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このお皿は鎬手の初期伊万里ということで手に入れた。 初期の磁器における成型技法はそう種類があるわけもなく、ロクロ+鎬手はその最初期のものと思っている。 当零細コレクションとしてもなんとかしたいものと思っていたが、窯傷、甘焼、ニュウ有、滲み有で手が届いたという次第。 ロクロ引きしてまだ柔らかい内に箆で削ぎ落としたであろう鎬目が力強く温かい。 見込み絵は海辺山水、お約束の太陽(月?)。お山の手前に描かれているのは何だろう? 吾妻屋か干し網が相場なのだろうが何だか分からん、描いた本人も分かってないんじゃないだろうか。 倣いを重ねて行くうちに何だか訳の分からんものになっていくことって良くあることですからねー。 ところで、古染付や初期伊万里の風景画には必ずと言ってよいほど太陽が描かれておりますが、何故なんでしょう。 定説があるのでしょうが、お勉強しないハヤカには分かりません。 ただ、昔の人と現代人の太陽に対する思いが違っているのだということだけは間違いないでしょう。 現代人は太陽や地球や宇宙のことを知りすぎてしまっているのでしょう。 科学的には銀河系宇宙の一恒星、太陽系の母体である主星。 膨大な重力のエネルギーで核融合を続ける天体、その発熱による熱と光が太陽系の惑星である地球に到達している。 現代人にとって、観念的には「生命の源」「神の恵み」としても捉えることは出来ますが、 実際の感覚的には、単なる自然現象、有って当たり前の光源、熱源になってしまっているような気がする。 古の人々にとって、「お天道様」と崇める神秘の天体「太陽」は、実感として「生命の源」「神の恵み」そのものであって、 風景においてはむしろ主役であり、太陽のない風景なぞはあり得なかったのではないのでしょうか。 2008/12/1 |
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追記 いつもいつも、思いつきのままの言い放しばかりやっていると、そのうち相手にしてくれる人がいなくなってし まうぞいう漠然とした怖れから、一つだけ確認作業を行った、天文科学の歴史についてである。 太陽信仰については古代から原始宗教的にあったものであるが、 お皿の時代の天体に対する科学的知識がどの程度であったかを確認しなければならないと思った。 その時代にすでに太陽が神秘の天体でなかったら、前述のコメントは「たわごと」以外のなにものでもないからである。
ちょうど初期伊万里の時代である。しかしまだまだ日本には伝わっていなかったことでしょう。 このタイプの風景画は更に古い時代の中国磁器の倣いでありますから、当然太陽は「お天道様」であった訳であります。 日本にコペルニクスの地動説が伝来したのは徳川吉宗の時代1720年にキリスト教以外の漢訳洋書の輸入が許可された後、 通詞の本木良永が「和蘭地球図説」などで紹介したのが最初ということである。 その後、西洋天文学を採りいれて 1797年 寛政暦、1844年 天保暦が作られた。 現在の太陽暦になったのは明治になってから。 太陽そのものが解明されたのは更にその後であろうから前言撤回しなくても良いようである。 ・ ・ ・・・・・・う〜ん、でも 「これ月なんだけど」と言われたらオシマイですなー。 |