●ステレオタイプというのものがある。
●百科事典のマイペディアAtok版によると
●社会心理学では一定の社会的対象に関して,ある集団の中で共通に受け入れられている単純化された固定的な概念やイメージを意味する。これは,未知の状況に対する迅速な適応を可能にするが,強い感情的要素を伴い,集団的な偏見を広める弊害がある。
●となっている。「髪を金髪に染めている人間は素行が悪い」と思われているからこそ、そういう人がボランティア活動や少し親切なことをしただけで感動して新聞に投書なんかをする人がいるわけだ。
●はぐれのパターンから言うと「一見不良ぽい人が最初は疑われるけど、本当は心のきれいな人でした」今回もそういう話だったけれど。
●今回の話で画期的だったのは安浦刑事が自らの説教を「他人には偉そうなことをいえるが、身内にはいえない」ということを語った点なのかもしれない。
●事件を機に壊れた家族がまた一つになった。それも根底に家族愛というものがあったからであろう。
●さて、現代日本で徹底して家族愛をえがいた映画は「クレヨンしんちゃん」シリーズであることは誰の目にも明らかであるが、そのクレヨンしんちゃんはTV番組の方は大変PTAに不評だったりする。子供に見せなくない番組とかなんだとか。PTAが嫌うのも分かる気がする。TV番組の方をたたいておけば、世のお父さんお母さん方は当然映画の非難されるような内容だと思うだろう。よって子供が見に行きたいと言っても
●「コナンにしなさい」
●ということになり、見る人は減る。
●PTAはクレしんの映画を見る人を減らしたいのだ
●なぜか、答えは一つ「家族愛というものを見せたくない」から
●PTAの人たちは家族愛が邪魔で仕方がないのだ。自分の子供が家族愛というものを知り、自分の家庭に疑問をおぼえる、それが怖くて仕方がないのだ。
●という様な与太話はともかく、クレヨンしんちゃんの映画最新作を見てきました。
●昨年の映画は「文化庁メディア芸術祭大賞」を受賞したが、それを知って今年の映画もそうだろうと考え見た人は
●がっくりしたかもしれない。
●おもしろいには、おもしろかったが昔からのファンが諸手をあげておもしろいといえるほどおもしろくはなかった。
●今年の映画はギャグを主体に置いていて、大変笑うことができるのだが、それでも展開とか構成とかいうのは大事だよね。という感じ。
●「やたらと凝っている格闘シーン」もなかったし。
●地獄の黙示録のパロディが大量に入っていた。映画を見たあとそれを聞いて地獄の黙示録特別完全版を借りてきてみたら、なるほどと思った。
●地獄の黙示録をみたあと、見に行ったらもっとおもしろかったかもしれない。あと、「ブラックホークダウン」のパロディもありました。
●話をはぐれに戻す。父親が娘に怒鳴るシーンがあったけれど、それを見ながら思う。
●子供を怒鳴るということはまるで父権の発動のように思われているような気もするが、ただ単に「お前の話を聞くつもりはない」ということを表現しているだけにすぎない気がする。叱ると怒鳴るは違うものだ。相手を叱り、それを納得させるだけのものがないから怒鳴るしかないのかもしれない。反論されたら困るから。
●それで態度を矯正しようとして、できるものでもなかろう。
●東映のはぐれ公式には「大人が子供たちを叱っていたあの時代が幻想でしかなかったのか」という文章がある。含蓄のある言葉です。
●さらに「とくに岩原明生さんの演技、傑作です。」
●ラーメン屋の若者の役を演じた役者だけれど、「あれは演技だったのか。」
●「地」じゃないか?と思わせる自然な演技でした。(ステレオタイプ的偏見)
●安浦刑事が仕事中にさくらへよって烏龍茶を出されるシーンがあったが、
●グラスに入った烏龍茶とおしぼり、出てくるのが早すぎる。まるでそこにはじめから準備してあったかのように。
●あと、自分から「独立した」「自立した」と何度も主張する人間は「独立」も「自立」もしていないような気がする。