第20話(2001/08/22)「ぬれぎぬ殺人!ついてない男と女 」


〜人間万事、塞翁が馬?〜

●今井刑事の半袖のYシャツ。そういえば、何年か前の新党ブームの時半袖のYシャツをトレードマークにしていた首相がいたような気がする。なんでも、半袖は涼しいのでスーツよりも冷房をつかわないから、環境に易しいのだそうだ。

●私が小学生だった頃、学習雑誌の付録で、無駄に子供の不安をあおるオカルト系の冊子が付いてきたことがあったが、あれには「氷河期が再び来るかも」とか書いてあったような気がする。あのころは温暖化よりもそっちの危機の方がメジャーだったのだろうか。

●さて、人間生きていれば、自分がツイていないと思うことは少なくないと思う。私自身、「あああのとき、あんなことを言わなければ、今こんなしょうもないことで頭をかかえずにすんだのに」、そういうことがある。

●無気力さの学習ということばがある。心理学方面での言葉だ。セーリッグマン(Seligman)の実験はいろいろな示唆を含んでいる。

●実験の手順や内容は心理学関係の本を調べれば詳しくのっているが、「不快なことがきたら、どうしようもない。何をやってもダメだ」ということを学習してしまうと、それに立ち向かうことを、初めからやらなくなってしまうということだ。

●嫌な事態に対して自分が何も出来ない、無力であると認識すると、それが辛いことに立ち向かっていく意欲を奪ってしまうのである。内村勇作もきっとこのような状態に陥っていたのであろう。

●そういう人たちは、きっとこう言う。「運命だから仕方がない」。でも運命ならば「塞翁が馬」ということばもある。

●昔、中国の北辺の老人(塞翁)の馬が逃げたが、後に立派な馬をつれて帰ってきた。老人の子がその馬から落ちて脚を折ったが、そのために戦争に行かずにすんだ。ようするに人生の吉凶は簡単には定めがたいことをいう「淮南子‐人間訓」の故事による格言。

●今のこの苦しみも、いずれ幸せに変じるかもしれないのだ。

●でも、近頃「入試ミス」という明らかな人災で翻弄される人たちが報道されている。私は入った学校で人生が決まるなんて考えていないし、そんなんだったら、私の人生なんてもうすでに終わっているのだが、それはともかく、学校側のミスで入ることが出来た学校に入られなくなったというのは、怒りで「ツイていない」と思うことすら出来ないだろう。金を積まれて謝られても、時間はかえってこない。

●かえってこない時間を憂えることは心にとって大切なことの一つではあるが、いつかそこから先に進んでもらいたいと思う。

●人にはなぜ手が二つあるのか、それは一つは幸せを、一つは天国をつかむためにあるんだ。

●さてさて、内村は上司に恵まれなかった。最初の会社もそうだが、運転手の仕事の時の上司も真相を調べもせず、「やめてもらうしかなかった。」

●真相をしらべんかい!それが上司のつとめだろうに。

●今回の事件の発端も、そもそも上司の方に原因があったわけだし。内村に理不尽なことに立ち向かう勇気があれば、またちがった生き方が出来ただろう。残念である。

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