。
その後、文字が用いられるようになっても、彫刻や筆記に比べて簡便な結縄暦は道具として用いられ続け、
青華の時代まで(もしくは文様としてだけ)残ったと考えて良いのではないだろうか。

試しに「結縄」を作ってみた。下の画像がそれであるが、皿の文様と比較して、その原型としても不自然では
ないと思うのだがどんなもんでしょう。

2009年5月1日


結縄
暦文





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