初期伊万里様式 古伊万里



この皿は当花苑の図録で、後期Xに掲載されているものである。
先日、この皿がヤフオクで「初期伊万里」として出品されていた。
実は、私も3年ほど前にヤフオクで「初期伊万里」と称されていたものを落札したのである。
下の写真で見るとおり、裏の様子は初期の特徴形態をしているし、「太明」の銘である。
おまけに「小さな蕾」に掲載されたという写真までついていた。
(これは後で気がついたことだが、値段が表示されていたので、おそらく広告の部分だったのだろうと思っている)
ところが皿が届いて手にしてみると、明らかに生掛けではなく本焼きである。本焼きの初期伊万里なんぞ聞いたことないし、またあり得ない。

早速、出品者にその旨連絡を取ると、「その皿は、大阪の某しっかりしたお店で初期伊万里として購入したものだから、初期伊万里として出品した」と言い張る。
初期伊万里の値段ではなかったし、まるっきりの新物ではないし、デザイン的には面白いと思っていたから、まあ良いかということで当コレクションに収まったのである。

収めたは良いが、私のコレクションのコンセプトは「染付の歴史を辿る」ことであるから、どこに収めるべきか困ってしまった。
見込みの線描きの「鳳凰or苔亀」と「紫雲」の丸文は、染付は勿論色絵の作品の呉須絵部分などでも17世紀末から後期まで使われている。

縁周りの白抜蛸唐草は稚拙で、初期の洒脱さも、盛期の品格もないただのヘタクソである。しかしながら、なさけないことに頭の片隅に「初期」と言う文字の残渣がひっかかっているもんだから、中期くらいはあるかななどと思ってしまう。人間欲が絡むと的確な判断はできないことが良く分かった。

これに引導を渡してくれたのが、倉石梓氏の「古伊万里染付図譜」である。86頁に19世紀前半として掲載されている。
ヤッパリなと納得しながらも、そこまで下がるかとガッカリしてしまった。・・・・じゃ何!結局高い買い物させられたんじゃー!
かくしてこの皿は収まるべきところに納まったのである。

・・・しかし、新たな疑問が。・・・・裏を見ると明らかに初期伊万里を意識した皿である。・・・・なんで?
贋作?、江戸時代の贋作?
まあ、あり得ないこともないだろうが、贋作なら焼成についても生掛けでもっとそれらしくするであろうし技術的にも可能であったろう。
またこのようにしばしば目にすると言うことは、かなりの数が存在していたということであって、汎用商品として大量に生産されたものであることが推測される。

こうしてみるとこれは商品として売れるから生産したというもので、写しとしての商品であって贋作ではないようである。
とすると、この時代に懐古趣味が流行した。江戸時代にもレトロブームがあったということか。
あるいは生産サイドからいえば、18世紀半ばからの新様式の展開も半世紀を経過して出尽くした感もあるので、目新しさを求めて懐古的なデザインを取り入れたということかもしれない。

このことについても後日、得心させていただいた。
おなじみのHP「古伊万里への誘い」の中の「初期伊万里様式染付梅竹文徳利」の記事の中で、小木一良氏の著書の記述を紹介なさって、次のように述べられている。

ここで、「伊万里の変遷」(小木一良著 創樹社美術出版)P.199には、 「伊万里全般の絵文様の推移をみても、天明から寛政、文化頃にかけ、古染付、祥瑞、初期伊万里などを模倣した思われる文様が多数みられるので、恐らく、この時期には、古作の佳品写しに人気があったものと思われる。」  とあることに注意をいたすべきである。
 勿論、「天明から寛政、文化頃」にかけては、古作の佳品の写しを作れば売れたので作ったにすぎないのであって、当時は、初期伊万里の贋物を作って儲けてやろうなどとの意図など全くなかったことはいうまでもないと思う。


時代的にまさにピタリ、こういうことであったのである。
こうしてこの皿は私のコレクションにおいて、古伊万里の歴史の一時期を特徴づける貴重な一枚となったのである。

以来、私なりに納得ができて一件落着と済ましていたのであるが、またぞろ知ってか知らずか「初期伊万里」などと称して出品されているのを見て、きちんと引導を渡してやらなくては世のためにならんと、ヘタクソな文を晒したものであります。   ( 2003/9月)


最後になりましたが、勝手に引用させていただきました諸先生方には、本文の主旨に免じてお許しをいただきたいと存じます。