「役の行者」とみのお
箕面の瀧安寺の開祖は、役<エン>の小角<オズヌ>(635〜702)です。

役の小角は大和の国茅原の人ですが、
修行の道を求めて全国を行脚し、
白雉元年箕面滝本において艱難辛苦の修行中、
夢枕に顕われた竜樹菩薩の導きによって、
弁財天則ち聖如意輪観音菩薩と出会い、
手ずから竜樹菩薩・弁財天女尊像を造立しました。

これを祀るため一堂を建立し「箕面寺」
としたことに始まります。
瀧安寺所蔵の箕面寺秘密縁起によると
開祖役の小角は、大峰山修行など数限りない苦行を重ねました。

なかでも、大化9年(697)63歳の時、
ざん言によって伊豆の国大島に配流されるなど多くの苦難を受けながらも
全国津々浦々で衆生済度に生涯をささげました。

全国各地に役の行者ゆかりの寺院・遺跡があるのはこのためです。

多くの修行・衆生済度ののち、
大宝2年(702)箕面山戊亥角(天上岳山頂)より
大唐国へ飛翔したとあります。

その没後も「役の行者さん」と呼ばれ、
山岳信仰の祖師として全国に知られています。
”松葉を以って食と為す・・・”
役の小角行者が箕面山滝本で難修行し、
悟りを得るまでの修行の毎日はすさまじいものだったと記されています。

「積劫累徳、剥藤艾ラ衣、以松葉為食、・・・・(以下略)」

(劫を積み徳を累ね、藤艪剥いで衣と為し、松葉を以って食と為す・・・・)

とあります。