奮闘記その2=購入したてのころ

「陳腐化」の激しい商品を購入する場合、僕らは、その商品の動向に注意しなければならない。いわゆる「自己責任」らしい。「OS」が「ウインドウズ98」に「落ち着いた」のを「契機」に、僕はとにかくも、パソコン購入に踏み切った。もう待っていては、どう仕様もない。「CPU」の能力は、今後も飛躍的に伸びることはわかっていた。また「メイン・メモリー」も次第に大きくなっていくことはわかっていた。「ハード・ディスク」の容量も巨大化することは、わかっていた。それと同時に、ほんのわずかな「欠陥」や「誤操作」が、膨大な損失を生むこともわかっていた。「メガ」から「ギガ」に単位が変った今日。「目が(メガ)飛び出る」時代になったのである。これは決して「戯画(ギガ)」ではない、現実のことである。
奮闘記その2では、ウインドウズ98・オフィス98のインストールについて述べたあと、いよいよキーボードの項に入る。奮闘記その1では、オアシスの「親指シフト」と「JIS」キーボードについて触れたが、ここでは、
「ローマ字入力」方式への乗り換えの工夫について述べる。奮闘記その2でもっとも書きたかったことである。関連して、「漢字変換のコツ」についても述べよう。


■1999年4月「VAIO」を購入            
                   
  4月中旬、ついに僕は、機種を決め、ソニーのバイオシリーズの上から2番目」の高級機を購入した。ソニーにした理由は、たいした問題ではない。当時、よく出回っていたからであった。それよりか「上から2番目」という選択基準には、僕なりの考えがあった。自動車でもそうだが、陳腐化(移り変わり)の激しい商品の最上機種は、「次の世代の機能」を搭載している。従って、割高だし、また、この「次の世代の機能」もどうなるか、わからないといえる。その点、「上から2番目」の機種には、現時点で「定着した機能」が搭載され、余分なものが少ないと思う。購入の時点では、この選択は誤っていなかったとおもう。
                   
    ★「陳腐化」商品
はやりすたれが激しい商品。パソコンの場合、商品そのものが、廃れるのではない。ハード面での急激な技術開発のためにすたれたり、また、ソフト面での急激な変化で、すたれたりする。そもそも、パソコンは登場してから、長くみても30年ぐらいしか歴史がない。コンピュータそのものも、第二次世界大戦中に軍事目的で開発されたという。国立科学博物館に、戦後まもないころのコンピュータの一部が展示されている。真空管でできたもので、巨大も巨大。まるで図書館のキャビネット本棚を大きくしたような、ユニット、しかも極太のパイプのような電線で結ばれていた。真空管であるから、相当の熱を持ったであろう。そこに蛾(バグ)が飛び込み、度々、真空管がいかれたという。現在「ソフトにバグ(欠陥)があった」という語源はここから来ているそうだ。博物館の展示場には、みかん箱の大きさの「卓上計算機」が置いてあり、説明文には「この巨大なコンピュータの性能は、この卓上計算機ぐらいの性能です」とあったと記憶している。こっけいな話であるが、笑えないことである。展示されていた「卓上計算機」も、今の「1000円電卓」の足元にも及ばない性能だとおもう。
                   
「パソコンが届いた。さあ、と張り切ったのだが            
                   
  注文して数日後、僕のパソコンが自分の手に入った。驚いたことに、日本語ワープロ専用機の梱包より、小さかった。梱包を空けると、予想していた分厚いマニュアルがなく、小冊子ぐらいの取扱い説明書があるだけだった。僕は、少し不安になった。30歳代の若者が僕の近くにいたので、悔しいけれど、聞いてみた。その青年の話では「最近、マニュアルは、ソフトの中に組み込まれている」とのことであった。この話を聞いて、僕は、なお一層不安になった。だって、ソフトを動かす前に必要なものがマニュアルだろう。この動かし方を書いてあるものが、動かさないことには見ることが出来ない理屈ではないか。とにかく、パソコンに基本的なソフトをいれなければ、どうにもならないらしい。この基本的なソフトこそ、ウインドウズ98であった。僕の事実上のパソコン奮戦記は、ここから始まる。しかし、今まで述べたことは重要なことであった。これは、今になってわかったことだった。
                   
    ★「マニュアル」のソフト化
手引き書。または「取扱説明書」。最近、これを軽視する傾向にあると思う。とにかく、なにかしら、ボタンを押せば、それなりに使えるからであろう。このことは、技術の進歩であり、喜ばしいことかもしれない。しかし、『待ってくれ』と僕は言いたい。
                   
■「ウインドウズ98」のインストール            
                   
  早速、僕は、「基本的なソフト」のインストールパソコン本体に「ソフトの命」を吹き込むこと)を試みた。ソニーのバイオには2枚のCD・ROMがついていた。青色と無色の2枚があり、どれを使っていいのか、迷ったあげく、派手な青色のディスクを選んだ。インストールは不安だったので、30代の若者に「助け」を求めた。彼は、段取りよく、「事」を進めた。彼の言う通りにして無事、インストールができたようだ。
最近のソフトのインストールは、「ウイザード」という「対話式画面」で簡単にできるようになっている。これは僕にとり、初体験であった。まず、ソフトを使用する「約束事」がズラズラでてくる。そして「同意する・同意しない」を聞いてくる。僕の若者は「同意を選択する」よう、僕に指示した。無条件に従う白髪あたまのおっさんであった。僕は、ふと疑問に思った。「同意しない」を選択したならば、インストールは出来ないだろう。だったら正面から「同意しないとインストールできない」と書けばいいのではないかと思った。これはどうも、「あんたの自由意志を尊重」するということらしい。「嫌ならいいよ」ということらしい。「ウインドウズ98対応」のパソコンを買ったのであり、その基本ソフトの利用の約束事に「同意しない」を選択する馬鹿がいるだろうか。基本ソフトの「ウインドウズ98」は、「円盤」の物体から、パソコンの画面に「息」をし始めた。
                   
    ★「インストール」
パソコンの記憶装置に「プログラムを組み込む」こと。なにかとカタカナが多くて困るが、英和辞典を手元において『語源』を調べてみては、いかがだろうか。僕も散々苦労した。パソコン用語辞典も1冊あったほうが良いが、「辞典」の限界なのか、ある項目を引くと、またわからない用語があり、その用語を引くと、もとに戻ってしまうことが良くある。僕は、このホーム・ページをきっかけに、「短気太郎パソコン用語辞典」を作ろうかと考えている。
                   
■「ウイザード」の「対話」とは?            
                   
  「ウイザード」のことを「対話式画面」と言った。ある画面が出て、「2つのうち1つを選択する」場合が多い。「あんたは自由意思を持っている。どれでも自由に選びなさい、さあ、どうすんの、あんた」。パソコンは、時間の概念がない。選択しない限り、次に進めず、いつまでも待っている、安心だ。日頃、時間で管理されている僕にとり、パソコンの「余裕」には驚いたものだ。
僕の指導者の若者は、実に軽快に次々と場面の「選択」を僕に指示してきたのであるが、ある「法則」があることに、僕は気がついた。
ウイザード」画面は、「2つのうちの1つを選択する」といいつつ、「間違って選択」しても、いいように出来ているのである。つまり、選択画面が出る度に、二者択一の選択肢」の一つが「自動的にセットされていた。僕のようなアル中が、手が震え、お手つきで「エンター」キー(確定キー、すなわち選択キー)を押しても、その「セット」が「無難」に「選択」されるようになっていたのである。
ウイザード」は、
「無難な選択」を「選択」できるように「組み込まれていた」のである。だったら、インストールの最初から、「無難な選択」ができるようにしておけばいいではないか。「ウイザード」は、「対話式」といいつつ、「対話がなくても」いいように「仕組まれている」のだと僕は思った。手の込んだ「仕組み」ではないか。
                   
■「オフィス98」を急いで買った、ところが・・・            
                   
  パソコンに基本ソフトの「ウインドウズ98」を何とかインストールした僕は、次に必要な「ワープロソフト」を選ばなくてはならなかった。バイオには、いろいろな「おまけソフト」(グリコのおまけと一緒。ついているだけで、ウキウキして、得したように思うもの)が、ついていたが、肝心の「ワープロソフト」の「おまけ」はなかった。へそ曲がりな僕は、「ちまたのハヤリのソフト」は買いたくはなかったが、パソコン雑誌には「オフィス98」のパッケージ・ソフトの活用記事が氾濫していた。「エクセル」「ワード」である。「オアシス派」だった僕は、「オアシス」を探したが、在庫がなかった。注文の余裕はなかったので、僕は、「オフィス98」を買った。
ところが、僕が購入した「オフィス98」は、一太郎のCD・ROMがあることを前提とするパッケージ・ソフト(いくつかのソフトが、あたかもパック旅行のようにつまっているソフト)であった。このパッケージを買った理由は、純粋な(初めて買う人向けの)パッケージより価格が安く、また、僕の家には「ほこりまみれのウインドウズ95」のディスクトップパソコンがあり、確か一太郎が標準装備であったからだ。これはうかつであった。
                   
    ★「おまけソフト」
「おまけ」の多さに、惑わされてはいけない。「おまけ」は、しょせん「おまけ」に過ぎず、「期間限定の試用版」ソフトである。僕は、このことを知らなかったので「痛い目」にあった。その4の「インターネットの世界に突入」のところで出てくる。
                   
  家に帰って、さっそく「オフィス98」のインストールの作業をはじめた。今度は、慎重にパッケージの表面に書いてある説明文を読んだ。パッケージの箱には、梱包を開けてしまっては返品が出来ないとの注意書きが書いてあった。しかし、梱包を開けなければ、先に進めない。「エイッ、くそ」と言って僕は、パッケージ・ソフトの梱包(ビニール)を破った。
「ウイザード」画面が出て、またもや「同意する・同意しない」の画面がでてきた。当然、僕は、「同意する」を選択した。「返品できない」のだから、「梱包を開けたとき」が「同意」したときになるのではないか。何事にも「一言、ものを言わないとすまない」僕は、そう思った。パッケージの梱包を解いた、だから、僕は「このソフトの使用に同意した」のであり、もう、返品はできない。あとは「僕の若者」のアドバイス通り進めればいいんだ。
ところが、である。一太郎のCD・ROMの「シリアル・ナンバー」(確かにあなたは、このCD・ROMを買ったという証拠番号のようなもの)の入力画面が出てきて、僕の挑戦は、中断となった。手元にはそれがない。
困った僕は、その番号探しに明け暮れることになったのである。詳細は省くが、この番号を見つけるのに1週間近くかかったのである。僕は、探しに探しまわり、相当の時間を浪費した。僕の時給は1時間あたり2000円ぐらいだった。シリアル・ナンバーを探すのに、大体10時間以上はかかったから、2万円かかったのである。安いから買ったパッケージ・ソフトは、かえって高くついた結果となったのである。「どうもおかしい」と僕は思った。シリアル・ナンバーを見つけた僕は、さっそくインストールを試み、無事完了した。
「オフィス98」というソフト名は、なんとなく「心地よい」響きをもっている。というのも、「自分のパソコン」に、「自分のオフィス」が「確保」できたような気がするではないか。僕は、インストールしただけで、「満足」に思った。
                   
■「ワード」を起動して、さっそく、キーボードの練習だ            
                   
  僕のパソコンにワープロソフトも入った。オアシスの「親指シフト派」であった僕は、さっそくキーボードの練習に入ることにした。ワードを起動して、MS−IME(日本語辞書)の入力方法をマニュアルを見ながら、なんとかローマ字入力方式に変えることに成功した。それにしてもおかしな話だが、「かな入力」方式も「ローマ字入力」方式も、「日本語(かな・漢字)入力」の方法なのである。「あかさたな」キーを使い、日本語を入力する方法が「かな入力」といい、「ABCDE」キーを使い、日本語を入力する方法を「ローマ字入力」と呼ぶようだ。僕が理屈っぽいのかもしれないが、だったら「あかさたな日本語入力」、「ローマ字日本語入力」と呼べばいいのではないか。このほうが紛らわしくないと僕は思うが。
とにかく僕は「ローマ字入力」の練習を開始した。最初は自分の名前から試みた。名前を一旦頭中で、ローマ字に変換、そのアルファベットを記憶して、キーボードから探さなくてはならない。「短気太郎」という、僕の名前は「TANNKITAROU」となる。「ん」は、ローマ字で「NN」と打つ約束であるそうな。いやはや面倒くさい。老眼の僕は、目が疲れ、肩が凝る始末。
                   
■「10本の指」で打つ必要はないと思うが・・・            
                   
  パソコンの一番のネックは、キーボード入力にあるのではないかと僕は思う。僕の場合、パソコン導入前に日本語ワープロ専用機時代の経験があったので、比較的有利かもしれない。しかし、「親指シフト」であり、いわゆる「JIS」キーボードへの移行には、勇気に似た決断が必要であったことは前に述べた。ここで注意しておきたいことは、キーボードを打つには、両手の指全部を使う必要はないということだ。ホーム・ポジション(キーボードに両手をあてるポーズの位置)にこだわる必要はない。僕らは若くはないし、身体に覚えさせるには、若いときの数倍は時間がかかるだろう。それよりも、目の前にあるパソコンを使い始めることが先決ではないか。ブラインド・タッチなんてことは、今後の課題と思っていたほうが、気が楽であると思う。
以下、「
ローマ字日本語入力」の工夫について述べる。
                   
■「日本語の母音「A・I・U・E・O」の位置を確認」            
                   
  日本語には幸いなことに母音がある。僕は真っ先に母音の位置をチェックしたのは言うまでもない。「AIUEO」キーをよく見ると、「A」と「E」は、左隅にくっついている。「U」と「I」と「O」は、中央の上部に、なんと一列に並んでいるではないか。日本語はすべて母音で構成されると言ってよい。だから、僕のポジションは、おのずと決まったも同然であった。まず、左手は、「A」と「E」を担当するので、左手人差し指を「E」のキーに置く。すると左手の平付け根は、キーボードの左手前角に位置する。一方、右手は、「I」のキーに右手中指を置く。すると右手の平は、キーボードの手前右半分の中央の位置になる。これは自然にそうなる。
                   
    ★「あ・い・う・え・お」入力の特徴
ひらがな入力のキーの位置をよく見てみよう。「あ・い・う・え・お」は、母音だから、4段目の左に「固まっている。この位置は、変換キーから、ずいぶんと離れており、まことに都合がわるいと思う。次に「か行」を見てみよう。「か・き・く・こ」が真中に固まり、「け」は、右端に位置。さらに「さ行」をみると、「さ・し・す・そ」は、左の真中に縦位置で固まり、「せ」が、右端に位置している。以下、同じように見てみると、各「行」は、基本的にブロック化され、1文字が、そのブロックとは反対位置に置かれていることがわかる。これは、なにか「合理的な根拠」みたいなものがあるのだろうか。僕はとても疑問に思う。
                   
  さらにまた、日本語の辞書の「あ」行「か」行などの索引を見てみると、日本語で、どの行の単語が多いかわかるだろう。「か」行、「さ」行、「は」行、「あ」行、「た」行の順。この多い順に思いつくままの単語を打つ練習をしてみた。その結果、このポジションは非常に都合が良いことがわかった。ほとんどの場合、左手のひらの付け根をキーボードに押し付けたままで打てる。時々、左手人差し指が右手方向に伸びるときがある。このポジションは、2年たった現在もますます快調であり、キーボードの光り具合からも、このポジションの合理性がわかる。ピカピカ光っているキーは、左から、ASEDRTGYHNUMIKOのキーであり、「、」「。」の句読点記号と「矢印キー」、「Enter」キー、「Backspace」キー、真中の「スペースキー」も良く使う。ピカピカ光っているキーをあげたが、沢山あるように思うだろう。こんなことを知って、何の得になるのか疑問に思うかもしれない。しかし、それを一つの図形にしてみると良くわかる。左上が細く、右下が膨らんだブーメランの格好をしているではないか。膨らみ始めたところは、右手と左手の境になる。先ほども言ったが、左はほとんど固定、右手は、手首を軸に90度は回転する。従って、パソコンの左を少しを手前に引き寄せ、斜めに構えるのが、僕の現在の「打法」である。結局、よく使う指は、両手の人差し指と中指の4本が圧倒的に多い。
                   
  次に、音が同じで文字が異なる日本語がある。「お」(O)と「を」(WO)。「わ」(WA)と「は」(HA)。「ず」(ZU)と「づ」(DU)。「ち」(TI)と「ぢ」(DI)。また、外来語の小さな文字で、「ェ」(XE)なんかは、よく出てくる。僕は、この練習をしていて、特殊な文字のローマ字入力には、日本語にめったに使わない文字(XとW)を組み合わせているようで、すぐに覚えられるようになっているので心配しなくて良い。
                   
■しかし、ワードの日本語変換はなっていない・・・            
                   
  僕のキーボード練習は、1週間は続いたと思う。ところが、ここで新たな問題にぶつかったのである。ワードの日本語変換が、しっくりこないのである。この問題は、ワード2000になっても、同じである。これはワードの辞書、MS−IMEの問題である。ここ2年ばかりで、気がついたことは、単語のみの変換は避け、「て、に、を、は」の助詞をくっつけると、変換率が高いようである。つけるのが馬鹿げているときにも、つけるのがコツ。
                   
  ところで、日本語の変換については、僕は、日本語ワープロ専用機時代から、「文節変換」(日本語の文を読むときに、○○がネ、という具合に、ネをつけて区切る)が基本だと考えている。ワープロが普及しはじめたころ、「一括変換機能」の優劣が、雑誌で盛んに論ぜられていたことがある。傑作は「きしゃの、きしゃが、きしゃで、きしゃした」の変換が一度にできるかを話題にしていた雑誌があった。ちなみに正解は「貴社の記者が汽車で帰社した」であったが、馬鹿げた話ではないのか。その後、「連文節変換」(助詞で結ばれた文節と文節を解析して変換する方法?)が「主流」となったときがあった。でも日本語の表記は、漢字に変換できればいいというものではないだろう。あえて、ひらがなで表記する場合もあり、漢字変換を強制されるのも問題ではないだろうか。この点、オアシスの辞書は優れていた。「ひらがな」「漢字」「カタカナ」が順番に選択できるようになっていた。たとえば、葉書・はがき・ハガキである。
                   
  ついでに、人名の打ち方について、一言述べたい。MS−IMEには、「人名辞書」がついているが、僕はいらないと思う。たとえば「癸生川」という苗字をうってみろと言われたなら、君ならどうする。「癸」を読める人は、めったにいないだろう。この場合、ほとんどの人は、画数でしらべると思う。要するに「読めなければローマ字入力そのもの」が、どうにもならないのである。僕は、人名を打つ場合、一発変換はあまり期待していない。ある目的の漢字を含んだ熟語、しかもポピュラーな熟語を打ち、余分な文字を、ていねいに「Backspace」を使い消して、目的の漢字を組み合わせる方法を使っている。これは地名などの固有名詞でも応用が利くと思う。ストレスもないし、なんの不都合もない。この点、アナログ世代は、漢字(熟語)に強いようであり、有利だと思う。この点に関しても、オアシスは「上書きモード」が標準であり便利だった。いちいち「Backspace」キーを使わなくてもよいからである。さて、キーボードに練習をあるていどやったので「いよいよ、バリバリ活用する」段階がきたかのように思った。しかし、であった。
                   
                   

 

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