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2011
3/11 震災状況
3月11日、茨城県南部、某所(官)受電設備改修工事の立会。 たまたま手待ちで車で待機している時でした。 200m程離れたところにJRの橋梁があって丁度列車が通過しました。 微振動を感じたので、この辺は地盤が悪いんだなと思っておりましたら、だんだん揺れが大きくなります。 おお、地震だわい、車を降りて「地震だぞー」と声掛けをする間にユッサユッザ。 (グラグラが普通の地震の表現だがそんなもんじゃない) 車にしがみつく。建物の屋上に通信用の大鉄塔が建っている。揺れる揺れる、ビキン、バキンと音を立てる。 真下にいるんだから倒れたら終りじゃ、逃げたくても動けない。ノーテンキのハヤカも今度ばかりは怖かった。 こんな長い地震も初めての体験。やがて収まった、これは大変な被害がでるなぁと感じて街並みを見回したが、 見通せる範囲で異常は見られなかった。駐車場のアスファルトに何ヶ所もクラックが入っていた。 庁舎にいた人たちが外に退避してきた。建物内も恐怖だったようだ。 「すごかった」、「怖かった」と言ってると、第2弾、余震だからたいしたことないだろうと思ってたら とんでもない、同じくらい揺れた。今度こそヤバイ、またしても車にしがみついていると、側溝の蓋は弾け飛ぶし、 建物の基礎とアスファルトの境目は口をあけるし、アスファルトの割れ目から水が噴出してくる。 収まって道路に出てみると、道路は波打ってるし、電柱は傾いてるし、あちこち水が湧いている。 第2弾がダメ押しになったようで、液状化が本格的に発生したようだ。 後で分かったのだが、第1弾は三陸沖で遠いから震度6、 第2弾は茨城沖で近いからマグニチュードは小さくても震度6だったのだ。 こうなるとお家が心配になってきた、お皿が、蕎麦猪口が、それどころじゃない家本体が大丈夫だろうか。 工事も4時頃には終わったので、祈るような思いで飛んで帰った。 おお、家は立っていた。瓦屋根の頂部「グシ」と呼ばれる部分が崩されていたが本体は大丈夫。 中に入ると玄関が水浸し、金魚の水槽の水が揺すられて飛び出していたのだ。金魚ちゃん無事。 台所はじめ、室内の散乱はひどかった。固定してなかった棚類が倒れていたのだ。 お宝の飾り棚、リビングボード、猪口棚、倒れてない。良かったー。固定金具が効いていたのだ。 プラスチックの皿立て意外に安定性は良い。移動はしていたがほとんど倒れていなかった。 中は揺すられて、ずれてガラス戸に引っかかったり、倒れかかったり。 引き戸は救済できたので良かったが、開き戸はダメ、物差しを差し込んで押さえようと思ったが、 差し込む前に落ちてしまった。無念。 被害:お皿古染め1枚、猪口3ケ、C&S 2セット (貴重品は無事) 停電、断水、電話ダメ、携帯繋がらず。 どうしようもない。非常用ラジオがあったので、かろうじて情報はとれた。 東北地方で大災害ということは分かった。 電池のライトはあったが電池切れが怖いので、ロウソク灯してラジオ聞いていた。 12日10時頃電気はついた。水道はダメだが、うちは井戸ポンプを残しておいたから助かった。 被害の大きかったのは、埋め立て造成地が極端にひどかった。 液状化現象によるもので、掲載した写真はその地区のものである。 ライフラインずたずたで、現在も電気、水復旧できてない。古い地盤の地域は比較的被害が軽かった。 屋根瓦の一部損傷が多く発生したが、道路や電柱などは大丈夫で、電気の復旧も早かった。 停電が復旧してTVを見て、未曾有の震災であることを実感した。 東北地方のあまりの凄惨な事態に言葉もなく心を痛めるばかりである。 H23/3/15 |
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