歴史本
「信長の夢 安土城発掘」(NHKスペシャル安土城プロジェクト)NHK出版 「発掘捏造」(毎日新聞社旧石器遺跡取材班) 「戦国三姉妹物語」(小和田哲男) 「絵は語る4 源頼朝像・沈黙の肖像」(米倉迪夫) 「ひらがな日本美術史1〜3」(橋本治) 「逆説の日本史7 太平記と南北朝の謎 中世王権編 」(井沢元彦) |
◆「信長の夢「安土城」発掘」(NHKスペシャル「安土城」プロジェクト)NHK出版 平成元年に始まった安土城発掘調査は、現在やっと城郭全体の1/200に達したところ。今世紀中には終わらないだろうと言われている調査の全貌を見ることは、今生きている私達には不可能なことなのですね。それほどの規模を持つ安土城発掘調査は、大手道と本丸後、天主跡を中心に始まり、現在は第2次の本丸調査が進行中です。 NHKスペシャルで放送された「信長の夢・安土城発掘」は、CG画像を中心に、これまでの発掘結果をわかりやすくまとめた内容でした。この本ではその取材過程と、そこから推理される信長の天皇感、宗教感、政策などを紹介しています。 なおCGは国立歴史民俗博物館が制作したもので、昭和44年に偶然発見された、安土城天主の図面と推定されている「天主指図」をもとに本丸、天主を再現映像にしています。 興味深いところは、本来は城主の日常の住まいである本丸が寝殿作りであり、天皇を迎えた儀式の場として作られた可能性が高い事。天主が吹き抜けで、張りだし舞台や空中廊下を特殊な作りであった事。天主が戦いの為のもので無く宗教的シンボルとして作られた可能性があること、などでした。 信長の目指した政策は革新的と言われていますが、それは中途で頓挫したために想像で補われている部分が多いと思われます。完成していればそれなりに時代の流れに沿ったものだったのではないでしょうか。やはり京の都の影響力、天皇家の支配体制から逃れきれていないですよね。 むしろ家康の政策の方が当時としては革新的だったのではないかと思われます。天皇家対策も武家がコントロールする形式を徹底させていますし、江戸に幕府を置いたことも画期的なことですよね。もちろん鎌倉幕府、後北条氏という手本はあったにしろ、それまで実行できた武将がいなかったのだから評価されるべきでしょう。でも、徳川幕府の歴史が現在につながっているから当たり前に思えてしまうんですよね。 ◆「発掘捏造」(毎日新聞社旧石器遺跡取材班)毎日新聞社 2000年11月5日、毎日新聞の1面を大スクープが独占した。 その2ヶ月前、8月25日、毎日新聞北海道支部報道部長は1通のメールを受け取る。記者の一人が考古学関係者から聞いた、発掘捏造疑惑の報告であった。この日から取材班が組織され、考古学に関する取材と証拠収集のための現場取材がスタートした。 取材はまず8月28日から10日間に渡って予定されている北海道総進不動坂遺跡の張り込みから始まった。しかしこの時は決定的な証拠を掴めず、この後取材は宮城県小鹿坂遺跡、さらには藤村氏の最大の功績と言われていた上高森遺跡と続いた。そして10月22日、ついに上高森遺跡で現場写真の撮影に成功する。スクープのための紙面は11月1日に完成。11月4日夕方に藤村氏に取材。本人が認めたことを確認後、朝刊への掲載を決定。 よくあんな写真が撮れたものだと感心した方も多いでしょうが、そのための張り込みは、深夜から早朝まで人目をしのんだ索敵行動のようなものだったようです。あの執念は圧倒されますね。もっともそのために、プライバシー問題にはかなり気を使ったようですが。最悪の場合、隠し撮りで訴えられる可能性もありますからね。 プレッシャーに負けたということですが、仕事をしていれば誰でもプレッシャーはあるでしょう。だから多少のごまかしはあることかもしれないですが、自分が一番好きな考古学を裏切っってしまった責任は重いと言うしかないでしょうね。 1番驚くのは藤村氏が関係したほとんどの遺跡調査で、発掘報告書が作られていなかったと言う点。まさに“掘りっぱなし”。これでは学術調査とは言えないですよね。「日本の旧石器発掘は、ほとんど1つのグループが独占していて、それに対して反論が出来なかった。反論する事は個人攻撃、誹謗中傷ととられた」と言うのも日本的な閉鎖社会の悪い面を象徴してますね。 もう1つ、旧石器とは関係無いですが、あの長屋王邸を潰して建てられた奈良そごうが、わずか11年で閉店したというのもショックなニュースでした。長屋王に関しては即位説もあり、貴重な史跡だったのに、11年でつぶれる建物の為に永遠に破壊されてしまったわけですよね。あれから奈良が寂びれたんじゃないのかな?(^^;) ◆「戦国三姉妹物語」(小和田哲男)角川選書 特に江戸時代に作られた淀殿の悪女のイメージを払拭しようと試みているようです。そのため、できるだけ確実な史料から淀殿が実際に言ったと思われる事、やったことを探り出し実像に迫ろうとしています。結論としては、淀殿は信心深い凡人だったと言う事でしょうか… 今年の大河を見ても淀殿のイメージは相変わらずでしたね。歴史上有名な人物のイメージと言うのは1度出来あがってしまうと、いくら研究が進んで新しい事実がわかってもほとんど変わらないものなんですね。 ほとんどの場合、歴史上の人物のイメージは研究書ではなくてドラマや小説で確立するわけですから、1つ有名な作品が出て、そこで新しいイメージが描かれればすぐまた変わってしまうですよね^^; ◆「絵は語る4
源頼朝像・沈黙の肖像」(米倉迪夫)平凡社 現在神護寺にはこの頼朝像とほとほぼ同じ構図の肖像画が他に二幅伝えられていて、それぞれ平重盛、藤原光能に比定されています。しかし、この3人にセットで描かれる共通点が考えにくい事から、この2人の人物比定には疑問も持たれていました。 今回著者は日本美術史における肖像の意味、絵画的手法、歴史的背景などから考察して、あらためてこの三幅の肖像を、足利尊氏、直義、義詮に推定しています。ミステリー的謎解きも楽しめる1冊です。 神護寺の頼朝像は昨年神奈川県立歴史博物館で特別公開されましたけど、その時この説も紹介されていました。まだ不明な部分が多いと言うような説明でした。 ◆「ひらがな日本美術史1〜3」(橋本治)新潮社 日本美術の中には意外に「動き」の要素が入っているんですよね。 あとは「色の華やかさ」にも驚きます。現在私達が見ることの出来る歴史的美術品の姿は、ほとんどが退色したり表面が剥離したりした後の姿です。そこから、どうしても日本美術というと、地味で渋いイメージを持ってしまいます。でも実は、作られた当初の姿は極彩色の上に金箔などを多用した派手派手作品だったりするのですよね。 ◆「逆説の日本史7太平記と南北朝の謎中世王権編
」(井沢元彦) 小学館 |
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