私 の 老 年 観 −岸和田健老大学にての講演より−
「私の老年観」という、さも悟りきった人間の語りそうなこのタイトルをご覧になって、さぞや、どんな人生の経験者が現れて話をするのかと期待されてお集まりいただいた皆様方には、こんな若造が登場することとなり、多少どころか大いにがっかりされたかと思います。
しかしながら、皆様方と比べれば、確かにまだひよっこですが、これでもすでに天命を迎えて、はや53となり、頭には白いものがわがもの顔でのさばっている私です。まあ、これからお話しいたしますことは、年下の者の戯れ言と思って、少しばかりの時間、おつき合い願いたいと思います。
その前に、当「岸和田健老大学」が平成4年度の修了記念講演の担当者として私をご指名いただいた名誉に対して、心から感謝いたします。この大学につきましては、学長の正井先生を初め、関係各位から、極めて歴史のある、且つ充実した教育機関であると承っており、かねがね私も敬意を払っておりました。いわゆる「大学」と言うところで禄をはんでいる私には考えられぬ新しい型の生涯教育を目指しているように思われます。願わくば、この大学が、頑迷古老となった古い体質の大学のイメージを払拭し、高齢化社会に見合った教育機関と認定される、そのような動きの核となり、先達となるよう発展していくことを祈らざるを得ません。
もっとも、そうなれば、それは、私ら古い体質の大学人にとれば、飯の喰い上げとなるわけですが、個人的に申し上げれば、そのことで私たち大学人もこれからの大学のあり方を考えざるを得なくなるわけで、私たちによい刺激を与えることとなり、いいことだと思っております。もしも、私たち大学人が怠慢であるならば、今に多くの人が既存の大学を出たことを誇らしげに語るよりも、「岸和田健老大学の学生、院生である」という、そのことの方を名誉と考えるようになってくると思われるのですが、皆様方、いかがお考えでしょうか。個人的に申し上げれば、それも面白いことだと思います。
前置きの話はそれだけといたしまして、いよいよ本題に入りたいと思います。本題に入ると申しましても、又、弁解のようなものをまず言わせていただきます。それは冒頭申し上げましたように、私のこの講演のタイトル名「私の老年観」についてです。どうもこのタイトル、私には面はゆいのです。又、不遜なタイトルでないかという気にもなっています。と言いますのは、皆様方の方が私よりもはるかに人生の経験者であることは明らかな事実であるからなのです。ですから不遜であると思われた方には、これは私の責任であると言うよりは、学長でいらっしゃる正井先生のせいでそうなったことを申し上げたいと思います。
実は先生から、講演の際のタイトル名をどうしますかと聞かれたとき、お話ししたいと思う中身についてはすぐには先生と了解がついたのですが、適切なタイトル名が見つかりません。あれこれ逡巡いたしておりますと、私の日頃の考えをよく知ってらっしゃる先生から、「私の老年観」ではいかがでしょうか、と言われ、その時は成程なと思い、承諾をしました訳ですが、後から考えると、先ほど申し上げましたように、どうも面はゆい、若いのに何かいい恰好をしているようなタイトルではないのかなと、気にしている内に、印刷されたものが送付されてきて、そのまま今に至った次第なのです。
ですから、これからの私の話も、世間からみれば若くはない、しかしまだ現役でいる、そんな人間が老いを迎えるに当たってどうありたいと思っているのかということについて勝手な御託を並べ立てている一つのサンプルなんだという感じでお聞きいただきますと、私としては有り難いと思いますし、又、皆様方が今の私の年の頃はどんな考えをされていたのかを思い起こしたり、自らの経験と照らしあわせたりしながら、お聞きいただくのも面白いかと思うのです。
さて、私のこれからの話ですが、私、大学の授業でも話がよく脱線してしまうことで有名なようなのです。結局何を言っているのか分からないということがよくありますので、それを避けるためにも、先ず初めに、何が言いたいのか言っておきたいと思います。
まず一つ目は年相応に生きることが何が悪いかということであります。次いで二つ目は人間にはどうしても出来ないことがあると認めることが何が悪いかということであります。言わば、皆さん、これから二つの開き直りをしてみてはどうかという話なのであります。実はこれらの考え方自体が、既に年を取ってきている者ならではの考え方なのであり、それを主張している私自身も又既に年を取っている証拠なのかも知れません。
しかしこれらの考えは誤解されやすく、従って慎重に取り扱わなければならないと思います。と言いますのも、これらの考えは経験を重ねた者特有の物わかりのよさと言うか、悟りのようなものというか、そんなものを会得した者の言いぐさのようにも見えますが、実はこれ又経験によって自分がこれ以上は何もできない無能力者なんだということを知ってしまったため、そのことをていよく弁護しているに過ぎないとも受け取られるからです。
確かに先ほどの二点、特にこれは、若い者というか、経験を積み重ねない者には好まれない考え方のようです。この二点は元々つながっているものなのですが、あえて区別して、そう言った人たちが好まない訳を説明いたしますと、第一の点、これは変化を好まない考え方です。今あるものをよしとする考え方です。若者はまだ生命力が旺盛ですから、単に現状に不満だからと言う理由からだけでなく、その生命力自体が何事でも大きく変化させるものを持っています。第二の点、これについて若者はまだ人生の壁にぶつかる機会が少ないせいなのでしょうが、自らの限界を認めたがりません。知らぬが故の楽観主義に災いされて、駄目と分かっていても挑戦していくからなのでしょう。
しかし、ここでちょっと注意して下さい。この考え方は若者だけに好まれないのでしょうか。年を取っている、取っていないにかかわらず、全ての人間に好まれてはいない考え方ではないでしょうか。特に封建時代以後の近代の人間のすべてに、そして更には、現に知識があって、地位があって、力があって、そして金がある者ないしはそうなりたいとの意欲に燃えている人すべてにと言ってもいいでしょう。
何故そうなのかと言いますと、実はこれら二つの考え方は人間であることの条件を否定しているものと思われかねないからです。人間とは何か。特に人間が生きるとは何か。別に大上段にふりかぶって言うつもりはありませんが、よくわれわれはそんな問いかけをします。そんな場合、われわれの建て前上の答は決まっているのですね。
つまり、人間とは生き物です。そして生き物とは連続的に変化するものなのです。停滞するのは生きてる証しではありません。そう言った変化というものは生への意志というか、欲を持ち続けることと不可分の関係にあります。人間の場合は「もっと、何かを」の意識となっている筈です。そこには与えられた状況をよきものとしてそのまま享受する気持ちなどない筈のものなのです。年相応に生きるって言う気持ちのことですね。皆様方も「もうこれでよい」と言う時に、自分の存在を否定してしまったような気持ちになったことがありませんか。
次に、自分には出来ないことがあるということを認めることの二点目ですが、これは人間が知性を持っていることに起因しています。私の言葉では「人間は観念を構成する能力を持つ」ということですが、この能力のおかげで人間が「生きる」ことにいろんな意味をつけてしまったのですね。観念とは現実を像として描いたものでもあります。が同時に観念は、現実にないそして私たちが通常理想と言っているものの像を描いたものでもあるわけです。生きるとはそんな理想を実現していくことでもあるわけですが、それは人間にとって当たり前のようでありますが、実は人間はそうすべく背負わされているのですね。それが出来ないのは、自分にそれだけの力がない、言い換えれば人間としての資格がないからなんだ、そう思ってしまうところが人間にはどこかあるものなのです。この二点目の考えを認めるということは、理想実現を諦めるということなのですが、その場合は悔しいとか恥ずかしいとかいう情念をよく伴います。この情念も又自分の存在性を落としめられたという気持ちからきているのです。
その上に、封建時代以後の人間は「あるべき人間」の姿として厄介な像を押しつけられているのですね。つまり、近代人は、生きるということについて、それは己の欲を満たすこと以外のなにものでもなく、従ってそうすることに何らやましいところがないのだとして開き直った訳ですが、その正当性を謳うためにカタにとられたものがあるのですね。そのカタというのは、一つは人間が社会的な存在である以上は、己の欲を満たす代わりに社会のお役に立つものでなければならないということ、二つは観念を構成しそれを実現しようとする人間が可能性を持つ存在であったり、希望を持つ存在であったりする以上、己の欲を満たすということは一つのところにとどまらないで、絶えず前進することであり、挑戦することであり、そのために何らかのものを工夫し、生産していかなければならないということです。
これを逆の観点から言い換えますと、人間は社会のお役にも立たず、積極的に生産活動をしなければ、そのような人はいわゆる「人間」ではないという思いを持たされるということなのです。今、私の言っていますのは極端かも知れません。しかし先ほど言いました「自分には出来ないことがある」ということを認めるということは、遠いところで、そんな思いとの葛藤をともなっていることも確かなのです。
これで、私がこの講演で言おうとしていること、即ち、年相応に生きることを認めることが何が悪いという考え方、又、自分にはどうしても出来ないことがあると認めることが何が悪いかとする考え方が、慎重に取り扱われなければならないということがお分かりいただけたかと思います。いかがでしょうか。冒頭に私が申し上げましたこれら二つの私の提案をまず聞かれた皆様方の中には、一見もっともなことを言っていると思われた方があったとしても、どっか心の片隅に引っかかるものがあるなと思いつつ、聞かれた方も多かったのではないでしょうか。それは皆様方が何のために「岸和田健老大学」の学生なり、院生になろうとしたのか、その趣旨と精神を推し量ってみれば、私の提案が、それらと多少なりとも相反している部分を持っているからなのであります。
少なくとも皆様方は、自分達が高齢であることを十分に知っておりながら、それでも、生きることはなにもしないことではないとして、じっとしておれないで、物質的なものであれ、精神的なものであれ、何かを求めてここに来られたはずです。だからその気持ちに水をさすつもりはありません。皆様方も近代的価値観の下に生きているのです。すべての人が、老若男女を問わず、すべての人がそう思って生きているのです。だから皆様方もここに来られていることは「よいことだ」という意識をどっかに持っておられるはずです。 そんな前向きの皆様方から、先ほどの二つの考え方をお認めいただくために、私は次のような補足をいたしたいと思います。即ち「年相応にせよ」と露骨に私が提案しているのではないということ、仮に年相応にしていても、それはなにもしないでよいという意味ではないというのが一つ、もう一つは、「どうしても出来ない」という認識は、「何もできない」ということではないということ、むしろ人間が人間以上のものを求めることに対する戒めを言っているだけにすぎないということです。
さて、私が今、根っからのテレビっ子である若い学生に話をしているのならば、ここでコマーシャルの時間となって一服するところです。どんな名画でも映画館の中ではともかく、テレビでとなると今の学生は三十分と持ちません。ましてや面白くもない講義ともなると、一層です。私語が飛び交うのが今の大学生の嘆かわしい現状です。中には私の方を見ず、後ろ向きになって人と話す学生までもいます。そのことに後ろめたさえ感じていないのだと言えば、驚かれるでしょうが、事実なのです。幸い皆様方は、テレビでの楽しみ方に多少は毒されているとは言え、戦中戦後を通じて面白くもないことにもじっと堪え忍ぶ訓練をなさっていますので、私としてはありがたいところです。ですから、直ちに次の話にと移りたいと思います。
と言いましても、先ほどの話を敷衍していくことになります。先ほどの私の話、まだ心にひっかかるもう一つの理由が考えられます。それは皆様方が自身ではまだまだ若いと思っておられ、まだまだ何かができる力を現実に持っていると確信されていることにあります。打ち明けて言えば、私の話、論語に出てくる例の言葉『四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして矩を踰えず』を地で行ったようなものでありまして、人生八十と言われる今日、時代錯誤も甚だしいのかも知れません。事実、極めて高齢でありながらも、未だに現役で社会的活動もでき、力もある人の言いぐさは決まっております。曰く「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り」云々です。
そうした現役の人、あるいはその意識の強い人ほど、私の言い方は、まるで年寄りは引っ込んでおれと言わんばかりの言葉として受け取られるでしょう。実際、私の言い方はいかにももっともらしい形をとっていますが、詰まるところは、力のある人、あるいは若造が、「年寄りは年寄りらしく生きとれ」、あるいは「もう何かのできる体じゃないんだから引っ込んでおれ」と引導を渡しているようなものですから、反発を買うのも当然です。私も私より若い者から同じことを言われたら、釈迦の説法も屁一つとやらで、「何をくちばしの黄色いくせに」と、人間性の弱さをさらけ出してしまうかも知れません。
まあ、そんな自己防衛網を張って話をしようとする私ですが、実はこれから、この講演で私が最も言いたかった持論とやらを紹介しょうと思っているのです。「私の老年観」と言うのがこの講演のタイトルであり、そのタイトル名が少し気になっていると、冒頭申し上げましたが、まず、そのわけを申し上げましょう。話しを分かりやすいようにするために、お配りの資料をこれからはご参照下さい。
先ほど言いました私の二つの考え、実はこれは「私の老年観」ではなくて、「私の人間観」と言うのが厳密に言って正しいのです。特にこれからの時代の人間観についてです。私の考えは、これからの人間は、老いも若きも含めてということですが、老年の生き方のようにして生きていかなければならないということです。
だが、これもまた誤解を与えそうな言い方かもしれません。また先ほどのような反発が皆様方に起こりそうです。その上に、若い人なら一層です。何を人間そのものまでも馬鹿にするのかといった具合にです。
私の言い方に問題があるのは、思うに「老年」という言葉にあるのですね。どうも、この「老年」という言葉、あるいは「年寄り」という言葉もそうですが、その言葉をわれわれは何気なくよく使うわけですが、今流行の言い方をしますと、この言葉は実は差別用語なのかもしれません。つまり無意識の内にその言葉の中に、無能力者、従って弱者であるとする思いが、若い人にのみならず、年取った方にもあるようなのです。だからこの言葉を使う方の人は、私も含めて、無意識の内に差別意識を持っているようなのです。又使われる方は何とかそう言われないように、そのことである事実を何とか隠そうとする。これは、やっぱりそれに拘っているからなのだと思います。そして又それは、近代的価値観に支配されてしまったわれわれの悲しいさがなのです。
だからこそ、年寄りが年寄りと言われて何が悪いかと開き直っていただきたいわけですが、そのためにも、先ほど言った私の二つの考え方を一種のハードルとしてお分かりいただく必要があるのです。でもその前に、「老年のような生き方」とは何かについてしっかり確認しておく必要があります。それを私は「これからの人間の生き方」という形と重ね合わせてお話したいと思います。
なぜそうするかと言いますと、私はドイツの進化論者のヘッケルという人の言った「生物の個体発生はその生物の系統発生を繰り返す」という考え方に極めて興味を持っております。科学的に厳密に言えば、真実とは言えないらしいのですが、成程と思わせるところがありますので紹介いたしますと、例えば、一人の人間が生命を宿し、この世に生まれ、成長し死んでいくその歴史は、人類が誕生してからと言うか、あるいはそれ以上に地球に生命を持つ生き物が誕生してからの変化成長過程をすべて辿っていると言うことなのですね。ですから、今皆様方がこの世に生きておられるということは単に60や70年生きていると言うことだけでなく、実に20億年の生命の歴史を背負っていたと言うことなのですね。
そこで私は生きているということがいかに重みのあることなのかということを今の若い学生に話すのですが、やはりというか、絵空事のようにして学生は聞いているだけなのですが、おそらく、死を少しぐらいは現実の問題と認識されている皆様方は、如何でしょうか。
それはそれとして、私たち人間は今、近代社会の中に住んでいます。特に日本の場合は、文明が発達し、文化の進んだ社会です。この今の社会が与えてくれるものを享受できるのは、20億年前の生命のおかげとまでは言えないとしても、300万年前に人類が誕生してからの人類のおかげです。それもまだ絵空事に聞こえる人は、ずんずん時代を進ませて、自分の知っている人たちのおかげと言えば、納得するでしょうか。いやいや、それは自分達が努力したからだとか、もっと極端な人は自分そのものが努力したからだと、今の人たちは言うかも知れませんが、それはそれでよいでしょう。
ところが、このわれわれが享受している文明や文化にもいろいろと問題があることが取りざたされています。それらはわれわれの生活にプラスだけをもたらすのではなく、言わばその科学のもたらす副作用の形で、核の問題や地球汚染の問題が起こってきています。一頃「ノストラダムスの大予言」がはやりましたが、あれは人類滅亡を予言したもので、ブームは去ったとは言っても、識者の中にはそれは現実に起こりうることだと言っている人は今もいます。実は私もその一人であると言ってもいいでしょう。
私は人類は滅亡させてはならないと思っております。それはこの世に生命を与えられたものの使命であると考えているからです。死は個体にも種にも起こってくるのは生あるものの宿命です。ですから人類の滅亡はいつか確実に起こってくるのですが、遠い先のこととして見過ごすのではなく、それが近いものと認識し、それをできるだけ先へ延ばすという営みをすることこそ、今この世に存在する人類の最も大事なことでないだろうかと、私は信じているわけです。
と言いますのは、これは私の勝手な持論なのですが、私は人類そのものが種としてはもうたそがれ期に入っていると判断しているからなのです。人類が誕生して300万年(400万年あるいは800万年と言われてもいますが)、それがもう滅びるとなると、他の生き物と比べて、それは余りにも短い期間です。恐竜はすでに滅んでしまってこの地球上にいませんが、その恐竜でさえ、実に1億年も生きていたのです。もし人類が今滅ぼうとするのなら、われわれは恐竜の生き残りのすべを学ぶべきだと言うのは、果たして冗談でしょうか。
そこで、なぜ私がこんな認識をしているのか、そのわけについて少し説明したいと思います。人間のことを学名でホモ・サピエンスと言います。これは「賢い人」という意味の言葉です。なぜ賢いかと言えば、詰まるところ、人間は「知性」というものを持っているからだと言います。先ほど私が使った言葉で言えば「観念を構成する能力」のことです。あるいは「物事を対象として知る力」と言ってもよいでしょう。この知性という能力のおかげで、人間は結局は今日の文明、文化をもたらしたわけです。
しかし、この知性も最初はそんなに発達していませんでした。自然の中の簡単で具体的なものしか知ることができず、他は知らないが故に恐れの対象でした。でも知性はわかったものについてはそれを観念化し、以後はそれを駆使してそれを狩猟採集の技術として生かしたり模倣化したりして生きていきました。他方、知らないものでも、知らないものとしてそれがあることぐらいは知る力が知性にありましたから、なにか自分より力のあるものと認識して、それとコンタクトを持とうとして、それを恐れから尊敬の対象にしました。それが宗教という文化の形をとったのですね。
この間が300万年、これは人類の歴史のほとんどの部分です。こんな長い期間であるのに、その間人類はなぜ進歩しなかったのかと批判的にみるのは今日的視点からです。この時代、人間は知ることよりも信じることの方に比重をおいていたと考えられます。知性としては模倣し、技術(それを文化といってよい)を伝達することが精いっぱいであり、そうすることが人間にとって大事なことであり、それのできる人間はそれだけで尊敬されたのではなかったでしょうか。
やがて知性にも力がつき、人類の生活に第1次革命が起こります。A・トフラーという人はそれを第1の波あるいは農業革命といっています。ご存知のように人間はそれから定住生活に入り、文化や技術が飛躍的に発達します。単により集まりの集団ではなく、国もできます。この時代、古代ギリシャの人間のように、知性の本来の力である「ものを知ること」のできる人、つまり「知者」があるべき人間の姿として尊敬されました。どちらかと言うと信の時代から知の時代を一時迎えたと言ってもよいでしょう。つまり、人間にとって信じることよりも知る努力をする事の方が大事とされたのです。しかしこれもすぐ行き詰まりました。つまり人間は個々の具体的なものは知ることはできましたが、目には見えないものあるいはもっと抽象的なもの、あるいはそれを司る根源的なものまでは分かりませんでした。だから一神教的な形の宗教の時代を迎えることになったのです。
この時代の人間観は物事を大きくするところに生きる意味をおいていました。自然の対象物については、種から実をつくるよう育てること、内なる自分ついては自分を鍛え成長させることでした。日本語の農業という言葉はまさに適切な言葉といってよいでしょう。生きるということはまさに物事を実らせる業のことだったのです。知性の側から言えば、その能力は伝達能力を持つのはあたり前、その上に物事を育成、発達させ、大きくしていく能力にまでなっていました。だからそうする人間は尊敬されました。この時代は3万年続きました。
そうして人類は第2の波を迎えます。産業革命です。以後今日までこの時代を産業時代と言います。ひたすら己を鍛えておかげで、人間は一人で羽ばたける自信がでてきました。知性も目に見えない抽象的なもの、本質的なものまで分かってくるようになりました。それを知ることは己が生きることに有利だと気づきました。知を大事にする時代となったのです。その知を梃子にして、人間はあたかも無から有を作り出すような形で、人間はものを創造したり生産したりすることができました。再び知性の側から言えば、ものを伝達できて当然、伝達ばかりではなくものを大きくできるのも当たり前、それ以上にものを新たに作って生きていくのが本来の姿なのだとされたのです。その集大成が今日われわれが享受している文明社会であり、極めて合理的な社会機構つまり組織の中で生きるというシステムです。そしてこの時代はもう300年も経っているのです。
これでおよそ300万年の人類の歴史の説明は終わります。詳しく言えば、それは300万と3万と300年の歴史です。しかしこの数字はこれからの話しのために私がこじつけたもので正確でないのは言うまでもありません。
さて、皆様、この人類の歴史はいろんなことを示唆しております。その一つは時代が変わるということは単に政治や経済のシステムが変わるだけでなく、人間観そのものも(あるいは人間の本性とされるものも)変わらなければならないということです。人間の本性とは普遍的にあるものではありません。しかしその時代に生きている人はその時代の人間観は絶対にそして永遠に正しいと思っているものです。その時代にそまない人間観の下に行動している人は迫害されたり馬鹿にされたりしているはずです。
その二つは、知性つまり観念構成能力が進むにつれて、その人間観が通用する期間が短くなっている、言い換えれば時代が早く変わるようになっているということです。
その三つは、歴史は繰り返すともよく言われますが、時代が変わる度に、そのかわり方は前のと正反対のものになっていることです。例えば私の言葉では、人間の営みで信じることと知ることが交互に大事にされているということです。これは次のようにも言われます。宗教的なものと科学的なものが交互に大事にされている。人間の関心が内なる目に見えないものと外にある目に見えるものとに向けられている。あるいは受け身的な生き方と前向きの生き方といってもよいでしょう。まるで人間の食べ物の好みが変わるように、あっさりした和食が好きだったが、やがて脂っこい洋食ものが好きになり、再び和食ものにと言った具合にです。
最後の四つは、この人類の歴史が赤ん坊から少年期を経て、青年期、大人に成長していく過程とよく似ているということです。如何お思いですか。
さて、テレビなら、ここで再びコマーシャルです。面白くもない小理屈を並べたてられて、うんざりされている方にはここで一服したい気持ちもあるでしょう。万いつ、これからという時なのに中断されてと思う方がひょっとしておられたら、私も嬉しいのですが、それもコマーシャルの特徴ですから仕方ありません。ここで閑話休題という形でお話しさせていただきますと、私の本職の授業では、今や授業途中で学生に質問するなんてのは過去の遺物になっています。それでも、途中、学生に質問すると、答えようと努力するどころか、キョトンとするのですね。何でそんな質問するのかって言う風に。無理もありません。テレビでは一方的に映像を移し、語り続けるだけですからね。面白くないシーンでは、スイッチをきらないまでも、タバコ吸うも勝手、お茶飲むのもよし、横の人との雑談も自由です。だから、さっきも申し上げましたように、根っからのテレビっ子相手ですから、今や大学の授業のみならず、小学生の頃から、私語は大流行です。別にそうすることに後ろめたさを感じないのですね。それに先ほどの質問のように、どう思っているかの質問についてもキョトンとした後は沈黙するだけ。心の中では、テレビがそうであるように、いずれ先生が答を言うに決まっていると計算しているのですね。この習性は避けがたく、これもだんだん高齢化していっているようです。まだ皆様方の年代まではいっていないとは思いますが。
さて話を戻します。先ほどお話しました人類の歴史を概観した上で指摘しました四つの特徴ですが、お気づきのように、これは皆様方を納得させようとして私が強引に結論づけたものです。つまり、来るべき時代の人間観、あるいは人間はどう生きねばならないかを考えて頂くための材料であったわけです。
その材料をもとに私が下した結論は次のようになります。即ち人間の本性(あるいは、本性とされるもの)は、ものをどんどん作っていくところにあるとされるよりも、今あるものを守ることに比重が傾くのではないでしょうか。言い換えれば、生産的営みよりも非生産的営み、例えば遊ぶとか楽しむとか、あるがままのものをあるがままに享受するとかです。又知の時代というよりも信の時代です。
ここで注意願いたいのは、そのことは人間が生産することを放棄するとか、知ることをしなくなるという意味ではないということです。それらは依然としてなされるのですが、それよりももっと大事なものがあるのだぞとして、取りざたされるということです。そして私の勝手な理屈では、その時期はもう始まりつつあるのですね。まあこれはいろいろ論議のあるところなので、時期については、留保しておきましょう。
ご承知のように、これらは近代社会あるいは近代的価値観の批判という形で起こっています。そこでもう一度、近代社会とは何かについて思い起こして頂きたいのです。私は先ほどそれは極めて高度に発達した文明社会であることと、極めて合理的なシステムを持った社会機構であると申し上げました。それは人間が知的な存在であるとして自負してからの人間にとっての究極の理想の実現されたものとも言えましょう。
それを実現するために考えられた美徳として、知ることはよいことだ、作ることはよいことだ、努力することはよいことだ、前へ進めることはよいことだなどと言われるようになったのです。
にもかかわらず、われわれがよかれと思って作ってきたものや美徳が、薬の副作用のように、「必ずしも人間の幸せにはならない」という思いとなってのしかかってきたのです。文明はわれわれの住む地球的環境を破壊し出しております。合理的社会機構は人間を機械人間のようにするか、精神障害者をどんどん作り出しています。その間隙をぬって「人類滅亡論」が横行し出したのです。こう言った考えがいたずらにわれわれの危機感をあおるのもどうかと思いますが、そう言わせるものの背景となった原因の解明と「ホモ・サピエンス」としての人間の思い上がりについての反省はすべきだと思います。
それを私なりに言えば、次のようになります。つまり、人間は確かに知的な存在でありますが、生物的存在でもあるわけです。知的なおかげで観念構成能力を持ち、文化を持ちます。人間とは進化の過程で、この観念構成能力の力が肉体の力を上回った時点で人間になったのです。あるいは文化的発達の具合が系統的発達の具合を上回った時点で人間になったのです。そのおかげで、人間は氷河時代にも生き抜き、今日の反映を見るわけです。
で、われわれが人類の進歩と言っているのは、その差がだんだんと大きくなっていくことを意味しているのです。でもそれはそれら二つが(心と体と言い直してもよいのですが)実は見えない糸でつながれていて、それがピンと張りつめられていって、いつ切れるか分からなくなっているのが、今の姿であると言えるのです。
私に言わせれば、その糸が切れるとき、それが人類の滅亡の時期です。ですから糸の張り具合を極限状態に持っていかないようにすること、これが人類の滅亡時期をさきに延ばす、つまり延命させることになるというわけです。
この方法も四つが考えられると私は思います。
その一が、人間の感性的存在性を強化する方向で、肉体上の進化のレベルアップを図る。
その二が、ものを対象としてとらえる知的作用の減少の方向で、観念構成能力の進化のレベルダウンを図る。
その三が、自然を人間の支配の対象としないで、共生の関係もしくは人間=自然と見る。
その四が、これ以上の文明化を進めず、文化的保守主義を志向する。
以上の4つです。
如何ですか。私は人類は「自然的滅亡」をすべきであり、「人為的滅亡」をするのだけは絶対に避けねばならない、そうすることがこれからの人間の務めでもあると思っています。人為的滅亡とは、言わば死を早めることであり、もし今のわれわれの思考パターンを続けるならば、丁度レミングというネズミが突如として暴走し、崖から海に飛び降り、集団自殺をするのと似た状況が不可避的に人間に起こると思います。
そこで私の話は結論に入ります。今までの話は、丁度個体としての人間が老いてきて、自然死を迎えるのを承知で、死期をできるだけ延ばすにはどうしたらよいのかについて考えていることと同じであるということを伝えているつもりです。
もちろん、種としての人間を考えることと個体としての人間を考えることがまったく同じであるとは申しません。でも比喩としてでも取り入れるべきところがあれば、取り入れて何が悪いと言えましょう。でも個人として当てはめる場合は、少し修正し、分かりやすくする必要があります。どのように修正するか、冒頭のテーマと絡めて最後にお話ししたいと思います。
まず、年相応に生きよと言いましたが、これは己の分をわきまえよということで、一見封建時代の道徳観を思い起こさせますが、政治的抑圧感が薄れた今日、この封建的な考え方は、生き残りを模索する上に貴重な示唆をこれから与えるのではないかと思います。年をとれば、知性も感性も衰えてきますが、何かを求めて知性を奮い立たせるのは若い人に任せて、何事も機械化された今日、食べ物を舌で味わうように、手でものを味わうことのよさを見いだすことが必要です。初心忘れずと言いますが、知性は生産能力としてよりは、伝達能力としてあるだけでも十分です。ものを作り、役に立たないからと捨てて又作るよりは、今あるものと最後までつきあうことが必要です。下世話ですが、江戸時代では糞尿までも捨てないで次のためにと、とことんつきあっています。でもその心が大事なのです。
次に、自分にできないものがあるのは当然です。むしろ、そう思って自分のいたらなさを嘆く産業時代の人間の心の方に問題があったのではないでしょうか。「もっと」の気持ちに動かされて何かをしたり、ものを作ろうとすることは、これまでの生き方を見てみるに、自分でないもの、つまり他人とか自然とかを単なるものとして見、それを支配したり、克服したりすることで、己の欲が満たされた、従って生きる価値を見いだしたと勝手に思っているだけにすぎないのです。これも童話にある自分の影を売って幸せを得ようとした男のように、そのために今あることで気づかない大事な何かが失われているのです。そう考えてみれば、自分にできないものがあると認めることの方が、逆に生き残りにつながっていくと思うのです。
以上がこの講演で私がお話ししたかったことのすべてです。私のお話ししたテーマは、よく考えれば、この岸和田健老大学の学生、院生のような方を対象にしてお話しをするにふさわしくなかったかもしれません。通常、この場合、まだまだ皆様方は老いてはいないですよ、社会的貢献もできますよ、若い人と同じような考え方、生き方ができますよと言ったような主旨のテーマを押し進め、その具体例を紹介して、皆様方のお役にたてるべき筋合いのものですが、私はあえて、逆のこと、年寄りは年寄りらしくしとれと言わんばかりのことをテーマに挙げて申しあげてきました。ですから、先ほどからも再三申し上げていますように、私の話にどこか引っかかるものを覚えながら聞いておられる方も多々あったかと思います。
私はそのような方がおられても、ちっとも不思議ではないと思っておりますし、その人たちに対しては心配はしておりません。その人達はその人達の考え方、生き方を貫き通されて、今ある自分を築き上げられてきたわけでありますし、むしろそれを踏襲されていくことも立派な生き方であると思います。
ですから、私の今までの話、そういう考え方もあったのか、という一つの考え方として、心にとどめて頂くようお願いいたします。たった一つ、私が気がかりといたしておりますのは、皆様方に一つの心配を与えているのではないかということです。
つまりそれは、これからも長生きすることが大事であると言いながら、話の中身がまるで生きていこうとする意欲を放棄せよと言わんばかりの展開になっているからです。なるほど生きたいと思う気持ちを捨てた人が、又あれもしたいこれもしたいと思わなくなった人が現実には早く亡くなっていくケースがよくあるということをよく見聞きしているからでしょう。そうなれば、たとえそれが悟りの結果であったとしても、何にもならないではないかと言うわけです。
確かに一面の真理です。でも私はこれまでのお話で死ぬことを欲しよとまでは言っていないのです。どんな状況においても、ただ生きて今ある状態を守れ、そのことが生持つものの生きる意味にもなると言っているつもりです。生きていることと死んでいることとは大した違いがないと思うようになった人が、だからすぐ死ぬというわけでなく、大寿を全うしていることも事実です。早くお迎えがきてほしいと言って仏様に命を託している人が淡々とそして末永く生を享受していることも事実なのです。下世話にも無欲であることが生き続けることを保証するのです。私が言いたかったのは、実はそのような心構えでもあったのだと思って頂きたいと思うのです。それを若い世代の者に主張しその前で実践することも又大いなる社会的貢献になっているとは言えないでしょうか。
最後に一言申し上げます。私は最初は西洋の思想を勉強していました。しかしだんだん年をとるにつれて、東洋の考え方、又日本の考え方に惹かれるようになってきました。何のことはない。私の話は「般若心経」の門をたたく一歩手前の考えの焼き直しにすぎないのかも知れません。私もやっぱり日本人なのかも知れませんね。ユングという精神分析学者は、人間は太古の昔から連綿と続く意識を現在にも無意識の内に持っていると言っています。それは「集合的無意識」と言われているのですが、今になってそれが私の心に芽生えてきたのかも知れません。でも私はまだ生きることもない死ぬこともないと言う心境が分からないでいます。でも、この岸和田健老大学から頂いたパンフレットに「健老の誓い」の言葉があります。そこにある言葉として「何も恐れず、悲しまず、また怒らず」が織り込まれているのを拝察するに、私の言おうとしていることに少しは興味を抱いて下さる方もおられるものと信じています。
どうも長い間のご静聴ありがとうございました。
(本発表は、1993年3月23日開催の「岸和田健老大学」終了記念講演のテープをもとに書き起こしたものである。発表時の文法上の誤りなどの手直しをしただけで、その全容をそのまま紹介しております。)
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