ザッツ14 「個人向けの債権回収に情報技術(IT)・・・」 トリッパグレを防ぐためのデータ集積? 2001年6月22日

2001年6月22日付けの日経新聞に貸し倒れ回避に個人行動を分析」(サブタイトル=「会話や応対の情報蓄積」)という記事があった。仕掛け人は、天下の「あさひ銀行」と「NTTコムウェア」という大企業である。以下、記事を整理してみよう。

目 的 個人向け債権の回収不能を防ぐこと
対 象 住宅ローン、無担保ローンなどの個人向け債権
手 段 個人情報を電子データに変換、蓄積・分析
データ @個人情報
A返済の履歴
B督促への対応
C電話での対応
D交渉でのやりとり
E顧客と接触した際の詳細な情報
対 応 @訪問回数を増やす
A早めに担保を競売にかける
外 注 「あさひ債権回収」という会社に業務を委託

この記事に、面白い例が2つあげられている。

第1の例「電話での督促に債務者の配偶者が出て、返済の遅れを知っている場合は、過去の事例から返済の可能性が高い」らしい。これには、思い当たるあたる節がある。
第2の例「運転免許証を2回以上紛失した経験のあるものは返済の確率が低いといったことも統計的に知られており、免許証の番号から要注意の債務者を割り出せる」らしい。

この記事をトイレで読んでいた僕は、腹を抱えて大笑いしてしまった。と同時に、情報技術(IT)が、個人債権のトリッパグレ防止までに活用されるとは驚きであった。

僕は、このザッツ談コーナーで「アメリカンエキスプレス」のカードについて話題にしたことがある(ザッツ10)。

『アナログ的存在である、この「僕」が、「デジタル情報化社会」の今を「生きていること」は、、様々な「データを残していること」に等しいのかもしれない。その「生きた痕跡(データ)」の中には、「ある目的」を持った『収集屋』が、「喉からよだれがでるほど欲しいデータ」が含まれているかもしれないのである。「データ」とは何か?を考えているうちに、僕は「不安」になってきた』と述べた。今回は、カード会社ではなく、銀行版である。

この記事は、「データとは何か?」を考える絶好の題材ではないだろうか?以下、表の「データ」部分に注目してみよう。

@「個人情報」。これは融資の段階で基本的なデータは集められている。年収・仕事先・部署・家族・職歴などだろう。カード会社も同じデータをとっている。またA「返済に履歴」。これは当然。

問題は、BからEである。電子化するのだから、同然、数値化が必要になる。数値化のためには、何か基準が必要になる。BからEは、言ってみれば、非常に主観的でアナログなデータであることに特徴がある

たとえば、銀行マンが、僕の家に返済の督促にきたとしよう。銀行マンは「おや、以前よりやつれているな。食費を切り詰めているのかな、そういえば服装もよれよれ、白髪あたまが、ぼさぼさだ。それに庭の草がぼうぼうではないか。玄関の靴も整理されていない」。銀行に帰社した銀行マンは、このデータをなんらかの「アンケート用紙に記入して報告」するのだと思う。ソフトは数値化したデータを分析する。従って、このアンケートには、それぞれ、段階的評価がされていることだろう。また、質問項目そのものにも「焦げ付き危険度」に応じた段階があるに違いない。おそらくは5段階か3段階になっているはずだ。それを集計、総得点で危険度を判定する「システム」ではないだろうか。

しかし、この主観的でアナログなデータには、大きな落とし穴があると僕は思う。たとえば、今回、銀行マンは、返済が滞っているから僕の家に来たのだ。だとすると、その理由がある理屈になり、銀行マンは最初から「金策に問題があるのではないか?よおーし、ここは、取り立て不能になっては、俺のボーナスに影響がある」と僕を見るのは当然だろうアナログな僕をアナログな銀行マンが「観察」するのだから、これは仕方がないともいえる。問題は、そのデータを一定のソフトを通して「判断」するところにあると思う。一見「科学的な手法」に見えるが、その効果はどういうものか、僕は非常に興味がある。そもそも、このようなデータ分析の結果、銀行側がとる対応を見るに、「訪問回数を増やす」とあるが、「なんじゃ、こりゃ・・・」と感じてしまうが、その具体的中身はなんだろうか?

ところで、僕は「情報管理の部屋」において、アナログな「メモの世界」をデジタル化する工夫について述べている。まだまだ試行錯誤であり、今後も工夫していくのであるが、今回の「あさひ銀行」のシステムの概要をみるに、なんだか良く似たところもあることに気がついた。僕はデジタル・データをもとに「5感がメモられている源始メモに立ち戻る」ことを重視している。今回の「あさひ銀行のシステム」は、源始データに立ち戻るのであろうか。僕は、情報管理の部屋で、「メモに立ち戻ると、新たなデータが生れる」と書いているが、「判断(これには喜怒哀楽の感情も含まれている)の誤りに気がつくこと」も「新たなデータ」であることを忘れてはならないのである。

ザッツ談の部屋に戻る