ザッツ17 「IT不況とデジタル・ヤングマンの苦戦」 パソコンで何を生産したのか?ここに問題が 2002年11月15日

2002年10月1日より、雇用保険料が値上げされた。失業率は5%の大台にのり、日本経済は「デフレ・スパイラル」(=デフレがデフレを呼ぶ、死の渦巻き?)に陥り、一向に景気は回復しない。中高年のリストラは、ずいぶん前からあったが、今回の雇用情勢には30歳代の失業者が多いことに特徴がある。この30歳代は、僕のような白髪あたまの親父からみると、「デジタル・ヤングマン」という世代であり、その青春時代には、「大衆的なパソコン」が存在していた、実にうらやましい世代である。その世代の失業者が多くあるのは、なぜだろうか?

昨年の8月に述べたザッツ談の部屋「ザッツ16」の「ウインドウズXPとIT不況」の中で、「パソコンで何をするか」が問題であると述べたことがある。その中で「パソコン教育への提言」みたいな試論を、僕は生意気にも展開している。生意気な白髪あたまの戯言とお笑いいただければ良いのだが、しかし、一年以上たった今、読み返すと、「ああ、あったているな」と感じている。新聞の「IT不況」の記事を注意深く読むとわかるが、「ハード・ソフトの両面での不況が深刻である」ようだ。一方、失業の記事を注意深く読むと、「IT不況」と「30歳代の失業者が多い」ことが密接に関連していることがわかったのである。要は「デジタル・ヤングマンの苦戦」といえそうである。

ところで、僕は、昨年の9月に、自分の職場環境が変化した。「若い有用な人材」を一人募集することになり、なぜか、その面接に立ち会う機会にめぐまれた。面接に来た「若い人物」は、全部で四人。一人を除き、みな30歳代であり、それも揃いにそろって、高学歴であり、大学どころか大学院を卒業していた。なかには大学を2つも出ている女性もいた。ここにも「30歳代の失業」が現れているとおもった。結局、20歳代後半の青年が採用となったが、その理由は、「若いから」(人件費がかからないから?)だけではなく、面接の「最後の段階での質問」に対する回答にあったのである。その質問とは「面接を終えるにあたり、どうしても言いたいことがあるでしょうから、どうぞ」というものであった。とても寂しいことであるが、ほとんどは「いや別に・・・」だったのである。「大学を2つもでている女性」にいたっては「あの〜、一つだけいいですか?私、運転免許証を持っていませんが、やはりあったほうが良かったみたいですね。職安の募集には『要免許』となかったものですから・・・」と言った。「白髪あたまの短気太郎」の僕は頭に血が昇り、「あなたね、今は普通免許は必須ですよ。教員免許よりもね。あなたは求職活動を続ける意思があるのなら、この足で直ちに自動車教習所にいきなさい」といってしまったほどだ。一方、採用になった20歳代後半の青年は「もし仮に採用になったら、どこから勉強したほうがよろしいでしょうか?」であった。僕の職場の仕事は、国保関連・労災関連・税金関連などの法律に係わる分野が多く、その若者は履歴書に『法律の分野で仕事がしたい』と書いてあり、「最後の段階での質問」の回答と一致したのである。すなわち「どんな仕事をしたいのか?何を学ぶのか?」の「差」であった。しかし「この差」は大きい、と僕は思うが、どうだろうか・・・。

ところで僕は、「同世代を生きた者には、共通の刻印=生まれ育った時代の刻印がある」という意見に賛成である。ヘーゲルが確か『個別性は、普遍性と特殊性の弁証法的統一である』といっていたと思うが、個々の人間は、「個別的な存在」であるが、その「普遍性こそが時代の刻印」ではないかと思う。もちろん個々には「特殊性もある」が・・・。僕がいう「デジタル・ヤングマン」は、30歳代からもうそろそろ40歳代になろうとしている世代であるが、彼らが生まれ育った「時代的な刻印」とは一体なんだろうかを考えている。思うに、彼らが肉体的・精神的にも育ち盛りのころは、僕は「子育て奮闘時期」であり、他を省みる余裕は全くなかったので、正直言って、「未知の世代」でもある。ただ「デジタルに強い世代」と言われていたと思う。念のために申し上げるが、僕は、この世代の全てを否定しているのではない、それどころか「うらやましい時代に生まれた世代だな」と嫉妬している位である。

さて、本題に戻ろう。「デジタル・ヤングマンの苦戦」とは、要するに、彼らは「何を期待され、何を求められたのか」にあると僕は思う。一方、「期待した世代」は、僕らを含めて、ちょっと上のアナログ世代=「団塊の世代」である。これは皮肉なことではないだろうか。「パソコンを使えない」、「否、使いたいけど、ちょっとな・・」、「否、なくたって俺は出来るんだ・・」との「冒険心の衰えと居直り精神が錯綜している団塊の世代」は、「デジタル・ヤングマンに、何かを期待した」のかもしれないという図式がなりたつのではないだろうか。そもそも「期待は幻想」であり、なんの根拠もない。ましてや「漠然とした期待」は、期待される側にとっても迷惑千万のなにものでもないだろう。「冒険心の衰えと居直り精神が錯綜している団塊の世代」の期待は、「もしかしたら、パソコンを導入したら何もかもうまく行くのではないか?」というレベルの期待だったのではないかということだ。一方、「期待される側=デジタル・ヤングマン側」にも問題があったのではないか?彼らは「パソコンで何を産み出したのか」考えてみる価値があると思う。確かにデジタル機器に器用な世代であるが、何もデジタルは「新しいもの」でもなく、また「最高のもの」でもない。このザッツ談のテーマである「デジタルとアナログ」の中で、僕は何度も強調してきたことだ。パソコンの性能は格段に高まった今日、人間の本性に根ざす、汗の匂いのするようなアナログ的な発想は、ますます貧弱になってきていると僕は言いたい。「デジタル・ヤングマンの苦戦」は「アナログ・オールドマンの苦戦」でもある。

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