ある日”染付”に出会い
心惹かれておっかなびっくり骨董の道を歩き始めた。
物との出会い、人との出会い。
悦楽と苦悩の日々。
骨董との出会いが、幸運であったのか不運であったのか・・・
いまだ結論を得ず。
NO.1 染付の世界への入口 | |||
古染付 花唐草盃 |
私は若い時から陶磁器に興味があって、土ものの「ぐい呑」などを地味に集めていたのですが、ひょんなことから骨董の染付に目覚めてしまいました。 その発端となったのが、中国出張の知り合いの社長に、土産は 「中国のぐい呑たのむぞ」と無理やり探させた酒盃の類、分からないからと言って観光土産品やらガラクタやら沢山持って帰ってきてくれた。その中に一個だけ時代のありそうな染付の盃がありました。 これがそうなんです。 たいした物ではないのですが、唐花とも霊芝ともいわれるぎざぎざ円に葉らしきもの描かれたもので、釉薬、発色に雰囲気があって、染付磁器も良いもんだなと興味を持って見廻しはじめたのが運の尽き、染付にハマってしまったのです。 |
NO.2 入口でウロウロ | |
古伊万里 染付山水文変形皿 |
いったん興味を持ってしまうと、もう居ても立ってもいられない。 当地のなんでもありのガラクタ骨董屋さんをめぐりめぐり。本屋さんでは”古伊万里””染付””骨董”などという文字があれば買いあさり。 その頃はそれなりに充実していて楽しかったのですが。 そのうちに、本に載っているようなものは「この田舎にはない」、 「良い物は高い」、「私には金がない」 ということが判明したのでありました。 この世界のことが見えてきて、「この道は危険かもしれない」という感じがしたのですが、「でもほしい」と言う気持ちと押し合いになって、NOVA状態でした。 その頃手に入れた変形の小皿です、今でも気に入ってます。 |
NO.3 これが牡丹です。 | |
牡 丹 (ボタン) |
季節的には過ぎてしまいましたけど、今年は牡丹が見事に咲いてくれました。 古伊万里でもおなじみの花ですね。 「立てば芍薬、座れば牡丹、・・」と言われるように、格調高く、絵になる花です。中国では何千年の昔から、王侯貴族たちに愛でられていたようです。 この花の作者おかあちゃん 「手をかけて可愛がってやれば、こんなに答えてくれるんだわ」とのたまう。 そこで 「そうだよ、何でもそうじゃないか、子供だってそうだし、料理だって手をかければかけるほど味に深みが出て美味しくなるじゃないか」と、したり顔で説教をたれてやる。 すると、おかあちゃん 「でも、あなたは手がかかる割には、ちっとも良くならないわね」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・うっ(涙) |
NO.4 修復の楽しさにめざめる。 | |
古伊万里 染付十二角大皿 江戸後期 径 37.5cm |
これも近隣の町をめぐりめぐりしていた頃、見つけた物です。径36cmの大皿で、柄の力強さがたまりません。 よく見るとおわかりのように、ズタズタの傷ものです。 お店の棚の上に幕末の山水の大皿(当方ではやたら多い)に混じって異彩を放っておりました。 にかわで補修しているという太い目地の上に金彩をほどこして、”斬られの与左”か金氷裂紋かというありさま。 「この皿、傷でなければ良い皿だね」、「そうなんだよね」。 3000円という値段を聞いて、それじゃ私が手直しをしてやろうと抱えてきた。 仕事以外の時間、それこそ寝食を忘れて5日かけて組み立てなおした。店では、すねてふてくされていた皿が、自信を取り戻して今は輝いているんです。 なんか人助けをしたような(皿助け・・か)、妙な充実感があって、修復に目覚めたと言うか、ヤミツキになってしまったのです。 |
NO.5 インターネットにめざめる。 | |||
古伊万里 染付輪花皿 文化 径15cm |
この世界に顔を半分ぐらいつっこんで、前述のごとく歩き始めたわけですが、しばらすると近隣のお店に行っても、本屋さんに行っても目新しいものはなくなり、くすぶっておりました。
パソコンは仕事で昔から使っているんですが、インターネットにはあまり興味なく、仕事の資料探しで時々接ぐだけでした。 休日に子供がネットオークションなどをやっているのを横目で見ていましたので、 ”そうだインターネットにもあるんだ”と超遅まきで気づき検索、K美術商さんをはじめとするお店のHP 、趣味の方のHPを見せていただきました。 見るものすべて、この田舎ではお目にかかれない素晴らしいものばかりで圧倒されました。 この皿は、その時ビビリながらK美術商さんから譲っていただいたものです。 あつかましく悩みを聞いていただいた上に、ご指導まで頂きました。 |
NO.6 完品と傷物 | |
はじめは、傷物でも本物であり、絵柄の力強さや繊細さ、職人さんの熱意も見れますし、その器が辿ってきた歴史、時間の重みも感じることができるわけで、私にとって何ら問題なかったのですが。
「所詮傷物は傷物だし」と言う話題、「完品でなくては」という声。
傷物はやはり自己満足だけでこの世界では価値が無いんだろうなとか、累計すれば趣味のHPにあるようなものも何枚かは手に入れられたのに、「安物買いの銭失い」をやってしまったのかなとか、頭のなかをよぎるのです。 「器」としての本質からすれば使えないものは死んでいるという真理も自覚してはいるんですが。 今は勉強中だしお金もないんだから、傷物でも本物を沢山触ってみたほうが良いんだよという心の声。とにかく欲しい、早く染付を身の回りに並べ立てたい。囲まれたい。傷でも本物、良品ならいいじゃないか。 でも、また頭の奥のほうで「ガラクタの山より一枚の藍柿」という声。 それでもなお、あれも欲しいこれも欲しいで我慢できないのです。 これを ”染付餓鬼”と命名しました。 |
NO.7 完品と傷物 その2 | |
自分の性格は自分がよく分かっている。 辛抱の足りない自分には、セーブという言葉は見当たらないし、息が切れて立ち止まるとこまで 走らせるしかない。
その後はじっくり、3カ月でも半年でも蓄えて上手完品を一枚一枚集めて行くことにする。 それから半年、 大皿、中皿、長角皿、小皿、膾皿、向付、鉢、碗、そば猪口、のぞき、杯洗、古染付、印判手、傷物半分だが一通りそろった。 「お、おかあちゃん!じゅ、じゅうまん貸して。これ傷だけど勝負したいんじゃ」 「ここまできたら、そろそろ傷物に手を出すのは終りにしたら」と言われて、 「う〜ん、そうだな」と言えるところまで”心にゆとり”ができて我ながら成長したなと思ってはいるのですが、反対に”懐にゆとり”がなくなったように思う、今日この頃です。 当家には、なぜか一足早い秋の風が。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(ヒュー !木枯らし?) |
NO.8 前進を決意させたHP | 当花苑のHP開設に際して、どうしてもお話ししておきたいことがあります。 骨董なり染付なりの世界が見えてきた頃のこと。 本の写真にため息をつき、先輩方のHPに圧倒され、相場もわかってきて。 「この道の先は、ちょっとヤバイんじゃない。」 「分不相応、場ちがいな世界みたいだな。」 限りなく良いものが欲しくなることは明らかだし。いまさら、欲しいものに手の届かない不満の業火に焼かれるのもいやだし。 自分の性格からみて、下手すると突っ走って身の破滅。まだ進学を控えた末息子もいるし。 ”入ろか止めよか考え中”で足踏みをしていた。それでもじっとしていられなくて、近くのお店に行ってちょっかいは出していたんだけどね。 こんな或る日、染付骨董の沼の縁で悩んでいたら、豪快に笑いながらやってきて「いい歳こいて、なにウロウロしてんのよ!」と背中を ”ドン”と突かれ、思わずジャブジャブと二三歩入ってしまった。 こうなってしまうと私はもう止まらない、”ギャハハハ”と笑いながら後を追いかけ始まってしまったのだ。 SっちょさんのHPである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つづく) | ||
蘭の花をsっちょさんへ |
NO.9 前進を決意させたHP (つづき) | SっちょコレクションのHPを初めて見せてもらって、染め付け開眼でSっちょさんが走り始まった様子、もう止まらない状態、自分で恐ろしくなるほどの金銭感覚の変化。 私も古染付の盃をきっかけに、なにも分からないまま駆け出してしまった人間なので、場面が目に浮かぶほど良くわかりました。 しかし私はこの段階でビビッてしまって立ち往生。 Sっちょさんは、ハ−ドルなんか蹴散らし、なぎ倒し快走。Sっちょさんを見て、「生き様」(イキザマ)という言葉が頭に浮かびました。 私の人生も残り25年あるかないか。 道は目の前から続いているのに、遥かかなたばかり見てあきらめてしぼんでしまっていいのか。 好きなことを楽しむために多少無理をして苦労することがあっても、それが自分の生き様、生きた証し。 こうしてハヤカ は復活したのだった。 娘のようなSっちょさんに生き方を教えてもらったのです。 道の世界に歳は関係なかったですね。 |
sっちょさんへもう一つ (ガクアジサイ) |
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*この記事はご了解を頂いて掲載しました。* |
NO.10 極 道 談 議 | こうして、一人突っ走り始まるとどんなに説明しようと何をしようと、家族のコンセンサスなど得られようもない。 地味にぐい呑コレクターをやっていた頃は、これ良いだろうといえば注目して話題にもなったのだが。 いまでは、「また買ったの」と白い目を向けられる。 「道楽親父」と言うそしりも聞き流して、かまわず「これはこうでな、ここがこうでな」と勝手に講釈をたれて教育してやっているんだが効き目はない。・・・・・当たり前か〜。 でも道楽と言う言葉はいい言葉ですよね。”道を楽しむ”。 書や篆刻でつかわれる漢文に「得其楽」というのがある”その楽しみを得る”人生すべてのことに楽しみを見出しなさい”ということらしい。 こんな話しを、取り引きのメールで「雪〇花」さんのご主人とやっていて、ご主人もコレクターが昂じてお店をひらいたとうかがった。 私など染付にハマッタとはいえ、腰ぐらいで楽しんでいる 「道楽者」だが、お店を開くところまで道を極めたご主人は 「極道者」だなと思い付いて、話したら、うけてもらえた。 返信には、首までドップリ漬かって、骨まで薫ってしまうから 「骨董」なんだって。 たいした取り引きもせずに雑談に付き合って頂いて感謝、その時の皿です。 | ||
古染付芙蓉手皿 明末 径 16.3cm |