当コレクションの時代区分について

1.時代区分表
中分類 年号 西暦 特徴・時代背景
江戸
前期
初期 元和 1615 生掛けの磁器生産草創期の試行から、素焼きを行う本焼成ができるまで。
(初期伊万里)
慶安 1651
前期 承応 1652 本焼成技術が開発され、絵付けの技術とともに洗練されて行く時期。生掛けと本焼成の作品が混在する過渡期。
(古九谷、藍九谷)
寛文 1672
江戸
中期
盛期 延宝 1673 磁器の生産技術が確立し頂点に到達、その完成度を世界に誇った。
ヨーロッパ向けの輸出が盛んに行われた。
(柿右衛門、鍋島)
享保 1735
中期 元文 1736 輸出にかげりが現れ始めて、国内需要に指向を強めていった。
18世紀後半には、新様式と呼ばれる意匠が現れる。
天明 1788
江戸
後期
後期 寛政 1789 国内需要が全てとなり、需要の裾野を拡大するため低価格品の生産が主力となる。
天保 1843
幕末 弘化 1844 瀬戸ほか緒窯の生産も始まり競合、低価格、大量生産、大衆化を更に進めた。
慶応 1867
明治 明治 明治 1868 ヨーロッパでの万国博で注目された高級品の輸出が行われる一方、国内向けのベロ藍、印判、転写など廉価、量産技術の導入発展。



2.時代表記について

各作品に表記されている製作時期については、資料等で同定できたもの、譲渡者の表示判断に対して異議のないもの、明確な時代特徴から判断したものを記載してあります。私が確認できたレベルでそのまま表記しました。レベルは、年度、年号、年範囲、世紀前後半、中分類項目、の順といたします。
私の判断のものもありますので、間違ったものがありましたらご指摘、ご指導をいただければ幸いでございます。




3.時代区分についての考察

陶磁器の時代区分、様式分類には諸説があり未だ明確な定説は確定していないのが現況のようだ。

技法、意匠様式による分類、時代様式による分類等大変興味深いものもある。しかし、初期伊万里や鍋島様式、柿右衛門様式といった特定の時期あるいは特定の窯については明確であるものもあるが、磁器生産の草創期から明治までといった陶磁史的なスパンでの観点では対応しきれないようである。また、意匠様式と時代様式が混在した論もあり、一層理解を困難にしている様である。

古伊万里刊行会の関和男氏にメールでお伺いしたことであるが、ある作品について「様式の”転換”でとらえるか”継承”で捕らえるかによって解釈は異なる」という見解をいただいたことがある。この基本的な認識は私にとって「目から鱗」の大きな収穫であった。それまで様々な書籍等によって時代区分とか様式分類について理解しようと取り組んでみたが、古伊万里の概念として自分なりに納得できる所までにはどうしても到達できなかった。

古伊万里の歴史は、まさに転換と継承の混在で今日に至っているのであって、一元的な視点では整理できない。
たとえば「環状松竹梅」などは18C前半に発生しているが、形態の変化はあるにしても明治期まで続いている。その間に天明の白抜様式のような斬新な様式の発生もあり並行して存在している。これは有田、伊万里といった地域生産品の総称としての古伊万里という枠組で観ているのであるから当然のことかもしれない。もしミクロ的に観て例えば「A窯」という一つの窯について観た場合には、それまでの環状松竹梅製品をやめて白抜様式の生産に切り替えたかもしれない。しかし転換した窯が少数であった場合、もし継承様式と並行して新様式の生産を行う窯もあったとしても、地域生産の転換という所までには至らなかったのであろう。同様にいくつかの新様式が発生・継承・消滅というライフサイクルで存在したのである。これは商業的な表現で言えば「新製品」であって、商品アイテムの増加と判断されるものである。

私は、古伊万里としての転換は大きくは二回という認識をしている。
ひとつは、生掛け焼成から、素焼きを行う本焼成になった製造技術の確立という転換。もうひとつは、輸出または特別階級向けの超高級指向から、景徳鎮の再興とともに徐々に減少していった輸出品の穴埋めとして、国内需要拡大指向の低価格製品の生産という営業方針の転換である。乱暴な言い方をすれば、この二つの転換で古伊万里の磁器生産の大きな流れは把握できてしまう。

1613年朝鮮から来た陶工達によって有田に開かれた磁器生産は、当初中国の磁器をめざし中国磁器を倣って、試行を重ね技術の研鑚を積んだ。
素焼きをする本焼成が確立して、磁質、成型、発色の安定した製造技術を得た有田磁器は、1661年中国清朝の遷界令によって手に入らなくなった高級磁器を求めるヨーロッパからの大量の注文を受けるという追い風を受けて、一気に世界に誇る至高の美術品にまで到達した。
遷界令は1684年までの23年間であったが、技術的継承の途切れた景徳鎮はこの後20年以上は伊万里の敵にはならなかった。このことは伊万里の磁器にとって大変重要な事態であり、幸運なことであったと思う。盛期伊万里の歴史的背景である。

その後、徐々に復興を遂げた景徳鎮の製品に輸出市場を奪われていった古伊万里は、国内向け製品にその比重を高めていったのである。磁器の需要の裾野が広がるにつれて、低コスト大量生産に向かうのは宿命であるから、高級品生産は縮小されていって、至高の技術も年を経るごとに衰退していったのである。当然この時代以降にも高級品を求める大名やら公家やら豪商はおり、「上手」と呼ばれる高級品の生産は続けられてはいるのだが、量的縮小は生産機会を減らし、職人の技術的成熟を高めることができなくなって行ったことは確かであろう。

1758年に東インド会社の消滅によって公式の輸出かなくなってからは、生き残りを懸けて一層の大衆化、低価格化を進めていった。広く庶民が磁器を使用するようになるのはこれ以降のことである。

当コレクションは陶磁史に沿った収集をコンセプトとしておりますので、あくまで製造時期に従って時系列的な配列で掲示してあります。

一般的に、古伊万里は江戸時代前期、中期、後期、幕末と区分されている。
各期間の年数を見てみると以下のようになる。

江戸前期 : 元和 〜 寛文 (1615 〜 1672年)・・・・・・・・・57年間
江戸中期 : 延宝 〜 天明 (1673 〜 1788年)・・・・・・・・115年間 *1(文化年までを中期とするものもある)
江戸後期 : 寛政 〜 天保 (1789 〜 1843年)・・・・・・・・・54年間
幕末 .........: 弘化 〜 慶応 (1844 〜 1867年 ・・・・・・・・・・23年間

通常、時間的に前中後と分けた場合には三等分の感じがするが、そうはなっていない。
これは古伊万里の頂点が元禄前後であり、「頂点が中心でなければおかしいでしょう」という情緒的判断が加味されているからだと思う。
従って中期が極端に長くなってしまっている。この間の製品には、前述の通り質的にも体制的にも大きな差異、変革があり、一まとめにするのはいささか抵抗がある。

当コレクションでは定説となりつつある上記の前期、中期、後期の時代区分に異論を挟むのではなく、これを大分類とし、その下階層として中分類をもうけた。これも一般的に用いられている区分であって、分類の階層を整理しただけである。