ミ ニ ト マ ト
(原発事故に思う)


2011/6/13

Essy Top





「プランターのミニトマト。苗代回収できるか心配してたけど、可愛いからもう許す!」
(表紙写真でのコメント)


1週間ほど前でしたでしょうか、台所に透明のビニール袋に入ったミニトマトがありました。
夕食の用意をしていた家内に「これでいくら位なの」と聞くと、5、60個も入ってるのに以前植え付けしたミニトマトの
苗のたしか2本分くらいの値段でした。「えーー、そんなもんなの、うちのミニトマトじゃ元が取れないなー」と笑ってしまった。

昨日の日曜日雨が上がったので、花の写真でも撮るかと庭を眺め回していたらプランターのミニトマトに実が
ついているのを発見しました。先ほどまで降っていた雨に潤んで光っております。
まだ濃い緑色の食べられる段階ではないのですが、新鮮そのもの思わず「美味しそう!」

おまけに良く見ると開花順に大きさがグラデーションに並んでいて、なんとも健気で可愛らしいのです。
「おお、カワユイのー」 ・・・もう良い、元が取れなくても、これで充分満足。

今、画像を眺めながら思う、農業の醍醐味はこんなところにもあるんだろうなーと。
勿論、農業は事業であるから私みたいにノーテンキにはいかない訳だが、
大きな喜びの一つであることは間違いないだろう。

この地域は農業地域である、ご近所も友達も営農家が多い。
今は一段落して落ち着いてきたが、気の毒だったのは原発事故放射能の風評被害である。
原発から150Km以上も離れているのだが基準値ぎりぎりで、数品目が出荷停止とか自粛とかになった。
指定されたのは数品目だったが、現実的には全ての作物が引き取られなくて廃棄となった。
精神的にも経済的にも大ダメージであったことだろう。

地元の人間としては、気流の向きで飛んできた微量物質で表面付着物だから洗えば落ちると
思ってたから、「これ出荷できないから持って行きな」と言われればありがたく頂戴して食していた。
「食」に関することだから、人それぞれの考え方があるだろうからなんとも言えないが、
「洗浄済み商品」などという考え方もあったのかなとも思う。・・・採算があわないかー。

それにしても腹の立つのは、次第に明らかになってくる政府の「危機管理能力」のなさと
国(行政)および東京電力の「原子力に対する危険意識レベル」の低さである。
原子力安全委員会の「安全指針」では、多重のバックアップ電源が用意されているので
「全ての外部電源が喪失する事態は考慮しなくてよい」 となっているということである。
呆れて口あんぐりである。

「骨董の地震対策」で少し述べたが、「全てのコントロールを失った時どうする」を慮外にするなど、
アホ以外のなにものでもない、絶対安全を放棄した「安全指針」などありえない。
原子力利用を推進する国策と電力会社の経営的都合に呼応した、現場を知らないお役人と御用学者の
馴れ合い基準であったことが露呈したのだ。

私は理系の人間として原子力発電については肯定サイドであった。
自然資源エネルギーだけでは人類の未来は維持できなくなるだろうと思っているからである。
純粋自然界ならば環境の変化に応じた個体数の増減が生じてバランスがとれるのだろうが、
人類の未来に自然淘汰があってはならないのだ。

だが、少し考え方を変えなければならないと思えてきた。
原子力の生い立ちを考えるにスタートが悪い。
核爆弾である。核分裂の膨大なエネルギーを無制限に開放する兵器から利用が始まったのである。
後に平和利用ということで、発電や動力源として使用されてきたわけだが、すでにエネルギー発生技術としては
確立してしまっていたから、利用ばかりが先行して制御技術が追いついていないまま現在に至っているのだ。
人類は過去数回にわたってメルトダウンと言う制御不能と言う事態を体験しているにもかかわらず、
原子炉の基本構造は変わっていない。単なる事故、収束できたから良いじゃないか、で済ませてきた。
この人類の傲慢さというか浅知恵というかがもたらした人災なのだ。

まだ自然エネルギーの枯渇もしくは不足という事態までには時間があるだろう。
ここで人類は全ての原発を停止して、原子力という「物質の根源」に係る領域(情緒的な言い方をすれば神の領域)を
操作するということについて、謙虚に基本から見直し再構築すべきなのかも知れない。
コントロールしきれてないものを利用しようなんて「100万年早いワイ!」である。
きちんと制御技術を確立してから再開すべし。
現在の人類なら、それだけに英知を集約すれば10年20年のオーダーで確立できるだろう。
それからでも遅くはない。



ああーー、また暴走してしまったかー。
可愛いから、まあ良いか〜!のバカヤでも見過ごせないこともたまにはある。


 H23/6/13