染付 瑠璃縁熨斗丸文皿
江戸中期:長辺18.7cm*高2.8cm

お正月は縁起物の熨斗のお皿にしました。グルリと力づよく塗りまわした瑠璃縁に梅花を添えた熨斗の丸文。
すっきりと小気味良い、なかなか「粋」なお皿であると思う。

シンプルな構成であるが「雑」ではない清々しさ、爽やかさがある。

この皿は江戸中期から後期にかけての製品であると思っている。


2007/1/1

江戸後期の小粋な器

「粋」という概念は江戸中期ごろ庶民文化の中で発生したものである。
安定した治世も長期に渡り、大衆娯楽や商品が生みだされていって、庶民も文化的な生活を享受するようになった頃である。

文化的とはいえ、身分制度のあった時代である、時の権力者階級や豪商などといった お大尽との格差は甚だしく、暮らしぶりも大違いであった。
こうした中で裕福層の贅を尽くした華麗華美、絢爛豪華な世界に対してのアンチテーゼとして、庶民が質素ながらも感性を重視した美を賛えたものなのである。

すなわち、庶民の反骨精神 「意気地」であり、「心意気」 なのである。
これは、物や身なりといった形あるものばかりでなく、人の生様、考え方までも評価する価値観となっていったのである。

この価値観が江戸庶民の間で定着したのは、江戸後期、文化文政から天保にかけての庶民文化の最盛期であったようである。庶民が最も元気の良い時代であった訳であるから当然のことである。

少し脱線するが、「粋」の反対語に「野暮」というのがあるが、これは前述の お金のかかった華麗華美の世界で、金はかかっているがセンスのない事物を馬鹿にする言葉である。しかし、これはあくまでも庶民の側からの反骨の視点であって、純粋に美術的、芸術的視点に立って劣っているということではないのである。現に、現代の骨董界や美術界を見れば名品逸品と呼ばれるものの大多数はその世界のものである。したがって、「野暮」と今の「ダサイ」は似ているようだがまったく別物だと思っている。(ダサイについては深く考察しておりません)

ここで、古伊万里の意匠的な推移についても考えてみたいと思う。
@初期伊万里:未成熟な絵。 A前期伊万里:写実的な絵画や技巧を凝らした文様。 B盛期伊万里:様式化した絵画や文様。と発展してきて成熟完成、 C中期には完成された古伊万里様式の継承という形で推移したが、需要の裾野の広がりに応じた量的拡大に反比例して質的低下をきたした。

中期末からD後期にかけては古伊万里様式のますますの崩れと並行して新様式の発生がみられた。この革新の中の一つに、図案化と呼べる方向があったのかもしれない。まあ図案化自体は「環状松竹梅」や「見込み唐花」など古来から見られるのであるがが、ここでは量産化向けの単純化されたシンボリックな図案化という方向である。

今回の皿に見られる熨斗丸文はそういった方向の一つと考えられるのではないだろうか。
庶民文化が徐々に隆盛になって行く時代である、お茶屋、料理屋では大量の染付磁器が使用されている。後期で代表的な志田窯の製品が全盛になったのもこの頃である。

当然、お茶屋さんが町衆の好みである「粋」なデザインの食器を採用するのは当たり前のことであったろうと思うし、メーカーの肥前窯業地でも当然「ニーズ」として捉えていたであろう。

蕎麦猪口を眺めていて思ったことがある、後期の猪口に小粋で洒落たものがいくつかあるのだ。
この時代においても上手と呼ばれる高級品は作られていたのであろうが、生産の大半を占める汎用商品には当然のことながら その「ニーズ」に合致した製品が生み出されたのである。

これが、江戸後期に高価ではないが、小粋な作品が数多く見られる背景なのであろうと思っている。

「江戸後期の粋な器」 とでも特集しようと思ったこともあるのだが、それほどの数もないのでここに参考に掲載することにする。



江戸後期の小粋な器

この稿はいずれ整理して「図録」に掲載予定。